香田勲男

香田 勲男
九州文化学園高等学校 硬式野球部監督
阪神一軍投手コーチ時代の2018年5月12日(マツダスタジアム)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県東彼杵郡東彼杵町
生年月日 (1965-05-29) 1965年5月29日(58歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト2位
初出場 1985年6月9日
最終出場 2001年10月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

香田 勲男(こうだ いさお、1965年5月29日 - )は、長崎県東彼杵郡東彼杵町[1]出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者、野球解説者野球評論家

現役時代には、読売ジャイアンツ(巨人)近鉄バファローズに在籍。2001年に大阪近鉄バファローズで現役を引退してからは、日本プロ野球(NPB)の3球団(巨人・近鉄・阪神タイガース)や韓国プロ野球(KBO)斗山ベアーズの投手コーチを経て、2022年1月4日から佐世保市の九州文化学園高等学校で硬式野球部の監督を務めている[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1982年佐世保工業高校の2年生エースとして第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。翌年の春夏まで3季連続で甲子園出場を果たし[1]、3回とも初戦を突破。1983年、3年生の春の第55回選抜高等学校野球大会ではベスト8に進出するなど、甲子園通算4勝を挙げた。また同年の夏にも甲子園出場を決めた長崎大会の決勝戦(五島高校戦)ではノーヒットノーランを達成。

巨人時代[編集]

1983年度ドラフトにて池山隆寛のクジを外した巨人から2位指名を受けて入団[1]

1985年、6月9日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場)で初登板を果たし、翌1986年にプロ初勝利を挙げる。しかし、その年のオフに右肩の手術を受けたため、翌1987年1月に支配下選手登録を抹消され、練習生扱いとなる[3]

しかし、当時近鉄からトレードで加入した有田修三が香田を見て「素晴らしい投手。絶対に一軍で使い続けるべき」とかなり高い評価していた。

1988年、プロ初先発を務めた6月14日の対ヤクルトスワローズ戦(神宮)でプロ初完封を挙げた[4]。この年は先発を中心に27試合に登板して4勝を挙げた。

1989年の日本シリーズではチームが3連敗で迎えた第4戦の先発が、日本シリーズ初登板となった。その前日は報道陣の前では顔色が真っ青であったというが[5]スローカーブなどの緩急を駆使して完封勝利を挙げた[6]。この香田の快投は大きくシリーズの流れを変えた[7]。両チーム3勝3敗となって迎えた第7戦にも香田は先発登板して勝利投手となり、岡崎郁や後に「トレード相手」となる阿波野秀幸と共にシリーズ優秀選手に選ばれた[8]。なお、第4戦は、過去に香田が受けた肩の手術を執刀したフランク・ジョーブと香田の婚約者も観戦していた[9]

1990年、自身初の規定投球回数到達を果たし、初の2桁勝利となる11勝を挙げ、巨人投手黄金期の先発陣の一角を担った。8月には月間MVPを受賞。

1991年は6勝に留まった。1992年は5年ぶりに勝利なしに終わった。1993年は2年ぶりに完投を記録するなど復調して8勝した。

1994年は4月30日の阪神戦で4年ぶりの完封勝利を記録するなど4月は2勝するが[10]、5月以降に1勝もできず日本シリーズでも第1戦での敗戦処理の登板のみにとどまり、シーズン終了後の11月7日に阿波野との交換トレードで近鉄バファローズへ移籍。香田自身は、成績が伸びなくなった経緯を、もともと先発ローテーションの「谷間」という意識だったが、ローテーションの柱の投手と並んだと勘違いしたためだと振り返っている[11]

近鉄時代[編集]

近鉄でも1995年は2勝、1996年は一軍わずか4試合の先発で未勝利[注 1]、と移籍後しばらくは目立った成績を残していなかったが、1997年に9勝を挙げるなど復調し、同年のオールスターゲームに監督推薦で出場した[12]。トレードから1996年までの時期について、香田自身は「転換期」だったと振り返っている[13]

1999年はリリーフに転向して55試合に登板。大塚晶文の故障や、開幕当初は抑えを務めたカルロス・バルデスが不安定だったのを受け、抑えを務めるなど5勝8セーブを記録し、最下位で苦闘したチームのリリーフの柱として活躍した。

2001年、近鉄の優勝に貢献し、日本シリーズにも登板したが、シーズン終了後の11月22日に現役引退を表明。

香田同様に巨人からトレードで近鉄へ移籍してきた、両チームで香田と同僚だったことのある選手に石毛博史らがいるが、香田の姿勢は、石毛らと異なり、トレードに出されたことに感謝しているという[11]

現役引退後[編集]

2002年から2年間は近鉄の一軍投手コーチ(ブルペン)を務めた。2003年10月10日に古巣・巨人の投手コーチに就任。2004年・2006年から2007年までは二軍、2005年2008年から2011年までは一軍(ブルペン)を担当し、内海哲也山口鉄也を育て上げた[14]。2011年11月1日に巨人を退団。

2012年フジテレビONEの『プロ野球ニュース』野球解説者、スポーツ報知野球評論家を務めた。11月6日に2013年シーズンより近鉄でコーチ、選手で9年間一緒だった石山一秀が二軍監督を務める韓国プロ野球斗山ベアーズの二軍投手コーチに就任[15]。石山の一軍監督に就任に伴い、2014年は斗山で一軍ブルペンコーチを務め、石山の解任に伴い、退団。

2014年11月6日に阪神タイガースの二軍投手コーチに就任[16][17]

2016年からは、一軍の投手コーチを務める[18]岩貞祐太は「去年(2015年)の秋季キャンプ時に香田さんと一緒に投球フォームを改造しうまく自分の体にフィットし、コントロールが良くなりました。」と述べ、岩貞は同年は10勝を挙げた[19]

2019年から再び二軍を担当したが、2020年限りで退団した。

2021年には、GAORAが制作するTigers-aiの阪神戦中継に解説者として出演していた。その一方で、「いつかは地元への恩を野球で返したい」との思いから、同年のシーズン終了後に(日本学生野球協会に加盟する高校・大学の硬式野球部を指導できる)学生野球資格の回復に向けた研修を受講[2]。2021年3月3日付で同協会から資格回復の適性を認定された[20]ところ、地元の佐世保市内にある九州文化学園高校から硬式野球部監督への就任を打診された。佐世保地区だけにとどまらず、長崎県内の中学校から有望な選手が県外の高校へ相次いで進学している状況に危機感を覚えていることもあって、同年12月23日付で監督へ就任[21]2022年1月に指導を始めてからは、藤田元司(巨人投手時代の監督)のような芯の通った指導者になることを目標に掲げながら、NPB球団のコーチ時代に培った指導法を投手の練習などに反映させている[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1985 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.00
1986 13 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 90 22.0 14 4 9 1 1 25 1 0 11 10 4.09 1.05
1988 27 11 2 1 0 4 3 1 -- .571 371 93.2 73 5 24 3 0 76 1 0 28 27 2.59 1.04
1989 19 12 2 2 1 7 3 0 -- .700 334 88.0 62 7 21 1 0 71 1 0 23 23 2.35 0.94
1990 23 19 4 1 0 11 5 0 -- .688 531 130.1 116 12 37 2 1 106 5 0 50 42 2.90 1.17
1991 27 13 3 0 0 6 5 0 -- .545 495 113.2 120 18 35 1 2 78 1 0 64 58 4.59 1.36
1992 13 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 134 26.1 40 6 15 0 0 27 0 0 27 26 8.89 2.09
1993 22 16 2 0 0 8 7 0 -- .533 411 100.0 87 7 30 0 5 59 3 0 42 39 3.51 1.17
1994 21 11 1 1 0 2 3 1 -- .400 314 70.2 79 7 32 0 3 40 0 0 41 35 4.46 1.57
1995 近鉄 20 12 1 0 0 2 5 0 -- .286 307 69.2 84 5 25 2 3 39 1 0 42 38 4.91 1.56
1996 4 4 0 0 0 0 3 0 -- .000 72 14.0 27 5 4 0 0 6 0 0 15 15 9.64 2.21
1997 18 18 0 0 0 9 4 0 -- .692 463 107.1 123 7 26 0 3 58 1 0 45 44 3.69 1.39
1998 23 14 0 0 0 4 5 0 -- .444 402 89.0 110 15 28 1 3 40 1 3 54 49 4.96 1.55
1999 55 0 0 0 0 5 4 8 -- .556 408 99.2 98 4 18 5 3 67 1 0 33 27 2.44 1.16
2000 28 0 0 0 0 6 2 0 -- .750 166 37.2 43 2 9 2 1 21 1 0 19 17 4.06 1.38
2001 36 0 0 0 0 2 3 1 -- .400 188 47.2 41 10 7 0 1 24 0 0 24 21 3.97 1.01
NPB:16年 350 133 15 5 1 67 54 11 -- .554 4690 1110.2 1118 114 320 18 26 738 17 3 518 471 3.82 1.29
  • 「-」は記録なし

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 48(1984年 - 1994年)
  • 12(1995年 - 2001年)
  • 70(2002年 - 2003年)
  • 89(2004年 - 2005年)
  • 72(2006年 - 2011年)
  • 87(2013年 - 2014年)
  • 90(2015年 - 2020年)

参考資料[編集]

  • 矢崎良一『元・巨人: ジャイアンツを去るということ』ザ・マサダ、1999年。ISBN 491597779X 

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同年のウエスタン・リーグでは投手三冠(勝率1位.854、防御率1位1.52、最多勝11勝)達成。

出典[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、214ページ
  2. ^ a b c 九州文化学園高野球部 新監督に元巨人・香田勲男氏」『スポーツニッポン』2022年6月21日。2022年6月21日閲覧
  3. ^ 読売新聞 1987年1月18日
  4. ^ 読売新聞 1988年6月15日 19頁
  5. ^ 日刊スポーツ 1989年10月25日 2頁
  6. ^ 読売新聞 1989年10月26日 18頁 -19頁
  7. ^ 89年日本シリーズの舞台裏を当時の投手コーチ中村稔氏が振り返る」『日刊ゲンダイDIGITAL』2015年4月8日。2024年3月31日閲覧
  8. ^ ベースボール・マガジン社『プロ野球70年史』ベースボール・マガジン社、2004年。ISBN 978-4583038087  572頁-573頁
  9. ^ スポーツニッポン 1989年10月26日 22頁
  10. ^ ベースボール・レコードブック1995
  11. ^ a b 矢崎『元・巨人』p.p.109 - 120
  12. ^ 三冠王、監督、GM時代の落合博満。知られざる「オレ流の素顔」を読む。(4/5)」『Number Web』2017年5月14日。2024年3月31日閲覧
  13. ^ 矢崎『元・巨人』p.p.129 - 138
  14. ^ 阪神香田2軍コーチが1軍チーフ格投手コーチへ昇格」『日刊スポーツ』2015年10月26日。2024年3月31日閲覧
  15. ^ <インタビュー>球春到来 韓国・斗山の香田勲男投手コーチ 聯合ニュース
  16. ^ 阪神、香田2軍投手コーチが就任会見」『日刊スポーツ』2014年11月6日。2024年3月31日閲覧
  17. ^ 2015年度 監督・コーチについて」『阪神タイガース公式サイト』2014年11月6日。2024年3月31日閲覧
  18. ^ 2016年度 監督及びコーチについて」『阪神タイガース公式サイト』2015年11月7日。2024年3月31日閲覧
  19. ^ 阪神・岩貞の安定感を作った新フォーム 「良い意味の勘違い」が余裕を生む」『スポーツナビ』2016年5月28日。2024年3月31日閲覧
  20. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者 日本学生野球協会
  21. ^ 九州文化学園高野球部 新監督に元巨人・香田勲男氏」『長崎新聞』2021年12月23日。2022年6月21日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]