常磐線

常磐線
常磐線の主力車両E531系 (2019年3月 松戸駅 - 金町駅間)
常磐線の主力車両E531系
(2019年3月 松戸駅 - 金町駅間)
基本情報
通称
日本の旗 日本
所在地 東京都千葉県茨城県福島県宮城県
種類 普通鉄道在来線幹線
起点 日暮里駅[1][2]
終点 岩沼駅
駅数 80駅
電報略号 シハセ[3]
路線記号 JJ(日暮里駅 - 取手駅間の急行線)[注 4]
JL(綾瀬駅 - 取手駅間の緩行線)
開業 1889年1月16日
所有者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者
  • 東日本旅客鉄道(全線)
  • 日本貨物鉄道(日暮里駅 - 三河島駅間を除く全線)
使用車両 運行車両を参照
路線諸元
路線距離
  • 343.7 km(日暮里駅 - 岩沼駅間)[1]
  • 5.7 km(三河島駅 - 隅田川駅 - 南千住駅間)[1]
  • 1.6 km(三河島駅 - 田端駅間)[1]
軌間 1,067 mm
線路数 複々線(綾瀬駅 - 取手駅間)
複線(日暮里駅 - 綾瀬駅間、取手駅 - 四ツ倉駅間、広野駅 - 木戸駅間)
単線(上記以外)
電化区間 全線
電化方式
閉塞方式
最高速度 130 km/h
路線図
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常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区日暮里駅[1][2]から千葉県北西部、茨城県福島県太平洋側(浜通り)を経由して宮城県岩沼市岩沼駅[1][2]までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。「本線」および「新幹線」を名乗らないJR線の中では、最も長い路線である。

列車運行上の常磐線は、東北本線上野駅 - 日暮里駅間及び岩沼駅 - 仙台駅間を含めた、東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅まで(363.5 km)であるが「上野東京ライン」として運行される品川駅 - 上野駅間を含めた「品川駅 - 仙台駅」を常磐線として表記している例もある[注 5]

本記事では品川駅 - 東京駅間について、常磐線内の方向に合わせて品川行きを「上り」、品川発を「下り」と記述する。

また、通常運転系統上の「常磐線」は、中距離列車(中距離電車)や特急列車などの列車系統のみを指し、取手駅以南の複々線区間を運転する電車系統常磐快速線常磐緩行線とは区別される。本記事での運転系統としての記述は主に前者について取り上げる。

概要[編集]

東京から仙台までを、千葉県の松戸我孫子、茨城県の取手土浦水戸日立を経て、福島県のいわき相馬など浜通り太平洋沿岸)地域を経由して結ぶ路線である。首都圏と沿線各都市を結ぶ特急列車や、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。また首都圏側の取手駅以南では東京への通勤輸送の役割も担う。綾瀬駅 - 取手駅間は急行線(快速線)と緩行線線路別複々線となっており、緩急分離運転を実施している(運転行態については後述)。

全線が電化されているが、区間により電化方式が異なっている。上野駅から取手駅までは直流電化だが、藤代駅より北は沿線の茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の観測に直流電化方式が悪影響を及ぼすという事情から交流電化が採用され、取手駅と藤代駅の間にデッドセクションが設けられている[4]

2011年に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による被害と、それに起因した福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生当初は警戒区域)設定のため、一部区間が不通となり、列車代行バスが運行されていた時期があった[5]詳細後述)。

名称の由来[編集]

名称については、茨城県の旧国名令制国名)である(ひたち)と福島県の旧国名である(いわき)の頭文字を合わせたものである[注 6]。なお、磐城国は明治令制国(戊辰戦争後の令制国)である。

この経緯に由来して、茨城県と福島県浜通りの県境に当たる勿来近辺(北茨城市からいわき市南半分)は「常磐地区」と呼ばれることもあり、1954年から1966年のいわき市成立までは、湯本温泉周辺を中心とする常磐市(じょうばんし)が存在していた。また、水戸市では常磐町常磐大学常磐神社といった、同じ字で「ときわ」と読む地名や施設なども存在する。「ときわ」は、常磐線でもかつて急行列車の愛称として使用され、特急「ひたち」への統一後も茨城県北部から福島県浜通りの沿線の観光キャンペーンや茨城県内に有効なフリーきっぷの名称として「ときわ路」が使用されている。なお、列車愛称の「ときわ」は2015年3月14日のダイヤ改正で特急列車として復活したが、大半は以前の急行同様茨城県内発着の列車となる。

常磐線の旧国名と駅の関係は次の通りである。

  • 常陸:茨城県・龍ケ崎市駅 - 同・大津港駅 (133.2 km)
  • 磐城:福島県・勿来駅 - 宮城県・逢隈駅 (154.6 km)
※参考
武蔵:東京都・日暮里駅 - 同・綾瀬駅 (7.7 km)
下総:東京都・亀有駅 - 茨城県・藤代駅 (33.5 km)
陸前:宮城県・岩沼駅 (- km)

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):全長351.0km
  • 軌間:1,067mm [1]
  • 駅数:80(本線の起終点駅と偕楽園駅・隅田川駅を含む。支線の終点は除外)
    • 常磐線所属駅に限定した場合、日暮里駅と岩沼駅(ともに東北本線所属[6])が除外され、78駅となる。
  • 複線区間
  • 電化区間:全線
    • 日暮里駅 - 取手駅間(藤代駅の直近まで)、三河島駅 - 隅田川駅 - 南千住駅間、三河島駅 - 田端駅間:直流1,500V
    • 藤代駅 - 岩沼駅間:交流20,000V・50Hz
    • デッドセクション:取手駅 - 藤代駅間、車上切替式
  • 閉塞方式
    • 日暮里駅 - 夜ノ森駅間、浪江駅 - 新地駅間、山下駅 - 岩沼駅間:自動閉塞式
    • 夜ノ森駅 - 浪江駅間、新地駅 - 山下駅間:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
    • 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):車内信号閉塞式
  • 最高速度(電車または気動車)
    • (品川駅 - )日立駅間:130km/h[注 7]
    • 日立駅 - いわき駅間:120km/h
    • いわき駅 - 岩沼駅間:100km/h
    • 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):90km/h
    • 田端信号場駅 - 隅田川駅間(田端貨物線):95km/h
    • 南千住駅 - 隅田川駅間(隅田川貨物線):95km/h
  • 運転指令所
    • 上野駅 - 羽鳥駅間:東京総合指令室
    • 羽鳥駅 - 岩沼駅間:水戸総合指令室
    • 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):東京総合指令室
  • 列車運行管理システム
  • 旅客運賃・乗車券関連

なお、JR東日本の各支社の管轄は以下の通り。

沿線概況[編集]

品川 - 日暮里[編集]

日暮里 - 取手[編集]

品川駅から日暮里駅までは山手線など多くの路線と併走し、日暮里から東北本線と分かれる。北千住駅付近まで、日光街道沿いの下町の中を走り、荒川を渡る手前で地下鉄千代田線と合流し、綾瀬駅まで並行する。綾瀬駅から取手駅までは複々線区間となり、千代田線から直通する各駅停車は小田急線直通急行・準急も含め、綾瀬駅を出ると亀有駅金町駅の順に各駅に停車するが、品川・上野方面からの快速電車は松戸駅柏駅我孫子駅といった市の中心駅しか停まらない。

江戸川を渡り、東京都葛飾区から千葉県松戸市へ入ると、矢切の田園地帯にて緩行線と快速線が交差した後、線路は地上へ降りる。松戸駅では新京成電鉄新京成線、柏駅では東武鉄道野田線と連絡し、我孫子駅では成田線が分岐する。天王台駅を過ぎると千葉県茨城県の境である利根川利根川橋梁を渡って茨城県に入り、電車特定区間の終点である取手駅へ至る。

取手 - いわき[編集]

取手駅 - 藤代駅間の交流→直流の接続部分(デッドセクション

取手駅と藤代駅の間にデッドセクションがあり、以北は交流電化されているため、直流電車は通れない。取手駅から先は交直流電車のみが走る区間となる。旧型車両ではデッドセクション区間で非常用電源に切りかわり、車内が消灯していた。

茨城県の取手市から龍ケ崎市牛久市土浦市石岡市小美玉市笠間市水戸市ひたちなか市那珂郡東海村日立市高萩市北茨城市を経由し、茨城県と福島県浜通りの境に当たる勿来関を越えて、福島県いわき市に入ると、浜通り地方で最初の駅、勿来駅に至る。そのまま福島県内を北上し、浜通り南部の中心地いわき駅に至る。

いわき - 岩沼[編集]

いわき駅を出て、四ツ倉駅を過ぎると単線になる。この区間は電化時に古いトンネルを放棄しているため廃トンネルが多数みられる。竜田駅を出発すると常磐線最長の金山トンネルを通過し、富岡駅に到着する。

富岡駅から浪江駅までの区間は、2011年(平成23年)3月11日東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の影響で最後まで不通となっていたが、2020年令和2年)3月14日に復旧を終えて運転を再開し、常磐線は9年ぶりに全線で運転を再開した。

富岡駅から夜ノ森駅大野駅と過ぎて、福島第一原子力発電所の煙突を背にしながら、双葉駅に到着する[注 8]。さらに浪江駅、小高駅を経て、「雲雀原」の異名を持つ南相馬市の中心駅・原ノ町駅に到着する。

原ノ町駅では、2007年以降普通列車の系統が分断されており、現在は全ての普通列車において乗り換えが必要である。その後旧鹿島町の中心駅鹿島駅相馬市の中心駅・相馬駅などを経て、駒ケ嶺駅を過ぎると、2016年に完成した津波被害からの復旧区間に入る。

新地駅を過ぎると、浜通りから脱して宮城県へ入り、坂元駅山下駅を過ぎると、浜吉田駅の手前で廃線となった従来線と合流する。その後、亘理駅逢隈駅を過ぎ阿武隈川を渡ると、常磐線としての終点である岩沼駅に到着し、日暮里駅で分かれた東北本線に合流する。

歴史[編集]

最初の開業区間は、1889年(明治22年)に水戸鉄道として現在の水戸線とひとつながりで開業した友部(路線開業時は駅無し、1895年設置) - 水戸間である[注 9]

1896年(明治29年)には日本鉄道により田端 - 水戸間が開通する[7]。実質的な常磐線としての建設は、それまで船に頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的としていた[8]。このため、現在の山手線を経由して東海道本線に抜けられるように田端駅を起点とした。

上野駅への乗り入れ線の建設は、南千住から南へ分岐する構想もあったが(フランツ・バルツァーによる計画)、三河島駅から日暮里駅までを連絡させたことで急カーブを描く線形となった。効率的な石炭輸送をはかるために、明治時代から複線化工事が開始された[9]。常磐炭田の石炭輸送のほか、日立鉱山日立製作所関連の人員・物資輸送で、常磐線は戦前・戦後を通じて国内経済発展に欠かせない存在となっていった[10]

1898年(明治31年)に岩沼駅まで全通した後は、東北本線のバイパスとして機能した。関東地方と東北地方を結ぶ鉄道路線の中でも海岸沿いを走るため線路が東北本線に比べて平坦である点が蒸気機関車牽引の列車にとって最大の利点であったこと、平駅(現在のいわき駅)までの複線化も早期に行われたこと、さらに、奥羽本線への直通列車設定も必要だった東北本線に比べ、ターゲットを上野と仙台以北との往来に絞れたことから、仙台駅以北に直通する旅客列車が常磐線を経由して走るようになり、1920年(大正9年)に経路特定区間制度が設定された時、日暮里 - 岩沼間が最初の設定区間の一つに指定されている。1958年(昭和33年)に東京以北で初の特急列車として登場した「はつかり」も、当初は常磐線経由で設定された。東北本線の電化・複線化が進むにつれ、まず「はつかり」など昼行の長距離優等列車から東北本線経由への整理統合が進んだが、東北本線が通勤時間帯に混雑することや奥羽本線への直通夜行列車が多数設定されたことから仙台駅以北に直通する夜行寝台列車はなお常磐線経由が主力であった。

石炭輸送を目的とした急行貨物「ひたち号」が1964年(昭和39年)に開始されたが、その後まもなくエネルギー革命によって炭鉱が次々と閉山に追い込まれ、1973年(昭和48年)を最後に常磐線の当初の目的であった石炭輸送の役目は終わりを迎えた[8]。その一方で旅客面では、1969年(昭和44年)10月に上野 - 平間に特急「ひたち」が運転を開始し、1985年(昭和60年)につくば市で開催された科学万博期間中は全国から訪れる観客の輸送を引き受けた[7]。このとき臨時駅(万博中央駅)も設置され、“赤電”のニックネームで親しまれた列車も、白地に青線へ化粧直しされた[7]1987年(昭和62年)4月、当時20兆円の累積赤字を抱えていた国鉄が分割・民営化され、常磐線はJR東日本の一路線として再スタートを切った[7]。しかし、東北新幹線の開業以後は常磐線から仙台駅以北に直通する旅客列車が大幅に減り、東北本線のバイパスとしての存在意義が失われたことから、長らく設定されていた日暮里 - 岩沼間の経路特定区間制度は2001年(平成13年)に廃止された。

年表[編集]

水戸鉄道・日本鉄道[編集]

国有化後[編集]

日本国有鉄道[編集]

  • 1947年(昭和22年)
    • 6月1日:末続信号場を駅に変更し末続駅開業。
    • 9月15日:カスリーン台風により各地に被害。亀有駅 - 金町駅で冠水[15]、我孫子駅 - 取手駅間で冠水。神立駅 - 高浜駅間が土砂崩壊により運休。石神駅(現東海駅) - 大甕駅間で列車脱線のため運休[16]
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月1日:内原操車場を廃止し小原信号場とする。
    • 8月10日:桃内信号場を駅に変更し桃内駅開業。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月10日:関本駅を大津港駅に改称。
    • 8月7日:取手駅-佐貫駅間が小貝川の氾濫で水没。しばらくの間、上野駅発青森駅行きの長距離列車は東北本線、水戸線経由の運転となる。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1953年(昭和28年)10月1日:南柏駅開業。
  • 1956年(昭和31年)12月20日:綴駅を内郷駅に改称。
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月1日:石神駅を東海駅に改称。
    • 5月17日:大野駅-長塚駅(双葉駅)間の前田川陸橋で急行「北上」の機関車と客車5両が脱線転覆。乗員乗客3人が死亡、43人が重軽傷。原因は脱線直前にトラックが陸橋に接触して線路がズレたため[17]
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年)10月1日:長塚駅を双葉駅に改称。
  • 1960年(昭和35年)
    • 10月1日:竜田 - 富岡間に金山信号場、亘理 - 岩沼間に逢隈信号場開設。
    • 12月10日:特急「はつかり」をキハ81系気動車に置き換え。日本初の気動車特急となる。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月20日:中村駅を相馬駅に改称。
    • 6月1日:取手 - 勝田間交流電化。
  • 1962年(昭和37年)
    • 5月3日:三河島 - 南千住間で三河島事故が発生。死者160人。
    • 10月1日:勝田 - 高萩間交流電化。
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月20日:原ノ町 - 鹿島間に高平信号場開設。
    • 5月1日:高萩 - 平間交流電化。
    • 9月30日:平 - 草野間交流電化。
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月:綾瀬 ‐ 我孫子間、複々線増線第1期工事開始。
    • 5月25日:平 - 草野間複線化。
    • 10月1日:常磐線経由の上野 - 青森間急行「北斗」の格上げにより、寝台特急「ゆうづる」がブルートレインとして運転開始。常磐線内の停車駅は水戸と平。
  • 1966年(昭和41年)3月5日:上野 - 取手間で列車防護無線の運用を開始[18]。準急「ときわ」を急行化。
  • 1967年(昭和42年)
    • 2月1日:(仮)公園下駅を(仮)偕楽園駅に改称。
    • 7月22日:草野 - 四ツ倉間複線化[19][20]。広野 - 木戸間で新線へ切り替え。
    • 8月20日:草野 - 岩沼間の交流電化[21]により、全線電化完成。
    • 9月14日:集中豪雨のため、広野 - 木戸間の斜面が20箇所にわたり崩壊。9月15日から9月18日まで非電化の旧線を使用した運転が行われた[22]
    • 12月23日:103系電車運用開始。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:東北本線の複線電化完成で、特急「はつかり」が東北本線経由に変更。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月3日:複々線化工事に伴い、東武線交差部(東京都足立区五反野)から営団施工による“新規”綾瀬駅間を借受け移設運行(1971年3月まで)[23]
    • 3月23日:綾瀬 - 金町間が高架線(現緩行線)に移設切替[24]
    • 10月1日:(仮)偕楽園駅を臨時駅に変更。季節特急「ひたち」新設。
  • 1970年(昭和45年)
    • 4月10日北柏駅が貨物駅として開業。
    • 10月1日:特急「ひたち」定期化。
    • 11月20日:関東地方から福島県にかけて集中豪雨。広野 - 木戸間の北迫川鉄橋を支える築堤が崩壊するなどして各地で寸断。長距離列車は東北本線に迂回運転を行った[25]
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月1日:綾瀬 - 金町間複々線暫定開通[26]。同区間の緩行線と快速線の分離が行われる。国電は綾瀬 - 金町間で新しい線路(現在の緩行線)を使い上野 - 取手間を運行。
    • 3月10日:金町 - 北柏間複々線暫定開通[27]。同区間の緩行線と快速線の分離が行われる。国電は綾瀬 - 北柏間で現緩行線を使い上野 - 取手間を運行。
    • 4月1日:北柏 - 我孫子間複々線暫定開通[28]。綾瀬 - 我孫子間の複々線が全線完成。全区間で緩行線と快速線の分離が行われる。国電は綾瀬 - 取手間で現緩行線を使い上野 - 取手間を運行。
    • 4月20日:天王台駅開業。北柏駅旅客営業開始。
  • 1972年(昭和47年)10月1日:内郷 - 平間にいわき貨物駅開業。
  • 1973年(昭和48年)4月1日:新松戸駅開業。
  • 1976年(昭和51年)
  • 1978年(昭和53年)3月31日:営団地下鉄千代田線の代々木上原駅延伸開業に伴い、小田急電鉄小田原線本厚木駅まで直通運転区間が延長(当時の3社線乗り入れは営団車のみ)。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1984年(昭和59年)2月1日:貨物支線 水戸 - 那珂川間廃止。
  • 1985年(昭和60年)3月14日国際科学技術博覧会(筑波万博)輸送を実施。臨時駅として万博中央駅を開設(9月16日まで)。いわき貨物駅、内郷機関区廃止。急行「ときわ」廃止。
  • 1986年(昭和61年)

東日本旅客鉄道[編集]

  • 1987年(昭和62年)
    • 4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。
    • 12月1日:快速電車(上野 - 取手間)を最大10両編成から、103系電車および通勤型電車最長の15両編成へ増強[36]
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月13日:普通列車が三河島駅、南千住駅(この2駅は日中のみ)、天王台駅(終日)に停車するようになる。
    • 8月2日:逢隈信号場を駅に変更し逢隈駅開業。
  • 1989年(平成元年)
  • 1991年(平成3年)
  • 1993年(平成5年)
    • 2月1日:金山信号場廃止。
    • 2月10日:高平信号場廃止。
    • 3月6日:平 - 岩沼間でPRCを導入[40]
    • 12月1日:寝台特急「ゆうづる」を臨時列車に変更。
  • 1994年(平成6年)12月3日:平駅をいわき駅に改称。寝台特急「ゆうづる」廃止。
  • 1995年(平成7年)12月1日:E501系運用開始[41][42]
  • 1996年(平成8年)10月12・13日:常磐線開業100周年記念列車「レトロトレインときわ」運転。
  • 1997年(平成9年)
    • 2月20日:岩間 - いわき間でCTC・PRCを導入[43]
    • 10月1日:E653系による特急「フレッシュひたち」運転開始[44]
  • 1998年(平成10年)
  • 1999年(平成11年)
  • 2001年(平成13年)11月18日[46][47]:当時の東京近郊区間に当たる日暮里 - 勝田間で、ICカード「Suica」サービス開始[46][47]
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)10月26日:当時の仙台都市圏エリアに当たる山下 - 岩沼間で、ICカード「Suica」サービス開始。
  • 2004年(平成16年)
    • 2月14日:東京圏輸送管理システム(ATOS)導入(上野 - 羽鳥間、緩行線は亀有 - 取手)。
    • 3月13日:川尻駅を十王駅に改称。三河島駅と南千住駅に普通列車が終日停車するようになる。
    • 10月16日:普通列車は取手以南に限って快速と呼称される。勝田 - 日立間が東京近郊区間に組み込まれ、同時にICカード「Suica」サービス開始。
  • 2005年(平成17年)7月9日:本路線単独のダイヤ改正を実施。E531系導入開始。上野 - 土浦間において特別快速運転開始。下り通勤快速廃止。上りの通勤快速も1本が普通列車(取手 - 上野間快速)になる。前日をもって2階建て普通車クハ415-1901運行終了。
  • 2006年(平成18年)3月17日:この日限りで上り通勤快速廃止、103系定期運用終了。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月6日:E531系のグリーン車先行導入。この日から3月17日までは普通車扱いでグリーン券なしで乗車可能であった。
    • 3月17日:E721系導入開始。運用は原ノ町 - 仙台。この日をもって415系列の鋼製車は定期運用を終了。
    • 3月18日:E531系のグリーン車が営業運転開始。投入区間は上野 - 高萩。この日から415系1500番台(ステンレス車)とE501系は土浦以北のみの運用に。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月15日:日立 - 高萩間が東京近郊区間に組み込まれ、同時にICカード「Suica」サービス開始。
    • 11月12日:天皇皇后とスペイン国王夫妻の茨城県つくば市視察に伴うお召し列車が、上野駅から土浦駅間に運転される(片道のみ)。前年に投入されたE655系がお召し列車としては初めて運用される[50]
  • 2009年(平成21年)
    • 3月14日:高萩 - いわき間が東京近郊区間に、原ノ町 - 山下間が仙台都市圏エリアに組み込まれ、同時にICカード「Suica」サービス開始。
    • 9月9日:緩行線でE233系2000番台運用開始[51]
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日:東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により全線が不通、一部区間で壊滅的な被害を受ける。
    • 3月12日:日暮里・綾瀬 - 取手間で快速電車・各駅停車が運転再開。
    • 3月18日:取手 - 土浦間が復旧。
    • 3月31日:土浦 - 勝田間が復旧。
    • 4月7日:勝田 - 高萩間が復旧。
    • 4月11日:高萩 - いわき間が復旧。
    • 4月12日:亘理 - 岩沼間が復旧。
    • 4月17日:いわき - 四ツ倉間が復旧。
    • 5月14日:四ツ倉 - 久ノ浜間が復旧。
    • 5月23日:相馬駅 - 亘理駅間で代行バスの運行を開始[52]。列車との乗り換えはこの両駅に限られる[53]
    • 10月10日:久ノ浜 - 広野間が復旧。
    • 12月21日:原ノ町 - 相馬間が復旧。
  • 2012年(平成24年)3月17日:特急にE657系導入。特急「スーパーひたち」15往復のうち10往復、「フレッシュひたち」上下41本中9本でE657系を使用する[54]。「スーパーひたち」の運行区間からいわき - 仙台間が外され、全特急列車が上野 - いわき間の運転になる[注 10]
  • 2013年(平成25年)3月16日:浜吉田 - 亘理間が復旧。特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の全列車をE657系に置き換え[55]
  • 2014年平成26年)
    • 4月1日:原ノ町- 岩沼間が新設の仙台近郊区間となる。
    • 6月1日:広野 - 竜田間が復旧[56]
  • 2015年(平成27年)
    • 1月31日:竜田 - 原ノ町間で途中ノンストップの代行バスを運行開始[57]
    • 3月14日:上野東京ラインが開業し、一部の特急と快速が品川駅まで乗り入れ開始。特急「スーパーひたち」を「ひたち」に、「フレッシュひたち」を「ときわ」に改称。特別快速の停車駅に北千住駅が追加される。
    • 3月21日:臨時特急「踊り子」が常磐線内にも乗り入れを開始し、我孫子駅 - 伊豆急下田駅間に上野駅・東海道線伊東線伊豆急行線経由で直通運転[58]
  • 2016年(平成28年)
    • 2月18日石岡駅不発弾が発見され、処理のため土浦駅 - 友部駅間が運休[59]
    • 3月26日:同日のダイヤ改正にて、緩行線用E233系2000番台が小田急線へ、小田急4000形が緩行線へそれぞれ運用開始(209系1000番台は小田急線内には乗り入れない)。
    • 7月12日:小高 - 原ノ町間が復旧[60][61][62]。竜田 - 原ノ町間の代行バスも同日から小高に停車。
    • 11月5日:移設復旧に伴う相馬 - 浜吉田間の試運転を開始(12月9日まで実施)[63][64][65]
    • 12月10日:相馬 - 浜吉田間が復旧