福島町 (広島市)

日本 > 広島県 > 広島市 > 西区 (広島市) > 福島町 (広島市)
福島町
西区役所
西区役所
日本
都道府県 広島県
市町村 広島市
西区
人口
(2018)[1]
 • 合計 2,298人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
733-0024
市外局番 082
ナンバープレート 広島

福島町(ふくしまちょう)は、広島市西区町名郵便番号は733-0024(広島西郵便局管区)。1丁目から2丁目まである。住居表示実施済み[2]

地理[編集]

太田川放水路の東岸に位置する。全体が平地である。北で小河内町、東で都町と西観音町、南東で観音本町、南で南観音町、西で川を挟んで己斐本町と接する。己斐本町との間の太田川放水路には己斐橋新己斐橋の2本の橋が架かっている。

歴史[編集]

1930年頃の広島市の地図。

町名由来[編集]

昔は川田村と称した[3]。沿川の地を拓いて耕田となしたことに起因する[3]。その後沿川地であるゆえに1871年に川添村と改称し、1906年中、もと国守福島正則の三男八助を祀った小を同村木村氏の庭内に発見し、村民これを追慕し福島を以って町名としようと願い求め、翌年3月23日ついに福島町となった[3]

近世[編集]

文化年中(1804年-1818年)の頃、川田村の穢多は513人、非人は376人であった[4]革田は昔から広島城下の東西両端に部落をなして住居し、東部落(尾長町岩鼻の西方付近)にある者を東革田と呼び、西部落(もと川田村、今の福島町)にある者を西革田と呼んだ[5][6]

1619年浅野氏入封のとき伍家平三郎に西革田頭を命じて切米12石3人扶持を給し、その子孫は代々革田の頭領を勤めた[6]。東西の革田は共に町廻り役の手先となって、犯罪者の探偵・捕縛に従事し、年頭・中元歳暮・五節句・祭礼・葬式等の吉凶・式祭に際し若干の施与を受け、服飾は享保11年の倹約令によって男は茶筅髷、女はなき島田髷を結ばしめた[6]。平常良民より侮辱嫌厭されていたので良民と革田との間は相互に疾視し、時々闘争紛擾が起きた[6]

近代[編集]

米騒動

米価高騰を原因とする民衆暴動が起こった(米騒動)。

十一日夜七時広島市福島町の、婦女子も交る三百余名の一団は町内の白米店七軒を襲うて米廉売の談判を為したり、郷津西警察署長部下を率ゐて出張、必死となりて説諭せし為十一時過ぎ解散せるも未だ不穏の形勢に在り、一方西練兵場に集まれる二百余名の一団あり、これ亦(また)警官の説諭によつて解散せり、市役所にては十二日午前九時より市内白米屋及び有力者を招集し、米価騰貴に対する善後策につき懇談したり — (広島発)(『万朝報1918年8月13日)
半鐘を乱打しつゝ米屋を襲ひ米俵を川中に投込み警官も手の付け様なし広島市福島町の一揆は十二日夕七時頃再び蜂起し、米商を襲ひ一升二十銭乃至二十五銭の安売を強要しつゝ、西本川に軒を列(つら)ぬる米穀大問屋を襲ひ同所にては一升二十銭の安売りを要求し、これに応ぜざりし米店は忽(たちま)ち襲撃を受け米俵数十俵を担ぎ出して前の大川に投り込むの騒ぎを演ず — (『大阪毎日新聞広島版』1918年8月13日)

これらの記事で、福島町民の暴虐ぶりが強調された。

交通[編集]

人口[編集]

1925年末の現住戸数・現住人口は789・3702[7]2018年6月末現在の1丁目の人口・世帯数は937・578、2丁目は1,361・809[1]

町名 人口 世帯数
福島町一丁目 937 578
福島町二丁目 1,361 809
2,298 1,387

行政[編集]

経済[編集]

産業[編集]

店・企業

地域[編集]

教育[編集]

健康[編集]

医療機関

施設[編集]

宗教
ビル、マンション、アパート等
1丁目
公共
  • 広島市福島ポンプ場
その他
  • 中森辰一事務所 - 政治後援会
  • 西広島朝鮮会館
  • 日本共産党広島市西地区委員会
  • 広島県地域人権運動連合会
  • 老人ホームくすの木苑

出身・ゆかりのある人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 人口,世帯数(町丁目別) 広島市 2018年8月8日閲覧。
  2. ^ 住居表示の実施区域と未実施区域 広島市 2018年8月8日閲覧。
  3. ^ a b c 『広島市史 第4巻』205頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月4日閲覧。
  4. ^ 『広島県水平運動史』149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月4日閲覧。
  5. ^ 『広島県水平運動史』156頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月2日閲覧。
  6. ^ a b c d 『広島市史 第2巻』468-482頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月4日閲覧。
  7. ^ 『広島市統計年表 大正14年(第21回)』31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月2日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『商工人名録 昭和8年』1-288頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月9日閲覧。
  9. ^ a b c d e 『全国工場通覧』682、686頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月22日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i 『日本紳士録 第44版』広島1 - 28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月16日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本紳士録 第28版』広島1 - 34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月13日閲覧。
  12. ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 広島県60 - 62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月1日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j k 『帝国信用録 第25版 昭和7年』広島1 - 44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月6日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h i j 『日本紳士録 第35版』広島1 - 28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
  15. ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』な39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月22日閲覧。
  16. ^ 会員名簿、中国税理士会公式サイト。

参考文献[編集]

  • 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
  • 広島市編『広島市史 第2巻』広島市、1922年-1925年。
  • 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 広島市編『広島市統計年表 大正14年(第21回)』広島市、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 中野繁一著『広島県水平運動史』広島県水平社連合会、1930年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 商工省大臣官房統計課編『全国工場通覧』日刊工業新聞社、1931年。
  • 帝国興信所『帝国信用録 第25版 昭和7年』帝国興信所、1932年。
  • 広島商工会議所編『商工人名録 昭和8年』広島商工会議所、1933年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。

関連項目[編集]