日本の鉄道事故 (2000年以降)

日本の鉄道事故(にほんのてつどうじこ)では、2000年以降に発生した日本の主な鉄道事故について記述する。運輸安全委員会(2008年10月1日以降、2008年9月30日以前は航空・鉄道事故調査委員会)の調査案件には★を付す。

なお、明確な正式名称がなかったり、同名だが別の事故が起きたりした場合、便宜上独自の事故名表記としている箇所がある。

2000年代[編集]

2000年[編集]

営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故[編集]

2000年(平成12年)3月8日 9時1分頃(列車脱線事故、列車衝突事故)
帝都高速度交通営団(現・東京メトロ日比谷線東急東横線直通列車が、中目黒駅直前の急曲線で脱線、対向電車の側面をえぐる形で衝突し、死者5名、負傷者64名を出した。この事故で、日比谷線03系1両(03-802)が廃車になった。同駅付近では引き上げ線で1967年と1992年に、ほぼ同位置で1965年にも事故が発生している。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(松岡町)[編集]

2000年(平成12年)12月17日 13時頃(列車衝突事故
京福電気鉄道永平寺線の上り列車(1両編成)がブレーキ故障により分岐駅である東古市駅(現在の永平寺口駅)に停車せず、越前本線に進入し越前本線下り列車と正面衝突、上り列車の運転士1名が死亡、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負った。
ブレーキ故障は、車体中央のブレーキシリンダから前後台車の基礎ブレーキ装置へブレーキ力を伝達する引ロッドの改造接続箇所の溶接に欠陥があり、溶接箇所が疲労破断したのが原因であり[1]、同社の車両検査体制が問われた。

2001年[編集]

新大久保駅ホーム転落死亡事故[編集]

2001年(平成13年)1月26日 19時14分頃(鉄道人身障害事故
東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線新大久保駅ホームから線路に泥酔した男性が転落し、その転落者を助けようとして2名の男性がホームから線路に飛び降りたものの、折からホームへ進入してきた電車と接触し、3名とも死亡した。

福島駅駅ビル衝突事故[編集]

2001年(平成13年)4月8日 21時35分頃(列車脱線事故)
福島交通飯坂線福島駅で、飯坂温泉発福島行き上り列車(7000系東急7000系の譲渡車両)のブレーキが作用せずホームを通過、車止めを乗り越え12m先の駅ビル・イーストビルに突入し乗員乗客4名が負傷した。この影響で当該車両は廃車となった。
この列車は2駅手前の美術館図書館前駅を発車後、一時車内照明が消えるなど停電に見舞われた後にブレーキ装置が故障、非常用ブレーキ装置も扱ったがこれも作用せず曽根田駅を通過、暴走状態となり事故に至った。この列車は始発前の点検では異常が見つからなかった。現代の車両では、通常は複数の独立したブレーキ装置を備えているが、これらすべてが作用しないという稀有な事例であり、原因は究明されていないが、電源装置の不良によるブレーキ装置の動作不良が疑われている[1]
この後、東北運輸局は福島交通に対し事故原因の早期究明と再発防止策を求める警告書を出し立ち入り検査を実施した。4月13日深夜に試験運転を行い、翌日の始発から運転を再開した。

東海道線富士駅冒進阻害事故[編集]

2001年(平成13年)4月18日(信号違反、線路障害)
東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線富士駅で下り貨物列車が、出発信号機の停止現示を見落として進行。東海型過走防止装置により停止したが、同駅始発電車列車に向けられた出発信号機の進行現示を自列車のものと勘違いし、ポイントの開通方向が違うのに気付かずATS停止を無断解除して出発した。駅側がそれに気づき、始発電車の防護無線を発報したが間に合わず、非開通のポイントを割り込んで破損した。
当日は貨物列車が約10分遅れだったことから富士駅始発列車を先行させることとし、貨物列車が到着する番線の出発信号機に「停止」を現示したが、この停止信号を見落として進行したため場内信号による注意現示速度以下の速度で出発信号80m外方の過走防止速度照査が動作して非常制動が働き、75m冒進して停止した。
運転士は4つのエラーを冒したが、特に指令の許可を得ずにATSを解除して出発したことで衝突が危惧される事態となり、JR東海は日本貨物鉄道(JR貨物)に再発防止を求めた。
背景として、ATS-Sxが冒進前提の防御で、停止後は運転士に停止理由が見えないことで遅れ回復の気持ちに押され見落とし、思い違いのままの行動が続いてしまったことが挙げられる。運転士が場内信号も見落としていた場合、注意現示以下に対応する東海型過走防止装置の防御対象外であることから宿毛事故のような高速冒進となる危険があることを示した。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故 (勝山市)[編集]

2001年(平成13年)6月24日 18時頃(列車衝突事故
京福電気鉄道越前本線(現・えちぜん鉄道)保田駅 - 発坂駅間で勝山福井行きの上り普通列車(1両編成)と福井発勝山行きの下り急行列車が正面衝突して乗員乗客24名が重軽傷を負った。
事故原因は、本来途中駅で対向する急行列車とすれ違う必要があったのを普通列車の運転士が信号を確認せず早発したという人為ミスだった[1]。上記2000年12月17日の事故の約半年後に再び衝突事故を起こした京福電鉄は厳しい批判を受け、福井地区各線の運行が停止に追い込まれた。

2002年[編集]

名鉄新羽島駅電車衝突事故[編集]

2002年(平成14年)1月3日 10時頃(列車脱線事故
岐阜県羽島市名古屋鉄道羽島線新羽島駅構内で、笠松発新羽島行き普通電車(3100系、2両編成)が車止めに衝突、先頭車両の前部2.5mが高架橋終端から突き出て停止した[2]。けが人はなかった[2]
原因は降雪時に耐雪ブレーキを使用せずに運転し、氷塊詰まりにより制動力が極端に落ちたものと推定された[3]。この事故を受けて名鉄では耐雪ブレーキの使用基準などを改めた。また、ホームの長さを2両に短縮し、ドアカットを行う措置を一時的に行った。

鹿児島線列車衝突事故[編集]

★2002年(平成14年)2月22日 21時30分頃(列車衝突事故
福岡県宗像市九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線海老津駅 - 教育大前駅間で、門司港荒尾行き下り普通列車(811系+813系7両編成[注 1])がイノシシに衝突し車両点検のために停止中、無閉塞運転で進行してきた後続の門司港発荒木行き下り快速列車(813系5両編成[注 2])が追突し134名が重軽傷を負った。
後続列車が中継信号機の進行現示を自列車に対するものと勘違いし、無閉塞運転取扱規則に反して加速したのが原因。
車体はテレスコーピング現象による衝撃で各車とも車端部が破損しており、全車が廃車となった。なお先行列車の先頭車両の前頭部(811系)は九州鉄道記念館の運転シミュレーターとして活用されている。また、事故廃車になった813系は被害を受けてない部品がのちに製造された300番台に再利用されている。

真岡鐵道真岡線久下田駅構内列車脱線事故[編集]

★2002年(平成14年)8月1日 12時18分頃(列車脱線事故
真岡鐵道真岡線特殊自動閉塞CTC付帯)久下田駅で、隣のひぐち駅で故障し走行不能となった営業列車(下館茂木行き第117列車、モオカ63形気動車1両)を連結して救援した列車(同じくモオカ63形気動車1両)が久下田駅構内のひぐち駅方にある11号転轍器へ進入したところ脱線した。
原因は運転指令員が信号および転轍器に対しマニュアルと異なる誤った取り扱いをしたためであった。運転指令員はひぐち駅の両隣である久下田駅と折本駅の間を伝令法による運転に切り替え、ひぐち駅の3駅先の真岡駅から救援列車と要員を派遣し、故障車をひぐち駅から真岡駅まで牽引しようとしたが、救援列車をひぐち駅へ向かわせる際に久下田駅の11号転轍器鎖錠を手動解錠しなかったため、救援列車が通過した時に転轍転換器を破損して半開きのまま固着した[注 3]。転轍器が破損して復位しないので久下田駅場内信号は停止現示のままになり、故障列車を牽引してひぐち駅から戻ってきた救援列車が再び久下田駅に進入できなくなった。運転指令員は久下田駅の場内信号が停止現示から切り替わらない理由が分からず、場内代用テコで強制的に場内信号を進行現示として救援列車を久下田駅に進入させた。救援列車は損傷した11号転轍機上を通過し、先頭車前方2軸が脱線した。
救援列車の運転士は運転歴29年のベテランで訓練・検査も行われており、異常も無く正常に運転していたが、当時の運転指令員が運転士と兼務の上に運転士の仕事ばかりで全く訓練や検査も行われていなかった。指令業務に不安を覚えた運転指令員は、茂木駅で別の作業をしていた信号関係ベテランの工務区副長の助言を受けながら[注 4]運転取扱をしていたが、工務区副長も助言を誤り、関係者が誰もその誤りに気づかなかったために誤った取扱が実施された。さらに人員不足で折本駅に臨時の駅長が派遣されなかったこと、久下田駅に派遣された派遣駅長も訓練を受けておらず代用手信号の現示や転轍機確認を怠ったこと、信号に関する知識の乏しい者を久下田駅派遣信号係としたことなど、複数の対応の誤りが招いた事故であった[4]

名鉄名古屋本線衝突脱線事故[編集]

★2002年(平成14年)9月26日 8時32分頃(列車脱線事故[5]
名古屋鉄道名古屋本線新岐阜(現・名鉄岐阜)発豊橋行きの特急[6][7] 86列車(8両編成。1030系・1230系6両+1800系2両。乗員3名、乗客約900人乗車[6])が、名古屋本線奥田駅 - 大里駅間にある大里8号踏切(稲沢市奥田堀畑町地内)付近の軌道内で普通乗用車(ホンダ・プレリュード〈4代目〉)と衝突[6][7]。うち前2両が大きく脱線し、特に先頭車両は線路の東側に設けられていたコンクリート暗渠の用水路に乗り上げた状態で停止した[6]
普通乗用車のスリランカ人の運転者1名が死亡、列車の乗客21名と運転士、車掌各1名の計23名が負傷した[6][7]通勤ラッシュ時間帯で脱線した特急列車には多くの乗客が乗っていたため負傷者が多数発生した。なお、事故当時対向列車が事故現場へ近づいていたが、脱線列車が架線をなぎ倒したことから停電となり、現場直前にて停止したため、さらなる大惨事は免れた[8]
事故の原因はスリランカ人の運転する普通乗用車(盗難車)が遮断桿が下がっていた踏切内に進入、踏切内で脱輪した上に線路上を新名古屋(現・名鉄名古屋)方面に走行し[6]、これに追突した列車が乗用車を巻き込んで脱線したためである。
事故車両のうち後方に連結されていた1800系2両はそのまま修理された。残りの6両のうち大破した1030系2両は事故廃車となったものの、1230系4両は豊橋寄りの中間車に運転台を取り付ける工事を行い、新たな固定編成の1380系として改造された。

東海道線救急隊員死傷事故[編集]

現場付近に建立されている慰霊碑
★2002年(平成14年)11月6日 19時45分頃(鉄道人身障害事故
西日本旅客鉄道(JR西日本)の東海道本線JR神戸線塚本駅 - 尼崎駅間で、フェンスを乗り越え線路内で遊んでいて大阪姫路行き新快速にはねられた中学生を救助中の救急隊員2名が、後続の京都鳥取行き特急「スーパーはくと11号」にはねられ、1名が殉職、もう1名も重傷を負った。
当時のJR西日本に人身事故発生時の明確なマニュアルがなく、現場を監視していた同社社員と同社運転指令所との連携がうまくいかなかったため、運転指令所が現場の状況を正確に把握しないまま運行再開を指示したことが原因の一つであるとされている。なお、のちの裁判では社員に関しては無罪、指令所員に対しては有罪判決が下されている。
後にJR福知山線脱線事故が発生した際、同社の運行管理体制のずさんさを指摘する例としてこの事故が報道などで再び取り上げられることにもなった。
この事故においてはきっかけとなった中学生の線路侵入による人身事故で運転抑止が長引くことによって、JR西日本が乗客からの苦情が殺到することを恐れていたことが指摘されている。なお、この事故以降、JR線人身事故時の警察による現場検証などによる運転抑止時間が、安全確保を理由に、それまでの平均20 - 30分から平均1時間以上を要するようになった。
現場付近には慰霊碑が設置されており、JR西日本の社員によって手入れがされている[9]
外部リンク:JR東海道線で救急隊員轢死 - 失敗知識データベース

2003年[編集]

長崎本線特急列車脱線転覆事故[編集]

事故に遭ったSM3編成。下画像が代替製造された400番台。
2003年(平成15年)7月18日 21時45分頃(列車脱線事故
長崎県諫早市のJR九州長崎本線肥前長田駅 - 小江駅間で、長崎博多行きの上り特急「かもめ46号」(885系SM3編成 6両編成。乗員2名、乗客76名)が大雨により線路横ののり面から線路上に崩れた岩石に衝突し脱線、転覆した[10]
この事故で運転士と乗客36名が重軽傷(2両目に乗っていた2名が重傷、運転士と1両目に乗っていた34名が軽傷)[11]。脱線車両の落下場所が梅雨期の水田で衝撃を和らげたこともあり、負傷者は比較的少数で済んだ[12]。岩石は直径80cm・質量約130kgで、線路脇の斜面にあったものが降雨による地盤の緩みで落下したものと思われ、線路周囲の法面の点検の徹底が国土交通省から指示された。
被災した編成のうち、特に損傷の激しかったクモハ885-3・モハ885-3・サハ885-3の3両は事故現場が水田で重機が搬入できないことから、そのまま現場で解体された。約半年後に885系400番台が代替製造されている。また、この事故の影響で長崎本線の湯江 - 諫早間が数日間運休になった。

名鉄新岐阜駅電車衝突事故[編集]

★2003年(平成15年)10月18日 17時15分頃 (列車脱線事故[13]
岐阜県岐阜市の名古屋鉄道名古屋本線新岐阜駅構内で、豊川稲荷発新岐阜行き急行列車(3100系+3500系6両編成[13]。乗員2名、乗客約60名[14])が所定位置で停車せずに5.7m通り過ぎてホーム端の車止めに衝突、1両目と3両目が脱線し乗客4名が軽傷を負った[14]
原因は運転士の体調不良による運転操作ミスとされる。運転士が駅進入の際に気を失って運転レバー(主幹制御器)に倒れ込み、加速の向きに操作したため[13]。運転士は事故後の精密検査で睡眠時無呼吸症候群(SAS) の疑いがあると診断された[13]。なお、運転士は新岐阜駅進入の前までは正常に減速運転を行っていたため、2年後に発生した土佐くろしお鉄道宿毛駅衝突事故のような、最悪の事態は免れることができた。
この事故を受けて名鉄では以降導入する車両に対し、運転台の主幹制御器をボタンを押さないと力行側に操作できなくするものに変更した[13]。また、事故現場となった新岐阜駅名古屋本線ホームには油圧式の車止めと過走防止用(速度照査用ではない)のATSが設置された[13]

2004年[編集]

飯田線列車脱線転覆事故[編集]

2004年(平成16年)10月20日 22時50分頃(列車脱線事故
長野県上伊那郡辰野町のJR東海飯田線羽場駅 - 伊那新町駅間で天竜峡辰野行き普通列車(119系2両編成)が脱線転覆し約3m下へ落下、乗客乗員4名が軽傷を負った[15]
事故当時は台風23号による大雨の影響で盛土が流出していた[15]。事故車両は2006年3月28日付で廃車となった。

上越新幹線脱線事故[編集]

★2004年(平成16年)10月23日 17時56分頃(列車脱線事故
17時56分頃に新潟県中越地震が発生。震央(いわゆる震源地)に近い上越新幹線浦佐駅 - 長岡駅間を走行中だった東京新潟行き「とき325号」(200系10両編成)のうち7・6号車を除く8両が脱線した。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車のため約200km/hに減速して走行中だったが、早期地震検知警報システム「ユレダス」による非常ブレーキが作動し長岡駅の東京寄り約5kmの地点で停車した。
自然災害が直接の原因とはいえ、新幹線の営業列車が脱線した初の事例(回送列車では既に1973年東海道新幹線鳥飼基地における冒進脱線事故などがある)となったが、高架橋が頑強に造られており倒壊を免れたこと、脱線はしたものの転覆に至らなかったこと、偶然にも対向列車が無かったことなどが幸いし、死者・負傷者は発生しなかった。

2005年[編集]

土佐くろしお鉄道宿毛駅列車衝突事故[編集]

2005年(平成17年)3月2日 20時41分頃(列車脱線事故
高知県宿毛市土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅構内で、岡山発宿毛行きの特急「南風17号」(3両編成・乗客11名)が、同駅構内の場内信号が現示していた注意信号の制限速度である45km/hを大きく超えた速度で宿毛駅に進入し、頭端式(行き止まり式)ホームの車止めを突破して駅舎に激突した。
この事故で運転士が死亡し、車掌1名、乗客10名が負傷、特急車両(JR四国2000系気動車)は2両(2008・2218)が廃車、宿毛駅の駅舎は大破。半年以上にわたって駅舎の使用停止・部分運休を余儀なくされた。なお、後ろ1両(2116)は修理復旧された。

東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故[編集]

連続立体交差事業中の伊勢崎線第37号踏切道(2018年1月)
2005年(平成17年)3月15日 16時50分頃(踏切障害事故
東京都足立区東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅南側の伊勢崎線第37号踏切で、女性4名が浅草行き上り準急列車(当時)にはねられ、2名が死亡し2名が負傷した[16]
当時、この踏切は手動式(第1種乙踏切)であり、東武鉄道の係員が操作していた[16]。事故発生前の列車が通過後に列車の接近を知らせる警報ランプが点灯したが、次の準急列車通過までに余裕があると踏切警手が思い込み、遮断機のロックを解除して2 - 3メートル上げてしまうという操作が原因だった。
東武伊勢崎線は北千住駅 - 北越谷駅間を複々線化する際、同時に西新井駅 - 竹ノ塚駅間の一区間を除き高架・立体交差化を行っていた。この区間は竹ノ塚駅のすぐ南側に東京地下鉄(東京メトロ)の千住検車区竹ノ塚分室が立地しているなどの理由により高架化が困難なため、踏切をそのまま残して平面交差のままとしていたと東武鉄道は説明した[16]。その一方で、同分室への入出庫列車や駅北側でも当駅始発・終着列車用留置線との出入りが頻繁にあったため、どちらもいわゆる「開かずの踏切」となっており、自動化すると遮断時間が長くなる恐れがあったため手動踏切として残されていた[16]
しかしながら、輻輳するダイヤの影響で、踏切の待ち時間は長ければ20分以上に至ることもあり、列車が通過して遮断機が開いたかと思いきや、すぐさま警報機が作動して遮断機が再び降りるという現象も頻繁に発生していたため、利用客からの苦情が絶えなかった。さらに、悪質な者は詰め所のドアを蹴ったり、警手に対して罵声を浴びせていた[17]。精神的圧迫を感じていた警手らは「一人でも多くの待ち時間を減らしたい」と考え、焦って踏切に駆け込んできた横断者に対して、違法であることを知りつつロックの解除を行った[16]。この踏切を操作していた警手は2006年2月に禁錮1年6か月の実刑判決を受けている[18]
事故後、東武線内に存在していた手動踏切はすべて自動化され、竹ノ塚駅の前後に存在する踏切では踏切道の拡幅や歩道橋の設置が行われた[19]。また、京成電鉄京成高砂駅にあった手動踏切も自動化された[20]
さらに国土交通省もこの事故を踏まえて踏切対策のスピードアップを図る方針[21]としている。
この事故をきっかけに現場付近は立体交差化されることになった。制度が改正されたことなどにより2011年3月31日には都市計画が決定し、12月20日には東京都から事業認可を取得、翌2012年11月4日に起工式を迎えた。事故発生から約7年7カ月での工事着手は異例の早さである。その後、2022年3月に本線の高架化が完了し、現場を含む竹ノ塚駅前後の踏切も廃止された。

福知山線列車脱線転覆事故(JR宝塚線脱線転覆事故)[編集]

★2005年(平成17年)4月25日 9時18分頃(列車脱線事故
兵庫県尼崎市のJR西日本福知山線(JR宝塚線)・塚口駅 - 尼崎駅間の曲線で、列車の遅延回復のための速度超過運転などが原因となり、宝塚同志社前行きの上り5418M快速列車207系7両編成)が脱線・転覆。特に前方の2両目は脱線・転覆後、線路脇のマンションに激突し、さらに3両目から側面衝突されて耐震設計マンションの柱に巻きつく形で大破したため、1階駐車場へ突入した1両目よりも大勢の死傷者が出た。このとき、列車は制限速度70km/hのカーブに116km/hで進入していた。
この事故で運転士1名と乗客106名が死亡し、562名が負傷した。死者の数は鉄道事故としてはJR発足以降および平成年間を通じて最悪で、鉄道事故全般では歴代7番目に多い。また国土交通省航空・鉄道事故調査委員会がまとめた事故報告の事実関係の記述だけで300ページ超と、1985年に発生した日本航空123便墜落事故報告書を上回り、日本の事故調査報告書としては過去最大の分量となる大事故となった。
この事故が日本国内でのトリアージの初の本格運用例となった[22]
事故車両のうち、損傷が激しかった進行方向前寄り4両は現地解体されたが、被害が少なかった後寄りの3両は、事故の風化防止に役立てるため、解体せず遺族の手記とともに鉄道施設に展示される予定とされた。そして2018年(平成30年)11月17日、事故の風化防止および社員教育活用のため当該車両を保存する意向が正式に発表された[23]

新飯塚駅構内列車衝突事故[編集]

★2005年(平成17年)8月6日 13時42分頃(列車衝突事故〈逸走に伴うもの〉)
福岡県飯塚市のJR九州後藤寺線新飯塚駅構内で、直方駅寄りにある引上線に留置されていた車両(キハ40形気動車1両編成)が下り勾配により逸走し、発車待ちをしていた田川後藤寺行き普通列車(キハ40形気動車1両編成)に低速(おおむね15km/h以下)で衝突した。
この事故で普通列車の運転士1名が負傷した。乗客には死傷者なし。逸走車両と普通列車双方の連結器が破損した。
留置車両に手歯止(車輪止ブロック)を使用せずに長時間留置されたため、自動ブレーキの定圧空気タンクの配管接続部分から圧縮空気が徐々に漏れ出し、ブレーキが自然緩解したのが原因とされた[24]

羽越線特急脱線転覆事故[編集]

★2005年(平成17年)12月25日 19時14分頃(列車脱線事故
山形県東田川郡庄内町榎木のJR東日本羽越本線北余目駅 - 砂越駅間の第2最上川橋梁で、秋田新潟行きの上り特急「いなほ14号」(485系3000番台6両編成)が橋梁通過直後に全車両が脱線し、先頭車両は沿線にある家畜共同団地内の養豚場に隣接する堆肥小屋に激突・大破した。
この事故により先頭車両に乗っていた5名が死亡、33名が重軽傷を負った。突風が原因とされている。
その後突風対策として余目駅ドップラーレーダーが設置され、線路沿いには防風フェンスが設置された。

2006年[編集]

伯備線保線作業員死傷事故[編集]

2006年(平成18年)1月24日 13時20分頃(鉄道人身障害事故
鳥取県日野郡江府町武庫のJR西日本伯備線単線区間で、線路内で保線作業中だった同社米子支社の作業員5人が岡山出雲市行きの特急スーパーやくも9号」にはねられ、3人が死亡、2人が負傷した。
事故を起こした「スーパーやくも9号」は岡山駅で遅れていた山陽新幹線の接続を待ち合わせたため15分程度遅れていた。
この事故では、当時の米子支社の作業責任者が輸送指令から「スーパーやくも9号」の遅れを伝えられていたが、既に同列車が通過したと勘違いして当該列車とは逆方向に当たる上り列車を警戒するように見張員を誤って配置して作業を開始したことが一因とされる。
2008年3月に、鳥取地方裁判所米子支部は作業責任者に対し禁錮3年・執行猶予5年の判決を言い渡した。その上でJR西日本の安全対策の不十分さも指摘した。
なお、同線では1969年2月にも同様の接触事故が発生しており、この時には6人が死亡している。

京王井の頭線吉祥寺駅衝突事故[編集]

2006年(平成18年)4月21日 (軌道、列車衝突事故)
東京都武蔵野市京王井の頭線吉祥寺駅で、渋谷発吉祥寺行きの急行電車(3000系5両編成)が、終点の吉祥寺駅において過走防止装置の動作により正規の停止位置より手前に停車した。その後、正規の停止位置まで移動するため再起動したところ、制動操作が遅れ車止めの手前にある防護枕木に接触した。この事故により乗客1名が負傷し、1時間ほど運転を見合わせた。
事故後、京王電鉄の全乗務員に対し車庫内での実技訓練を実施したほか、正規の停止位置より手前に停止した場合でも、車掌の判断によりそのまま客の乗降を扱えるようにする決まりを設けた。事故現場の吉祥寺駅では、停車位置目標を今までより5m手前へ移設し、目立つ位置に設置するなどの対策を取った[25]

都電荒川線追突事故[編集]

★2006年(平成18年)6月13日 9時35分頃(軌道、列車衝突事故)
東京都北区東京都交通局都電荒川線で営業電車ダイヤ間に投入された試運転電車(7000形7020号)が、梶原停留場 - 栄町停留場間で、34km/hから常用ブレーキを最大まで効かせて停止させるブレーキ性能試験を予定どおり実施した。しかし、車間の詰まっていた後続の営業電車(7500形7505号)が止まりきれず追突し、乗客27名および試運転担当者3名が負傷した(うち乗客1名重傷)。
原因解析の結果、車間距離が100m以下に縮まっていたにもかかわらず、追突した電車は約33km/hに加速していたために、非常ブレーキを用いても10km/h程度で衝突してしまったことが分かった[26]
事故電車運転士を含む荒川線運転士の誰も、試運転電車のブレーキ性能試験を行うことはもとより試運転があると知らされていなかった。また「軌道運転規則」の「先行車両との距離が100m以下のときの運転速度は15km/h以下とする」という規定は形骸化し、教育訓練で徹底されることもなかった。
追突した7500形は緩衝器等が修理されて運用に復帰したが、追突された7000形は緩衝器脱落、空気配管と電線管の損傷のほか、車体台枠の折れ曲がりで床面が盛り上がるなどのダメージが酷かったため、事故後廃車となった。
また後続車から先行車の制動がわかりづらいことも原因のひとつと考えられたため、この事故を受けて荒川線に在籍する全車両に赤色のブレーキランプが取り付けられた。事故後に入線した9000形8800形8900形も新製当初から取り付けられている。そのほか、ブレーキ試験時に黄色回転灯を使うことになった。

日豊本線脱線転覆事故[編集]

★2006年(平成18年)9月17日 13時50分頃(列車脱線事故
宮崎県延岡市JR九州日豊本線延岡駅 - 南延岡駅間(南延岡駅構内)で、別府宮崎空港行き特急「にちりん9号」が、徐行にて南延岡駅に進入中に台風13号の接近によって発達した積乱雲に伴う竜巻にあおられ、先頭2両が脱線・横転。乗客と運転士あわせて6人が負傷する事故となった。

津山線列車脱線事故[編集]

★2006年(平成18年)11月19日 5時32分頃(列車脱線事故、線路障害)
岡山県岡山市JR西日本津山線玉柏駅 - 牧山駅間を走行中の津山岡山行き普通列車(キハ120形気動車2両編成)が、運転士が前方の線路上にが倒れているのを視認したため非常制動を執ったが、その箇所で左側に傾き脱線・転覆した。乗客25名と運転士1名が乗車していたが、重傷2人、軽傷24人と全員が負傷した。
脱線の原因は線路から100m上の斜面の岩盤から風化作用によって落石(推定110t)が発生し、落下の途中でレールに当たって損傷させたため。なお同区間は落石防止工事が必要となり、2007年(平成19年)3月18日まで不通になった。

2007年[編集]

川越線指扇駅 - 日進駅間列車火災事故[編集]

★2007年1月21日 8時8分頃(列車火災事故〈踏切障害に伴うもの〉、列車脱線事故)
埼玉県さいたま市北区JR東日本川越線指扇駅 - 日進駅間(現・西大宮駅 - 日進駅間)を走行中の川越埼京線東京臨海高速鉄道りんかい線直通新木場行き上り列車(205系電車10両編成、列車番号708F)が、日進第一踏切(起点の大宮から約4.1km)で小型乗用車と衝突した。列車の運転士は時速約70kmで走行中、踏切の手前で乗用車が遮断機が作動しているのにも関わらず踏切に進入してくるのを認め、非常ブレーキをかけたが間に合わず、列車は乗用車に衝突し、踏切を約160m過ぎて停止した。乗用車は4号車(モハ204-388)の進行方向左側付近で激しく炎上し、列車の窓ガラスが破損し、列車の外板および客室内の座席などに類焼した。この事故により列車は自走不能となり、乗用車を運転していた21歳の女性が死亡した。
さらに13時1分頃、この踏切事故で自走不能となった列車を別の205系電車が救援していた際、救援列車のATSブレーキが作動したが事故編成のブレーキが作動せず、衝突し脱線した。この2件の事故の影響で川越線は終日運転を見合わせた[27]。当該編成の中間車2両(モハ205・モハ204-388)は廃車され、代替として京葉車両センターの205系ケヨ21編成に組成されていた中間車2両(モハ205・モハ204-277)を連結し、運用に復帰した。

東武東上線ときわ台駅構内死傷事故[編集]

2007年(平成19年)2月6日 19時30分頃(鉄道人身障害事故
東京都板橋区東武鉄道東上本線ときわ台駅で、小川町行きの急行電車(10030型10両編成)が、60km/hでときわ台駅を通過する際に、自殺を図った女性(当時39歳)と女性を止めようとした警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(当時53歳、二階級特例特進で警部に)に衝突。宮本巡査部長は重体に陥り、その後2月12日に殉職。女性は腰を骨折する重傷を負ったものの、一命は取り留めた。

石北線列車脱線事故[編集]

★2007年(平成19年)3月1日 8時20分頃(列車脱線事故〈踏切障害に伴うもの〉)
北海道網走郡美幌町のJR石北本線美幌駅 - 緋牛内駅間の踏切で、網走北見行きの普通列車(キハ54 520 1両編成)が木材を運搬中の大型トレーラーと衝突し、全ての車軸が脱線した。この事故で、列車は前面を中心に激しい損傷を受け、主幹制御器ブレーキ弁に両膝を挟まれて運転士が重傷を負うなど、列車側の乗客乗員合わせて51名が負傷した[28]。事故車両は現場検証後に廃車となり、現地で解体されている。
事故原因はトレーラー側の運転手の前方不注意によるもので、運転手は積荷の状態について考え事をしていたと認めている。これにより、トレーラー側の運転手は業務上過失傷害などの疑いで北海道警察に逮捕され、後に執行猶予付きの有罪判決が確定している。

新潟県中越沖地震による事故[編集]

★2007年(平成19年)7月16日 10時13分頃(列車脱線事故新潟県中越沖地震によるもの〉)
越後線柏崎駅0番線で停車中だった115系2両編成(S1編成)が地震で吉田寄りの1両が横転した。
その後当車両は長野総合車両センターに入場し、同年12月25日に出場、運用に復帰した。

東海道本線共和駅構内死亡事故[編集]

2007年(平成19年)12月7日鉄道人身障害事故
愛知県大府市のJR東海道本線共和駅構内で、認知症の症状が出て徘徊していた当時91歳の男性が電車にはねられ死亡した。死亡した男性は、当時「要介護4」の認定を受けていたが、家族が目を離した隙に外出し徘徊していた模様である。
この事故でJR東海は、遺族との賠償協議が合意に至らなかったことから、2010年名古屋地方裁判所に、運行に支障が出たなどとして提訴。一審は男性の長男と妻の双方の責任を認め、2人に合わせて720万円の支払いを命じ、遺族側が控訴。二審の名古屋高等裁判所は、長男への請求は退けたものの、男性の妻に359万円の支払いを命じ、遺族とJR東海の双方が上告2016年3月1日最高裁判所第三小法廷は「介護する家族に賠償責任があるかどうかは、生活状況などを総合的に考慮し決めるべき」とした上で「男性の妻と長男は監督義務者には該当せず、賠償責任はない」として、遺族側勝訴の逆転判決を言い渡した[29][30]

2008年[編集]

阿佐海岸鉄道阿佐東線回送列車脱線事故[編集]

2008年(平成20年)6月30日 21時30分頃(列車脱線事故
徳島県海部郡海陽町の、阿佐海岸鉄道阿佐東線宍喰駅から車庫に入ろうとした回送列車(ASA201)が、ブレーキが遅れたため、車止めを乗り越えて脱線。当該車両は廃車となった。

近鉄鈴鹿線三日市駅構内列車火災事故[編集]

★2008年(平成20年)8月12日 23時45分頃(列車火災事故、電気火災事故)[31]
三重県鈴鹿市近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅 - 三日市駅間を走行中の伊勢若松平田町行き最終普通電車(1010系3両編成)の2両目(モ1062)の床下から発煙。三日市駅で停車中に発火して床下や座席が焼けたため運転が打ち切られた。死傷者はなし。
原因は、床下機器の断流器および断流器箱取付部の絶縁が低下して短絡状態となり、異常電流が流れたことによるものとみられる。
事故を起こした車両は復旧後の2011年1月2日にも同一区間で再び発煙するトラブルを起こしたため、後に編成から外され、電装を取り外して付随車化しサ8177と改番され、奈良線8600系サ8167(1972年の奈良線爆破事件被災車を復旧したもの)の差し替え更新に利用された。

京王高尾線脱線事故[編集]

☆ 2008年(平成21年)8月28日 23時52分頃(列車脱線事故)
京王高尾線高尾山口 - 高尾駅間を走行中、高尾山口発高幡不動行き各駅停車第7122列車(8000系8728編成・8両編成)がトンネル出口付近に土砂が流入しているのを発見し、非常ブレーキを手配したが間に合わずに乗り上げ、先頭車が脱線し前面と右側面を損傷した。列車には乗客が乗っておらず、運転士と車掌にけがはなかった。
この事故で、京王線は高尾駅 - 高尾山口駅間で翌8月29日いっぱい運転を見合わせ、30日10時頃に運転を再開した。
国土交通省運輸安全委員会は調査を実施し、事故から約半年後の2009年3月27日に調査報告書を発表した[32]。事故当時高尾 - 高尾山口間では気象庁観測で1時間に約70mmの非常に激しい雨が降っていたが、京王社内には降雨による運転規制の具体的な基準がなかった。
事故編成の8728編成うちクハ8728が2009年3月に廃車となり、同年12月に8714編成(元8814編成)クハ8814を2代目クハ8728に改番し復旧した。また、8714編成は、12月に東急車輛で製造されたサハ8564がクハ8814の位置に組み込まれた。

青梅線踏切事故[編集]

★2008年(平成20年)9月8日 18時25分頃(列車脱線事故〈踏切障害に伴うもの〉)
東京都青梅市のJR東日本青梅線青梅駅 - 東青梅駅間を走行中の青梅発立川行き各駅停車(E233系・10両編成)と踏切内で立ち往生していたトラックが激突。トラックは大破し、電車も車体が損傷し先頭車の前台車第1軸が左側に脱線した。
被災したE233系の前寄り6両(川崎重工業製)は大きく損傷しており、編成最後尾の1両以外の5両が新津車両製作所にて車体を新製し、修復扱いで復旧した。大きく損傷した前述した5両は、東京総合車両センターで解体された。
トラックの運転者が軽傷を負ったが、E233系特有の衝撃吸収構造や、クラッシャブルゾーンが備えられていたこともあり、電車の乗務員・乗客に死傷者は出なかった。
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は同日、調査官2人を現場に派遣した。

阪急甲陽線甲陽園駅脱線事故[編集]

★2008年(平成20年)9月20日列車脱線事故
阪急甲陽線の終点・甲陽園駅に列車(6000系3両編成)が進入途中、レールの摩耗変形が基準値を超えたことにより、2両目と最後尾の車両が脱線した。
この事故を契機に甲陽園駅は改良工事に着手し、棒線化された。

名古屋臨海高速鉄道あおなみ線脱線事故[編集]

★2008年(平成20年)10月23日5時半頃(列車脱線事故
名古屋臨海高速鉄道あおなみ線で、4両編成の列車が脱線した。原因は車輪にかけていた木製車輪止めを外さずに走行したため。

東海道新幹線浜松工場付近における脱線事故[編集]

2008年(平成20年)10月23日17時55分頃(列車脱線事故)
静岡県浜松市中区(現・中央区)のJR東海浜松工場回送線において、試運転を終えて浜松工場で点検を受けるため、約5km/hで走行していたN700系先行試作車(Z0編成)が、16両編成のうち後方の2両2台車の車輪が脱輪・脱線した。原因は転轍機がフログ部分の摩耗により劣化していたことによる。負傷者は出なかったものの、回送線と市道とが交差する踏切上で当該の編成が立往生する形となり、市道が通行できなくなる影響が出た。なお、この事故は営業線内の事故ではないため、鉄道事故調査の対象にはなっていない[33][34]。2017年8月8日にも同様の脱線事故を起こしている。

2009年[編集]

近鉄大阪線東青山駅構内列車脱線事故[編集]

2009年(平成21年)2月27日 5時30分過ぎ(列車脱線事故)
三重県津市白山町の近鉄大阪線東青山駅付近を走行中の名張伊勢中川行き始発普通電車1253系)が、東青山駅の西方約300mの下り線上で脱線し、架線を支える鉄塔に衝突した後大きく右に傾いて停止した。
事故は保線車両を留置する引き込み線が本線から進行方向向かって左へ分岐する部分で起きた。脱線の原因は26日深夜~27日未明に架線の部品交換作業を行った後、保線車両を引き込み線に収容する際に使用した3個の移線横取装置のうち、進行方向向かって右側のレール上の横取装置の取り外しを忘れたため、左右とで異なる方向に列車の車輪が導かれたことにより車両全体がバランスを崩したためと見られる。
この事故により乗客9名のうちの1名が右足首ねんざなどの軽傷を負ったほか、近鉄大阪線は青山町駅 - 伊勢中川駅間が27日終日に渡って不通になった。
事故後近鉄は、線路の確認を怠ったなどとして作業責任者と東青山駅助役を懲戒解雇とするなど関係者10人を処分し[35]、同時に移線横取装置の運用箇所の削減、横取装置使用時の停止信号の表示、横取装置使用時に作動するATSの設置を行った。ATS設置完了までの期間は横取装置使用後に同箇所を最初に通過する列車を時速25キロ以下での徐行運転とした[36]

名松線列車無人走行事故[編集]

2009年(平成21年)4月19日 22時13分頃(本線逸走)
三重県津市白山町のJR東海名松線家城駅で、車両の入換準備作業中に運転士がおよそ5分間列車を離れたところ、列車(キハ11形気動車1両)が無人で下り坂を走り始め、およそ8.5km離れた井関駅 - 伊勢大井駅間の踏切付近で停止した。けが人はいなかった。
無人で走り出した原因は担当運転士が列車のエンジンを始動後、ブレーキの効きを確認しないまま列車を離れたことによるものと見られる。
同駅では2006年8月20日にも、手歯止めを忘れたことで今回とほぼ同地点まで無人車両が流転するという事故が起きており、同事故を受けてJR東海では停泊車両へ手歯止めを装着した後の報告の義務化や、エンジンを停止すると同時にブレーキがかかるよう車両を改良するなど対策を講じていたが、今回は入換作業中のため機能しなかった。

東京メトロ東西線衝突事故[編集]

2009年(平成21年)9月9日 4時10分頃(車両衝突、輸送障害)
東京メトロ東西線東陽町駅に留置されていた始発の営業用電車(05系西船橋行き各駅停車に保線用機器が正面衝突し、走行不能になった(保線用機器にはATC車上装置は搭載されていない)。そのため東西線は始発から高田馬場駅 - 葛西駅間で運休となり、途中高田馬場駅 - 九段下駅間では部分的に運転を再開するものの、衝突された営業電車の先頭車両が連結器破損のため牽引できず、深川車両基地までの登り勾配を人力で移動せざるをえなかったこともあり全線で運転再開するまで5時間以上を要した。けが人はいなかったものの、通勤ラッシュの時間帯を直撃したため29万人に影響した。
この事故の影響を重く見た国土交通省関東運輸局は、東京メトロに対して早期の原因究明と再発防止を求める警告文書を発出した。

富良野駅構内除雪車衝突事故[編集]

★2009年(平成21年)12月28日 21時40分頃(鉄道人身障害事故[注 5]
北海道富良野市北海道旅客鉄道(JR北海道)富良野駅構内で、滝川新得行きの快速列車除雪車が衝突した。この事故で、快速列車の乗客9人と、除雪車の乗務員3人が負傷した。
北海道警察は12月30日に、被疑者不詳の業務上過失傷害容疑で、JR北海道本社を家宅捜索した。民営化後のJR北海道本社に家宅捜索が入るのは初めてのことであった。

2010年代[編集]

2010年[編集]

函館本線踏切事故[編集]

被害車両の789系HL-1005編成
2010年(平成22年)1月29日 12時21分頃(列車脱線事故踏切障害に伴うもの〉)
北海道深川市深川町6号線のJR北海道函館本線深川 - 妹背牛間の踏切(函館駅起点389.721 km)で、砂利を積載したダンプカーが雪道をスリップして踏切内に進入。踏切にある踏切支障報知装置を作動させて発報したが間に合わず、そこに旭川札幌行き特急第2024M列車、「スーパーカムイ」24号(789系5両 HL-1005編成)が衝突した[38]。非常ブレーキを作動させた列車は204 m行き過ぎたところで停止し、先頭車両の前頭部が大破、前台車が脱線する被害を受けた[39]。ダンプカーは運転台部分と荷台部分が引きちぎられ、荷台部分が20 mほど飛ばされたが、火災は発生しなかった。この事故で特急の運転士・車掌・乗客42人とダンプカーの運転手の計45人が重軽傷を負い病院に搬送された。残りの乗客はバスで代替輸送を行った。この事故により、18時までに54本の列車が運休し、約8,200人に影響した[40][注 6]
事故当日、列車は深川駅を定刻(12時17分)の1分遅れで発車していた。事故地点は複線区間で線形は直線、2 パーミル(‰)の下り勾配である。当時、スーパーカムイを始めとするJR北海道の特急列車の営業運転最高速度は130 km/hであった。
原因はダンプカーがスリップしたことにより踏切内に侵入したためであるが、ダンプカーの運転手の証言によると、普段の通行で踏切があることは分かっていたが、事前の速度やブレーキを踏んだ地点は覚えておらず、また、当日は風速4 - 5 mの吹雪が吹いていたが、前が見えないほどではなかったという。一方、当時の報道では、踏切警報機の音が聞こえなかったとしているものもある。事故調査報告書では、踏切見通し距離は道路側が250 m、列車側が600 mであり列車運転士からダンプカーは見えていたものの、ダンプカーの踏切進入が列車の通過直前だったために衝突が生じたものと推定している[41]
その後789系HL-1005編成は、2011年(平成23年)3月24日付で廃車となった[42]
789系電車は、1991年の日高本線での踏切事故を教訓に、JR北海道が採用してきた高運転台仕様と衝撃吸収構造のため、運転台へのダメージや客室への衝撃が最小限に抑えられた。
この事故を受けて、JR北海道は安全対策として、キハ261系キハ281系キハ283系などにも存在する、同様の高運転台タイプ特急形車両にある貫通路や、「クリスタルエクスプレス」などの臨時列車運用編成にあたる先頭車両を全て立入禁止とし、座席も撤去された[43][注 7]

東海道新幹線架線切断停電事故[編集]

2010年(平成22年)1月29日 13時50分頃(電気火災事故、輸送障害)
神奈川県のJR東海東海道新幹線新横浜駅 - 小田原駅間で、「こだま」659号(300系)12号車のパンタグラフが走行中に破損、その破片が架線に接触してパンタグラフへ電気を供給するトロリー線を吊っている補助吊架線が切断され、その際発生した火花により線路横の法面の枯れ草が燃える火災が発生。火災はすぐに消し止められたが、品川駅 - 小田原駅間で停電した。「こだま」659号は三島駅まで走行したが、停電区間で立ち往生した上下5本に乗車していた乗客計約3,100人が缶詰め状態になった。16時30分には停電区間は新大阪駅まで拡大。17時13分に全線で運転を再開したが、この事故で東海道新幹線区間だけで56本が運休し、直通運転する山陽新幹線にも余波が及んだことで14万9,000人に影響した。
原因はパンタグラフの集電舟を交換した際、集電舟と上枠を留めるボルトを締め忘れたため、走行中に集電舟が落下し、上枠と補助吊架線が接触したため[44]
同線では翌々日の31日午前6時頃に、停電を起こした区間と同じ新横浜駅 - 小田原駅間でATCに異常があり、午前7時15分まで運転を見合わせた。上下線14本が最大で76分遅れ、約3,800人に影響が出た。JR東海によると、下り始発の「ひかり」493号(N700系)が新横浜駅を発車した直後、前方に列車がないのに走行しているよう誤認させる表示が出た。これは変電所内の電源装置に異常があったといわれているが、関連は不明である。

山陽新幹線事業用車両追突事故[編集]

2010年(平成22年)7月22日 4時20分頃(鉄道物損事故、車両衝突、輸送障害)
兵庫県のJR西日本山陽新幹線新神戸駅 - 西明石駅にある、須磨トンネル内において、前を走っていた8両編成の軌道工事用機械車両に、後ろから接近した2両編成のレール削正車が追突した。
この車両には、前方の工事用機械車両との距離が300m以下になると自動的にブレーキがかかる衝突防止装置が付いていたが、運転していた作業員は「砂ぼこりで前が見えにくく、ブレーキをかけたが間に合わなかった」、今回は136mに接近するまで作動しなかったので、間に合わず衝突した。
事故が発生したのは営業運転開始時間前で、事故による死傷者はなかったが、衝撃嵌合かんごうしてしまった事故車両の切り離し撤去回送に手間取り、山陽新幹線は6時から14時30分まで8時間半にわたって新大阪駅 - 姫路駅間で上下97本の列車が運休し、約6万2,500人に影響した。
事故を受け、国土交通省近畿運輸局はJR西日本に警告文書を発し、JR西日本はこの事故の原因を調査し、ウェブサイトで公開した[45]

岩泉線列車脱線事故[編集]

★2010年(平成22年)7月31日 7時35分頃(列車脱線事故
岩手県のJR東日本岩泉線押角駅 - 岩手大川駅間を走行中の茂市岩泉行きの普通列車(キハ110-133 1両編成[46]盛岡車両センター所属)で、運転士が前方の落石シェルター付近で土砂崩れが発生しているのを視認したため非常制動を執ったが、間に合わず土砂へ突っ込み脱線転覆した。乗員2名と乗客7名のうち、運転士と乗客3名が軽傷を負った。当該車両は、ガラス窓が全て破損し、11月18日に撤去されるまで4か月間にわたり現場に残された。
岩泉町内では、29日から30日午後6時にかけて、120mmの雨量を観測していたが、事故当日は雨量が運行規制値に達していなかったため、通常の速度で運行していたという。
この土砂災害の影響で岩泉線は全線運休となり、8月2日よりバスによる振替輸送が行われた(翌2011年3月11日 - 3月19日の間は東北地方太平洋沖地震東日本大震災〉の影響により振替輸送休止)。
かねてより輸送人員が特に僅少な路線[注 8]でもあり、JR東日本は復旧に消極的で、2012年3月30日には岩泉線廃止の意向を表明[47][48]。自治体側との調整が難航したものの、最終的に2013年11月8日、JR東日本から廃止届が提出され、翌2014年4月1日付で復旧することなく廃止された。第三セクター鉄道転換を除けば、JR東日本発足以来初の全線廃線となった。
キハ110-133は後に現役復帰している。

舞子駅乗客転落死亡事故[編集]

2010年(平成22年)12月17日 21時50分頃(鉄道人身障害事故
兵庫県神戸市垂水区JR西日本山陽本線JR神戸線舞子駅で、女性が先頭車両同士を連結した部分の隙間に転落。これに気づかなかった乗務員が列車を発車させてしまい、女性は列車にひかれて死亡した。
この事故を重く見たJR西日本は、死角対策及び注意喚起として、一部の車種(国鉄時代に製造された気動車など)や他社線に乗り入れる列車を除き、編成の中間に挟まれる全ての先頭車の前照灯を点灯する措置を行った。一部の先頭車両には音声による警告放送装置が取り付けられている。521系227系といった短編成を組む車両には先頭車間転落防止幌を取り付けた。207系221系223系225系も、他の先頭車と連結することが恒常的にある車両は先頭車間転落防止幌が順次検査時などに取り付けられている。

2011年[編集]

飯山線踏切事故[編集]

2011年(平成23年)2月1日 12時12分頃(踏切障害事故
JR東日本飯山線森宮野原駅 - 足滝駅間を走行中の長野十日町行き下り普通列車(キハ110系200番台1両編成)が、新潟県中魚沼郡津南町の大根原踏切に差しかかったところ、踏切内に進入したライトバンの乗用車と衝突。乗用車の運転者の男性が頭を強く打ち死亡した。列車内の乗員乗客は無事であった。原因は、故障により遮断かんが降下したままとなっていた本踏切に、現場に配備された踏切監視役の社員が、列車在線状況の確認をしないまま、遮断かんを上げたためとされた。当該列車は定刻より10分ほど遅延していたが、踏切監視員の役割をしていた電気係の一方が、上り下りの列車間隔が10分以上あり本列車がすぐに通過することはないと思い込み、他方が他の電気係の作業工程の指示からこの列車の通過時刻を12時30分ごろと思い込んだことによるものと考えられる[49]
十日町署と新潟県警捜査一課は、同年7月19日に現場で故障した踏切の復旧作業にあたっていたJR東日本の作業責任者(52)と副責任者(50)を、業務上過失往来危険罪及び業務上過失致死罪で新潟地検長岡支部に書類送検した[50]。また、JR東日本は平成24年1月25日付けで2人を懲戒解雇した。

滑河駅列車脱線事故[編集]

★2011年(平成23年)3月10日 12時35分頃(列車脱線事故
千葉県成田市のJR東日本成田線滑河駅を走行中の東京貨物ターミナル鹿島サッカースタジアム行き貨物列車(EF65形電気機関車+コキ106・107形コンテナ車+コキ200形コンテナ車10両編成)のうち、後方のコキ200形2両が脱線し、1両が転覆。乗務していた運転士1名にけがはなかった。
脱線の原因は軌道の平面性変位とコキ200形の輪重抜けとされた。脱線箇所の軌道には基準値範囲内ながら若干のゆがみが検出されており、JR東日本はマルチプルタイタンパーで修正する計画であった。一方コキ200形は海上コンテナ用貨車で、台車の枕ばねが大きな海上コンテナの重量に対応するために硬く設定されており、軸ばねとして使用されている積層ゴムは経年劣化によりやや硬化していた。しかも空荷(空の酸化エチレン専用UT17Cコンテナ1個を積載)で重量が軽かったため、線路への追従性が悪い状態であった。このため、線路のゆがみにより発生した大きな揺動が収まらず、9両目の台車の車輪のフランジが乗り上がって脱線し、これに引っ張られて10両目も脱線した。さらに脱線したことに機関士が気づかないまま走行した結果、転轍機で後台車が本線と異なる線路に乗り上げて斜行し転覆した。コキ200形の台車は輪重抜け対策として空車時に軸バネの定数を小さくする機構が採用されていたが、それでも事故は発生した。事故を受け、JR貨物は対策としてコキ200形の枕バネの設定を柔らかくし、コキ200形への空コンテナ積載を禁止した[51]
成田線は翌日午前11時頃に運転を再開したが、14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響により、再び運転見合わせとなった。

東日本大震災による事故[編集]

2011年(平成23年)3月11日 14時46分頃(鉄道災害[52]
この日発生した東北地方太平洋沖地震およびこの地震によって引き起こされた津波により、太平洋沿岸部を中心に鉄道施設に甚大な被害が発生した。常磐線仙石線石巻線などでは、列車が津波に巻き込まれて脱線大破したが、乗務員の適切な避難誘導により、人的被害は最小限にとどめられた。

石勝線特急列車脱線火災事故 [編集]

★2011年(平成23年)5月27日 21時56分頃(列車脱線事故、列車火災事故)
JR北海道で相次いだ一連の事故と不祥事のうちの1件。石勝線占冠駅 - 新夕張駅間を走行中の釧路札幌行きの特急スーパーおおぞら」14号(キハ283系、札幌方からキハ283-9 + キハ282-101 + キハ282-1 + キロ282-7 + キハ282-3001 + キハ283-1の6両編成)が清風山信号場内で脱線、信号場構内の第1ニニウトンネル内に停止後に全車炎上した[53]
248名の乗客は車掌の指示で発煙があった車両から別の車両に避難したが、その後乗務員が状況確認や運輸指令との連絡に手間取り、車内に煙が充満した。乗客が自らの判断で非常ドアコックを使用して外へ避難。煙を吸い込むなどして39名が病院に搬送された[54]運輸安全委員会鉄道事故調査官並びに北海道旭川方面富良野警察署による事故原因調査も実施されている[55]
その後行われた、JR北海道による事故現場調査では、3号車(キロ282-7・札幌方先頭から4両目)の台車にある減速機を支える「吊りピン」と呼ばれる金属部品の脱落を確認し[56]、次位の2号車(キハ282-3001・先頭から5両目)はトンネルに入る以前から脱線していたことが判明している[57]。事故2日前に行われた目視検査では、異常が発見されていなかった。道警は事故後、釧路駅 - 札幌駅間を捜索したが、脱落した部品は事故から10年以上経過した2023年現在も見つかっていない[56]
乗務員の指示を待たずに非常ドアコックを使用して外へ避難した乗客に対して社員が激怒したことが問題になったが、これは当時の異常時マニュアルで運輸指令の指示がないと乗客を外へ避難させることができなかったことが理由とされている。しかし、このマニュアルが避難誘導を遅らせる原因となった。さらにこうした異常時マニュアルが部署別に多数作成されており、内容もそれぞれ異なっていることが発覚したため、国土交通大臣より事業改善命令を受けている[58]。後にマニュアルは改訂・一本化され「現場の判断」での避難も可能とされた。
事故車両は廃車となり、代替車両として機能を簡素化したキハ261系気動車が新製された[59]。事故の4か月後の同年9月には、JR北海道の中島尚俊社長が安全意識の向上を社員に促す遺書を残して自殺した[60]
2013年(平成25年)5月31日、運輸安全委員会は、車輪の剥離やへこみにより生じた異常な振動により部品が脱落したことが、事故の原因になったとする調査報告書を発表した[61]。4両目の車輪の踏面が長さ40センチメートルにわたって剥離し[62]、4.5ミリメートルのへこみが生じたことにより[61]、異常な振動が発生し、減速機を固定していた吊りピンが脱落[62]。減速機が垂れ下がって枕木に衝突したり、その衝撃で推進軸など周辺の部品が脱落したことにより、脱線および火災を招いたと推定している[62][63]。JR北海道は、運輸安全委員会の求めに応じ、再発防止策をまとめ、7月31日に委員会に提出した[64]。また、車輪の異常摩耗が事故の原因となったことを受け、すり減った車輪を修正する在姿車輪旋盤の増設などの対策に取り組んでいる[65]

西武新宿線東村山駅列車脱線事故[編集]

★2011年(平成23年)12月24日 16時39分頃[66]列車脱線事故、線路障害)
西武鉄道新宿線東村山駅構内において、ホームに入る直前の西武園西武新宿行き各駅停車20000系8両編成)のうちの7号車(西武新宿側から7両目)が脱線した。乗客450人を含めけが人はなかったが、同線が全線で運転を見合わせたほか、小平駅 - 所沢駅間は終日運休となりクリスマスの時期であったこともあり、約72,000人に影響が出た[67]
本事故では7両目のみが脱線しており、他の車両が無傷であった。先頭車両に影響がないため、置石などの障害物が脱線の原因ではなく、当初は原因が分からなかった[68]。事故から5か月後の2012年5月16日になってトングレールの磨耗が原因と推定されると発表した[69]。また、運輸安全委員会による調査も同時に進められ、分岐器の通過列車本数が直線進路側と分岐進路側で大きく異なることでトングレールの摩耗が生じ修正されていなかったほか、分岐器通過の際に通過速度が低かったことも重なり乗り上がり脱線が生じたとの調査結果を公表した[70]。なお、事故翌日の始発列車から新宿線は運転を再開しているが、12月30日より平日の競輪開催時と土曜・休日に運転している西武園線から新宿線への直通運転を取りやめ、それぞれ東村山駅で乗り換える形となった。

岐阜貨物ターミナル駅列車脱線事故[編集]

★2011年(平成23年)12月27日 21時51分頃(列車脱線事故
JR貨物岐阜貨物ターミナル駅にて、着発線から出発し本線へ進出していた、名古屋貨物ターミナル福岡貨物ターミナル行き1065列車が、機関車を含む27両編成のうち、12、13両目が本線合流部で脱線した。脱線した車両は傾斜したまま走行し、信号機に衝突して停止した。この事故で、後続の貨物列車や、東海道本線の列車に遅れや運休が生じた。本線上に進出していた10両を切り離し、28日1時50分頃運転を再開した。東海道本線で上下24本が運休、27本に最大4時間の遅れが発生した。原因は、岐阜貨物ターミナル駅でコンテナの荷扱いをしていた際、コンテナ緊締装置の開放を失念したまま荷役作業を行って、フォークリフトで12両目の貨車ごと持ち上げ脱線させたのに気付かず、発車させたため[71][72]

2012年[編集]

石勝線貨物列車脱線事故(2012年)[編集]

2012年(平成24年)2月16日 20時50分頃(列車脱線事故
JR北海道石勝線東追分駅構内で、JR貨物の釧路貨物札幌貨物ターミナル行き貨物列車(DF200形ディーゼル機関車56号機牽引、貨車15両の16両編成)が停車位置をオーバーランして安全側線に乗り上げ脱線・転覆した上、スノーシェルターの壁を突き破って停車した。死傷者はなかったが、雑誌の発売に大幅な遅れが出るなど、道央道東を運搬する物流に支障が出た。
当該貨物列車は通常東追分駅で停車しないが、バラストと呼ばれる線路に敷かれた石を跳ね上げるのを防止するための減速運転で遅延していた対向列車とのすれ違いによる運転停車を予定していた。このため赤信号でブレーキをかけたものの、ブレーキの効きが悪かった、と運転士はコメントしており、運輸安全委員会の調査の結果、事故原因は、貨車のブレーキ装置に雪が固着してブレーキ装置の作動を阻害し、列車を停車させるための十分なブレーキ力が得られなかったため、と最終的に推定された[73]
この事故により石勝線は追分駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間が2月18日まで終日運休となった。当該区間を走行する特急は復旧までの間は札幌駅 - 新夕張駅間をバス代行[注 9]、普通列車もバス代行が行われた。

富山地方鉄道上滝線脱線事故[編集]

★2012年(平成24年)7月28日 14時45分頃(列車脱線事故
富山地方鉄道上滝線上堀駅付近で、岩峅寺電鉄富山行き624列車(14760形電車2両編成)が上堀駅に進入する際に、車両の全車軸が脱線した。当該列車には乗客20人が乗車していたが、負傷者は発生しなかった。事故後に現地へ鉄道事故調査官が派遣され、調査の結果、枕木の老朽化によってレール間隔(軌間)が過大となり脱線に至ったことが判明した。
この事故により上滝線は南富山駅 - 月岡駅間が7月29日まで運休となりバス代行輸送が行われたが、7月30日の始発列車から通常通り運転を再開した。また、車両運用の都合により、本線の一部列車にも運休が発生した。

秩父鉄道広瀬川原車両基地車両脱線[編集]

2012年(平成24年)8月6日 9時32分頃(車両脱線、輸送障害)
秩父鉄道広瀬川原駅構内の広瀬川原車両基地内にて、「SLパレオエクスプレス」運転のために構内を入れ換え中だったC58形363号機転轍器通過時に進行方向右側へ脱線した。秩父鉄道の発表では係員の手違いが原因とされている。負傷者は発生しなかったが、脱線の影響でC58形363号機は車軸折れや車輪ゆがみなど損傷が大きく、修理に約半年を要することから「パレオエクスプレス」は2012年内は電気機関車での牽引となった(C58形は2013年3月20日の運行より復帰[74])。
日本国有鉄道(国鉄)における蒸気機関車全廃後、動態保存運転に使用されていた蒸気機関車が脱線を起こしたのは、JR・私鉄を通してこれが初めてである。

江差線貨物列車脱線事故[編集]

★2012年(平成24年)9月11日 19時50分頃(列車脱線事故
JR北海道江差線釜谷駅 - 泉沢駅間で、JR貨物の函館貨物仙台貨物ターミナル行き貨物列車(機関車1両+コンテナ車20両)が脱線・転覆。死傷者は発生しなかった[75]。本州と北海道を結ぶ唯一の鉄道路線である海峡線(津軽海峡線、江差線の木古内駅 - 五稜郭駅間もその一部)を経路とする旅客列車・貨物列車が全列車通過不可能による運休となったことにより、本州と北海道の旅客輸送・物流に大きな影響が出た。
後日、運輸安全委員会の事故報告書として発表された脱線原因は、コンテナー貨車コキ106/107型の軽荷重時のローリング共振による輪重抜け脱線とされ、サスペションの特性切り替え重量が従前のコキ104型14.6トンより4トンあまり高い18.6トンだったことで、軽荷重で脱線に到る3倍もの大きな共振になったとされて、荷重範囲、応答特性で対応が求められた。鶴見事故(1963年)でのワラ1型の軽荷重での走行特性不安定を、軽荷重でのローリング共振でなぞった事故となった。
江差線では(1)2012年4月26日、(2)2012年9月11日、(3)2014年6月22日と、3件連続してコンテナ貨物の脱線事故が起こり、(1)は線路の整備不良、(2)は本件、異常共振点の存在、(3)は新聞ロール紙3個単位での片積みとして対応を求めており、JR貨物の対策として、該当区間での45km/hの徐行運転を実施した。重量計によるコンテナの重量バランスの測定(サンプルチェック)を実施している他、トップリフターによる測定を導入(20 フィート以上のコンテナの一部を対象)する他、輪重測定装置・積付けガイドラインの対策をしている[76]
また、運行安全員会におけるJR北海道側の対策として、45km/hの徐行運転以外にも高速軌道検測車での測定を検討した[77]。その後、11月4日に損傷した枕木交換により、当該区間の45km/hの徐行運転を貨物列車のみとした[78]

京急本線土砂崩れ列車脱線事故[編集]

被害車両の1500形1701編成
★2012年(平成24年)9月24日 23時58分頃[79]列車脱線事故
京浜急行電鉄本線追浜駅 - 京急田浦駅間で京成高砂三浦海岸行き特急第2268H列車(1500形電車1701編成・8両)が大雨により崩壊した落石防護柵のコンクリート製の土台と土砂に乗り上げた[80]。1 - 3号車の3両が脱線し、運転士1名と乗客10名が重軽傷を負った。トンネルの手前約20m地点で左斜面の土砂が幅11m 高さ12mにわたって基礎もろとも崩壊し、土砂が上下線を支障した。当日横須賀市内では1時間に88mmの雨が観測されており、この影響で地盤が緩んでいたために土砂崩壊が発生したとみられる。当該の列車は現場を75km/h(制限速度80km/h)で走行していた。京急本線では1997年4月にも土砂崩れによる脱線事故があり、その際に大雨による速度規制を5か所設けたが、現場付近は速度規制の対象外だった[81]
翌日9月25日は始発から金沢八景駅 - 堀ノ内駅間で運転を見合わせた。10時24分頃から堀ノ内駅 - 逸見駅間が運転を再開し、不通区間は金沢八景駅 - 逸見駅間となったが、トンネル内の脱線車両の撤去に時間がかかり、全線が復旧したのは3日後の27日朝7時25分頃のことであった。運転見合わせ中は直通運転先の都営地下鉄浅草線京成線北総鉄道北総線にも遅延や運休が発生した。
代行バスを金沢八景駅 - 汐入駅間で運行したが、事故現場付近の道路は大渋滞が発生した。また、京急線の三崎口・浦賀・横須賀中央方面から横浜方面への唯一の鉄道路線となったJR東日本横須賀線には利用者が集中したが、横須賀線の横須賀駅 - 久里浜駅間は単線で、15分間隔より運行本数を増発できなかったため、久里浜駅などでは入場制限を行うなど、この地域の交通は大混乱に陥った。
なお、神奈川県警察は任意で当該列車の運転士に対し業務上過失傷害容疑で事情聴取し、事故当時の詳しい状況を聴いた[82]
国土交通省運輸安全委員会は調査を実施し、事故から約1年後の2013年9月27日に調査報告書を発表した[83]。この中で、土砂に流された防護柵のコンクリート製の土台を巻き込んだ影響で、列車は1mも跳ね上がっていたことが明らかになった[83]。報告書では、京急電鉄が災害を事前に予測することは困難であったとした一方、運転規制区間の見直しが必要と指摘した[83]。事故後、京急は、現場の斜面について、コンクリートで補強したり、落石検知装置を設置したりするなどの対策をとった[79][84]。約10億円をかけ、沿線で防護柵や落石検知装置などの再発防止対策をとったうえ、大雨の際の運転規制についても見直した[79]
事故の当該編成である1701編成は2013年10月に廃車となり、このうち品川寄り先頭車1両(1706号車)は、金沢検車区内に新設された脱線事故復旧訓練施設に訓練車として活用されている[85]。代替に新1000形1161編成が新造された。

鹿児島中央駅構内列車脱線事故[編集]

★2012年(平成24年)10月14日 22時頃(列車脱線事故
JR九州鹿児島本線鹿児島中央駅構内で、同駅発川内行き普通列車(817系 2両編成)が発車直後に脱線し、2両目が分岐器の両位にまたがる形でしばらく進行したあと、異常に気づいた運転士が制動し停止した。乗務員、乗客ともにけが人はいなかった。脱線した地点は発車地点から40メートルほどで、2両目の前方と後方台車が脱線し、前方台車は復線した。分岐器は左方に開通していたが、脱線した後方台車は開通していない右方に持っていかれたと見られる。運転士は乗客が騒いだので異常に気づき、後方を視認したところ車両が斜行していたという。本事故発生を受けて運輸安全委員会から鉄道事故調査官が現地に派遣された[86][87][88]。原因はボルスタレス台車において軌道の狂いに車輪荷重のムラが重なって起きたと結論された[89]

三岐鉄道三岐線三里駅構内列車脱線事故[編集]

★2012年(平成24年)11月8日 9時39分頃(列車脱線事故、信号違反)
三岐鉄道三岐線三里駅構内で、近鉄富田西藤原行き列車(3両編成)が安全側線に突っ込み、車止めを突破して脱線、先頭車の台車や中間車のパンタグラフなどが破損した。乗客2人と運転士1人にけがはなかった。原因は、出発信号機が停止現示でありながら、当該列車は当駅で行き違いを行わないため、運転士がいつものように進行現示だろうと思い込み、運転士が停止現示に気がつかず発車させたことが直接の事故原因であった。停止信号が現示されていたのは、運転指令担当者が当駅で列車の行き違いがあると勘違いして、交換制御押ボタンを操作したためであった[90]
これにより事故当日は保々駅 - 西藤原駅間にてバスによる代行運行が行われ、夕方より梅戸井駅 - 西藤原駅間が代行運行になった。現場はクレーンなどの機械の搬入が困難であったことから、被災編成の先頭車851系(元西武701系)クハ1851は翌日午後より現地解体され[91]、代わりに部品確保用として購入してあった元西武新101系のクハ1238を整備、クハ1881として連結した。このため、復旧後の当該編成は前後で顔が異なっている。

2013年[編集]

山陽電気鉄道荒井駅列車脱線事故[編集]

イベントラッピング時の被害車両
事故時に破壊されたベランダ
2013年(平成25年)2月12日 15時50分頃(列車脱線事故〈踏切障害に伴うもの〉)
兵庫県高砂市荒井町南栄町の山陽電気鉄道本線荒井駅近くの神鋼前踏切で、山陽姫路阪神梅田行き直通特急5030系6両編成)と自動車運搬用トラックの後部が接触して先頭の2両が脱線して、電車はそのまま沿線の住宅の外壁やベランダなどを破壊しながら進行し、先頭車両が荒井駅のホームに激突して停止した。
自動車運搬用トラックが踏切を横断する際に、約10メートル先の交差点で信号待ちをしていた車があったにも関わらず踏切に進入。後部を残した状態で停止したところに下りてきた遮断棹が、直立収納状態にあった後部スロープ板(自動車を積載乗降させる際に使用する道板)に挟まってしまい、これに気付いたトラック運転者がスロープを地面に下ろして遮断棹を外し、トラックを前に進めようとしていたところ、下ろしたスロープに直通特急の車輪が乗り上げて脱線した。
これにより、電車運転士が重傷、乗客13名と信号待ちをしていた車の運転者・トラック運転者が軽傷を負った。トラック運転者は後に列車往来危険罪および自動車運転過失傷害罪の容疑で逮捕・起訴され、禁錮2年6か月(執行猶予4年)の有罪判決を受けた。
同事故を受け兵庫県公安委員会は事故を起こした踏切について通行規制を設け、終日、線路内立ち往生のもととなる、大型自動車中型自動車大型特殊自動車の北行への通行を禁止した。また、トラックの進入を誘発した信号予告灯を撤去し、信号機の増設及び信号灯器のLED化を行った。この他、特徴が類似した踏切について、踏切から直近の交差点までの路面のカラー舗装などの注意喚起の対策を行った[92][93]。また、2018年には高砂市によって当駅を含む尾上の松駅 - 伊保駅間の連続立体交差事業の検討を行っている事が明らかになっている[94]。2022年度に国から新規着工準備箇所として採択された[95]
この事故で被災した編成の先頭2両は激しい損傷を受けたため長期の運用離脱を余儀なくされ、2014年5月に川崎重工業を出場するまで車両組み換えの措置が取られた。

秋田新幹線脱線事故[編集]

★2013年(平成25年)3月2日16時過ぎ(列車脱線事故
秋田県大仙市奥羽本線秋田新幹線神宮寺駅 - 刈和野駅間にて、東京秋田行き「こまち」25号(E3系6両編成)が吹雪の中を時速20kmで徐行走行中、吹き溜まりに乗り上げ先頭車両が脱線した[96]。事故原因は三線軌条でありながら、在来線規格の除雪車で在来線車両限界範囲の除雪しか行わなかったため、外側の新幹線用レール上の積雪が厚く残ってしまい在来線車両では脱線しなかったのに対し、新幹線車両では25cmのずれが生じて乗り上げ脱線してしまったもの。乗客約130人にけがはなかったが、約6時間車内に閉じ込められた後、バスで救出された。この事故の影響で秋田新幹線は翌日まで盛岡駅 - 秋田駅間(後に大曲駅 - 秋田駅間に短縮)で運転を見合わせた。
営業運行中の新幹線車両の脱線事故は、新潟県中越地震による上越新幹線脱線事故以来2度目。ただし、当該線区は法律上新幹線ではなく在来線として扱われる。

東海道本線列車脱線事故[編集]

★2013年(平成25年)4月7日 20時40分頃(列車脱線事故〈踏切障害に伴うもの〉)
神奈川県茅ヶ崎市のJR東日本東海道線茅ケ崎駅 - 平塚駅間の十間坂踏切にて、踏切内に立ち往生した軽自動車と沼津発東京行き上り普通電車(E231系10両編成〈コツK-08編成〉)が衝突、200mほど軽自動車を引きずった後停止、先頭車両が脱線した。軽自動車に乗っていた男女は衝突直前に脱出し怪我はなかったが、乗客300名のうち1名が軽傷を負った[97]。この事故の影響で東海道本線は藤沢駅 - 小田原駅間で終日運転を見合わせ、翌8日13時過ぎに事故編成を自走で茅ケ崎駅構内の留置線に収容し、15時頃に完全に復旧した。完全復旧するまで上り線は8日始発より平塚駅から茅ケ崎駅まで東海道貨物線で経由したが茅ケ崎駅3・4番線はホームの有効長が10両分しかないため、上り列車は同駅を通過する措置をとった。
事故現場は歩行者専用踏切で、車両進入を阻むポールが踏切の手前に立っていたが、この踏切には自動車通行止めを示す標識や看板は設置されていなかった[98](事故後、自動車通行止めを示す看板を設置するとともにポールを増設する[99])。軽自動車の運転者は道に迷ってしまい[100]、ポールをすり抜け踏切に進入。その後バックして踏切外へ出ようとして脱輪した。

神戸電鉄列車脱線事故[編集]

★2013年(平成25年)5月28日 19時59分頃(列車脱線事故
神戸電鉄三田線有馬口駅を出発した新開地道場南口行き普通列車(4両編成)運転士が、分岐器部分で異常な振動を感じて停車したところ、前から2両目の前台車全2軸が進行方向右側に脱線していた。原因は分岐器の形状であった。 同駅では2006年にも別の分岐器で2回の脱線事故が発生している。
事故の影響で有馬線谷上駅 - 有馬温泉駅間、三田線有馬口駅 - 岡場駅間が5月31日まで運転見合わせとなったが、6月1日の始発列車より運転を再開した。ただし、事故の影響で有馬口駅構内の分岐器を暫定的にダブルスリップスイッチから片開き分岐器に交換し、有馬線からの渡り線の撤去・有馬線側の片開き分岐器の鎖錠を行った。そのため、新開地方面から有馬温泉駅への配線が無くなったことから、同日にダイヤ修正を実施した。
2014年4月から6月にかけて配線変更の本工事が行われ、三田線方面は1・3番線、有馬線方面は2・4番線に振り分けられ、交差する2・3番線の線路は分岐機能が無く、交差するだけのダイヤモンドクロッシングとなった。以前と比べシンプルな線路配置となり、ポイントも3か所から単純な片開き分岐2か所に整理された。同年6月28日にダイヤ変更を実施し新開地駅 - 有馬温泉駅間の直通列車が再開された。

函館本線特急列車出火事故[編集]

出火を引き起こしたエンジンと同形式のDML30系エンジン
★2013年(平成25年)7月6日 15時45分頃[101](車両障害[102]
JR北海道で相次いだ一連の事故と不祥事の内の一件。函館本線鷲ノ巣駅 - 山崎駅間を走行中の札幌函館行きの特急「北斗」14号(キハ183系[103] 8両編成)のうち、キハ182-2557[104] の床下のエンジン付近から出火[101]、山崎駅構内で非常停止した[105]。火はすぐに消し止められ、車外に避難した乗客約200人にけがはなかったが[101]、出火元の4号車の側面は黒く焼け焦げた[106]。出火したディーゼルエンジンは、DML30系であった。同型のエンジンに関しては、2012年9月18日に千歳線新札幌駅で、同じく特急「北斗」のエンジンから冷却水と潤滑油が漏れるトラブルがあったほか[107]、2013年4月8日にも函館本線八雲駅に停車中の特急「北斗」のエンジンから出火するトラブルが発生したばかりであった[107]。これらのトラブルについては、スライジングブロック(スライディングブロック)と呼ばれる部品[注 10]が破損したことが直接の原因[注 11]とみられており[108]、JR北海道は同型エンジンのスライジングブロックを4月に交換したばかりであったが、約3か月という短期間で再び事故が発生した[108]
国土交通省運輸安全委員会は、事故につながるおそれがある重大インシデントに当たると判断[109]、車両の保全命令を出し[110]、8日に鉄道事故調査官2名をJR北海道苗穂運転所に派遣した[111]。また、同日に国土交通省北海道運輸局は、局長名での文書指導を行った[111]。JR北海道に対する局長名での文書指導は、2011年5月の石勝線特急列車脱線火災事故以来となる[111]。11日には、国土交通副大臣鶴保庸介がJR北海道社長の野島誠を国土交通省に呼んで注意喚起を行い[112]、翌12日には国土交通大臣太田昭宏が安全確保の徹底を求めたが[113]、直後の15日にもねじの緩みが原因で[114] 千歳線を走行中の特急列車「スーパーおおぞら」3号の配電盤から出火するトラブルが発生[115]、22日にはナットの緩みが原因で[114]根室本線を走行中の「スーパーとかち」1号のディーゼルエンジンの内部が破損し、発煙や油漏れが起きた[116]。このため、国土交通省がJR北海道に対し、車両整備についてJR東日本に技術的協力を要請するよう指示をする異例の事態となり[117]、JR北海道はJR東日本に車両保守について協力を求めることとなった[118]。また、JR北海道は、車両のメンテナンスに時間的余裕を持たせるため、これまでの方針を転換し、特急の減速や減便を行うダイヤ変更を11月に行った[119]。鉄道事業者が、安全対策のために減速・減便のダイヤ変更を行うのは、極めて異例のことである[119]
運輸安全委員会の調査では、今回も4月のトラブルと同様、スライジングブロックとエンジン内のピストンの一部が破損していた[120]。また、今回の事故では、シリンダーブロックに直径約10センチメートルもの穴が開いており[107]、非常停止した地点の2キロメートル手前からエンジンの潤滑油が漏れた跡が残っていた[105]。JR北海道は、DML30系エンジンを搭載する車両36両について、事故原因が判明するまで運行を取り止めることとなり[121]、北海道運輸局も事故原因の究明と再発防止策が確立されるまで運行禁止する措置を執った[113]。この結果、繁忙期にもかかわらず札幌・函館間の特急の本数は約3分の2となり、利用者に大きな影響が出た[122]
なお、DML30系エンジンを搭載していた気動車のうち、JR九州のキハ66・67系およびキハ71形は本事故以前に全車両とも別形式のエンジンへ換装され、JR西日本・四国に承継されたキハ181系は2011年までに全車引退し、JR東海・西日本・四国・九州に承継されたキハ65形は2010年までに全車運用離脱(形式消滅は2013年)したため、本事故時点でDML30系エンジンを使用しているのはJR北海道のみとなっていた。ただし、この事故の原因となった660馬力仕様のエンジン以外は噴射量制御用のサーボモーターは従来のままで大型化されておらず、今回のような制御リンク類の折損も起こっていない。

函館本線貨物列車脱線事故(八雲事故)[編集]

★2013年(平成25年)8月17日 1時5分頃[123]列車脱線事故
JR北海道函館本線八雲駅 - 山越駅間を走行中の札幌貨物ターミナル福岡貨物ターミナル行き貨物列車(21両編成)が倒木と衝突し停車、機関車貨車3両が脱線した[124]。線路下を流れる熱田川の氾濫の影響で、土砂が流出して線路が宙に浮いた状態となっており、浮いた線路や倒木が脱線の原因となったとみられている[124]国土交通省運輸安全委員会は鉄道事故調査官2名を現地に派遣[124]、委員会の調査によれば、機関車の排障器に大きなへこみが見つかっており、たわんだ線路に衝突したか、倒木に乗り上げた可能性があるとみられている[125]。事故現場は、8日前の9日にも土砂が流出したばかりの場所であった[123]。同様の流出は2010年8月の台風による大雨でも発生しており、JR北海道、国土交通省北海道開発局函館開発建設部、八雲町の3者は、治水対策を進めていたが、9日に降った雨は、この治水対策の目安を大きく上回っていた可能性があるとみられている[126]。3者は、熱田川の氾濫を防止するため、計画していた治水対策に加え、新たに流水溝を設置する方針を固めている[127]
この事故の影響に加え、翌18日の午前10時すぎには、函館本線東山駅 - 姫川駅間で線路に土砂が流入し、臨時特急列車が緊急停車する事故も発生[128]、お盆の帰省客などに大きな影響が出た[129]函館本線特急列車出火事故に伴う運休も重なり、2013年のお盆のJR北海道の利用者は前年に比べ11パーセントも減少する事態となった[130]

水間鉄道踏切事故[編集]

2013年(平成25年)8月27日(踏切障害事故、施設障害)
大阪府貝塚市内の水間鉄道水間線の森2号踏切で、電車と踏切内に進入していた乗用車とが衝突し、乗用車の運転者の男性1名が軽傷を負った。大阪府警察が捜査を行ったところ、同社線内の踏切の遮断機が作動しなくなっているとの通報が複数入っていたことが明らかになった。このため府警は、同社の男性助役が、同社の内規に違反して故障調査のための職員を派遣せず、また当該電車運転士も、踏切の状態を確認しないまま運転業務に当たっており、これらの事象が重なった結果事故が引き起こされたとして、助役と運転士とを業務上過失致傷容疑で書類送検[131]、両名は岸和田簡易裁判所より罰金刑の略式命令を受けた。

加古川線逸走トラブル[編集]

2013年(平成25年)9月16日未明(本線逸走)
加古川線西脇市駅の3番線に夜間停泊していた車両(103系2両編成)が、駅から南へ1.9キロメートルほど無人の状態で逸走した。事故当時は台風18号の影響で強風が発生しており、何らかの理由で手歯止めが外れたため、定圧空気タンクの配管接続部分から圧縮空気が徐々に漏れ出し、ブレーキが自然緩解したのが原因とみられている[132]

函館本線貨物列車脱線事故(大沼事故)[編集]

★2013年(平成25年)9月19日 18時5分頃[133]列車脱線事故
JR北海道で相次いだ一連の事故・不祥事の内の一件。北海道亀田郡七飯町のJR北海道函館本線大沼駅構内にて、ジャガイモを輸送中の帯広貨物熊谷貨物ターミナル行き貨物列車(18両編成)の6両目から9両目が、分岐器(ポイント)付近を通過時に脱線した[133]。脱線した車両は大きく傾き、一部の台車には砂利がめり込んだ[134][135]国土交通省運輸安全委員会の鉄道事故調査官は翌20日午前から調査を実施[134]、委員会によれば、脱線現場付近のレールの幅が、分岐器の手前で規定より最大37ミリメートルも広がっていた[136][137][138]。また、JR北海道は巡回点検で現場のレール幅の異常を把握しながら、1年以上も放置していた[139]。また、その後の調査で、事故現場以外にも多数のレールの異常を補修せずに放置していた[140]。放置だけでなく軌道検査データ改ざんが習慣化しており[141]、その改ざんのままで運輸安全委員会に提出していたことも判明した[142]
国土交通省は21日から、鉄道事業法に基づき特別保安監査を実施した[143]。特別保安監査は緊急的に行われるもので、死傷者のいない事故で実施されるのは異例のことである[143]。当初は23日までの予定で、4人で保線部門を監査していたが、次々にJR北海道の不備が判明したため、監査員を9人に増員したうえ、27日まで監査を延長し、全部門を監査する事態となった[143]。また内閣官房長官菅義偉が、レールの異常を放置していたことは極めて悪質であると批判し、監査の徹底を国土交通省に指示[144]、これを受け、国土交通省は監査態勢を20人に増員し、対象も全支社に拡大したうえで監査を実施した[145]。また、特急列車の非常ブレーキが作動しない状態のまま運行していた問題が発覚したことなどを受け[146]、10月9日から12日にかけて[146]、16人態勢で追加の特別保安監査を行った[147]。また、過去に例のない大規模な監査となったため、国土交通省は特別保安監査の結果をまとめる前に、JR北海道に改善指示を出すという異例の対応をとった[148]。2016年2月24日、鉄道事業法違反と運輸安全委員会設置法違反でJR北海道工務部副部長ら本社の3人が在宅起訴され、現場保線部署に所属していた14人が略式起訴された[149]。2019年2月6日、改ざんしたレール検査数値を虚偽と知りながら国に報告したとして、鉄道事業法違反などの罪に問われた当時の本社幹部3人に、札幌簡易裁判所(結城真一郎裁判官)は、いずれも無罪判決を言い渡した。両罰規定に基づき起訴された法人としての同社は求刑通り罰金100万円とした。改ざんに関与した函館保線所などの現場社員13人は罰金の略式命令が確定している。同裁判では、本社の関与の有無が争点となっていた[150]。判決で、結城裁判官は「被告らの執務状況からすると、数値の変化が不合理だと気づいたとは認められない」として改ざんの認識があったとは認めなかった。同社については「多数の従業員に、複数回にわたりうその報告をさせた責任は重い」と指摘した[151]
JR北海道では、レールの補修状況を本社に伝える体制になっていなかった[145]。この事故の直後には、次々に他のトラブルも露呈した。24日の会見中には、普通列車から発煙するトラブルがあったことが判明[145]。また、同日に特急「オホーツク」のブレーキ部品が脱落するトラブルも発生した[152]。1回目の特別保安監査直後の10月1日にも、特急「スーパー北斗」が工事のため徐行すべき区間で、制限速度を時速35キロ超過して運転する事案が発生[153]、また同日には、9月に自動列車停止装置 (ATS) を破壊する問題を起こした運転士が保守部門に異動していたことも判明した[154]。この他にも、特急「オホーツク」が、ATSなどの保安装置が作動しない状態のまま営業運行していたことも発覚した[155]。こうしたトラブルが続発する背景としては、不採算路線を抱え経営環境が厳しいことや[140]、ミスを責められ、意見を言いにくい雰囲気が情報共有を妨げているとの見方[141][156]、また、労働組合間の対立が情報の伝達を阻害しているという見方もある[157][158]
事故から1年経過後、JR北海道は事故発生当日の9月19日を「保線安全の日」として制定した[159][160][161]。また、江差線貨物列車脱線事故函館本線貨物列車脱線事故(2013年8月)を受けての安全対策として、代行バス運転を実施した上で2014年12月10日に函館本線大沼駅 - 森駅間(渡島砂原経由)における軌道強化工事を完了した。この際に交換した枕木を利用して関係者向けに「安全の誓い」を戒めたストラップを作成している[162]。その結果、JR北海道は11月に安全・安心を確保するため、減速・減便ダイヤを実施した。

横浜線川和踏切死傷事故[編集]

2013年(平成25年)10月1日 11時30分頃(踏切障害事故
横浜市緑区中山町のJR横浜線・川和踏切で、遮断中の踏切内にいた同区の高齢者男性を助けようと踏切内に入った女性が、男性とともに東神奈川橋本行き電車(205系)に触車し、女性は死亡、男性は重傷を負った。
神奈川県警察によると、現場は警報機と遮断機のある幅10.8mの踏切で、女性は、父親の乗用車の助手席に乗り、踏切待ちをしていた。踏切内に倒れていた男性に気付いて、父親の制止を振り切って車を降り、踏切内に入ったという。
女性には、紅綬褒章および女性の遺族に銀杯[163]、「勇気ある行為を称えるとともに弔意を表するため」として[164][165]内閣総理大臣安倍晋三の書状、警察庁警察協力章神奈川県警察本部長緑警察署署長感謝状が贈られた[166]
通夜には、黒岩祐治(神奈川県知事)や林文子(横浜市長)、冨田哲郎(当時の東日本旅客鉄道社長)も参列した。
ただし、救助者が死傷する二重事故を防ぐという観点からは、非常停止ボタンを押すなどして接近する列車を緊急停車させる防護処置を行うのが好ましく、防護処置を行わずに遮断棹の下りた踏切に入ることには否定的意見もある[167]

2014年[編集]

東急東横線元住吉駅追突事故[編集]

被害車両のY500系Y516編成
★2014年(平成26年)2月15日 0時30分頃(列車衝突事故
川崎市中原区の東急東横線元住吉駅内において、渋谷元町・中華街行きの下り各駅停車(東急5050系・8両編成)が、駅に停車中だった先行列車の渋谷発元町・中華街行きの下り各駅停車(横浜高速鉄道Y500系・8両編成)に追突、先行列車のデハY556(元町・中華街方から6両目)とデハY546(元町・中華街方から7両目)、後続列車の1両目のクハ5855と2両目のデハ5755が脱線し、デハ5755がクハ5855の車端部にめり込む形(テレスコーピング現象)で双方が大破。
両列車には乗員4名と乗客約140名が乗車しており、うち乗客72名が負傷した。原因はブレーキシューと車輪の隙間に雪などが入って制動力が低下し、追突に至ったためとされている[168]
平成26年豪雪により運行ダイヤが大幅に乱れていたが、この影響で東急東横線は渋谷駅 - 菊名駅間で運転を中止し、乗り入れ先の東京メトロ副都心線東武東上線西武有楽町線西武池袋線との直通運転中止および一部列車運休、および目黒線武蔵小杉駅 - 日吉駅間で運転を見合わせ、翌16日よりいずれも平常運転に復帰した[169]。2017年2月6日、警察は後続列車の運転士及び運行を指示した電車区長が運行を規制しなかったことが事故原因とし、2人を業務上過失傷害容疑で書類送検する方針を固めた。2人とも容疑を認めている[170]。2017年10月5日、横浜地検川崎支部は運転士と電車区長を不起訴処分とした[171]
2016年に製造された5050系5177編成[172] は、スカートがスノープロウ一体型に変更された他、車内が同時期に製造された田園都市線の5000系6扉車置き換え用新造4扉車に準じた仕様になっている。5155編成は5177編成が製造されたことに伴い、運用復帰せず2017年7月3日に廃車された。派生系列も含めて、5000系列(横浜高速鉄道に譲渡された5156編成を除く)初の編成単位での廃車となった。Y516編成は2014年7月に総合車両製作所横浜事業所に陸送されたが、修理されることなく、2017年10月に解体場へ陸送され、翌年7月までに全車が解体されている。こちらもY500系初の廃車となっている。
なお、Y500系の代替としては、暫定的に10両編成を8両で運行していたが(その影響により2014年のダイヤ改正予定だった一部の急行の10両編成化が取り止めになっている)、東急と横浜高速鉄道は、お互いの車両を交換することで一致。2017年(平成29年)に5156編成とY516編成とで交換による譲渡が行われた。横浜高速鉄道に譲渡された5156編成は、Y517編成として2018年 (平成30年)3月に塗装変更されて運転を開始した[173]。また、東急側においても5156編成の代替として、2019年に一部に前述の5177編成と田園都市線2020系の仕様を取り入れた5178編成を製造している[174]

京浜東北線脱線転覆事故[編集]

★2014年(平成26年)2月23日 1時11分頃(列車衝突事故
事故当該車と同形式の車両。
川崎市川崎区のJR川崎駅構内で、京浜東北線の北行蒲田行き回送電車(E233系1000番台)が、軌道上の工事用車両と衝突、先頭の1両目 (10号車)のクハE233-1077と2両目 (9号車)のサハE233-1277が脱線して1両目が完全に横転し、正面と進行方向右側面に激しい損傷を受け、2両目も傾斜して停止した。当該列車の運転士と車掌が救出されたが、いずれも軽傷だった[175][176]。原因は作業員が京浜東北線の終電車確認を怠って作業用車両を誤って出したため。
この影響で京浜東北線・根岸線は2月23日いっぱいまで蒲田駅 - 鶴見駅間で運転を見合わせた。24日未明に事故列車を側線に移動させたことで、24日の始発から運転を再開した。このため、運転見合わせ中は並行して走っている東海道本線との乗り換えが必要だった。また、復旧作業による送電停止の影響で、南武線の川崎駅 - 武蔵中原駅間で同日午前10時から11時頃まで運転を見合わせた[177]
この事故で運用を離脱したウラ177編成は復帰せず編成ごと廃車となり[注 12]、E233系初の廃車となった。
なお、2018年10月3日付のJR東日本ニュースによると、脱線、大破した10号車、9号車と工事用車両を、事故の歴史展示館に、事故当時の状態を再現するとしている[179]

小田急小田原線相模大野駅構内車両脱線事故[編集]

事故車両と同形式の車両
2014年(平成26年)6月19日 18時09分頃(車両脱線、その他の電気事故、輸送障害)
小田急電鉄小田原線相模大野駅構内にて、隣接する大野総合車両所より出庫して駅ホームへ走行中であった回送電車(小田急1000形ワイドドア車1754F・6両編成)のうち、3・4・6両目の計3両が出庫線と本線が合流する分岐器付近で脱線した[180]。乗客はおらず、乗務員を含め人的被害はなかったものの、パンタグラフが架線を切断し停電が発生、一時小田急全線で運転を見合わせた[181]。その後も事故被災車両の移動や破損した分岐器の復旧に時間を要したことから、小田原線新百合ヶ丘駅 - 相武台前駅間および江ノ島線相模大野駅 - 大和駅間は終日運休となった[180]
この事故の影響により、19日終電までに上下列車計288本が運休し、事故発生時刻が夕刻ラッシュ時間帯と重なったこともあり約15万人の利用客が影響を受けた[180]。また、特急ロマンスカーおよび地下鉄千代田線への直通列車が翌20日にかけて全面運休となった[182]

指宿枕崎線特急「指宿のたまて箱」脱線事故[編集]

事故の被災車両である「指宿のたまて箱」
★2014年(平成26年)6月21日 11時07分頃(列車脱線事故
JR九州指宿枕崎線指宿鹿児島中央行きの特急列車「指宿のたまて箱」2号(キハ40系・キハ47 8060+キハ47 9079)が生見駅 - 薩摩今和泉駅間を走行中、直前に発生した土砂崩れで線路に流入した土砂に乗り上げて脱線、同じく流入した倒木に衝突して車両の前面が破損。乗員・乗客計15人が重軽傷を負った[183]。事故当時は豪雨により、枕崎市では6月の降雨記録を更新していた。
この影響で、事故発生時から指宿枕崎線の喜入駅 - 指宿駅間は終日運休、事故から3日後の6月24日までに脱線車両を撤去、土砂崩れの起きた斜面の補修などの安全対策を終えて6月28日の始発列車から運転を再開した。JR九州は、この影響で当該区間の特急・快速・普通列車計358本が運休、2万9,600人に影響が出たと発表した。全線再開後も、事故の被害列車である「指宿のたまて箱」は車両の修理のため運休となり、代替として臨時快速列車を運行した[184]
その後、「指宿のたまて箱」は2014年7月12日に運転を再開した[185]

篠ノ井線踏切事故[編集]

☆2014年(平成26年)12月18日午前1時半頃(列車脱線事故〈踏切障害に伴うもの〉)
長野市篠ノ井塩崎のJR篠ノ井線谷川踏切(警報機、遮断機付き)に止まっていた乗用車に名古屋長野行き特急「ワイドビューしなの25号」(6両)が衝突、車を押したまま約100メートル進み、先頭車両が脱線した。乗客84人にけがはなく、列車内で夜を明かした。乗用車を運転していた男性は衝突前に車外に出て無事だった。事故当時の現場の積雪は10 - 15cmだった。

2015年[編集]

篠ノ井線踏切事故(2015年)[編集]

2015年(平成27年)1月24日午後7時半頃(列車脱線事故〈踏切障害に伴うもの〉)
篠ノ井線姨捨駅 - 稲荷山駅間で線路内に誤進入した軽トラックが上諏訪発長野行普通列車と衝突。列車は軽トラックを巻き込み城山トンネル内で脱線して停車した。この事故で軽トラックの運転者が軽傷を負ったが、乗客と乗務員にけがはなかった[186]。同線は不通になり、当該列車が事故トンネルから出てきたのは19時間後の25日14時半頃だった。軽トラックが誤進入した踏切は城山トンネルから篠ノ井方面へ向かって2つ目の谷川踏切と推定された[187]。この踏切にあった落輪防止壁の一部は前年の12月に起きた事故の際に損傷し、まだ補修されていなかった[187]。近所の住人によると以前も車の誤進入があったと言う。

山陽本線踏切事故[編集]

2015年(平成27年)2月13日午前8時20分頃(踏切障害事故
岡山県倉敷市船穂町のJR西日本山陽本線西阿知駅 - 新倉敷駅間の踏切で、岡山福山行普通電車(岡山電車区115系D-24編成+D-04編成の6両編成)が、踏切内に立ち往生していた大型トラックと衝突し、双方(電車は前2両)とも大破した。電車の乗客のうち1人が一時意識不明の重体(のちに意識を回復)、運転士と乗客16人が軽傷を負った。その影響で17時50分まで倉敷駅 - 金光駅間で運転を見合わせた。岡山県警察は、トラックの男性運転手を過失往来危険容疑で現行犯逮捕した。トラックの運転手は、エンジンがかかっているのにギアが入らずに動かなくなり、踏切の非常ボタンを押したが、間に合わなかったと証言している。トラックは平成24年5月製造の「ふそうスーパーグレート」のオートマチック車。三菱自動車への部品運搬車で、平成26年の年末に故障して修理に出されていた。修理を請け負った岡山三菱ふそう自動車にも過失往来危険の容疑がかけられ、同年2月17日に家宅捜索が行われた。ふそうスーパーグレートは変速機の不具合で過去に6度のリコールが行われている。
この事故を受けて、3月10日にJR岡山駅で予定されていた山陽新幹線40周年の式典が中止となった[188]
また、被害車両のうち損傷の少なかったD-04編成は5月上旬ごろに運用復帰。続いて、損傷の少なかったD-24編成のうち、前から3両目(クモハ115-323)は大破した2両と交換する形で岡山電車区のA-13編成(115系4両編成)の福山側2両(クハ115-356、モハ114-316)と編成を組んで8月中旬に運用復帰。大破した前2両(クハ115-408、モハ114-359)は2016年3月1日に廃車となった。また、組み換えで余剰となったA-13編成の岡山側2両(モハ115-316・クハ115-325)は吹田総合車両所に回送され、同年9月9日付で廃車となった[189][190]
2017年9月15日、岡山県警察は、運転士が非常ブレーキで止まることのできる約450m手前の地点より前でトラックを確認することが可能だったにもかかわらず、時刻表などの確認に気を取られ、非常ブレーキをかけた地点が約260m手前になったとして、運転士を業務上過失傷害などの容疑で書類送検した。また、トラック運転手も自動車運転処罰法違反(過失傷害)などの容疑で書類送検した。運転士は容疑を認めたが、トラック運転手は「トラックに不具合が起き(マニュアルにある)復旧操作をしたが動かなかった」と一部否認した[191]。岡山三菱ふそう自動車は、立ち往生の原因と直接の関係はなく、責任を問えないとした[192]。12月27日、倉敷区検は運転士を業務上過失傷害罪などで略式起訴した。同日、岡山地方検察庁はトラック運転手を「過失を認めるに足る証拠がなかった」として不起訴処分とした[193]倉敷簡易裁判所は、2018年1月16日までに運転士に罰金30万円の略式命令(1月10日付)を出した[194]

青函トンネル特急列車ボヤ騒動[編集]

2015年(平成27年)4月3日午後5時15分頃(列車火災事故)
JR北海道で相次いだ一連の事故と不祥事の内の一件。津軽海峡線青函トンネル内で、函館新青森行特急「スーパー白鳥34号」(789系)の5号車から火花が出ているのが見つかり、同列車は緊急停車した。火花は消火器で消し止められた。モーターへの配線が全て焦げ、制御装置の異常から過電流が生じて発熱し、火花が出たものと考えられる。乗客124人全員が竜飛定点を経由して地上に避難し、2名が病院へ搬送された。列車から1キロ以上の徒歩移動を強いられた上、竜飛定点と地上を結ぶケーブルカーは一度に15人程度しか運べず、全員が地上に避難するまで5時間以上を要するなど、北海道新幹線開業を目前に課題が浮き彫りとなった。1988年の同トンネル開業以来、乗客の避難は初めてのこととなる[195]

長崎本線列車同一線路進入事故[編集]

★2015年(平成27年)5月22日 12時22分頃(信号違反)[196]
JR九州長崎本線肥前竜王駅長崎博多行き上り特急「かもめ20号」(885系6両編成)が待避線に進入しようとした際に[注 13]、対向の博多発長崎行き下り特急「かもめ19号」(787系7両編成)が同一の待避線に進入した。下り「かもめ19号」は運転士が異線進入に気付いて緊急停止し、一方上り「かもめ20号」は下り特急の93m手前の、待避線ホームの停止目標位置付近で停車したため正面衝突は避けられた。
本来のダイヤでは両列車は肥前鹿島駅で行き違いを行うが、当日は「かもめ19号」が肥前竜王駅手前で異音を感知して同駅下り場内信号機の横で停車したため、行き違いを肥前竜王駅に変更していた。
運輸安全委員会はこれを深刻な事故になりかねなかったとして、重大インシデント(インシデントの中で最も事故の可能性があり、危険だったもの)と認定し、現地に事故調査官2人を派遣した[198]。原因は、輸送指令員と下り列車運転士の間で列車の機外停止位置の認識が食い違っている状態で、運転再開の指示を行ったことに加えて、運転整理のために下り場内信号機を復位し上り列車を待避線に進入する進路構成変更取扱を実施し、それにより博多方の分岐器が過走防護のため待避線側に転換していたことによる。また、機外停止位置が下り場内信号機の内方にわずかに入ったが先頭車輪が軌道回路分界点(絶縁ポイント)を超えていないという微妙な位置であったため、システム上も食い違いに気づく機会がなかった。
これにより上下線の特急・普通合わせて32本(特急19本、普通13本)が運休、17本(特急6本、普通11本)が遅延するなど最大で7時間の遅れが発生し、約6000人に影響した[199][200]

名鉄名古屋本線岐南駅構内ポイント破損事故[編集]

2015年(平成27年)6月3日 7時32分頃(信号違反、線路障害、輸送障害)
名鉄名古屋本線岐南駅構内に1853編成による名鉄岐阜須ヶ口行き2両編成普通列車が進入した際に、連結カバーがしまっておらず、短絡し車両電源が喪失し、300 mオーバーランして停車。その際、笠松寄りのポイントを破損して通過。当該列車は電源が復旧し終点まで運転を再開。また、破損したポイント上を後続の列車3本が通過(岐南駅は普通列車のみ停車)。その後、普通列車が発車しようとした際、出発信号機が停止信号のまま切り替わらなかったため、ポイント破損が判明した[201]
この影響で8時00分頃から11時02分頃まで、名鉄岐阜駅 - 新木曽川駅間の上下線で運転見合わせ。運転再開後も破損したポイントが切り替わらず、列車がホームのある待避線に入線できなくなったため、上り(4番)ホームを終日閉鎖した[202]
中部運輸局は、当該列車が電源喪失し、その後、再び電源喪失する可能性があったにも関わらず、原因を特定せずに運転を再開させたことに加え、ポイントの破損に気づかず後続列車が通常の速度で破損したポイント上を通過していたことから[203]、脱線した可能性もあったとして調査員を派遣した。なお、電源喪失した原因は、「連結器(電気連結器)内に雨水が入り込みショートした」と報道された[204]。電気連結器のカバーは通常は閉まっているが、カバーが開いた状態で走行し、電気連結器の内部の端子に塵が付着し、ショートしたため電源喪失した[205]。当該形式車両の制動装置は電磁直通ブレーキであり、制御用の電源を失うと回生ブレーキ空気ブレーキのどちらの常用ブレーキも働かず、制動手段は非常ブレーキのみとなる。
1851編成・1852編成はこの事故により一時的に運用を外れた後、事故原因が判明後に再び営業運転に復帰したが、同編成はオーバーラン事故の当該車両だったこともあり、国土交通省中部運輸局から保全命令が発出され、犬山検査場新川検査支区で休車留置が続いていたが、営業運転に復帰することはなく2016年1月12日に廃車となった。

阪堺線大和川検車区構内脱輪事故[編集]

2015年(平成27年)7月30日9時50分頃(脱線事故)
阪堺電気軌道阪堺線我孫子道停留場に併設される大和川検車区から出庫しようとした我孫子道発天王寺駅前行(モ501形503号)電車が本線との合流地点で脱線した。回送車のため乗客は乗っておらず、男性運転士1人にけがはなかった。この事故で阪堺線・上町線全線で運転が見合わされた[206]

根岸線エアセクション内停車に伴う架線断線事故[編集]

2015年(平成27年)8月4日 19時11分頃(その他の電気事故、輸送障害)
JR東日本根岸線横浜駅 - 桜木町駅間で架線断線が発生し、京浜東北線・根岸線・横浜線・東海道線の各線で長時間の運転見合わせが発生した。また、新子安駅付近で乗客が非常用ドアコックを操作し車外に飛び出したことから横須賀線でも運転見合わせとなった。原因はエアセクション内で列車が停車した後に加速し、ショートして架線が破断したためである。
事故発生の当日は横浜みなとみらいエリアでの花火大会新横浜駅周辺で大型ライブ・コンサートなどが開催されたことも重なり、品川駅から横浜駅までの周辺沿線が大混乱に陥り、退勤中のサラリーマン・OLやイベントからの帰宅客らを中心に約35万人に影響が出た[207][208][209]
なお、事故現場は1951年(昭和26年)に106人が死亡した桜木町事故の現場付近であり、事故状況にも類似点がある。

山陽新幹線部品脱落事故[編集]

★ 2015年(平成27年)8月8日 17時27分頃(車両障害、鉄道人身障害事故
JR西日本山陽新幹線小倉駅 - 博多駅間の四郎丸トンネル(福岡県宮若市)を走行中の新大阪発鹿児島中央行きの「さくら」561号(N700系S4編成、8両編成)の2号車(788-7004)に装着されていた、床下機器を覆うカバーが脱落し舞い上がり、3号車(786-7004)の側面に衝突した後、架線をショートさせ停電、事故列車を含む3本の列車が停止した。この事故で3号車に乗っていた女性客1人が負傷、約1万5,100人に影響が出た。JR西日本は9日、カバーを固定していたボルトが2本紛失していたと発表[210]。隣に取り付けられていた別のカバーのボルトも1本が脱落し、1本が緩んでいた[211]
原因は7月24日の走行試験でカバーをつけ直した際ボルトの締め付けが不十分であったため。福岡県警察は業務上過失傷害を視野に捜査を始めた。事故を重く見た九州運輸局はJR西日本に対し、再発防止に向けた措置を講じるよう文書で警告した。国土交通省運輸安全委員会は10日、鉄道事故調査官2名を現地に派遣した[212]
JR西日本はこの事故を重大に受け止め、同社役員の報酬返上を実施した。加えて、事故に関係した指導・監督者と作業責任者、計9名に戒告等の処分を行った[213]

長崎電気軌道桜町支線脱線事故[編集]

★ 2015年(平成27年)10月11日(車両脱線[214]
2016年(平成28年)6月2日(車両脱線[214]
長崎電気軌道公会堂前停留場付近で連続脱線事故が発生した[215]。この影響で、3号系統の赤迫方面は2017年11月29日に運行を再開するまで、長期運休を強いられた[216]

東海道本線エアセクション内停車に伴う架線溶断事故[編集]

2015年(平成27年)11月16日8時6分頃(その他の電気事故、輸送障害)
東海道本線エアセクション内停車に伴う架線溶断事故。作業員が屋根に登って作業をしている。右側の車両には切れて垂れ下がった架線による焦げ跡もみられる。
東海道本線JR神戸線神戸駅 - 元町駅間で、網干駅6時30分発野洲行き新快速がエアセクション内に停車し、その後、再び動き出した際に発生した熱で架線が溶断されたため、須磨駅 - 灘駅間で停電が発生した。このため、西明石駅 - 大阪駅間の上り外側線で運転を見合わせた。また、塩屋駅 - 須磨駅間でも、上り新快速電車(上郡駅6時20分発野洲行き)と上り快速電車(網干駅6時33分発大阪行き)が停車し、乗客の降車及び架線復旧の為、9時10分から姫路駅 - 芦屋駅間で運転を見合わせた。その後、12時15分に運転を再開した。この影響で、150本の列車に運休・遅れが発生し、乗客約15万人に影響が出た(7時35分に住吉駅で発生した人身事故を含む)[217][218][219][220]
運転士がエアセクションの停止禁止区域外に停車しているものと勘違いしたために起きた事故である[221]

山田線列車脱線事故[編集]

★2015年(平成27年)12月11日 19時30分頃(列車脱線事故
JR東日本山田線松草駅 - 平津戸駅間で、盛岡行きの上り最終普通645D列車(キハ110-132 1両編成)が線路上に崩れていた土砂に乗り上げ全軸が脱線、車体が進行方向右側へ傾き、乗客22名及び乗務員2名(運転士及び車掌)のうち、乗客1名が重傷、乗客14名及び運転士が軽傷を負った[222][223][224][225][226]。山田線は翌12日には盛岡駅 - 上米内駅間、川内駅 - 宮古駅間で運転再開した[227][228] が、事故の2日後には崩壊斜面上部3か所で亀裂が見つかり[222]、事故現場を含む上米内駅 - 川内駅間については運休、盛岡 - 宮古間で並行する106急行バスによる振替輸送を実施している。
運輸安全委員会による調査によれば、斜面崩壊の原因は、「急な斜面であること及び風化により斜面表層部が不安定化していたところに降雨や融雪などにより斜面表層の重量が増加したこと」によるものとされている[222]。なお、事故発生前の2015年12月5日に、崩壊箇所内で防護ネットの下から露岩が抜け出す、崩壊の予兆とみられる事象が発生していたが、この事象からの予測は困難であったとしている[222]
復旧に当たってJR東日本盛岡支社と林野庁東北森林管理局では2016年9月に斜面の安全対策工事に着手し、斜面上部の国有林は森林管理局が担当し、グランドアンカー約140本を打ち、約1万2000立方メートル土砂を撤去した。その後、5月の大型連休後に、JRにより脱線車両の重機による切断・撤去[229]、斜面下部へのグランドアンカー約180本の打ち込み、表土約1000立方メートルの撤去が行われた。この復旧に当たって閉伊川には現場と国道106号をつなぐ仮設橋も整備した。そして、2017年11月5日に運転を再開した[230]
また、JR東日本では事故発生箇所周辺の施設管理者や地元自治体などで構成する「山田線土砂崩壊に関する斜面防災協議会」を設置している[222]
事故の当該車両であるキハ110-132は2017年5月に廃車された。

函館本線嵐山トンネル架線火災事故[編集]

2015年(平成27年)12月27日5時頃(電気火災事故、輸送障害)
JR北海道函館本線伊納駅 - 近文駅間の嵐山トンネル内で、回送列車の運転士が架線から火が出ているのを発見、天井部分のポリエチレンが燃える被害が発生[231][232]。火災は同日正午前後に鎮火された[232][233][234]。JR北海道は函館線深川 - 旭川駅間で運転を見合わせ、特急を含む上下233本が運休となった[233][235]。2015年12月29日午後、不通区間であった深川駅 - 旭川駅間が運行再開された[232][236]

高徳線普通列車脱線事故[編集]

★2015年(平成27年)12月31日12時頃(列車脱線事故、信号違反)
香川県さぬき市JR高徳線オレンジタウン駅構内で、徳島高松行き普通列車(1両)が客扱い後、誤って出発信号機が赤信号のまま発車、安全側線に進入し脱線した。乗客乗員計46人のうち、乗客1名がけがをした[注 14]。この事故で高徳線志度駅三本松駅間は約6時間にわたり不通になった。上下あわせて特急列車13本、普通列車18本が運転を見合わる事態となり、約1,600人に影響が出た[238][240][241]。運輸安全委員会は「対向列車と正面衝突の危険があった」として12月31日、鉄道事故調査官2人を派遣し、詳しい事故原因を調べている[239][240]
原因は運転士が考えごとをしながら出発時の運転取り扱い作業を無意識に行ったことにより、ノッチ投入後の出発信号機の確認を失念したものと推定された[237]

2016年[編集]

東京メトロ半蔵門線九段下駅におけるベビーカー挟み事故[編集]

2016年(平成28年)4月4日15時頃(その他の事故)
東京地下鉄(東京メトロ)半蔵門線九段下駅で、中央林間押上行き電車(東京メトロ8000系10両編成)が、電車到着前から並んでいた家族連れの乗車途中にドアを閉めてしまい、6両目の車両のドアにベビーカーを挟んだまま発車。電車はそのまま走行し、ベビーカーはホーム端の柵に衝突、大破した。ベビーカーに子供は乗っておらず、負傷者はいなかった。当時ホームや電車内の乗客が異常に気付き非常停止ボタン車内通報器を押したものの、列車は停止せず、そのまま隣駅の神保町駅まで走行を続けた。これに対し車掌は、車内通報器に応答したが返事がなかったため、400m先の神保町駅で対応しようと思ったと報告している[242]。また、車掌は、非常ベルが押されたことは知っていたものの、電車を停車させることをためらった模様である[243]
これ以前にもベビーカーがドアに挟まれたまま発車し引きずられる事故が発生しており、東京メトロでは対策として、ドアに1cm以上の隙間があると発車できないようにし、ドアのゴムの下部30cmは挟まっていることを検知しやすいように固いゴムを使用していたほか、製品安全協会は2009年に基準を見直し、ベビーカーの前輪パイプ部分の太さを3.5cm以上とするといった各種対策をとっていたが、本事故では挟まれたベビーカーの前輪パイプの太さが1.5cmと細かったことや、挟まれた位置が下から約60cmの柔らかいゴムの部分であったことなどから、挟み込みを検知できなかったとみられている[244]

札幌市電衝突事故[編集]

2016年(平成28年)4月5日14時20分頃(道路障害事故)
北海道札幌市中央区札幌市電ロープウェイ入口 - 西線16条間において、外回り循環便の列車(240形1両編成)が交差点を右折した乗用車と衝突した。この事故により乗用車を運転していた50代の男性が重傷を負い、市電の乗客からも3人が軽傷で病院に搬送された。この事故の影響で30本が部分運休となり、約2400人に影響が出た[245]

平成28年(2016年)熊本地震による事故[編集]

2016年(平成28年)4月14日21時26分頃(九州新幹線、列車脱線事故)(平成28年〈2016年〉熊本地震〈前震〉
JR九州九州新幹線熊本駅の下り方2km近く先で熊本総合車両所に向かっていた回送列車(800系U005編成)が、この日発生した平成28年(2016年)熊本地震の前震により6両全車両が脱線した[246]。車体の損傷によって台枠がゆがんだため、復帰することなく廃車された。1両目は、工場公開イベントの際、車体にありがとうメッセージが書けるようになっていた。JR九州によると、車両の一部を保存するとのこと。
★2016年(平成28年)4月16日1時25分頃(豊肥本線、列車脱線事故)(平成28年〈2016年〉熊本地震〈本震〉
JR九州豊肥本線赤水駅構内を出たばかりの宮地方面行きの線路点検を行っていた回送列車キハ47形気動車2両)が平成28年(2016年)熊本地震本震により先頭車が踏切上で脱線した[247]
いずれの事故も乗客はなく、運転士にもけがはなかった[248]

長良川鉄道脱線事故[編集]

★2016年(平成28年)4月15日19時25分頃(列車脱線事故、線路障害)
長良川鉄道越美南線母野 - 洲原間の洲原トンネルで、北濃美濃太田行き列車が走行中に脱線し、運転士が負傷。同線は事故の影響で、翌16日まで運行を見合わせた[249]。その後17日より美濃太田 - 間で運行を再開[250]、18日には運行再開が美濃市まで拡大され[251]、25日には全線で運行が再開された[252]。トンネル内の漏水によるレールの腐食や、横圧によるヒビなどによってレールが破断したことが原因と見られている[252][253]

東武東上線中板橋駅付近での脱線事故[編集]

脱線した車両。
★2016年(平成28年)5月18日12時20分頃(列車脱線事故、車両障害)
東武鉄道東上線中板橋駅付近の踏切で、成増池袋行き普通列車(10000系〈11003F・10両編成〉)の中間車が脱線した[254][255]。死者・負傷者はいなかったが、事故直後の調査で脱線した車両の後方の台車枠に約15センチメートル幅12ミリメートルの亀裂が見つかった[256][257]。事故の影響で池袋駅 - 和光市駅間(後に区間が短縮され、池袋駅 - 上板橋駅間)が事故直後より終日運転見合わせになり、運行区間も間引き運転、直通運転先の種別・行き先変更となるなど大混乱をきたした[258]
亀裂が入った台車は1989年(平成元年)に住友金属工業(現: 日本製鉄)が製造したもので、台車の枠とそれを裏より補強する鉄製の板の溶接が不十分であったとみられる[注 15]。当該箇所が応力の高い箇所であったことも災いし、溶接不良箇所から繰り返し荷重により金属疲労による亀裂が進行し事故時には側梁上面にまで達した。亀裂が入った台車は輪重バランスが極端に悪くなり、車輪が乗り上がり脱線を起こした[259][260][261]。これにより東武鉄道は同型を含む類似構造を持つ台車に対し、同年10月より亀裂の入った箇所を非破壊検査部位に追加[261]、国土交通省も同年10月に類似構造台車を所有する鉄軌道事業者に対し緊急点検を指示した[259]

東北本線水沢駅構内貨物列車脱線事故[編集]

2016年(平成28年)6月9日8時50分頃(列車脱線事故)
JR東日本東北本線水沢駅を発車しようとした貨物列車(機関車1両、コンテナ車17両)のうち、コンテナ車1両が脱線した。この事故の影響で、同線は同日午後まで運転を見合わせ、東北新幹線による振り替え輸送を実施した[262]

山陽本線脱線事故(2016年)[編集]

★2016年(平成28年)6月23日0時30分頃(列車脱線事故)
JR西日本山陽本線瀬野駅 - 八本松駅の間の瀬野八区間で上り普通列車(広島西条行、115系4両編成/ヒロL-13編成)が線路上に流れ込んでいた土砂に乗り上げて先頭車両が脱線した。けが人はおらず、乗客はJR西日本が用意したバスで移動した[263]

えちぜん鉄道勝山永平寺線踏切事故[編集]

2016年(平成28年)7月14日15時55分頃(踏切障害事故)
えちぜん鉄道勝山永平寺線光明寺駅 - 轟駅間の「轟踏切」で、軽乗用車が踏切を横断しようとしたところ、同踏切を通過中の福井勝山行き電車と衝突した。乗務員・乗客および乗用車の運転者にケガはなし。遮断機が電車の通過直前に上がったためとされており、遮断機の誤作動が原因とみられている[264]。その後の調べで、踏切の軌道回路受信器の安全マージン設定が不適切だった所に短絡不良が発生したために遮断機が誤作動したと判明した[265]

西武多摩湖線脱線事故[編集]

2016年(平成28年)8月22日11時20分頃(列車脱線事故)
台風9号接近により、西武多摩湖線西武遊園地駅(現:多摩湖駅) - 武蔵大和駅を走行中の国分寺行きの電車(新101系261編成4両編成)が武蔵大和駅近くで緊急停車したところ、軌道に流れ込んだ土砂が車両を押し上げて脱線した。この土砂崩れにより線路脇の架線柱も倒れた。
事故列車には乗員、乗客合わせて6人が乗っていたがけが人はおらず、近くの駅まで歩いて移動した。8月28日までに車両と線路の間に流れ込んでいた土砂の搬出作業が終わったことから、午後3時ごろ車両を保線用モーターカーを使って搬出した[266]。当初運転再開には3週間ほどかかる見込みであるとされたが、復旧作業が進展し9月6日初電から運転を再開した[267]。事故の当該車両となった261編成は、その後運用に復帰した(2020年11月に廃車となった)。

阪堺上町線脱輪事故[編集]

2016年(平成28年)9月6日19時15分頃(列車脱線事故)
大阪市住吉区阪堺電気軌道上町線住吉駅 - 住吉鳥居前駅付近を走行中の天王寺駅前あびこ道行電車(モ351形352号)が、突如進行方向左側に脱線した。運転士乗客共にけが人はいなかった。この事故により阪堺電気軌道は、天王寺駅前 - 住吉間にて終日運転を見合わせ翌日に運転を再開した。当該車両は後続の車両によって救出された。運転士は事故発生場所付近の制限時速15kmを厳守しており、また脱線を促すような障害物も存在しなかったため[268]、事故原因は不明とされた。

西濃鉄道市橋線脱線事故[編集]

★2016年(平成28年)10月6日8時40分頃(列車脱線事故)
岐阜県大垣市内の西濃鉄道市橋線美濃赤坂駅 - 乙女坂駅間で、石灰石輸送の貨物列車(25両編成)のうち、11 - 13両目の車両が脱線。機関士をはじめ乗務員3人に負傷者はおらず、周辺への被害もなかった。運輸安全委員会の報告書によれば、原因は枕木劣化等の軌道保守不良があり、カーブ部分を列車が走行することで軌間が拡がり、内側に脱線したことによるもの[269]

2017年[編集]

紀州鉄道脱線事故[編集]

★2017年(平成29年)1月22日11時頃(列車脱線事故)
和歌山県御坊市紀州鉄道線御坊駅 - 学門駅間で、御坊発西御坊行き列車(KR301形1両編成)が脱線。乗客と運転士に負傷者はいなかった。当時、列車の運転士はカーブを過ぎた辺りで強い衝撃を感じ、急ブレーキを掛けたところ、後部の車輪がレールから外れていた模様である[270]。同社はレール交換などを実施し、同年2月23日に全線で運転を再開した[271][272]

伯備線豪渓駅構内脱線事故[編集]

★2017年(平成29年)1月24日11時31分(列車脱線事故)
岡山県総社市伯備線豪渓駅構内で、岡山備中高梁行き下り普通列車の運転士が、枕木から煙が出ているのを発見し消火活動を実施し、消火後に運行再開しようとしたところ、3両目の一部が脱線。この事故で計18本の列車が運休した。運輸安全委員会の報告書によれば、当列車の乗務員は、3両目の台車に車輪止めを施した上で消火活動を行ったが、運行再開の際に取り外すのを忘れ、動き出した列車は車輪止めに乗り上げ脱線したとされる[273][274]

熊本電鉄藤崎線脱線事故[編集]

★2017年(平成29年)2月22日21時25分頃(列車脱線事故)
熊本県熊本市中央区熊本電鉄藤崎線藤崎宮前駅 - 黒髪町駅間で、藤崎宮前発御代志行き列車が、藤崎宮前駅を発車した直後、約30mほど進行したところで突然1両目の前台車が全軸脱線した。乗員、乗客50名にけがはなかった。現場付近の枕木が水に浸かってレールを支える犬釘が緩みやすくなっており、そこに列車の車体の自重などが加わってレールが傾くなどして軌道の幅が一時的に広がったのが原因で脱線につながったと見ている[275]

室蘭本線貨物列車脱線事故(2017年)[編集]

★2017年(平成29年)2月23日3時59分頃(列車脱線事故)
北海道洞爺湖町JR北海道室蘭本線北入江信号場構内で、19両編成の隅田川札幌貨物ターミナル行き貨物列車(下り高速貨3055列車、牽引機関車(DF200-8)+無動力回送機関車(DF200-6)+コンテナ車17両)が、分岐器通過後に運転士が異常な振動を感じ非常ブレーキにより停車したところ、1両目の機関車の6軸中後台車の全2軸が脱線した。乗務員1名を含め負傷者はなかった[276]。なお、当該の列車は1つ前の洞爺駅通過後から踏切通過のたびに運転士が異音を感じていたが、雪氷などが接触した際の音と判断し運転を継続していた[276]
運輸安全委員会による調査で、脱線原因は1両目の機関車の後台車の中心ピンとけん引装置を締結する取付ボルトを、五稜郭機関区での重要部検査の際に所定のトルク値で締め付けず、仮締めのまま作業を終了したことにより、走行による振動等でボルトが緩み脱落(ボルト等は大岸駅 - 豊浦駅間で発見された)し、これにより垂下したけん引装置が踏切のガードレールに衝撃し、さらに垂下したのちに信号場内の分岐器リードレールに接触したことによるとされた[276]。なお、軌道に関する異常は認められていない[276]

東海道本線踏切衝突事故[編集]

★2017年(平成29年)3月2日6時53分頃(列車脱線事故〈踏切障害による〉)
愛知県安城市のJR東海東海道本線の小薮踏切(西岡崎駅 - 安城駅間)で、豊橋岐阜行き普通列車101F(JR東海313系電車 Y102編成・6両編成)が約120km/hで走行中、当踏切に進入した乗用車と衝突して先頭車の全2軸が脱線した[277]。衝突した乗用車は電柱に衝突して炎上・大破した[277]。列車の乗客3名が負傷し、乗用車の運転者は死亡[277]した。その後死亡した乗用車の運転者は愛知県警察本部に所属する保安課の警部補と判明[278][279]。自殺を図ったものと見られている[278][279]。Y102編成のうち、損傷の激しかったモハ313-5302とクハ313-5002は元の番号に100を足して車体を新造し、2019年に運用復帰した。この間に車両不足が生じたため、神領車両区から313系1100番台B6編成が一時的に大垣車両区へ転入したが再び神領車両区に転属している。この事故の影響で豊橋駅 - 名古屋駅間が一時運転見合わせとなり、約87,000人に影響が出た。事故に遭った313系は現場がからは自走できないためキヤ97系名古屋工場で回送された[280]

わたらせ渓谷鐵道脱線事故[編集]

事故の当該車両であるJR東日本キヤE193系「East i-D」
★2017年(平成29年)5月22日14時59分頃(列車脱線事故)
群馬県桐生市わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線の八木原踏切付近(水沼駅 - 花輪駅間)で、桐生駅から間藤駅までの線路の点検を終え、桐生駅へ回送途中だった3両編成の電気・軌道総合検測車JR東日本キヤE193系気動車(East i-D))が半径160mの右曲線を約36 km/h で通過中、衝撃を感じ非常ブレーキにより停車させたところ、2両目の前台車全軸が脱線した。乗車していた鉄道会社の社員等計7人に負傷者はいなかった[281]
その後の運輸安全委員会による調査で、脱線原因は枕木やレール締結装置、道床の不良が連続していたことにより、列車通過時の横圧で軌間が増大し、2両目前台車第1軸が軌間内に落下し、軌間を広げながら走行したのち、左車輪が左(外軌)側レールに乗り上げたことによるものとされた[281]。なお報告書では、組織としての技術力の不足により適切な軌道整備が行われていなかったことや、直前の軌道検測(事故列車の往路)で著大な軌間変位が確認されていたにも関わらず、適切な運転規制、軌道整備が行われなかったことも指摘している[281]
この影響で、わたらせ渓谷線の大間々駅 - 間藤駅間の上下線が運転を見合わせ、バスによる代行輸送が実施された[282]。その後、車両の撤去作業は24日午前に始まり、線路の緊急点検、枕木交換や試運転を行い、6月10日の始発列車より19日ぶりに運転を再開した[283]

唐津線踏切衝突事故(2017年)[編集]

2017年(平成29年)6月11日8時25分頃(踏切障害事故、逸走)
佐賀県多久市JR九州唐津線の宝蔵寺踏切(東多久駅 - 中多久駅間)で、踏切内で立ち往生していた2トントラックに西唐津佐賀行きの普通列車(キハ47・2両編成)が衝突した。トラックは中破程度だったが、列車はブレーキ管や制御装置を大きく損傷して非常ブレーキを含むほぼ全てのブレーキが使用不能となり暴走し始め、そのまま東多久駅を通過した後、運転士が駐車ブレーキ(手ブレーキ)を操作して現場から約1.5kmほど進んだ箇所で停止した。この事故でトラックの運転手が軽傷を負ったが、列車の乗員乗客27名にけがはなかった。列車は運転不能となり、他の列車による救援作業を行ったため、久保田駅 - 多久駅間で11時間運転を見合わせ、19時12分に運転を再開した[284][285]

東海道新幹線浜松工場付近における脱線事故[編集]

2017年(平成29年)8月8日16時45分頃(車両脱線)
静岡県浜松市中区(現・中央区)のJR東海浜松工場の回送線において、試運転のため走行していたN700系が、16両編成のうち9号車から11号車(3両)にかけて脱線した。原因は線路のレールを留める釘が緩んでいたため、負傷者は出なかったものの、回送線と市道とが交差する踏切上で当該の編成が立往生する形となり、市道が約4時間にわたり通行できなくなる影響が出た[286]。なお、今回の事故は営業線内の事故ではないため、鉄道事故調査の対象にはなっていない。2008年10月23日にも同様の脱線事故を起こしている。

小田急小田原線沿線火災による車両火災事故[編集]

映像外部リンク
小田急線乗客300人線路歩いて避難=沿線火災
YouTube時事通信映像センターが2017年9月10日にアップ
映像外部リンク
小田急が燃えた車両を公開 「今後も安全な運行目指す」
YouTube共同通信社が2017年9月11日にアップ
2017年(平成29年)9月10日16時5分頃[287](列車火災事故)
小田急小田原線参宮橋駅 - 代々木八幡駅間沿いのボクシングジムが入る建物(東京都渋谷区)から出火し[288]、これにより緊急停止した本厚木新宿行き各駅停車(小田急3000形電車 (2代)3651×8[289])に飛び火し、7号車(前から2両目)の屋根が約15平米焼けた。電車は引火後小移動し再び止まった。乗客約300人は全員車外に降ろした上で参宮橋駅まで避難誘導を実施。16時45分頃に避難を完了し、怪我人はいなかった[290]。小田原線は同日16時20分頃から新宿 - 経堂間の上下線で運転を見合わせ[291]、21時33分に運転を再開した[292]。この火災事故の影響により小田急線・東京メトロ千代田線の相互直通運転を見合わせる等、運行ダイヤに乱れが生じ[292]、約7万1千人の乗客に影響が出た。緊急停止の経緯は、16時11分頃に消防隊から「消火活動をする為電車を止めて欲しい」との依頼を受けた代々木警察署員が踏切支障報知装置のボタンを押し[293]自動列車停止装置(ATS)が作動し電車が自動停止したものである[288]運転士が確認したところ、火災に気付き、早急に電車を安全な場所に移動させようとしたが、司令所からの承諾に約8分掛かり、この間に飛び火した[294]。承諾後、新宿方面に動かし始めたが、消防士に飛び火を知らされ、約120m動いたところで再び止めた[293]。承諾時間に約8分掛かったことについて小田急電鉄は「安全の確認も必要であり、この度合いの時間は必要」としている[294]。なお、沿線火災の場合、現場手前での停止が間に合わない場合は通過するのが通例である[295]
本件火災の原因に関し、出火場所のボクシングジム関係者が「建物の三階でタバコを吸った」と語っていることから、代々木警察署は出火原因についてタバコの不始末による失火の疑いで調査をしている[296]
小田急は事故翌日の9月11日、東京都世田谷区に位置する喜多見検車区で当該編成を報道陣に公開[289]。屋根の延焼について、屋根の一部は絶縁体であるポリウレタンで覆われていて、難燃剤を混合しているが延焼することもあると説明した[297]。車内も公開され、7号車に化学性の刺激臭があった以外は通常の室内が維持されていたことも明らかになった[298]。小田急の広報部は「沿線火災による鉄道車両への影響は前例がなく、これを教訓とし、どのような対応ができるのか検証する」と話している[298]。なお、該当車両は製造元である日本車輌で修理され、2019年4月25日より運用に復帰している。
9月12日、石井啓一国土交通大臣は定例記者会見に於いて、国土交通省の事務方に対して「鉄道線路の間近で火災が発生した場合の、列車の運行と消防による消防活動」のあり方等について検証するよう指示すると共に、小田急電鉄に対しても「電車運転及び火災対応や避難誘導が適切に行われたかどうかに関し、小田急の社内で検証するよう」指示したことを明らかにしている[299][300]

直方車両センターにおける脱線事故[編集]

★2017年(平成29年)9月18日5時20分頃(列車脱線事故)
福岡県直方市JR九州直方車両センターで、BEC819系2両編成を隣接する筑豊本線福北ゆたか線直方駅に移動しようとしたところ、車両が停止位置を超えて車止めに衝突し脱線。この影響で、同線は一部区間で終日運転を見合わせた。運転士のブレーキ操作が遅れたことが原因と見られている[301][302]

東海道・山陽新幹線「のぞみ34号」台車破損トラブル[編集]

★2017年(平成29年)12月11日17時3分頃(車両障害、輸送障害)
博多東京行き「のぞみ34号」(N700系5000番台 K5編成)車内で小倉駅にて乗務員らが異臭を確認し、その後13号車の乗客からも「車内にもやがかかっている」とする指摘があった[303]岡山駅から添乗したJR西日本の保守係員は「うなり音」を確認したが、東京の輸送指令は運行に支障なしとして運行継続を指示。新大阪駅で乗務員はJR東海と交替し、京都駅出発直後に車掌が[303] 再び異臭を認めたものの、輸送指令(東海)は名古屋駅まで運行継続させ同駅でJR東海の保守係員が床下点検を行ったところ、13号車の歯車箱付近に油漏れが見つかり同列車は名古屋駅で運転を打ち切った。その後台車の側梁に10 cm以上に達する亀裂と[304]、歯車箱と主電動機とをつなぐWN継手の変色も確認された[305]運輸安全委員会はこのトラブルを重く受け止め、新幹線としては初の「重大インシデント」に認定した[305][306]。なお、このトラブルにより事故車が名古屋駅14番線ホームに12月17日まで停泊したため一部列車に遅延などの影響が出た[307]。事故台車は同年2月に行った全般検査、10月に行った目視前検査ではいずれも異常は発見されなかったが[305][306]、翌年2月にJR西日本は問題の台車の調査結果を公表し、破断部分付近の鋼材にばね座を溶接する際、両者を密着させるため側梁を削った際に規定厚さの7 mmよりも薄く4.7 mmまで削ったため、台車枠の強度が基準を下回っていた可能性が判明[308][309]。さらにJR西日本の所有新幹線台車303台のうち、他の車両分の100台が規定厚さ未満まで削られていることも判明、当該台車は順次交換するとした[308][309]。再発防止策として超音波探傷装置や台車温度検知装置などを活用し、安全の確保に努めると発表した[310]。同形式を保有しているJR東海も同様の緊急点検を行った。

2018年[編集]

札幌市営地下鉄南北線大通駅における接触事故[編集]

2018年(平成30年)1月9日13時14分頃(鉄道人身障害事故)
札幌市中央区内の札幌市営地下鉄南北線大通駅麻生方面行ホームで、真駒内発麻生行き電車が停車する直前に、ホームの鉄柵を乗り越えて線路内に入っていた55歳の女性が先頭車両に接触し、左足骨折の怪我をした。この事故で同線は上下19本が運休した。同線ではホームからの転落事故防止のため、2013年3月に全駅にホームドアの設置を完了しているが、それ以降では初の事故となった[311]

山陽本線踏切事故(2018年1月)[編集]

2018年(平成30年)1月12日15時30分頃(踏切障害事故)
兵庫県高砂市内の山陽本線JR神戸線宝殿駅近くの踏切で、踏切を横断していた電動車椅子使用の高齢女性が、網干米原行き普通電車(223系1000番台8両編成)にはねられ即死した。兵庫県警察の調べでは、電動車椅子が踏切内で脱輪したため、女性は車椅子を操作しようとし、危険を知らせるため手を挙げるなどしていた模様である[312]
なお、同様の事故は同年5月に中央本線でも発生している。電動車椅子で踏切横断中に何らかの理由で立ち往生するなど、共通点が多い。
電動車椅子は重量が重いため、踏切内で脱輪や車輪がレールの溝に落下すると利用者が独りで持ち上がるのが不可能になるほか、足が不自由なため踏切の外に避難したり非常停止ボタンの位置まで移動することも困難である。このため、踏切内で立ち往生した場合は周囲の人に助けを求めるか、危険を知らせるため手を振るくらいしかできることがないのが現状である。

三岐鉄道三岐線列車火災事故[編集]

2018年(平成30年)2月5日17時25分頃(列車火災事故)
近鉄富田西藤原行き普通列車(1979年製、3両編成)が三重県いなべ市梅戸井駅に停車中、運転士が前照灯や車内の蛍光灯が消えていることに気付いた。運転士が2両目床下の電動発電機三菱電機製)を確認したところ発煙しており、最後尾運転台の低圧スイッチから出火していた。火は運転士が車両備え付けの消火器で消し止め、列車は運行を取り止めた[313]

石勝線貨物列車脱線事故(2018年)[編集]

2018年(平成30年)2月24日午前2時10分頃(列車脱線事故
北海道占冠村北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線トマム駅構内で、通過中の札幌貨物ターミナル帯広貨物行き貨物列車(17両編成)の3両目が一時的に脱線した。この事故により、トマム駅構内の分岐器が破壊され切り替わらなくなり、34本の列車が運休した[314]

福北ゆたか線におけるトレーラー進入事故[編集]

2018年(平成30年)3月26日5時頃(鉄道物損事故・輸送障害)
福岡県小竹町