石井ふく子

いしい ふくこ
石井 ふく子
石井 ふく子
(左から)石井ふく子、大空真弓樫山文枝林美智子池内淳子
1967年頃
本名 石井 ふくこ
生年月日 (1926-09-01) 1926年9月1日(97歳)
出生地 東京府東京市下谷区[1]
(現・東京都台東区下谷
国籍 日本の旗 日本
血液型 A型[2]
職業 テレビプロデューサー
演出家
ジャンル テレビドラマ
活動期間 1961年 -
活動内容 テレビドラマのプロデュース、
舞台演出
著名な家族 伊志井寛(継父)
三升延(母)
主な作品
プロデュースした作品
女と味噌汁』シリーズ
肝っ玉かあさん』シリーズ
ありがとう』シリーズ

居酒屋もへじ』シリーズ
あしたの家族
ひとりぼっち -人と人をつなぐ愛の物語-』他多数
テンプレートを表示

石井 ふく子(いしい ふくこ、1926年大正15年〉9月1日 - )は、日本テレビプロデューサー、舞台演出家。東京府東京市下谷区[1]池の端[3](現・東京都台東区下谷池之端)出身。元TBSテレビプロデューサー。

伊志井寛の長女にあたる。新東宝の女優活動から出発し、ラジオ東京(現・TBS)に入社。その後は、テレビドラマのプロデューサーとして、橋田壽賀子平岩弓枝らとタッグを組み、多くのヒットドラマを世に送った。退職後、フリーとなった後は舞台演出なども手掛けている。

また、橋田文化財団にも協力している。

来歴[編集]

父は、劇団新派俳優伊志井寛(ただし、戸籍血縁ともに関係がない)。母は分川本の君鶴と呼ばれた芸者で、小唄家元になった三升延である(両親について詳しくは後述「人物」の欄)。

文化学院に入学した後、東京女子経済専門学校(または女子経済専門学校附属高等女学校[4])に転校し、卒業後は新東宝女優となった。女優業を辞めて1950年日本電建へ入社して宣伝部に務め、1961年TBSへ入社。

ほどなくして出会った橋田壽賀子平岩弓枝などの脚本家たちとタッグを組んでTBSでドラマ制作に携わる。以降プロデューサーとして、『肝っ玉かあさん』『ありがとう』を筆頭に、『女と味噌汁』「カミさんと私」「おんなの家」「ぼくの妹に」「はじめまして」「家族」「」「」「」「出逢い」など、数々のホームドラマをヒットさせる。

数々のヒット作に携わったことから、一部のメディアから「作品選定の確かさと配役の妙を以て大ヒットドラマを生んだ」と評されるようになる[5]

1974年にTBSを退社後、「TBS専属のフリーランスプロデューサー」の立場[6][注釈 1]だったが、2000年代以降は「想いでかくれんぼ」(2000年)、「夫婦」(2006年)、「結婚」(2009年)など、橋田壽賀子脚本・渡哲也主演のスペシャルドラマをテレビ朝日で手掛けている。ただし現在(2022年)は再びTBSと専属契約しており(何年頃専属に戻ったかは不明)、名刺もTBSのものを携帯している[5]

義父・伊志井寛の勧めで1968年11月の新派公演「なつかしい顔」(新橋演舞場)から舞台の演出を手掛けるようになり、以来足掛け40年に渡り386作品を演出。近年は舞台作品の演出が活動の中心になっている。伊志井寛との関係から劇団新派との関わりが深く、京塚昌子を筆頭に新派出身の役者を多く自身のドラマや舞台に起用した。劇場は、名鉄ホール芸術座新橋演舞場明治座帝国劇場飛天近鉄劇場松竹座博多座御園座中日劇場日生劇場ル テアトル銀座・大阪新歌舞伎座・京都南座新宿コマ劇場三越劇場などで演出実績がある。

1996年1月24日、東京国税局から石井が社長の番組制作会社邑が、架空の経費計上して3年間で約6億3700万円の所得隠しを行い、約1億5600万円を脱税したとして法人税法違反(脱税)で東京地検特捜部に告発された。1997年6月30日、東京地方裁判所での初公判で石井は起訴内容を認め、検察側は懲役1年6月、邑に罰金5000万円を求刑して即日結審。1997年7月14日、東京地裁は懲役1年6月執行猶予3年の有罪判決、邑に罰金5000万円を言い渡した。判決ではこの事件で石井が邑の代表取締役及び取締役を退任、テレビドラマの仕事を降板したことが斟酌すべき事情に挙げられている[7][8]。1989年春の褒章で紫綬褒章を受章しているが、判決から3年後の2000年7月18日付で返上[9]

長年の活動により、過去に3度ギネス世界記録に認定されている[2]1985年に「テレビ番組最多プロデュース」(1,007本)、2014年に87歳342日の「世界最高齢の現役テレビプロデューサー」、2015年に舞台初演作演出本数183作品)。

2014年4月より淑徳大学人文学部表現学科客員教授に就任。

エピソード[編集]

子供時代[編集]

本人によると9月半ばに生まれる予定だったが、ある時母が“9月1日に生まれた子は人に恵まれて育つ”という話を聞いた。生まれくる我が子の幸せのため母は9月1日に生むことを決め、危険な帝王切開を受けて石井を出産した[10]

芸者だった母の影響で、3歳頃から習い始めた踊りに夢中になるが、小学校入学後は勉強嫌いのいたずらっ子となった。13歳の時にかっけを患ったため、踊りの道に進むのを断念した[10]

文化学院に入学したが自由な校風があまり合わず、その後家を引っ越したのを機に転校。戦争が始まる前後に母が伊志井寛と親しくなるが、戦況の悪化により3人で山形県に疎開した[10]

戦後[編集]

1945年19歳の頃に終戦を迎え[10]、東京に戻ると自宅は空襲で焼かれた後だったため、両親と3人で知人の家を泊まり歩いた。後日新宿駅で父の知り合いである長谷川一夫と偶然再会し、彼の厚意で親子で自宅の離れで暮らし始める[5]。当時長谷川家には彼の姪・長谷川裕見子[注釈 2]も暮らしており、石井は彼女と年が近い(裕見子の方が2歳年上)ことから親しくなった[注釈 3]

長谷川一家と親しくなったことから、彼の紹介で新東宝のニューフェイスとして女優デビュー[5]。デビュー作は、『大江戸の鬼』という時代劇で、高峰秀子の友人役だった[10]。その後も端役で映画に出演したが、元々地味なことが好きで「女優のような派手なことは自分に向かない」と感じたため、デビューから3年で女優業に見切りをつけた[10][5]

OL時代[編集]

新聞の求人で見つけた住宅メーカーの日本電建に就職し、銀座の本社宣伝部で働き始める[注釈 4]。宣伝部は発足したばかりで何をどう宣伝するかも決まっていない状態で、同部社員も部長と課長と石井の3人だけだった。しかし、このおかげで新人の石井も気軽に意見を述べたり、行動を起こしやすいことから水が合った[5]

当時はテレビよりラジオ優位の時代だったことから、石井は会社の宣伝のためラジオ番組のスポンサーになることを提案。これが通ってラジオ東京(後のTBS)と手を組み、新派の役者だった父のつてで若い俳優をどんどんキャスティングして朗読劇を放送してもらった[5]。その後とある作品で役者の人手が足りなくなった[注釈 5]のをきっかけに、映画俳優の貸し出しを頼むため配給会社にも訪れるようになる[注釈 6]。日本電建の社員ながらいつしかTBSのスタジオに入り浸り、徐々に行動力・交渉力などが評価され始める[5]

プロデューサーへ転身[編集]

1955年のTBSのテレビ開局直後、「『東芝日曜劇場』のプロデューサーになってほしい」と声がかかった[10]。当初日本電建の社員ということを理由に断るが、TBSの編成局長が日本電建の社長に直接掛け合ったことで、日本電建社員兼TBSの嘱託社員となることが決まる[注釈 7]。以後3年間は、「平日は日本電建の仕事、土日はTBSの仕事」と休日返上で働いた[10]

その後TBSの上司から本格的に制作スタッフとしてドラマに携わるよう指示を受け、キュー出し[注釈 8]から仕事を学び始めた。いくつかの現場の仕事を経験した後、1958年にテレビドラマ『橋づくし』(原作・三島由紀夫)で初めて制作を手掛けた。それ以降プロデューサーとして原作者のドラマ化の許可などを交渉したり、キャスティングに奔走するようになる[5]。日本電建退社を機に、それまでTBS嘱託社員だったのが正式に社員になった[10]

ちなみに原作者などの交渉でOKをもらうコツとして、「交渉は、とにかく一生懸命やること。『私はこの企画をやりたい。そのためにはあなたのOKが必要なんです』と素直な気持ちを相手に伝えるしかない」と語っている。また交渉には、必ず一人で行くことにしている。本人曰く「もし複数でお願いにあがっても全員が同じ気持ちとは限らないし、本当の熱意が伝わりにくい」とのこと[5]

脚本家・作家とのエピソード[編集]

橋田壽賀子[編集]

橋田壽賀子とは、1964年の「日曜劇場 愛と死をみつめて」で組んだことから親しくなった。それ以降橋田の作品に大きく影響するほどの親交があり、「石井ファミリー」(下記参照)「石井組」などと巷伝される役者たちは、橋田ドラマの常連俳優と事実上同じである

プライベートでは、橋田と元TBSテレビプロデューサー岩崎嘉一の交際を取り持ち、結婚にも携わり(結婚式の仲人も石井が務めた[11]。)その後1988年9月24日に橋田が翌年(1989年)の元日から始まるNHK大河ドラマ春日局」の準備をしていた頃、岩崎の肺腺がんの宣告を受けた。橋田は当初、岩崎の看病をしながら1年続くドラマの脚本を書き上げる自信はなかった。このことを相談された石井は、「いま番組から降りたら嘉一ちゃんは、自分ががんだって気づくかもしれないよ」と首を横に振り、橋田を励まして奮い立たせた[11]

橋田からは「ふーちゃん」と呼ばれていた[5]1994年10月から始まったNHK連続テレビ小説春よ、来い』では、石井をモデルにした人物として花井涼子役が描かれた。

熱海(静岡県)にある橋田の自宅には、石井曰く「生涯で500回」ほど訪れた。また橋田は石井プロデュースの作品では、脚本を仕上げると必ず本人に渡したがり、たまに石井の都合がつかず代理の者がもらいに行っても渡してくれなかったという[5]

その他の人[編集]

ラジオドラマで山本周五郎の小説『こんち午(うま)の日』の使用許可をもらうため、当時横浜にあった山本の仕事場へ向かった。その時は「帰れ」と一喝されて門すら開けてもらえなかったが、めげずにその後4回ほど訪ねた。熱意を見せて頼み込むと、最後は根負けした山本から「いいよ」と許可をもらえた[5]。これを機に山本に気に入られて、以後彼の原作のドラマを何本も制作させてもらった。一時は山本の運転手代わりによく呼び出されるようになり、銀座でベロベロに酔った彼を車に乗せて横浜まで送ることも何度もあった[5]

小説家だった平岩弓枝がシナリオの執筆をするきっかけを作ったのは、石井である。当初平岩にとある原作の使用許可をもらいに何度か伺い、やり取りする内にシナリオを書く才能を見抜き、口説き落としたのがその発端[注釈 9]。同じ執筆作業でも小説と脚本は違うため、平岩は初めて脚本を執筆する際石井と二人三脚で念入りに打ち合わせをして、シナリオを完成させた[5]

高峰秀子は石井の生い立ちをもとに高峰唯一の脚本『忍ばずの女』を執筆、1994年には石井本人のプロデュースによりTBS系でテレビドラマ化された。主演の大原麗子が母親の芸者・君鶴を演じ、置屋の女将で君鶴の養母であり福子を育てた祖母を森光子、実父を渡部篤郎、義父の役者を風間杜夫、福子は子役3人が演じた。

人物[編集]

親族[編集]

もともと石井は、母の三升延が前夫の間に儲けたが、実祖母の子として届けた連れ子である。三升は周囲から反対された上で未婚の母として石井を出産し、女手一つで祖母との暮らしを支えた[10]

その後三升と伊志井寛との結婚の際、彼が石井の入籍を拒否したため、のちに三升が養子として迎えた。石井は後に「戸籍上“伊志井は三升の夫”であって、私の父では無い[6]」と、著書「想い出かくれんぼ」で記している。

両親と一緒に暮らしたのは32歳になってからで、翌年結婚するまでのわずか9か月間だけだった[12]

伊志井の没後、遺産の分配を求めて彼が認知した実子と騒動するも、継子であるふく子に相続権は存在せずに和解。のちに「20年以上経過してもなお、母と共に受けた屈辱として、その騒動のことを忘れていない[6]」と前著書で記している。

その他[編集]

文化学院時代、国語で教鞭をとっていた与謝野晶子の授業を受けている[5]

父が俳優、母が花柳界だったことから、戦後の自宅にはたくさんの芸能人が遊びに来るようになった。一例として父は江利チエミ美空ひばりから慕われ、母は高峰秀子や越路吹雪から慕われたとのこと[10]

原節子のファンで、女優活動をしていた時に新東宝のプロデューサーに頼んで『女医の診察室』や『かけ出し時代』などの映画で共演させてもらった[5][10]

香川京子とは新東宝時代からの長年の親友で、プライベートではよく2人で旅行もした[10]。また、石井がプロデューサーとして初めて制作したドラマ『橋づくし』で香川に出演を依頼した際、五社協定がある中彼女は所属先の映画会社と喧嘩してまで同作に出てくれたという[5]

女優時代に映画『女医の診察室』の撮影期間中、憧れの原節子からチョコレートをもらったことがある。本人によると「あの時の味を忘れたくない」との思いから、現在(2024年)に至るまでチョコレートは一度も食べていないという[5]

酒が飲めない体質である[5]

現在(2022年)期待している俳優として、自身がプロデュースしたドラマ『あにいもうと』に出演した仲野太賀を挙げている[5]

ドラマ『ありがとう』の主人公で水前寺清子に出演を依頼する際、「あなたは美人じゃない所が良い」と7回ほど連呼して説得した。これに対し水前寺は、「面白いことを言う方だな」と思い、出演を決めたという[10]

作品[編集]

テレビドラマ[編集]

※ 特記がない限り、プロデューサーを担当。
※ 放送局はすべて東京放送→TBSテレビ

舞台演出[編集]

  • なつかしい顔(1968年 新橋演舞場 舞台初演出 出演:伊志井寛、水谷良重)
  • 春秋めおと囃子(1973年 名鉄ホール 出演:中村玉緒、長門裕之)
  • 夏のふたり(1976年 御園座 出演:林与一、小川知子)
  • 秋のかげろう(1977年 名鉄ホール 出演:林与一、長山藍子)
  • 花の巴里の橘や(1978年 帝国劇場 京マチ子主演)
  • 花の三角野郎(1980年 名鉄ホール 若山富三郎主演)
  • 鹿鳴館(1982年 帝国劇場 出演:佐久間良子、乙羽信子、奈良岡朋子、細川俊之、芦田伸介)
  • 幸福(1985年 名鉄ホール 出演:芦田伸介、山岡久乃、沢田雅美、石野真子、広岡瞬)
  • 花のこころ(1986年 帝国劇場 池内淳子主演)
  • お嫁に行きたい!!(1987年 芸術座 池内淳子主演)
  • 花の巴里の橘や(1987年 名鉄ホール 京マチ子主演)
  • 春日局(1989年 帝国劇場 佐久間良子主演)
  • 男を金にする女(1991年 芸術座 大原麗子主演)
  • 品川心中(1993年 日生劇場 大原麗子主演)
  • お夏狂乱(1994年 帝国劇場 大原麗子主演)
  • お美津(1995年 新宿コマ劇場 水前寺清子主演)
  • あさき夢みし(1997年 帝国劇場 泉ピン子主演)
  • 規子と弓代(1999年 名鉄ホール 坂口良子主演)
  • 男を金にする女(2000年 南座 古手川祐子主演)
  • 空のかあさま(2001年 芸術座 斉藤由貴主演)
  • 初蕾(2004年 芸術座 京野ことみ主演)
  • 初蕾(2004年 南座 高橋恵子主演)
  • 男を金にする女(2004年 名鉄ホール 竹下景子主演)
  • 娘よ(2005年 ル テアトル銀座 一路真輝主演)
  • 喜和(2005年 名鉄ホール 三田佳子主演)
  • 京紅ものがたり(2006年 新橋演舞場 十朱幸代主演)
  • 忠臣蔵 いのち燃ゆる時(2007年 明治座 松平健主演)
  • エドの舞踏会(2007年 御園座 三田佳子主演)
  • 御いのち(2008年 御園座 竹下景子主演)
  • 華々しき一族(2008年 ル テアトル銀座 若尾文子主演)
  • おしん2009年 御園座 出演:小林綾子、長山藍子)
  • 女の人指し指(2011年 名鉄ホール 若尾文子主演)
  • 女たちの忠臣蔵(2012年 明治座 高島礼子主演)
  • 花嫁2016年 三越劇場 湘南台文化センター市民シアター 高橋惠子 西郷輝彦主演)向田邦子没後35周年 [26]
  • 君はどこにいるの(2017年2月、三越劇場、一宮市民会館 出演:一路真輝、西郷輝彦、竹下景子渋谷飛鳥[27]
  • おんなの家(2017年10月、明治座 出演:高島礼子、熊谷真実、藤田朋子)
  • 朗読劇「九十歳。何がめでたい」(2018年11月 - 12月、全国7会場、出演:三田佳子)

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

受賞・受章歴[編集]

著書[編集]

  • 『幸せってなんだろう』(ぱぴるすBooks) 三笠書房, 1974
  • 『明日のために』鎌倉書房, 1977
  • 『花のこころ花のかお : 最長寿番組を彩った俳優』小学館、1985年11月20日。NDLJP:12276610 
  • 『心におしゃれを 私のドラマ作り30年』講談社, 1986
  • 『想い出かくれんぼ』集英社, 1993
  • 『お蔭さまで』世界文化社, 1993
  • 『ありがとうまたね…』廣済堂出版, 2012
  • 『あせらず、おこらず、あきらめず』KADOKAWA, 2016
  • 『家族のようなあなたへ』世界文化社, 2021

共著編[編集]

  • 『東芝日曜劇場名作集』上下 編. 文陽社, 1975-76
  • 『女たちの忠臣蔵 橋田寿賀子作品集』編. 大和山出版社, 1983
  • 『渡る世間は… 橋田壽賀子石井ふく子対談エッセイ』TBS東京放送, 2001

石井ふく子を演じた女優[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 経緯は読売新聞・2015年1月29日付け朝刊に掲載されたインタビュー記事「時代の証言者」で述べている。父の死後、相続税の支払いに大金が必要となり、他局でプロデューサーを務めようとするもTBSの社長に怒られたが、大金が必要だと説明するとTBSが用立てることになった。社員に大金を貸与することは難しく、退社後にTBSの専属になり多額の契約金を受け取る経緯とした。大金を前渡しするために「退職+専属契約」とした。
  2. ^ 女優。後に船越英二と結婚し、船越英一郎の母となる。
  3. ^ 戦後の混乱期で親から小遣いをもらえない石井のために、裕見子は東映の女優として得たギャラの中から小遣いをくれた。このことは、石井にとって今(2022年)も「一生の恩」としている[5]
  4. ^ 実際には当初、歌舞伎町の営業所で庶務として採用されたが、ほどなくして視察に来た本社社長が“石井が元女優”と知ったことで、銀座の本社宣伝部に配置換えとなった。
  5. ^ 川口松太郎原作の『人情馬鹿物語』を単発で放送した所、好評だったことからレギュラー化が決定し、当初の俳優の数では足りなくなった。
  6. ^ 当時の俳優たちの多くが映画会社所属だったため、石井は松竹などの配給会社に訪れた。そこで「一人でもいいのでラジオ番組に貸してください。その代わり封切りの作品をラジオで宣伝させてもらいます」と頼んだ
  7. ^ 社長から「君の才能はテレビで伸びるかもしれない。うちの会社とテレビの仕事掛け持ちでやってみろ」と背中を押された[5]
  8. ^ 俳優たちに撮影の合図を出す役で、現場スタッフの中の一番下っ端が担当する仕事とされる。
  9. ^ 石井は後年、「平岩さんの小説を読んで『あんなに美しいセリフを書ける方はいない』って惚れちゃったんです。橋田(壽賀子)さんは構成がすごく上手い方なんですけど、平岩さんにはまた別の才能を感じました。それで平岩さんに『シナリオを書いてみませんか?先生なら書けると思います』と伝えました」と回想している
  10. ^ 当時の日曜劇場は1時間の単発ドラマ枠で、本ドラマは年に2、3回のペースで15年間に渡り放送された。(詳しくは『女と味噌汁』を参照)
  11. ^ 井上順と一緒に出演した。
  12. ^ 高峰秀子が演じた。
  13. ^ 原節子演じる女性記者の後輩社員。

出典[編集]

  1. ^ a b Ms Wendy in This Month 注目の人 プロデューサー/石井ふく子さん”. 月刊ウェンディ(Wendy). 合人社グループ出版局 (2011年4月15日). 2021年11月4日閲覧。→アーカイブ→PDF版(PP.1 - 2)
  2. ^ a b “石井ふく子さん、「最多舞台演出本数」で自身3つ目ギネス記録(全2頁中2頁目)”. SANSPO.COM(サンスポ). (2015年8月30日). http://www.sanspo.com/geino/news/20150830/geo15083005030005-n2.html 2015年9月6日閲覧。 《→アーカイブ(P1P2)》
  3. ^ 池田理代子宮城まり子石垣綾子ほか『わたしの少女時代』岩波書店岩波ジュニア新書 3〉1980年、130頁。
  4. ^ [1]「東京文化学園」(後の新渡戸文化学園)の2001年頃のウェブサイトより。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 週刊文春2022年3月17日号・阿川佐和子の「この人に会いたい」・石井ふく子p114-119
  6. ^ a b c 石井ふく子著「想い出かくれんぼ」1993年・集英社
  7. ^ 「石井ふく子被告脱税で有罪判決」1997年7月15日 福井新聞 朝刊
  8. ^ 東京地方裁判所 平成9年(特わ)633号 判決
  9. ^ 『官報』第2922号10-11頁 平成12年7月31日号
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 84歳の今も現役プロデューサー。『人に恵まれる日』に生んでくれた母に感謝です”. マンション生活情報「Wendy-Net」の記事 (2012年8月16日). 2021年4月24日閲覧。
  11. ^ a b 橋田壽賀子(1)夫の死 肺がん 病名明かさず 唯一の家族失い天涯孤独 私の履歴書 - 日本経済新聞 2019年5月1日
  12. ^ 池田理代子、宮城まり子、石垣綾子ほか『わたしの少女時代』岩波書店〈岩波ジュニア新書 3〉1980年、140頁。
  13. ^ 放送日などはWikipedia日本語版「肝っ玉かあさん」を参照。
  14. ^ 放送ライブラリー 番組ID:000789
  15. ^ 放送ライブラリー 番組ID:000905
  16. ^ 放送ライブラリー 番組ID:003060
  17. ^ 放送ライブラリー 番組ID:003061
  18. ^ 横浜市にある放送ライブラリーでは、第一回「結納の日」(1980年4月24日放送分)の閲覧が可能である。 放送ライブラリー 番組ID:0003984*
  19. ^ 第3シリーズは井上靖央がプロデューサーを担当。詳細は放送ライブラリー 番組ID:010011を参照。
  20. ^ 放送ライブラリー 番組ID:008511
  21. ^ 放送ライブラリー 番組ID:008536
  22. ^ 放送ライブラリー 番組ID:011458
  23. ^ 放送ライブラリー 番組ID:016603(最終回のみ放送ライブラリー 番組ID:016604
  24. ^ 放送ライブラリー 番組ID:202813(最終回のみ放送ライブラリー 番組ID:202814
  25. ^ “宮崎あおい、石井ふく子さんと2年ぶりタッグ…TBS系新春ドラマ「あしたの家族」主演”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年11月1日). https://hochi.news/articles/20191031-OHT1T50196.html 2019年11月1日閲覧。 
  26. ^ http://www.ints.co.jp/hanayome2016/
  27. ^ “一路真輝と西郷輝彦がいたわり合う父娘に「君はどこにいるの」演出は石井ふく子”. ステージナタリー. (2016年9月22日). https://natalie.mu/stage/news/202677 2016年9月23日閲覧。 
  28. ^ “石井ふく子さん、テレビで初めて語る。「家族のようだった」橋田壽賀子さんとの60年”. テレ朝POST. (2021年9月8日). https://post.tv-asahi.co.jp/post-163258/ 2021年9月9日閲覧。 
  29. ^ 【追悼2015】女優・原節子さん 最期まで貫いた伝説 生涯独身 隠とん生活 スポーツ報知 2015年12月30日
  30. ^ 第8回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月13日閲覧。
  31. ^ 歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
  32. ^ 『東京都広報』第17671号17・18頁 令和4年10月3日号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]