1963年の広島カープでは、1963年シーズンについての広島カープの動向についてまとめる。
この年の広島カープは、2回目の白石勝巳監督体制の1年目(途中就任の1953年含み、通算11年目)のシーズンである。
この年復帰の白石監督の元、チームは5月まで3位につけるなど好調で球団初のAクラス入りが期待された。しかし、梅雨に入った6月になるとチームの勢いも止まり最後は最下位に転落。結局巨人の2年ぶり優勝を許して全日程を終えた。投手陣では長谷川良平が衰えを隠せなくなったものの、大石清や前年入団の池田英俊が不振のチームで奮闘した。打撃陣でも前年首位打者の森永勝也やこの年巨人の長嶋茂雄と首位打者を争った古葉竹識、5番の山本一義の活躍もあり打撃力は他球団と互角だった。この年の古葉は開幕から打撃が絶好調で、長嶋と首位打者を争ったが10月13日の大洋戦で島田源太郎が投じたシュートがアゴにあたり、残り試合を欠場。翌年以降の打撃に影響が出たが、堅実な守備や走塁でチームに貢献した。この年からユニフォームと帽子文字を変更、赤のラケットラインを廃止、胸文字を赤文字から紺色に変更した。また帽子文字も「H」に変更、その後縁取りを加えるなどのマイナーチェンジを経て1972年まで使用される[2]。
1963年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 中日 | 1.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 8.5 | 中日 | 10.0 | 中日 | 6.0 | 中日 | 4.0 | 中日 | 2.5 |
3位 | 広島 | 5.0 | 広島 | 7.5 | 国鉄 | 14.5 | 国鉄 | 17.0 | 阪神 | 18.0 | 阪神 | 16.5 | 阪神 | 14.5 |
4位 | 阪神 | 7.0 | 国鉄 | 8.0 | 阪神 | 15.5 | 大洋 | 20.5 | 大洋 | 21.0 | 大洋 | 19.0 | 国鉄 | 18.0 |
5位 | 国鉄 | 7.5 | 阪神 | 11.0 | 広島 | 16.5 | 阪神 | 20.5 | 国鉄 | 22.0 | 国鉄 | 19.5 | 大洋 | 24.0 |
6位 | 大洋 | 9.0 | 大洋 | 12.5 | 大洋 | 17.0 | 広島 | 22.0 | 広島 | 26.0 | 広島 | 25.0 | 広島 | 25.0 |
[1]
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