1991年の野球

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1991年の野球(1991ねんのやきゅう)では、1991年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1991年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 広島東洋カープ 74 56 2 .569 優勝
2位 中日ドラゴンズ 71 59 1 .546 3.0
3位 ヤクルトスワローズ 67 63 2 .515 7.0
4位 読売ジャイアンツ 66 64 0 .508 8.0
5位 横浜大洋ホエールズ 64 66 1 .492 10.0
6位 阪神タイガース 48 82 0 .369 26.0
1991年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 81 43 6 .653 優勝
2位 近鉄バファローズ 77 48 5 .616 4.5
3位 オリックス・ブルーウェーブ 64 63 3 .504 18.5
4位 日本ハムファイターズ 53 72 5 .424 28.5
5位 福岡ダイエーホークス 53 73 4 .421 29.0
6位 ロッテオリオンズ 48 77 5 .384 33.5

日本シリーズ[編集]

1991年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月19日(土) 第1戦 広島東洋カープ 3 - 11 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月20日(日) 第2戦 広島東洋カープ 4 - 2 西武ライオンズ
10月21日(月) 移動日
10月22日(火) 第3戦 西武ライオンズ 1 - 0 広島東洋カープ 広島市民球場
10月23日(水) 第4戦 西武ライオンズ 3 - 7 広島東洋カープ
10月24日(木) 第5戦 西武ライオンズ 0 - 3 広島東洋カープ
10月25日(金) 移動日
10月26日(土) 第6戦 広島東洋カープ 1 - 6 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月27日(日) 第7戦 雨天中止
10月28日(月) 広島東洋カープ 1 - 7 西武ライオンズ
優勝:西武ライオンズ(2年連続10回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 佐々岡真司 広島   郭泰源 西武  
最優秀新人 森田幸一 中日   長谷川滋利 オリックス  
首位打者 古田敦也 ヤクルト .340 平井光親 ロッテ .314
本塁打王 落合博満 中日 37本 O.デストラーデ 西武 39本
打点王 広沢克己 ヤクルト 99点 O.デストラーデ 西武 92点
J.トレーバー 近鉄
最多安打 野村謙二郎 広島 170本 佐々木誠 ダイエー 158本
盗塁王 野村謙二郎 広島 31個 大野久 ダイエー 42個
最高出塁率 落合博満 中日 .473 白井一幸 日本ハム .428
最優秀防御率 佐々岡真司 広島 2.44 渡辺智男 西武 2.35
最多勝利 佐々岡真司 広島 17勝 野茂英雄 近鉄 17勝
最多奪三振 川口和久 広島 230個 野茂英雄 近鉄 287個
最高勝率 北別府学 広島 .733 工藤公康 西武 .842
最優秀救援投手 大野豊 広島 32SP 武田一浩 日本ハム 22SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 佐々岡真司 広島 郭泰源 西武
捕手 古田敦也 ヤクルト 伊東勤 西武
一塁手 落合博満 中日 J.トレーバー 近鉄
二塁手 高木豊 大洋 辻発彦 西武
三塁手 山崎隆造 広島 松永浩美 オリックス
遊撃手 野村謙二郎 広島 小川博文 オリックス
外野手 R・J・レイノルズ 大洋 秋山幸二 西武
広沢克己 ヤクルト 佐々木誠 ダイエー
原辰徳 巨人 平井光親 ロッテ
指名打者   O.デストラーデ 西武

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

  • 3月8日 - 日本人選手初の年俸調停となっていた中日の落合博満について、調停委員会は球団提示の2億2千万(落合は当初3億を要求、その後2億7千万に)の結論を出した[8]
  • 3月27日 - ヤクルトの球団オーナーに桑原潤が就任。

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

  • 6月1日 - 日本ハムの大島康徳が水戸での対近鉄4回戦の一回裏に安打を打ち、プロ通算3500塁打を達成[40]
  • 6月5日 - 阪神はナゴヤ球場での対中日11回戦に0-2で敗れ、球団通算3000敗を記録[41]
  • 6月6日
    • 広島の大野豊が横浜スタジアムでの対大洋9回戦で今季10セーブ目を挙げ、プロ野球タイ記録の10連続セーブ[42]
    • 岡田豊審判員が西武球場での西武対近鉄11回戦で左翼線審を務め、パ・リーグ史上初の通算3000試合出場を達成[43]
  • 6月7日 - ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム9回戦の一回裏に8号2点本塁打を打ち、プロ通算550本塁打を達成[44]
  • 6月8日 - 広島の大野豊が盛岡での対ヤクルト7回戦で今季11セーブ目を挙げ、連続11セーブのプロ野球新記録[45]
  • 6月13日 - 阪神はグリーンスタジアム神戸での対ヤクルト10回戦に2-5で敗れ球団タイ記録の9連敗となる[46]
  • 6月14日 - 阪神は神宮球場での対ヤクルト11回戦に5-19で敗れ、球団新記録の10連敗。これまで12球団で唯一2桁連敗がなかった[47]
  • 6月15日 - 阪神は甲子園球場での対中日13回戦に13-4で勝利し、連敗を10で止める[48]
  • 6月16日
    • 広島の川口和久が広島市民球場での対巨人14回戦で今季4勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[49]
    • ヤクルトの角富士夫が横浜スタジアムでの対大洋13回戦の9回表に犠打を決め、プロ通算200犠打を達成。史上10人目[50]
  • 6月18日
    • 中日の彦野利勝がナゴヤ球場での対大洋11回戦の九回裏に3号サヨナラ本塁打を放つが、一塁を回ったところで右膝を押さえて倒れ、代走の山口幸司がホームイン[51]
    • 西武の秋山幸二が山形での対オリックス13回戦を欠場し、1985年から続いていた連続試合出場が833で止まる[52]
  • 6月19日 - 近鉄の石本貴昭の中日への金銭トレードが成立したと近鉄、中日両球団が発表[53]
  • 6月22日 - ヤクルトは札幌市円山球場での対阪神12回戦に8-2で勝利し、球団史上初の10連勝を記録[54]
  • 6月25日 - 近鉄の鈴木貴久が平和台球場での対ダイエー10回戦の6回表に8号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上165人目[55]
  • 6月26日
    • ヤクルトは東京ドームでの対巨人13回戦に5-6でサヨナラ負けし、連勝が12で止まる[56]
    • 西武球場での西武対日本ハム12回戦で西武の秋山幸二が一回裏に18号本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成[57]。また、西武の伊東勤がこの試合に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上294人目[58]
  • 6月28日
    • 川崎球場でのロッテ対西武9回戦で西武は一回表から五回表までの5イニング連続本塁打のパリーグ新記録[59]
    • オリックスの藤井康雄が藤井寺球場での対近鉄12回戦の九回表に11号3点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[60]
  • 6月30日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対巨人10回戦で香田勲男からプロ通算3000塁打を達成[61]

7月[編集]

  • 7月9日 - 近鉄の球団社長の前田泰男オジー・カンセコが退団すると明らかにした[62]
  • 7月10日 - 巨人の篠塚利夫が札幌市円山球場での対広島16回戦の九回裏に安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[63]
  • 7月14日 - 中日の宇野勝が東京ドームでの対巨人13回戦の二回表に桑田真澄から三振を喫し、日本人選手としてプロ野球新記録の23試合連続三振[64]
  • 7月18日 - オリックスの石嶺和彦が北九州市民球場での対ダイエー12回戦に4番・指名打者として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[65]
  • 7月19日 - 中日の中村武志がナゴヤ球場での対巨人14回戦で、八回裏一死満塁の場面で代打で登場し12号満塁本塁打、十回裏に13号サヨナラ本塁打を放ち、史上5人目の一試合で満塁本塁打、サヨナラ本塁打の両方を打った選手となる[66]。試合後、巨人ファン約30名が巨人ナインの乗せたバスを取り囲み立ち往生する騒ぎが起きる[67]
  • 7月31日 - プロ野球のオーナー会議が都内のホテルで開かれ、ロッテの球団社長代行の重光昭夫は来季より本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムへ移転することを表明[68]

8月[編集]

  • 8月1日 - 第62回都市対抗野球大会決勝戦(東芝三菱重工長崎)で、東芝の丹波健二が1大会9本塁打の都市対抗野球個人大会最多本塁打記録を達成。
  • 8月2日 - ダイエーの水上善雄が西武球場での対西武15回戦に8番・遊撃で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[69]
  • 8月4日 - 大洋のロバート・レイノルズが横浜スタジアムでの対ヤクルト19回戦の一回裏の第一打席で安打、三回裏の第2打席で8号2点本塁打を打ち、日本プロ野球新記録となる11打数連続安打を達成[70]
  • 8月7日 - ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム19回戦の五回裏に安打を打ち、プロ通算2500安打を達成[71]
  • 8月12日 - 広島の大野豊が広島市民球場での対阪神14回戦の九回表から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[72]
  • 8月19日 - 中日の郭源治が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球通算1500投球回[73]
  • 8月21日 - 第73回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、大阪代表の大阪桐蔭高校が沖縄代表の沖縄水産を13-8で破り初優勝。
  • 8月22日 - 中日はナゴヤ球場での対ヤクルト21回戦で、セ・リーグタイ記録の1試合5併殺打[74]
  • 8月25日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対大洋23回戦の七回無死一塁で犠打を決め今季58個目となり、自身が1990年に記録した年間最多犠打58と並ぶ[75]
  • 8月27日 - 広島は広島市民球場での対大洋22回戦でセ・リーグタイ記録の1試合5盗塁刺殺[76]
  • 8月30日 - 中日の落合博満が広島市民球場での対広島15回戦の六回表に24号本塁打を打ち、プロ通算400本塁打を達成[77]

9月[編集]

  • 9月1日 - 巨人の川相昌弘が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に無死一塁から犠打を決め、自身が1990年に記録した年間最多犠打58を更新する今季59個目の犠打[78]
  • 9月4日 - プロ野球実行委員会が名古屋市内のホテルで開かれ、ロッテの千葉への本拠地移転を正式に承認[79]
  • 9月5日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対大洋23回戦の七回裏に盛田幸妃から四球を選び、プロ通算1000四死球を達成[80]
  • 9月6日 - オリックスのブーマー・ウェルズがグリーンスタジアム神戸での対ダイエー19回戦に出場し、1000試合出場を達成[81]
  • 9月7日 - 広島の川口和久が東京ドームでの対巨人23回戦の四回表に岡崎郁から三振奪い、プロ通算1000奪三振を達成[82]
  • 9月20日 - ジュニア日本選手権巨人広島戦が平塚球場で行われ、7回裏巨人の攻撃中に降雨のため試合が中断し、5-5の引き分けに終わり再試合となる[83]
  • 9月21日 - ジュニア日本選手権の再試合が平塚球場で行われ、巨人が広島に8-7でサヨナラ勝ちし、2年連続5度目の優勝達成[84]
  • 9月23日 - 中日の球団社長の中山了は、監督の星野仙一が今季限りで辞任を申し出ていることを明らかにする[85]
  • 9月26日 - 阪神の真弓明信が甲子園球場での対ヤクルト26回戦で二回裏に17号本塁打、四回裏に二塁打、六回裏に適時二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[86]
  • 9月27日 - ダイエーは今井雄太郎広橋公寿が今季限りでの現役引退すると発表[87]
  • 9月28日
    • ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム25回戦で2三振を喫し、これでプロ通算1479三振となり、野村克也の通算1478三振を抜いて、プロ野球史上2位の三振数となる[88]
    • 大洋の屋鋪要が東京ドームでの対巨人25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[89]
  • 9月29日 - ロッテの西村徳文が川崎球場での対近鉄25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[90]

10月[編集]

  • 10月1日 - 日本ハムの監督の近藤貞雄が本拠地・東京ドームでの最終戦となる対近鉄24回戦の試合終了後に記者会見し、今季限りで監督を退任すると表明[91]
  • 10月2日 - 西武の渡辺久信が西武球場での対ロッテ24回戦の三回表に佐藤兼伊知から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を記録[92]
  • 10月3日 - 西武球場で西武対日本ハム26回戦で西武が13-1と勝利し、2年連続のパ・リーグ優勝が決定[93]
  • 10月4日 - 阪神は田尾安志が今季限りで現役引退すると発表[94]
  • 10月8日
    • 阪神の高橋慶彦が横浜スタジアムでの対大洋24回戦の六回表に得点してプロ通算1000得点を達成[95]
    • ダイエーは島田誠が今季限りで現役引退すると発表[96]。また、有田修三バッテリーコーチの退団を発表[97]
    • オリックスがブーマー・ウェルズと来季の契約を結ばないことを発表[98]
  • 10月9日 - 巨人は一軍ヘッドコーチの近藤昭仁の退団を発表[99]
  • 10月10日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神ダブルヘッダー第二試合の26回戦は大洋の田代富雄の引退試合となり、田代は現役最後の打席となった三回裏の第二打席で1号満塁本塁打を打つ[100]
  • 10月12日 - ヤクルトは尾花高夫が今季限りで現役引退すると発表[101]
  • 10月13日
    • 広島対阪神のダブルヘッダーが広島市民球場で行われ、第二試合の25回戦で広島が阪神に2-1で勝ち、5年ぶり6度目のセ・リーグ優勝[102]
    • 中日の落合博満が神宮球場での対ヤクルト26回戦で1試合6四球のプロ野球新記録[103]
  • 10月14日 - 大洋は打撃コーチの大杉勝男が退団したと発表[104]
  • 10月15日 - 中日の宇野勝がナゴヤ球場での対広島26回戦の二回裏に川島堅から適時打を打ち、プロ野球通算1500安打を達成[105]
  • 10月16日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[106]
  • 10月17日 - パ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[107]
  • 10月18日 - 中日は球団OBで野球評論家の高木守道が来季より監督に就任すると正式に発表[108]
  • 10月21日 - 沢村賞の選考が東京都内のホテルで行われ、広島の佐々岡真司を選出[109]
  • 10月27日 - 【MLB】ワールドシリーズはミネソタ・ツインズアトランタ・ブレーブスに4勝3敗で優勝達成。
  • 10月28日 - 日本シリーズ第7戦が西武球場で行われ、西武が広島に7-1で勝利し、4勝3敗で2年連続の優勝達成[110]
  • 10月29日 - 正力松太郎賞の選考委員会が開かれ、西武の秋山幸二を選出[111]
  • 10月30日 - プロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、新人王、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最優秀選手はセは広島の佐々岡真司、パは西武の郭泰源を、最優秀新人にセは中日の森田幸一、パはオリックスの長谷川滋利を選出[112]
  • 10月31日

11月[編集]

  • 11月1日 - 日本ハムは都内のホテルで記者会見し、球団OBで野球評論家の土橋正幸が新監督に就任したと正式に発表[117]
  • 11月5日
    • ロッテの監督の金田正一が西新宿のロッテ本社にオーナーの重光武雄を訪ねてシーズン報告と、今季限りでの辞任を申し出る[118]
    • 西武は一軍投手コーチの小山正明が契約が切れる今季限りでの退団と、一軍打撃コーチの広野功の三軍監督就任を発表[119]
    • 広島の長内孝と大洋の銚子利夫、日本ハムの島田直也と大洋の石川賢の2件の交換トレードを関係3球団から発表[120]
  • 11月6日
    • 広島は津田恒美から出ていた退団届を受理[121]
    • 大洋の新浦寿夫とダイエーの大塚義樹の交換トレードが成立したと大洋、ダイエー両球団が正式に発表[122]
  • 11月13日 - ロッテは錦糸町のロッテ会館にて記者会見し、監督の金田正一が辞任し後任に西武一軍投手コーチの八木沢荘六が新監督に就任したことを正式に発表。また球団社長代行の重光昭夫がオーナー代行に就任したことを発表[123]
  • 11月18日 - ロッテは千葉市のホテルで記者会見し、来季からチーム名を「千葉ロッテ・マリーンズ」に決定したと発表[124]
  • 11月22日 - プロ野球新人選択会議が12時から港区の新高輪プリンスホテルにて行われる[125]
  • 11月25日 - 日本ハムの角盈男とヤクルトの小川淳司の交換トレードが成立したと日本ハム、ヤクルト両球団が正式に発表[126]
  • 11月26日 - 日本ハムの若菜嘉晴が六本木の球団事務所を訪れ、退団したいと申し入れる[127]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞1991年1月8日17面「長島(広島)が中日入り 音、山田と2対1トレード」読売新聞縮刷版1991年1月p341
  2. ^ 読売新聞1991年1月12日19面「永久追放のピート・ローズ 米殿堂入りも『ノー』」読売新聞縮刷版1991年1月p549
  3. ^ 読売新聞1991年1月17日19面「クロウ正式退団 第三の外人にデラクルーズ」読売新聞縮刷版1991年1月p783
  4. ^ 読売新聞1991年1月18日19面「キャンプは春野で」読売新聞縮刷版1991年1月p839
  5. ^ 読売新聞1991年1月23日19面「島岡氏、アマで初 野球殿堂へ 牧野、筒井氏ら故人3人」読売新聞縮刷版1991年1月p1095
  6. ^ 読売新聞1991年1月23日19面「『熱パさらに』原野新会長が抱負」読売新聞縮刷版1991年1月p1095
  7. ^ 読売新聞1991年1月24日19面「湾岸影響 ヤクルトも中止」読売新聞縮刷版1991年1月p1147
  8. ^ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』ベースボールマガジン社、2013年、57頁。ISBN 9784583619323 
  9. ^ 読売新聞1991年4月7日19面「森田『最高の気分です』」読売新聞縮刷版1991年4月p361
  10. ^ 読売新聞1991年4月7日19面「中日・西本聖(三四)が2500投球回を達成」読売新聞縮刷版1991年4月p391
  11. ^ 読売新聞1991年4月11日19面「新人投手の初打席本塁打は41年ぶり」読売新聞縮刷版1991年4月p551
  12. ^ 読売新聞1991年4月13日19面「日ハム1安打勝利 田村3号、西崎完封」読売新聞縮刷版1991年4月p659
  13. ^ 読売新聞1991年4月14日19面「腹、三人目の四番200発」読売新聞縮刷版1991年4月p711
  14. ^ 読売新聞1991年4月15日19面「また15回やっちゃった 中ー洋ドロー 5時間42分、史上2位」読売新聞縮刷版1991年4月p751
  15. ^ 読売新聞1991年4月15日19面「中日・宇野勝内野手(三二)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1991年4月p751
  16. ^ 読売新聞1991年4月15日19面「ラッキーゾーン今年で見納め!?高野連の要請 甲子園側検討」読売新聞縮刷版1991年4月p875
  17. ^ 読売新聞1991年4月18日19面「中日・小松崎とヤクルトのバートサスが今季初の退場処分」読売新聞縮刷版1991年4月p929
  18. ^ 読売新聞1991年4月25日19面「プロ初登板完封24人目 芝草、5安打快投」読売新聞縮刷版1991年4月p1291
  19. ^ 読売新聞1991年4月26日19面「巨人・篠塚利夫内野手(三三)が二塁手連続守備機会無失策の日本タイ」読売新聞縮刷版1991年4月p1355
  20. ^ 読売新聞1991年4月29日18面「オリックス・佐藤義則投手(三六)が2000投球回を達成」読売新聞縮刷版1991年4月p1502
  21. ^ 読売新聞1991年4月30日19面「平野が300犠打」読売新聞縮刷版1991年4月p1533
  22. ^ 読売新聞1991年5月3日19面「原300号、決勝2ラン 巨人連敗ストップ 暗雲払う13安打 宮本が好救援」読売新聞縮刷版1991年5月p107
  23. ^ 読売新聞1991年5月4日19面「中日・宇野勝内野手(三二)がプロ通算300号本塁打を達成」読売新聞縮刷版1991年5月p135
  24. ^ 読売新聞1991年5月4日19面「秋山が800試合連続出場」読売新聞縮刷版1991年5月p134
  25. ^ 読売新聞1991年5月10日19面「2ケタ三進 野茂 6試合連続の日本新 近鉄4連敗 "お祝い"抜き」読売新聞縮刷版1991年5月p359
  26. ^ 読売新聞1991年5月11日19面「金田監督、8度目退場 史上最多」読売新聞縮刷版1991年5月p411
  27. ^ 読売新聞1991年5月15日19面「広島が史上3度目の3試合連続満塁本塁打」読売新聞縮刷版1991年5月p623
  28. ^ 読売新聞1991年5月16日19面「津田は水頭症 今季出場絶望」読売新聞縮刷版1991年5月p675
  29. ^ 読売新聞1991年5月17日19面「槙原が1000奪三振」読売新聞縮刷版1991年5月p727
  30. ^ 読売新聞1991年5月25日19面「大洋が犠飛日本タイ記録」読売新聞縮刷版1991年5月p1137
  31. ^ 読売新聞1991年5月25日19面「オリックス・松永浩美内野手(三〇)が史上2人目となる自己2度目のサイクル安打達成」読売新聞縮刷版1991年5月p1137
  32. ^ 読売新聞1991年5月26日19面「荒井、足でマリン1号」読売新聞縮刷版1991年5月p1189
  33. ^ 読売新聞1991年5月26日19面「中日・川畑とオリックス・南牟礼がトレード」読売新聞縮刷版1991年5月p1229
  34. ^ 読売新聞1991年5月29日19面「門田4000塁打」読売新聞縮刷版1991年5月p1349
  35. ^ 読売新聞1991年5月29日19面「大島が1000得点」読売新聞縮刷版1991年5月p1349
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