汝州

汝州(じょしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の河南省汝州市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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東魏により設置された北荊州を前身とする。562年保定2年)、北周により和州と改称された。

隋代

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584年開皇4年)、隋により和州伊川郡に伊州が設置された。605年大業元年)、伊州は汝州と改称された。広州が廃止されると、その管轄県が移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い、汝州は襄城郡と改称され、下部に8県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
和州 許州 広州 襄城郡
伊川郡 陽翟郡 魯陽郡 南陽郡 武山郡 順陽郡 承休県 梁県
陽翟県 魯山県
犨城県 郟城県
汝南県 汝源県
汝原県
梁県
陽翟県
黄台県
魯山県
河山県
南陽県 雉陽県
滍陽県
汝南県

唐代

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621年武徳4年)、により襄城郡は汝州と改められた。742年天宝元年)、汝州は臨汝郡と改称された。758年乾元元年)、臨汝郡は汝州の称にもどされた。汝州は河南道に属し、梁・臨汝・郟城・魯山・襄城竜興の7県を管轄した[2]

宋代

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北宋のとき、汝州は京西北路に属し、梁・魯山・襄城・葉・宝豊の5県を管轄した[3]

のとき、汝州は南京路に属し、梁・郟城・魯山・宝豊の4県と黄道・汝南の2鎮を管轄した[4]

元代

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のとき、汝州は南陽府に属し、梁・魯山・の3県を管轄した[5]

明代以降

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1476年成化12年)、により汝州は直隷州に昇格した。汝州直隷州は河南省に属し、魯山・郟・宝豊・伊陽の4県を管轄した[6]

のとき、汝州直隷州は河南省に属し、魯山・郟・宝豊・伊陽の4県を管轄した[7]

1912年中華民国により汝州直隷州は廃止され、臨汝県と改められた。

脚注

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  1. ^ 隋書』地理志中
  2. ^ 旧唐書』地理志一
  3. ^ 宋史』地理志一
  4. ^ 金史』地理志中
  5. ^ 元史』地理志二
  6. ^ 明史』地理志三
  7. ^ 清史稿』地理志九