石川岳

石川岳
南方から望む石川岳。手前は沖縄自動車道
標高 204 m
所在地 日本の旗 日本
沖縄県うるま市国頭郡恩納村金武町
位置 北緯26度26分58秒 東経127度50分5秒 / 北緯26.44944度 東経127.83472度 / 26.44944; 127.83472 (石川岳)座標: 北緯26度26分58秒 東経127度50分5秒 / 北緯26.44944度 東経127.83472度 / 26.44944; 127.83472 (石川岳)
山系 国頭山地
石川岳の位置(沖縄本島内)
石川岳
石川岳の位置(南西諸島内)
石川岳
石川岳の位置(日本内)
石川岳
プロジェクト 山
テンプレートを表示

石川岳(いしかわだけ[1])は、沖縄県うるま市国頭郡恩納村金武町にまたがる、標高204メートル

地勢・自然[編集]

沖縄本島北部にある国頭山地のほぼ南端に位置し、本島最小幅の石川地峡にそびえる[2][3]。標高は204メートルで、山頂から稜線沿いに南麓は沖縄県うるま市、北西麓は国頭郡恩納村、北東麓は同郡金武町に属する[1][4]。かつての石川市北端に存在し[3]、周辺自治体と合併したうるま市の最高峰である[5]

標高100メートルより上部は険しい地形となるが、低地部は緩やかな傾斜を有する海岸段丘で、細いが開析している[2]地質は山体上部において、中生代千枚岩や緑色岩で構成される名護層で、下部は第四紀更新世の国頭層群からなり[2]チャート砂礫の混ざった土壌がみられる[6]。石川岳西の麓から南へ発する肥前川は、石川川と合流し、金武湾へ流出する[7]

植生イタジイを主とする広葉樹林[6]マテバシイオキナワウラジロガシ[8]リュウキュウマツイジュヒノキバヤドリギなどが生息している[1]。石川岳周辺にコゲラオキナワシジュウカラアカショウビンなどの鳥類や[9]キノボリトカゲイボイモリシリケンイモリを観察できる[10]

歴史[編集]

南側は旧石川市の大字「石川」に属し、小字の「東山(アガリヤマ)」と「西山(イリヤマ)」にまたがる[11]。「石川アタイ」と呼ばれる屋敷跡が石川岳麓に残存している[12]。かつて付近には「マーチヌクビリ」といわれる小道があり、一方が荷物を持って通行すると、互いの往来が困難になり、他方が待っていたことから名付けられた[11]。恩納村の北西麓に小川が流れる場所があり、地元住民は「川原小(カーラングヮー)」と呼んでいる[4]

1945年(昭和20年)1月より石川は空襲を受け、同年3月から住民は石川岳に避難を開始した。石川岳の北西、恩納村側の麓標高約130メートルに、沖縄戦における住民避難地跡が確認され、周辺にかまどの跡や陶磁器掘っ建て小屋の基礎と思われる遺構も見受けられた[4]

日本復帰前の琉球警察学校は那覇市に所在し、周囲の都市開発に伴う騒音などの発生により、教育環境の悪化が問題とされたが、日本政府の援助により、1969年(昭和44年)に石川岳麓で警察学校の建設工事が着工、翌年2月に当地に移転した[13]。1972年(昭和47年)5月15日、日本復帰により沖縄県警察学校に改称された[14]

1973年(昭和48年)、沖縄県教育委員会少年自然の家を石川岳の麓に設立することを決定した[15]。少年自然の家の開所式が行われる前月の1975年(昭和50年)3月、職員らによって登山道が整備された[15]。1986年(昭和61年)4月、石川岳は「石川少年自然の家の森」として「森林浴の森100選」に選定された[16]。1994年(平成6年)に山頂に標高表示板が取り付けられた[17]。2010年(平成22年)、「石川少年自然の家」から「石川青少年の家」へ名称が変更された[18]

麓は農林振興地域に指定されている[19]。付近に沖縄自動車道が開通し[2]住宅街として開発が行われている[20]

登山[編集]

麓の「沖縄県立石川青少年の家」が登山道を管理している[21]。宿泊学習の一環として、沖縄県内の小中学生らが登山を行っている[22]。石川岳への日帰り登山ツアーが催され[23]、県外からの登山客も訪れる[22]。頂上からは、うるま市の市街地や金武湾を遠望できる[24]

石川青少年の家から山頂へ到達する登山道に3つのコースが設定され[22]、また4つの緊急下山道が設けられている[25]

沖縄県立石川青少年の家
登山道と標示板
登山道から望むうるま市街
山頂

出典[編集]

  1. ^ a b c 「石川岳」、『三省堂日本山名事典 改訂版』(2011年)、p.66
  2. ^ a b c d 「石川岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.149
  3. ^ a b 町田宗博「石川市」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.171
  4. ^ a b c 「恩納村石川岳の住民避難地跡」、沖縄県立埋蔵文化センター編(2015年)、p.275
  5. ^ 「資料編 土地および気象」、『うるま市市勢要覧 2010』(2010年)、p.81
  6. ^ a b 高江洲重一「石川岳」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.172
  7. ^ 「石川川」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.148
  8. ^ 「石川岳植物編」、『石川青少年の家の生きものたち』(2014年)、p.6
  9. ^ 「昆虫・動物編」、『石川青少年の家の生きものたち』(2014年)、pp.75 - 76
  10. ^ 「昆虫・動物編」、『石川青少年の家の生きものたち』(2014年)、pp.68 - 69
  11. ^ a b 「字石川の原名(ハルナー)」、『字石川誌』(2014年)、p.62
  12. ^ 「第二編 石川市の歩み 字石川」、伊波編(1988年)、p.135
  13. ^ 「第二編 戦後警察の変遷(琉球警察時代) 警察学校」、沖縄県警察史編さん委員会編(2002年)、p.263
  14. ^ 「第四編 教育・文化 沖縄県警察学校」、伊波編(1988年)、p.513
  15. ^ a b 「沿革」、石川青少年の家40周年記念誌編集委員編(2015年)、p.7
  16. ^ 「森林浴の森一〇〇選 石川岳と西表自然休養林」『沖縄タイムス』第13273号、1986年4月19日、日刊、19面。
  17. ^ 「沿革」、石川青少年の家40周年記念誌編集委員編(2015年)、p.19
  18. ^ 「3.沿革」、『2019年度 要覧』(2019年)、pp.3 - 4
  19. ^ 「第四編 教育・文化 沖縄県立石川少年自然の家」、伊波編(1988年)、p.574
  20. ^ 「第二編 石川市の歩み 字石川」、伊波編(1988年)、p.134
  21. ^ 「所長あいさつ、冊子発行にあたって」、『石川青少年の家の生きものたち』(2014年)、p.1
  22. ^ a b c 「所長あいさつ、冊子発行にあたって」、『石川青少年の家の生きものたち』(2014年)、p.2
  23. ^ 「山の魅力知る好機 新祝日きょう「山の日」」『沖縄タイムス』第24247号、2016年8月11日、日刊、31面。
  24. ^ 「石川の位置」、『字石川誌』(2014年)、p.14
  25. ^ 「15.施設利用説明」、『2019年度 要覧』(2019年)、p.37

参考文献[編集]

  • 石川青少年の家40周年記念誌編集委員編『沖縄県立石川青少年の家 創立40周年記念誌』沖縄県立石川青少年の家、2015年。 
  • 伊波信光 編集・執筆『石川市史』石川市役所、1988年。 
  • うるま市石川部落会編『字石川誌』うるま市石川部落会、2014年。 
  • うるま市企画部秘書広報課編『うるま市市勢要覧 2010』沖縄県うるま市、2010年。 
  • 沖縄県警察史編さん委員会編『沖縄県警察史 第三巻(昭和後編)』沖縄県警察本部、2002年。 全国書誌番号:20299009
  • 沖縄県立石川青少年の家編『2019年度 要覧』沖縄県立石川青少年の家、2019年。 
  • 沖縄県立石川青少年の家編『石川青少年の家の生きものたち』沖縄県立石川青少年の家、2014年。 
  • 沖縄県立埋蔵文化センター編『沖縄県の戦争遺跡 平成22-26年度戦争遺跡詳細確認調査報告書』沖縄県立埋蔵文化センター〈沖縄県立埋蔵文化センター調査報告書 第75集〉、2015年。 全国書誌番号:22614223
  • 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典沖縄タイムス社、1983年。 全国書誌番号:84009086
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1986年。ISBN 4-04-001470-7 
  • 徳久球雄、石井光造、武内正 編『三省堂日本山名事典 改訂版』三省堂、2011年。ISBN 978-4-385-15428-2 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 施設紹介 - 沖縄県立石川青少年の家
  • ウィキメディア・コモンズには、石川岳に関するカテゴリがあります。