1988年の野球

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1988年の野球(1988ねんのやきゅう)では、1988年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1988年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 中日ドラゴンズ 79 46 5 .632 優勝
2位 読売ジャイアンツ 68 59 3 .535 12.0
3位 広島東洋カープ 65 62 3 .512 15.0
4位 横浜大洋ホエールズ 59 67 4 .468 20.5
5位 ヤクルトスワローズ 58 69 3 .457 22.0
6位 阪神タイガース 51 77 2 .398 29.5
1988年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 73 51 6 .589 優勝
2位 近鉄バファローズ 74 52 4 .587 0.0
3位 日本ハムファイターズ 62 65 3 .488 12.5
4位 阪急ブレーブス 60 68 2 .469 15.0
5位 南海ホークス 58 71 1 .450 17.5
6位 ロッテオリオンズ 54 74 2 .422 21.0

日本シリーズ[編集]

1988年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月22日(土) 第1戦 西武ライオンズ 5 - 1 中日ドラゴンズ ナゴヤ球場
10月23日(日) 第2戦 西武ライオンズ 3 - 7 中日ドラゴンズ
10月24日(月) 移動日
10月25日(火) 第3戦 中日ドラゴンズ 3 - 4 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月26日(水) 第4戦 中日ドラゴンズ 0 - 4 西武ライオンズ
10月27日(木) 第5戦 中日ドラゴンズ 6 - 7 西武ライオンズ
優勝:西武ライオンズ(3年連続8回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 郭源治 中日   門田博光 南海  
最優秀新人 立浪和義 中日   森山良二 西武  
首位打者 正田耕三 広島 .340 高沢秀昭 ロッテ .327
本塁打王 C.ポンセ 大洋 33本 門田博光 南海 44本
打点王 C.ポンセ 大洋 103点 門田博光 南海 125点
盗塁王 屋鋪要 大洋 33個 西村徳文 ロッテ 55個
最高出塁率 落合博満 中日 .418 門田博光 南海 .429
最優秀防御率 大野豊 広島 1.70 河野博文 日本ハム 2.38
最多勝利 小野和幸 中日 18勝 渡辺久信 西武 15勝
伊東昭光 ヤクルト 西崎幸広 日本ハム
松浦宏明
最多奪三振 槙原寛己 巨人 187個 小川博 ロッテ 204個
最高勝率 小野和幸 中日 .818 郭泰源 西武 .813
最優秀救援投手 郭源治 中日 44SP 吉井理人 近鉄 34SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 小野和幸 中日 西崎幸広 日本ハム
捕手 達川光男 広島 伊東勤 西武
一塁手 落合博満 中日 清原和博 西武
二塁手 正田耕三 広島 福良淳一 阪急
三塁手 原辰徳 巨人 松永浩美 阪急
遊撃手 池山隆寛 ヤクルト 田中幸雄 日本ハム
外野手 C.ポンセ 大洋 秋山幸二 西武
J.パチョレック 大洋 高沢秀昭 ロッテ
広沢克己 ヤクルト 平野謙 西武
指名打者   門田博光 南海

ゴールデングラブ賞[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 球団 選手 球団 選手
投手 巨人 桑田真澄 日本ハム 西崎幸広
捕手 広島 達川光男 西武 伊東勤
一塁手 巨人 中畑清 西武 清原和博
二塁手 広島 正田耕三 西武 辻発彦
三塁手 巨人 原辰徳 西武 石毛宏典
遊撃手 中日 立浪和義 日本ハム 田中幸雄
外野手 大洋 屋敷要 西武 秋山幸二
広島 山崎隆造 西武 平野謙
中日 彦野利勝 ロッテ 高沢秀昭

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

  • 5月14日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対巨人7回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成成[21]
  • 5月17日 - 西武の金森永時と阪神の北村照文のトレードが成立したと西武、阪神が発表[22]
  • 5月19日 - ヤクルトの尾花高夫がナゴヤ球場での対中日7回戦の1回裏に彦野利勝から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[23]
  • 5月24日 - 阪神の掛布雅之が対神宮球場でのヤクルト5回戦の2回表に2点適時打を放ち、プロ通算1000打点を達成[24]
  • 5月26日 - 阪神の岡田彰布が神宮球場での対ヤクルト7回戦の延長10回表に中前安打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[25]
  • 5月30日 - 近鉄の久保康生と阪神の中谷忠己のトレードが成立したと近鉄、阪神両球団が発表[26]
  • 5月31日 - 近鉄の淡口憲治が平和台球場での対ロッテ7回戦の九回表に右前安打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[27]

6月[編集]

  • 6月7日
    • 厚生省近畿地区麻薬取締官事務所神戸分室は午前、近鉄のリチャード・デービス大麻取締法違反で現行犯逮捕[28]
    • 大洋の斉藤明夫がナゴヤ球場での対中日8回戦に登板し、プロ通算500試合登板を達成[29]
    • 西武の石毛宏典が西武球場での対南海7回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[30]
  • 6月10日 - 阪神は定例株主総会・取締役会を開き、球団社長兼球団代表の岡崎義人が退任し、後任の球団社長に阪神電鉄本社副社長の見掛道夫、球団代表に球団本部長の古谷真吾、新球団本部長に阪神電鉄本社関連事業室次長の高田順弘が就任することを決定[31]
  • 6月12日
    • 南海の門田博光が新潟球場で対近鉄9回戦の2回裏に16号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[32]
    • 阪神の佐野仙好が甲子園球場での対巨人9回戦の9回裏に代打として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[33]
  • 6月14日 - 巨人の呂明賜が神宮球場での対ヤクルト10回戦に6番・右翼手として一軍初出場。1回表にボブ・ギブソンから初打席初本塁打[34]
  • 6月15日 - 近鉄の淡口憲治が対阪急10回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[35]
  • 6月18日
    • ヤクルトのダグ・デシンセイが平和台球場での対広島9回戦の9回裏に13号2点本塁打を打ち、プロ野球史上初の2試合連続逆転サヨナラ本塁打を記録[36]
    • 阪急の藤田浩雅が対南海13回戦、6-7とリードされた9回裏無死満塁で代打で起用され、プロ野球史上5人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打となる5号を打つ[37]
    • 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対大洋13回戦の7回裏に適時打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[38]
  • 6月22日 - 中日は広島球場での対広島13回戦で落合博満が8回表に15号本塁打を放ち、球団創設以来5000本塁打を記録[39]
  • 6月23日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースは監督のビリー・マーチンを解任、後任の新監督はルー・ピネラ[40]
  • 6月27日
    • 阪神は午後7時にアメリカ・サンフランシスコに滞在中のランディ・バースに対し契約解除を通告。午後9時に西宮市の球団事務所にて記者会見しバースとの契約解除を正式に発表。バースは5月14日に長男の病気を理由に帰国、「最大5週間以内に日本に戻る」と約束したが、今だ再来日の目途が立たないとして契約解除に踏み切った[41]
    • コミッショナーの竹内寿平が東京・銀座の日本野球機構会議室で行われたプロ野球実行委員会にて、健康に自信が持てず重責に耐えられないとして辞任を申し出、了承される[42]
  • 6月28日
    • 日本ハムの大島康徳が東京ドームでの対近鉄11回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[43]
    • 広島は定岡徹久を日本ハムへ金銭トレードすると発表[44]
  • 6月29日 - 近鉄は中日から金銭トレードで獲得したラルフ・ブライアントの入団を発表[45]
  • 6月30日 - 巨人の簑田浩二が甲子園球場での対阪神12回戦の2回表に5号満塁本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[46]

7月[編集]

  • 7月1日 - 大洋が平塚球場での対中日10回戦で日本プロ野球タイ記録の1試合6犠打[47]
  • 7月3日 - 大洋の斉藤明夫横浜スタジアムでの対中日12回戦で2勝目を挙げ、プロ通算100勝、江夏豊、山本和行に続く3人目の100勝・100セーブ達成[48]
  • 7月6日 - 札幌円山球場での巨人対中日16回戦の8回表、巨人の左翼手の吉村禎章が中日の中尾孝義の右中間への飛球を追って中堅手の栄村忠広と交錯し靱帯断裂の大けが[49][50]
  • 7月10日 - 阪急は秋田での対ロッテ11回戦で伊藤敦規がセーブを挙げ、公式戦65試合目で今季初のセーブ。これまでの開幕からセーブなしの記録は1977年の近鉄の39試合だった[51]
  • 7月13日
    • 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト15回戦の4回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[52]
    • 近鉄の新井宏昌が大阪球場での対南海14回戦の3回表に無死2塁から送りバントを成功させ、プロ野球6人目の通算200犠打を達成[53]
  • 7月15日 - 西武の東尾修が東京ドームでの対日本ハム14回戦に8回裏に3番手として登板し、プロ通算4000投球回を達成[54]
  • 7月17日 - 西武の石毛宏典が東京ドームで対日本ハム15回戦の8回表に7号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[55]
  • 7月18日 - 大洋の新浦壽夫が対横浜スタジアムでの巨人16回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[56]
  • 7月26日 - オールスターゲーム第3戦が東京ドームで行われ、延長12回裏、セ・リーグは野手を使い果たし、打席に中山裕章の場面で投手の水野雄仁を代打に送り、牛島和彦から投手ではオールスター史上初のサヨナラ打(センターへの犠牲フライ)を打ち、セが4-3で勝利。水野は優秀選手賞を獲得[57]
  • 7月31日 - 西武の秋山幸二が西宮球場での対阪急19回戦で22号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[58]

8月[編集]

9月[編集]

  • 9月4日 - 西武の東尾修が西武球場での対南海18回戦で勝利投手となり、プロ通算250勝を達成[65]
  • 9月6日 - 大洋の木田勇が広島球場での対広島戦20回戦の5回裏一死から山崎隆造高橋慶彦小早川毅彦長内孝長嶋清幸に5者連続与四球のプロ野球新記録[66]
  • 9月11日 - 南海のトニー・バナザードが東京ドームでの対日本ハム23回戦の1回表第1打席で安打を放ち、1968年にアルト・ロペスが記録した外国人選手の連続試合安打に並ぶ26試合連続試合安打を達成[67]
  • 9月12日 - ジュニア日本選手権が西京極球場で行われ、巨人が中日に5-2で勝利し、2年連続で優勝[68]
  • 9月14日
    • 南海のオーナーの吉村茂夫が午後1時から大阪市難波のホリディイン南海にて記者会見し、「ダイエーに球団の株式を全面譲渡する」と発表[69]
    • 阪神の掛布雅之が大阪市北区のホテル阪神にて記者会見し、現役引退を正式に発表[70]
    • ヤクルトの若松勉が神宮球場での対阪神20回戦の6回裏に代打として出場し、プロ通算2000試合出場を達成[71]
  • 9月16日 - 広島の大野豊が甲子園球場での対阪神22回戦で3回裏岡田彰布から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[72]
  • 9月17日
    • 阪急の福本豊が大阪球場での対南海23回戦の3回表に二塁打を放ち、山内一弘が持つプロ野球通算最多二塁打の記録を更新する通算449二塁打[73]
    • 阪神の山本和行が甲子園球場での対広島23回戦に先発し、プロ通算700試合登板を達成[74]
  • 9月21日 - 南海ホークスオーナーの吉村茂夫ダイエー社長の中内㓛が午後4時から大阪市南区のホリディイン南海にて会談し、球団譲渡について合意。フランチャイズを福岡県に置くと正式に表明[75]
  • 9月23日 - 日本ハムの大島康徳が東京ドームでの対ロッテ24回戦の4回裏に13号本塁打を放ち、プロ通算1000打点を達成[76]
  • 9月29日 - 巨人は午後2時過ぎから東京・紀尾井町のホテル・ニューオータニにて記者会見を行い、監督の王貞治が辞任し、後任に野球評論家でOB藤田元司が就任したと発表[77]

10月[編集]

  • 10月1日 - プロ野球実行委員会、オーナー会議が大阪市北区の大阪ロイヤルホテルにて正午から開かれ、南海ホークスのダイエーへの譲渡を承認[78]
  • 10月2日
    • 大洋の野村弘樹が横浜スタジアムでの対広島24回戦に先発し、1946年のセネターズの白木義一郎以来プロ野球2人目の初登板・無四球完封勝利を記録[79]
    • 中日の落合博満がナゴヤ球場での対阪神23回戦の3回裏に30号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[80]
    • ヤクルトの杉浦亨が東京ドームでの対巨人26回戦の5回表に17号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[81]
    • 巨人の原辰徳が東京ドームでの対ヤクルト26回戦に出場し、プロ通算1000試合出場[82]
  • 10月4日 - 阪神の和田豊が広島球場での対広島25回戦の1回表に送りバントを決めてシーズン52個目の犠打とり、シーズン最多犠打の記録を更新[83]
  • 10月6日 - 中日の郭源治がナゴヤ球場での対ヤクルト24回戦にリリーフ登板して35セーブ目を挙げ、1シーズン最多セーブのプロ野球記録を更新[84]
  • 10月7日 - 中日対ヤクルトの第25回戦がナゴヤ球場で行われ、中日がヤクルトに11-3で勝利し、セ・リーグ優勝が決定[85]
  • 10月10日 - 阪神の掛布雅之の引退試合が阪神甲子園球場のダブルヘッダー第2試合の大洋26回戦で行われ、掛布は4打数0安打、最終打席は四球[86]
  • 10月11日 - 西武の行沢久隆が大阪球場での対南海25回戦の七回裏から三塁の守備につき、プロ通算1000試合出場を達成[87]
  • 10月16日 - 西武は西武球場での対阪急26回戦に2-1で勝ち、全日程を終了。パ・リーグの優勝は近鉄の残り4試合の結果次第となる[88]
  • 10月18日 - 広島の高橋慶彦が神宮球場での対ヤクルト25回戦の5回表に二盗、本盗を決め、プロ通算450盗塁を達成[89]
  • 10月19日
    • 川崎球場でロッテ対近鉄のダブルヘッダー25、26回戦が行われ、近鉄が第2試合の対ロッテ26回戦に延長10回4-4の時間切れとなったため、西武が勝率で近鉄を上回り、西武の4年連続リーグ優勝が決まる(詳細は10.19参照)[90]
    • 阪急は阪急電鉄社長の小林公平とオリエント・リース社長の宮内義彦が大阪市内のホテル新阪急にて記者会見し、球団を阪急電鉄からオリエント・リースに譲渡することで基本合意したと発表[91]
  • 10月21日
    • 広島は広島市内のホテルにて記者会見し、球団OBで野球評論家の山本浩二が新監督に就任したと正式に発表[92]
    • セ・リーグは公式戦全日程が終了[93]
  • 10月23日
    • 阪急の松永浩美が西宮球場での対ロッテ25,26回戦の2試合で全打席四球となり、11打席連続四球のプロ野球新記録[94]
    • パ・リーグシーズン公式戦全日程が終了[95]
  • 10月24日 - 沢村栄治賞の選考がパレスホテルにて行われ、広島の大野豊を選出。これまでセ・リーグを対象とした選考をパ・リーグにも広げる意見が出され全会一致で同意[96]
  • 10月27日 - 日本シリーズの第5戦が西武球場で行われ、西武が中日に延長11回裏伊東勤のサヨナラ適時打で7-6で勝利し、4勝1敗で3年連続日本一を達成[97]
  • 10月28日 - 巨人は東京・パレスホテルにて記者会見し来季一軍コーチングスタッフを発表。ヘッドコーチに近藤昭仁が就任[98]。新監督の藤田元司は球団と正式に契約を交わし、3年契約を結ぶ[99]
  • 10月29日 - 1988年度のセ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最優秀選手にパ・リーグは南海の門田博光、セ・リーグは中日の郭源治、最優秀新人にパ・リーグは西武の森山良二、セ・リーグは中日の立浪和義を選出[100]
  • 10月31日 - 近鉄の梨田昌孝が記者会見し、今季限りでの現役引退を正式に表明[101]

11月[編集]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

その他[編集]

テレビゲーム

出典[編集]

  1. ^ 読売新聞1988年3月17日夕刊18面「"屋根付き"早くも威力 東京ドーム 雨の完工式」読売新聞縮刷版1988年3月p828
  2. ^ 読売新聞1988年3月18日夕刊19面「東京ドームプレイボール 雨の初日、さっそく"威力"」読売新聞縮刷版1988年3月p885
  3. ^ 読売新聞1988年3月19日16面「江川さん万感 最後の一球」読売新聞縮刷版1988年3月p902
  4. ^ 読売新聞1988年3月24日19面「西川快投102球 2人目ノーヒットノーラン 小山(阪神)以来34年ぶり」読売新聞縮刷版1988年3月p1105
  5. ^ 読売新聞1988年3月28日18面「"鉄人"衣笠 さわやかにお別れ」読売新聞縮刷版1988年3月p1320
  6. ^ 読売新聞1988年4月3日19面「西武 郭が『無安打無得点』」読売新聞縮刷版1988年4月p111
  7. ^ 毎日新聞1988年4月6日1面「宇和島東 14校目 初陣V センバツ 6-0で東邦下す」毎日新聞縮刷版1988年4月p189
  8. ^ 毎日新聞1988年4月7日23面「華麗なグラブさばき14年 山下が引退 古葉構想からはずれ」毎日新聞縮刷版1988年4月p247
  9. ^ 【4月6日】1988年(昭63) 真相は?山下大輔 開幕2日前に電撃引退”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2012年4月6日). 2015年12月25日閲覧。
  10. ^ 毎日新聞1988年4月9日23面「熱球の季節 プレイボール 5試合に17万6千人」毎日新聞縮刷版1988年4月p343
  11. ^ 毎日新聞1988年4月9日22面「福本、20年目の2500本安打 史上5人目」毎日新聞縮刷版1988年4月p342
  12. ^ 毎日新聞1988年4月11日19面「通算1500本安打」毎日新聞縮刷版1988年4月p405
  13. ^ 毎日新聞1988年4月14日23面「1500試合出場」毎日新聞縮刷版1988年4月p525
  14. ^ 毎日新聞1988年4月19日19面「中日に新外国人『当面はファーム』」毎日新聞縮刷版1988年4月p711
  15. ^ 毎日新聞1988年4月21日22面「古溝さまさま!チーム2勝目も」毎日新聞縮刷版1988年4月p588
  16. ^ 毎日新聞1988年4月23日夕刊1面「川勝伝・南海電鉄会長死去」毎日新聞縮刷版1988年4月p885
  17. ^ 【4月23日】1988年(昭63) 名物オーナー死去「オレの目の黒いうちはホークスは売らん」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年4月13日). 2015年12月25日閲覧。
  18. ^ 読売新聞1988年4月24日19面「阪神・真弓が1500安打」読売新聞縮刷版1988年4月p1293
  19. ^ 読売新聞1988年4月28日19面「広島・高橋慶彦内野手が通算1500安打」読売新聞縮刷版1988年4月p1108読売新聞縮刷版1988年4月p111
  20. ^ 読売新聞1988年5月1日16面「阪急サヨナラ 佐藤が100勝目」読売新聞縮刷版1988年5月p16
  21. ^ 毎日新聞1988年5月15日22面「落合が千試合出場」毎日新聞縮刷版1988年5月p466
  22. ^ 読売新聞1988年5月15日19面「西武・金森ー阪神・北村がトレード」読売新聞縮刷版1988年5月p565
  23. ^ 読売新聞1988年5月20日19面「尾花『次は100勝だ』」読売新聞縮刷版1988年5月p811
  24. ^ 読売新聞1988年5月25日18面「阪神・掛布が1000打点をマーク」読売新聞縮刷版1988年5月p1056
  25. ^ 読売新聞1988年5月27日18面「阪神・岡田が千本安打」読売新聞縮刷版1988年5月p1156
  26. ^ 読売新聞1988年5月31日19面「近鉄・久保、阪神へ」読売新聞縮刷版1988年5月p1341
  27. ^ 読売新聞1988年6月1日19面「近鉄・淡口憲治外野手(三六)が通算1000本安打」読売新聞縮刷版1988年6月p19
  28. ^ 読売新聞1988年6月7日夕刊15面「自宅に大麻隠し持つ デービス(近鉄)逮捕」読売新聞縮刷版1988年5月p337
  29. ^ 毎日新聞1988年6月8日19面「斎藤500試合登板」毎日新聞縮刷版1988年6月p295
  30. ^ 毎日新聞1988年6月8日19面「石毛、通算1000安打」毎日新聞縮刷版1988年6月p295
  31. ^ 読売新聞1988年6月10日19面「阪神球団社長に見掛氏が就任」読売新聞縮刷版1988年6月p503
  32. ^ 読売新聞1988年6月20日夕刊18面「門田450号 南海大量16点 西川完投3勝」読売新聞縮刷版1988年6月p576
  33. ^ 読売新聞1988年6月13日17面「阪神・佐野仙好選手(36)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1988年5月p811
  34. ^ 【6月14日】1988年(昭63) “アジアの大砲”、はじまりはいつもホームラン”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年6月11日). 2015年12月25日閲覧。
  35. ^ 読売新聞1988年6月16日19面「近鉄・淡口憲治外野手(36)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1988年6月p703
  36. ^ 毎日新聞1988年6月19日23面「2連続逆転弾 史上初 デシンセイ」毎日新聞縮刷版1988年4月p693
  37. ^ 読売新聞1988年6月19日18面「藤田は史上5人目の1発 代打逆転満塁サヨナラ」読売新聞縮刷版1988年6月p846
  38. ^ 読売新聞1988年6月19日19面「阪神・掛布雅之内野手(33)が3000塁打」読売新聞縮刷版1988年6月p847
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外部リンク[編集]