京浜東北線

京浜東北線
シンボルマーク
主力車両のE233系1000番台 (2021年3月 さいたま新都心駅)
主力車両のE233系1000番台
(2021年3月 さいたま新都心駅
基本情報
日本の旗 日本
所在地 埼玉県東京都神奈川県
種類 普通鉄道在来線幹線
区間 大宮駅 - 横浜駅
駅数 36駅
経由路線 東北本線東海道本線
電報略号 トホホセ(大宮 - 東京間)
トカホセ(東京 - 横浜間)
路線記号 JK
開業 1914年12月20日 (1914-12-20)
所有者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
車両基地 さいたま車両センター
大田運輸区
鎌倉車両センター東神奈川派出所
使用車両 E233系1000番台 10両
路線諸元
路線距離 59.1 km
軌間 1,067 mm
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式 路線データ参照
保安装置 路線データ参照
最高速度 90 km/h
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京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区大宮駅から、東京都千代田区東京駅を経由して神奈川県横浜市西区横浜駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する運行系統の通称である。駅ナンバリングで使われる路線記号はJK。線路名称上は、東京駅を境に東京駅 - 大宮駅間は東北本線[1]、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線に属しているが[2]、両線の列車が走行する線路(列車線)とは別の専用の線路(電車線)を走行する。

運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅間の根岸線と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれる場合や、根岸線も含めて「京浜東北線」と記載される場合もある。以降、必要に応じて根岸線区間も含めた大宮駅 - 大船駅間の状況について記す。なお、本稿の運行列車(本系統は電車のみの運転のため、以下「電車」と表記)は、東京駅で上下が変化するため、区間表記順は大宮駅→東京駅→横浜駅→大船駅の順に表記する(方向などについての詳細は後述)。

概要[編集]

東京の都心を南北に縦貫し、北は埼玉県さいたま市、南は神奈川県横浜市まで[注 1]結ぶ。ラインカラースカイブルー)で、車両の車体帯の色や駅施設などにおける案内に使用されている。

1914年(大正3年)12月20日東京駅開業と同時に「京浜線」として東海道本線東京駅 - 高島町駅(現存せず)間で開始された電車運転が起源であり、その後北は1932年(昭和7年)に東北本線大宮駅、南は根岸線大船駅まで運行区間が延伸されて1973年(昭和48年)に現在の運行形態となった。2014年には運行100周年を迎えた。

「京浜東北線」の名称は、その運行区間である東と横間を結ぶことに拠る『京浜』と、東北本線の電車線であることに拠る「東北」からなる(名称の経緯は「#歴史」節も参照)が、これは旅客案内上の通称であり、正式な線路名称は、東京駅 - 大宮駅間が東北本線[1]、東京駅 - 横浜駅間が東海道本線[2]である。一般的には運営事業者(JR東日本)はもとより、国土交通省や関係する各鉄道事業者、マスメディアなどが『京浜東北線』の名称を使用するため、この名称が定着している。そのためか、一部の乗換案内では省略されている[注 2]

かつては他の線区と比べて新車投入のタイミングなどでの優先順位は低かった。1957年(昭和32年)から中央線快速で高性能車の投入と電車のカラー化が始まったが、その後は山手線中央総武線が優先的に行われ京浜東北線の順番は後位となった。ようやく1965年(昭和40年)から初めてスカイブルーの新車導入が進められたが、途中で1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会の輸送用に新車が京阪神緩行線へ回されることが決定。このため1970年に入っても老朽化したブドウ色の旧型車両が走り続け、乗客からの苦情が相次いだ[3]

長い間東京の中心部を南北に縦断し埼玉県域と神奈川県域を結ぶ唯一の鉄道運行系統であったが、2001年湘南新宿ライン運行開始、東京都心の地下鉄線と郊外の鉄道各線との直通運転実施[注 3]2015年上野東京ラインとして開始された東北本線と東海道本線間の中距離電車の相互直通運転[報道 1]、さらには2019年11月末の埼京線川越線相模鉄道の相互直通運転開始、2023年の東急新横浜線の開業等により、京浜東北線の縦貫線としての役割は分散されている。

山手線が並行する田端駅 - 品川駅間は旅客営業規則の定める「東京山手線内」に含まれ、区間外よりも安い運賃体系となっている。

北行と南行[編集]

一般的に日本の鉄道では当該路線の起点駅から離れていく列車を「下り」、その逆を「上り」としているが、東北本線と東海道本線の起点となる東京駅を挟んで運転する京浜東北線にはこの定義は当てはまらない。従ってJR内部では大宮駅から大船駅方面への電車を「南行」(なんこう)、大船駅から大宮駅方面への電車を「北行」(ほっこう)と呼んで区別している[4]。なお、「南行」および「北行」は、東京駅を貫通しない電車にも同様に区別されている[4](詳細は後述)。ただし、旅客案内上は原則として「大船方面行」「大宮方面行」などと表現される(他の同様な例はダイヤグラムを参照)。

歴史[編集]

京浜線電車試運転時の有楽町駅 奥が東京駅側(1914年12月)
1912年頃の初代横浜駅付近。
1912年頃の初代横浜駅付近。
1916年頃の桜木町駅付近。横浜駅移転に伴い、初代横浜駅が桜木町駅に改名。
1916年頃の桜木町駅付近。横浜駅移転に伴い、初代横浜駅が桜木町駅に改名。
1929年頃の桜木町駅付近。横浜駅移転に伴い、1930年に旧神奈川駅から旧横浜駅(2代目)までの線路を付け替え。
1929年頃の桜木町駅付近。横浜駅移転に伴い、1930年に旧神奈川駅から旧横浜駅(2代目)までの線路を付け替え。
  • 1914年大正3年)
    • 12月20日東京駅から高島町駅(後に廃止)まで東海道本線の電車線が京浜線として運行を開始。
      • 当時は鉄道院において最も長い電車による運転区間であったこともあり、1両の半分ではあるが二等客室(現在のグリーン席に相当)を有した車両(二・三等合造車)を連結していた。また、京浜電車とも称されていた。
      • 東京駅の開設とともに京浜線電車の運行が開始されたが、準備不足により開業日早々に来賓を乗せた下り電車が立ち往生するトラブルを引き起こした。仙石貢鉄道院総裁は翌12月21日の新聞各紙に謝罪広告を掲載したほか、その後もトラブルが起こっていたため電車の運行を一旦中断し、半年余り入念な試運転を行って運行を再開させた。
    • 12月26日:運行休止。京浜線専用駅の大井町駅・高島町駅営業休止。
  • 1915年(大正4年)
    • 5月10日:運行再開。大井町駅・高島町駅も営業再開。
    • 8月15日横浜駅の移転(2代目横浜駅、現在の国道1号高島町交差点付近)に伴い、高島町駅を横浜駅に統合し廃止。
    • 12月30日:運行区間を桜木町駅(初代横浜駅)まで延伸。
  • 1916年(大正5年)11月上旬:急行電車の運転を開始[5]
  • 1918年(大正7年)4月1日:急行運転を廃止[5]
  • 1925年(大正14年)11月1日:東北本線東京駅 - 秋葉原駅間の電車線が完成。京浜線電車の運行区間を田端駅まで延伸[6]
  • 1926年(大正15年)9月:京浜線の電車1両に自動ドアを試験的に組み込み運用が開始[7]
  • 1928年昭和3年)
    • 2月1日:東北本線田端駅 - 赤羽駅間の電車線(複線)が完成。京浜線電車の運行区間を赤羽駅まで延伸。
      • 田端駅 - 赤羽駅間は東北本線列車線(複線)に添う形で建設された電車線(複線)を増設することによって運転区間が延伸された。王子駅・赤羽駅周辺の築堤はこの時に建設された(赤羽駅の築堤はその後の連続立体交差化工事により取り壊され、現存しない)。
      • 現在のような京浜東北線の運行形態が始まる以前より、東北本線列車線(田端駅、王子駅経由)の上野駅 - 大宮駅間には、三等車のみで区間運行する列車が複数設定されていた。
    • 10月15日:横浜駅の移転(3代目横浜駅、現在地)に伴い、新駅の前に仮設ホームを設置、旧横浜駅の電車乗降場を横浜駅高島口乗降場として存置[8][9]
  • 1930年(昭和5年)1月26日:旧神奈川駅から旧横浜駅までの線路を現在の経路に付け替え[8]。横浜駅高島口乗降場廃止[10]
  • 1932年(昭和7年)9月1日:東北本線列車線の赤羽駅 - 大宮駅間を直流電化し、これに乗り入れる形で大宮駅まで運行区間を延伸。
    • 大宮駅まで延伸した当初は東北・京浜線とアナウンスされていたようであるが、1956年11月19日から京浜東北線に改められた。ただし、1932年9月時点で「京浜東北線」という名称は登場しているようである。東京以南では1970年前後まで「京浜線」とアナウンスする駅が多かった(現在でも発車標などではスペースの都合上「京浜線」や「京浜」と表示される場合があり、城北地域(東京都北区など)や埼玉県南部では2023年時点でも「京浜」と呼ばれることが多い)。
  • 1938年(昭和13年)9月3日:戦時輸送への移行に伴い二等車を廃止。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1949年(昭和24年)9月15日婦人子供専用車を設定(進駐軍用車両の後部半室を転用)。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月24日:当時終点であった桜木町駅構内にて工事ミスにより差し掛かったモハ63形2両が焼失し、106名が死亡する桜木町事故が発生。
    • 12月:進駐軍用車両の設定を廃止し、二等室に転用。
  • 1952年(昭和27年)3月15日:二等車を正式に再設定。
  • 1956年(昭和31年)11月19日:田端駅 - 田町駅間の山手線・京浜東北線との分離運転開始。
    • 全区間に方向別複々線を採用。このうち、品川駅 - 東京駅間は戦前の京浜線急行電車計画により既にホームや高架橋の一部などが完成しており(対米戦の開始により未成に終わった)、分離以前は東北線高崎線常磐線の一部列車が朝夕ラッシュ時上野駅から新橋駅まで、常磐線の国電(現行の常磐線快速電車、当時は各駅停車で運転)が上野駅から有楽町駅まで、それぞれこの複々線のうち工事完了区間を利用して乗り入れていた。
  • 1957年(昭和32年)6月30日:二等車を廃止。
  • 1964年(昭和39年)5月19日根岸線桜木町駅 - 磯子駅間が開業し[11]、同線と直通運転を開始。横浜駅 - 桜木町駅間が東海道本線から根岸線に編入される。
  • 1965年(昭和40年)10月:103系を投入[12]
  • 1968年(昭和43年)10月1日:東北本線大宮駅 - 赤羽駅間3複線化完成により、同区間が東北本線列車と分離。同時に埼玉県内を完全立体化して、大宮駅 - 川口駅間の全踏切を撤去[注 4]。いわゆる「通勤五方面作戦」の一環で、貨物列車・長距離列車・近距離電車との分離を実施。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月17日:根岸線磯子駅 - 洋光台駅間 (4.6km) 延伸開業[11]。新杉田駅・洋光台駅が開業。
    • 11月:101系が中央線快速などから転入開始。
  • 1971年(昭和46年)4月19日:72系などの旧形電車の運行終了。
  • 1973年(昭和48年)4月9日:根岸線洋光台駅 - 大船駅間 (8.0km) が延伸開業し根岸線全通[13]。港南台駅・本郷台駅が開業。
  • 1974年(昭和49年)5月:山手線に引き続きATC対応103系冷房車を投入。101系は1978年3月までに撤退し南武線片町線などに転用、103系初期型の制御車(クハ・クモハ)は1980年9月までに横浜線青梅線中央西線名古屋地区阪和線等の新性能化などに転用された。
  • 1981年(昭和56年)12月6日:大宮駅 - 蒲田駅間で自動列車制御装置 (ATC) 使用開始[注 5]
  • 1984年(昭和59年)1月29日:蒲田駅 - 大船駅間でATC使用開始。
  • 1988年(昭和63年)3月13日:ダイヤ改正を実施し、都心部(田端駅 - 田町駅間)で日中の快速運転を開始[新聞 1]。快速運転開始当時の田端駅 - 田町駅間の途中停車駅は、上野、秋葉原、東京であった。
  • 1989年平成元年)10月27日:205系を導入。
  • 1992年(平成4年)5月7日:901系(後に209系へ称号変更)の運用開始。
  • 1993年(平成5年)2月15日:209系0番台車(量産車)の運用開始。
  • 1994年(平成6年)12月3日:土曜ダイヤを廃止し、土曜・休日ダイヤへ移行[14]
  • 1995年(平成7年)
    • 5月24日:209系に6扉車を連結開始[新聞 2]
    • 10月29日北陸新幹線長野新幹線)開業に合わせて東京駅の当線北行(大宮方面)の3番線ホームが旧中央線1番線ホームに移行。
    • 12月24日:北陸新幹線(長野新幹線)開業に合わせて東京駅の当線南行(大船方面)の6番線ホームが旧山手線4番線ホームに移行。
  • 1996年(平成8年)2月1日:埼京線恵比寿駅延伸開業用車両捻出のため205系の運行終了[15]
  • 1998年(平成10年)
  • 2001年(平成13年)1月5日:209系500番台車の運行開始。
  • 2002年(平成14年)7月14日:ダイヤ改正を実施し、快速電車の浜松町駅停車開始[19]
  • 2003年(平成15年)
    • 10月6日 : 大井町駅 - 大森駅間で蒲田発大宮行きの始発電車が線路内にそのまま放置されていたショベルカーのシャベル部分(同日未明に線路工事で使用していた)に衝突する事故が発生[新聞 3]。排障器が破損して運行できなくなったため、東十条 - 蒲田間で約4時間運行見合わせになる[新聞 3]
    • 12月21日:南浦和駅 - 鶴見駅間でデジタルATC (D-ATC) 使用開始[20]
  • 2007年(平成19年)12月22日:E233系の運用開始[新聞 4]
  • 2009年(平成21年)8月14日:デジタルATC (D-ATC) を大宮駅 - 南浦和駅間および鶴見駅 - 大船駅間に拡大導入。これにより、全区間デジタルATC方式となった。
  • 2010年(平成22年)
    • 1月24日:209系0番台および500番台の運行終了。翌25日からE233系1000番台に統一。
    • 4月19日:平日朝の7時30分から9時30分までに東京駅に到着する南行、品川駅に到着する北行の電車に女性専用車両を設定。
    • 12月4日:ダイヤ改正を実施し、平日日中の運転本数を南浦和駅 - 蒲田駅間で毎時12本から11本に減便。
  • 2014年(平成26年)2月23日川崎駅構内で回送電車が脱線・横転する事故(JR京浜東北線脱線横転事故)が発生。同日の初電から終電まで京浜東北線は蒲田駅 - 鶴見駅間で運転を見合わせた。
  • 2015年(平成27年)3月14日:ダイヤ改正を実施し、快速電車の神田駅および御徒町駅停車開始(御徒町駅は土曜・休日ダイヤのみ停車)。
  • 2016年(平成28年)8月:駅ナンバリング導入開始。
  • 2017年(平成29年)12月16日:午前10時55分頃、川崎駅 - 鶴見駅間で当線の架線が切れ、7時間近く運転出来なくなったほか、東海道線、横須賀線が一部区間で運転を見合わせる。3路線で92本が運休、214本が遅れ、およそ22万人に影響。架線切断の原因は、16日未明に現場付近で架線工事をした際に、本来接触してはならない金具と架線が極めて近い位置に調整されたため、それが列車の走行による振動で接触して電気的にショートした可能性があると発表[新聞 5][新聞 6]
  • 2018年(平成30年)6月16日:高輪ゲートウェイ駅設置工事のため、当線南行(大船方面)の田町駅 - 品川駅間の線路切換および、品川駅の当線南行(大船方面)ホームの5番線への切換工事を終電後から17日10:40頃まで実施[21][22]
  • 2019年令和元年)11月16日:高輪ゲートウェイ駅設置工事のため、当線北行(大宮方面)と山手線の田町駅 - 品川駅間の線路切換および、品川駅の当線北行(大宮方面)ホームの4番線への切換工事を17日始発まで実施。当線は田町駅 - 品川駅間で終日運休する[23][24]
  • 2020年(令和2年)3月14日高輪ゲートウェイ駅開業[新聞 7]。快速電車を含む全列車が停車。ダイヤ改正を実施し、平日日中の運転本数を南浦和駅 - 蒲田駅間で毎時12本に増便。日中の運転本数を蒲田駅 - 磯子駅間で毎時10本から9本に減便。

今後の計画[編集]

  • 全ての駅にホームドアを設置する予定で、2019年度末までにさいたま新都心駅北浦和駅、浦和駅、南浦和駅、蕨駅(スマートホームドアを採用)、西川口駅、川口駅、赤羽駅、王子駅、西日暮里駅、上野駅、御徒町駅、秋葉原駅、神田駅、有楽町駅、新橋駅、高輪ゲートウェイ駅、品川駅(横浜方面)、大井町駅、大森駅、蒲田駅、鶴見駅、東神奈川駅、横浜駅の24駅は整備が完了し、2020年度は、与野駅、東十条駅、上中里駅、東京駅、品川駅(大宮方面)、川崎駅、新子安駅の7駅、2021年度以降に大宮駅、田端駅、日暮里駅、鶯谷駅、浜松町駅、田町駅の6駅について整備を行う予定である[報道 2]
  • ホームドアの設置と合わせて、2024年度をめどに自動列車運転装置 (ATO) や車両側面にカメラを設置して運転席から旅客乗降を確認できるシステムを搭載した新型車両を投入し、ワンマン運転を開始することが検討されていたが[25]、その後の計画変更により既存のE233系1000番台にもワンマン化とATO改造を施す事に変更し、新型車の導入は中止になった可能性がある[26]

運行形態[編集]

JR東日本京浜東北線停車駅(2020年3月改正)

本節では、2021年(令和3年)3月13日以降の運行形態を説明する。

大宮駅 - 横浜駅間では、京浜東北線は東北本線東海道本線電車線として全区間で独立して走行できる専用の複線が確保されている。田端駅 - 品川駅間では、東京都心を環状運転する山手線と並行するが、このうち品川駅と高輪ゲートウェイ駅以外では、同線と同一ホームでの乗り換えが可能な方向別配線となっており、旅客の利便性が図られている。また全区間で、主要駅のみに停車する中距離電車の系統である宇都宮線高崎線東海道線上野東京ライン、東北本線・東海道本線の列車線)に対する各駅停車としての役割を担っているが、これらの路線との接続は図られていない。

運転系統・区間・頻度[編集]

E233系1000番台の側面LED表示器。各駅停車上野行は東京駅を貫通する北行電車の終電

首都圏のJR線では、最も運転本数や保有車両の編成数が多い路線で、運転系統は東京駅を貫通する系統(以下:貫通系統)と貫通しない系統(以下:非貫通系統)がある。貫通系統はほぼ全時間帯に運行されるが、非貫通系統は早朝・深夜のみである。電車は、大宮駅・南浦和駅赤羽駅東十条駅田端駅(始発のみ)・上野駅蒲田駅鶴見駅東神奈川駅桜木町駅磯子駅大船駅を始発・終点とする形で運行される。これらの運行電車は、車両基地の存在や折り返し設備の関係で、浦和駅川崎駅・横浜駅などの主要駅より1駅手前までの運行となる電車が多く運行されていることが特徴である。

また、早朝の運行開始時間が早く、深夜の運行終了時間が遅いのも特徴で、早朝始発電車の発車時刻が南行だと時間順に田端発4:25、大宮発4:28、南浦和発4:30、東十条発4:32、蒲田発4:33、東神奈川発4:34、北行だと時間順に桜木町発4:18、磯子発4:20、蒲田発4:22、大船発4:43、深夜最終電車の到着時刻が南行だと時間順に赤羽行き着0:39、桜木町行き着0:41、磯子行き着0:51、蒲田行き着0:55、大船行き着0:56、北行だと時間順に磯子行き着0:24、上野行き・大宮行き着0:51、南浦和行き着0:59である。ただし、終電は2021年1月20日に新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う緊急事態宣言の発出および国・関係自治体からの要請により、南行が赤羽駅 - 蒲田駅間を除き最大32分、北行が赤羽駅 - 蒲田駅間を除き最大26分繰り上げられ[報道 3]、2021年(令和3年)3月13日のダイヤ改正以降もその時刻を踏襲している[報道 4]

貫通系統は大宮駅 - 大船駅間の全区間で運行される。全区間直通電車が主体だが、北側からは大宮駅・南浦和駅・赤羽駅・東十条駅発着、南側からは蒲田駅・鶴見駅・東神奈川駅・桜木町駅・磯子駅・大船発着電車の設定がある。早朝に南行東十条・田端発大船行き、深夜に北行大船発上野行きが設定されている。朝ラッシュ時は約2 - 3分間隔、日中時間帯は5分間隔(1時間に12本)、夕ラッシュ時は約3 - 4分間隔で運行されている。ただし、大宮駅 - 南浦和駅間および蒲田駅 - 横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅間では運行間隔が広がっている時間がある。日中時間帯は全列車が快速(後述)として運行されている。

非貫通系統は、大宮駅 - 上野駅間、蒲田駅 - 大船駅間で運行され、南行は早朝に蒲田・東神奈川発(平日のみ)桜木町・磯子行き(蒲田発のみ)・大船行き(東神奈川発が大船行き初電[注 6])、深夜に大宮発赤羽行き、北行は早朝に上野・南浦和発大宮行き(上野発は大宮行き初電)、深夜に大船発蒲田・磯子行き(磯子行きが大船発終電)が運行されている。

早朝・深夜以外(日中時間帯が中心)は東神奈川駅 - 桜木町駅 - 磯子駅 - 大船駅間で横浜線の電車(8両編成、列車番号末尾K)と線路を共用するが、運転系統と使用車両は相互に独立している。

日中の運行パターンと運転本数
種別\駅名 大宮 南浦和 蒲田 東神奈川 桜木町 磯子 大船
京浜東北線 快速 6本
  3本  
3本  
横浜線 快速 八王子← 3本  
各駅停車 3本

快速運転[編集]

田端駅 - 東京駅 - 田町駅間では山手線と方向別運転になり、日中は快速運転が実施される(田町駅)

日本国有鉄道(国鉄)からJR東日本に移行後の1988年3月13日一本列島ダイヤ改正より山手線と並行する田端駅 - 田町駅間で日中(10時30分 - 15時30分ごろ)に快速運転を開始した[新聞 1]。この「快速」は各駅に停車する山手線電車に対する快速であり、当該時間帯は京浜東北線の全電車が快速となる。全駅とも追い抜き設備がないため京浜東北線電車同士の追い抜きは行われない。

運転開始当初の田端駅 - 田町駅間での途中停車駅は上野駅・秋葉原駅・東京駅であった[新聞 1]。その後、2002年3月のJR東日本による東京モノレールの買収により、同年7月14日から東京モノレール羽田空港線との乗り換え駅である浜松町駅にも停車するようになった[19]。品川駅は京浜東北線と山手線が別ホームとなっており相互乗り換えに階段などを使用する必要があるため、隣の田町駅が快速運転開始当初から停車駅となっている。2015年3月14日のダイヤ改正にて、新たに神田駅を停車駅に追加し、中央線快速との乗り換えの向上を図り、この日の上野東京ラインの開業に合わせて、土曜・休日ダイヤ(年末年始含む)では御徒町駅にも停車するようになった。

快速運転の実施により、田端駅 - 品川駅間の所要時間が約7分短縮された。

年末年始(例年12月26日 - 翌年1月4日)は特別ダイヤを設定して快速運転を中止し、終日各駅に停車する体制を取っていた。しかし、2015年3月のダイヤ改正で前述の御徒町駅の土曜・休日ダイヤにおける快速停車化に伴い、2015年12月30日から2016年1月3日にかけても引き続き快速運転を行っている(2016年度以降も同様[27])。なお、快速運転時間帯に山手線で人身事故などによる運転見合わせやダイヤの乱れが起きた場合などは快速運転を中止して各駅に停車することがある。

田端駅 - 浜松町駅間以外では終点まで各駅に停車するため、電車の行先表示機は始発駅から快速運行区間終了まで「快速」の表示で運行されるが、快速運行区間を過ぎると「各駅停車」表示へ変更される。

京浜東北線快速停車駅の変遷
●:停車、▲:土曜・休日ダイヤのみ停車、―:通過、…:この間は各駅に停車
  大宮 田端 西日暮里 日暮里 鶯谷 上野 御徒町 秋葉原 神田 東京 有楽町 新橋 浜松町 田町 大船
1988年3月13日 -
2002年7月13日
2002年7月14日 -
2015年3月13日
2015年3月14日 -

保安システム[編集]

E233系1000番台(10両編成)を使用し、保安装置は全線ATC方式となっている。2003年12月21日より南浦和駅 - 鶴見駅間でデジタル式ATC (D-ATC) が導入され、日本国内の在来線鉄道では初の事例となった。この結果、翌2004年3月13日のダイヤ改正で朝のラッシュ時に上下各2本の増発が実施されている。なお、2009年8月14日にはD-ATCが全線に拡大された。

列車番号[編集]

列車番号は、3-4桁の数字とその末尾にA-Cのアルファベットが付き、最初の3-4桁の数字の上2桁(時間帯により1桁)は始発駅の発車時間帯(24時制)を表し、下2桁は運用番号となる方式を採用している。運用番号は01から始まり、南行電車では、下1桁に奇数を用いた運用番号となるが、北行電車では、当該運用番号から1を減じた偶数を用いた列車番号となっている(東海道本線と列車の方向と列車番号の奇偶数を合わせるため)[注 7]

末尾のアルファベットは、国鉄時代には使用車両が所属する電車区によって区別されており、Aが蒲田電車区(蒲田運輸区を経て現・大田運輸区)、Bが下十条電車区、Cが浦和電車区となっていた。当線の所属車両が浦和電車区に一本化された後暫くして、運用当日の出庫場所によって区別する現在の形に変更された。Aはさいたま車両センター(旧浦和電車区、南浦和駅始発)・元下十条運転区にある留置線から出庫の運用(田端・東十条・赤羽駅始発と南浦和駅始発の一部)、Bは大船・磯子・桜木町・上野・大宮を始発駅とする運用と鎌倉車両センター配下の磯子派出所(磯子駅電留線)・東神奈川派出所(国鉄時代は東神奈川電車区)および本郷台駅隣接の留置線から出庫の運用、Cは大田運輸区の留置線から出庫の運用となっている。

保線工事実施時[編集]

1988年の快速運転開始以前は、保線工事の間合いを確保するため、平日の日中時間帯に田端駅 - 田町駅間で複々線の片方を使用停止し、どちらか一方の線路に京浜東北線と山手線の電車が交互に運転され、運転線路も1か月ごとに交代していた。この区間の各駅ではホーム上の路線案内看板の「番線」表示が矢印付きの切り替え式(例えば「[5]←|[5]←」「[5]←|→[6]」「→[6]|→[6]」のように島式ホームのどちら側にも表示できる)となっていて、時間帯や月によって案内を変更していた。

現在でも年に数日程度「リフレッシュ工事」と称してこの区間で山手線と京浜東北線の保守点検作業を日中に実施して2線が同一線路で運転を行うことがある。この場合京浜東北線は全列車が各駅停車で運行され、田端駅 - 東京駅 - 田町駅間で山手線と交互に同一の線路上を走行する。実施日は晴天率が高い9月末 - 10月の平日となることが多い。それに対応して、この区間では山手線11両編成化の後に京浜東北線のホームも11両編成が停車可能なように改築されたほか、前述区間の発車標には種別表示に「山手線」か「京浜東北線」を表示して対応している。また山手線のホームドアも京浜東北線のE233系10両編成が停車しても支障がないように設置されている。

使用車両[編集]

現在の使用車両[編集]

京浜東北線は、車体にスカイブルー()の帯を巻いた電車で運転されている。所属車両基地はさいたま車両センター(2015年3月13日までは浦和電車区)である。

E233系1000番台
当線の209系を置き換えるためにE233系1000番台が製造・投入された。870億円を投じて830両の209系0番台・500番台全車を2010年1月までに置き換えた。2007年8月30日に導入第1号編成となるウラ101編成が東急車輛製造(現在の総合車両製作所横浜事業所)を出場し、同年12月中旬まで各種試運転が実施された。209系0番台とは異なり、6扉車は組み込まれていない。そして同年12月22日、ウラ102編成が南浦和8時17分発各駅停車大船行き(23A運用)で営業運転を開始した[新聞 4][28]
2020年時点での計画では2024年度のワンマン運転開始に合わせて、新型車両の導入が検討されていた[25]。その後、既存のE233系1000番台にワンマン化改造を施すことになり[26]、新型車の導入は中止された可能性がある。

編成[編集]

京浜東北線の編成
← 大船
大宮 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  • 3号車():女性専用車
    • 南行は大宮駅→東京駅間
    • 北行は大船駅→品川駅間

京浜東北線の電車は2010年1月25日以降、すべて片側4扉車両10両編成となっている。

2010年4月19日より、平日朝通勤時間帯の大宮駅→東京駅の全電車(東京駅到着7:30 - 9:30)、大船駅→品川駅の全電車(品川駅到着7:30 - 9:30)の3号車を女性専用車両に設定している[報道 5]

過去の使用車両[編集]

  • デハ6340系
  • デハ33500系
  • デハ63100系
  • 30系
  • 31系
  • 40系
  • 50系
  • 63系72系
  • 101系
    • 京浜東北・根岸線では103系への置き換えが進んだ1970年[29] から1978年[30] までの短期間運用されていた。ただし、最大でも5本と少数勢力であった。
  • 103系
    • 京浜東北・根岸線では1965年[12]から1998年まで運用され、ATC対応や冷房付の同系列新造車両に入れ替えながら209系の量産投入まで長く主力として運用された。
  • 205系
    • 京浜東北・根岸線では1989年から1996年まで運用されていた。ただし、209系の量産投入までのつなぎ的な位置付けで、最大でも6本と少数勢力であった。
  • 209系
    1992年に試作車901系として運用開始。量産車209系0番台は1993年に運用開始され、103系・205系を置き換えて1998年に本系列への統一が達成された。901系は209系900・910・920番台となった。2001年には幅広車体の500番台が投入された。
    0番台は全編成の6号車に6扉車を組み込んでいた。なお、900・910・920・500番台は6扉車を組み込んでいない。
    900・910・920番台は前記E233系1000番台の導入に先駆け、2007年3月までの中央・総武緩行線からの500番台の転入により同年8月までに運用を離脱、大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターへ疎開回送されるなどした後、2008年1月までに長野総合車両センターに廃車回送された。
    前記E233系1000番台の導入に伴い0番台は廃車や房総地区に転用されたほか、一部が多目的試験車「mue-train」に改造され、また南武線にも転用された。500番台は4編成が京葉車両センターに、1編成が三鷹車両センターに転出した。
    2007年11月より0番台に離脱疎開車が発生、同年12月より順次廃車もしくは転属回送されている。
    2010年1月24日の1620A(21A運用)についたウラ52編成もって京浜東北・根岸線で運転されていた全ての0番台が運用を離脱し、翌日からE233系1000番台に統一された。

諸問題[編集]

遅延多発問題[編集]

京浜東北線はダイヤの乱れが多く、そのうち人身事故の発生件数で見ると2004年 - 2008年中央線快速を上回っている(2006年は京浜東北線27件・中央線快速15件、2007年は京浜東北線38件・中央線快速29件)。また、209系の機器劣化による車両故障などのトラブルの多発や、大宮駅 - 横浜駅までの全区間が他の路線と並走しているため隣接する他路線のトラブルを起因とする京浜東北線のダイヤ乱れや運転見合わせが頻繁に発生したため、2007年12月からは故障に強いE233系1000番台にて車両を置き換えた。

開かずの踏切問題[編集]

東海道線と並走する区間、特に大森駅 - 蒲田駅間の開かずの踏切である「学校踏切」は、2005年には、早朝の人身事故の影響によるダイヤの乱れにより長時間開かなかった当該踏切を強行横断した女性1人を撥ねる人身事故が発生し、マスメディアに取り上げられた。

データ[編集]