木村勉 (政治家)

木村 勉
きむら べん
内閣府大臣政務官就任に際し公表された公式肖像写真
生年月日 (1939-08-15) 1939年8月15日(84歳)
出生地 日本の旗東京府東京市城東区亀戸町(現・東京都江東区亀戸
出身校 慶應義塾大学商学部商学科
所属政党自由民主党→)
新自由クラブ→)
自由民主党(山崎派
称号 旭日重光章
商学士
子女 長女・木村弥生 (元江東区長、元衆議院議員)
次女・高橋恵海 (元江東区議会議員)

選挙区 東京15区
当選回数 3回
在任期間 1999年4月11日 - 2000年6月2日
2003年11月9日 - 2009年7月21日

選挙区 江東区選挙区
当選回数 6回
在任期間 1977年 - 1999年

選挙区 江東区選挙区
当選回数 2回
在任期間 1971年 - 1977年
テンプレートを表示

木村 勉(きむら べん、1939年昭和14年〉8月15日 - )は、日本政治家衆議院議員(3期)、東京都議会議員(6期)、江東区議会議員(2期)を務めた。長女は元江東区長で元衆議院議員の木村弥生、次女は元江東区議会議員の高橋恵海。

略歴[編集]

東京府東京市城東区亀戸町(現在の東京都江東区亀戸)生まれ。東京都立両国高等学校慶應義塾大学商学部商学科卒業。慶應義塾大学在学中は弁論部に属した。

1971年江東区議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。当時31歳で、江東区では史上最年少の区議だった。2期目の途中で区議を辞職し、自民党も離党。1977年新自由クラブ公認で東京都議会議員選挙に出馬し、当選した。1986年の新自由クラブ解党により、自民党に復党[1]。東京都議会議員は3期務め、1989年には東京都監査委員、全都道府県監査委員協議会連合会長、1992年には東京都議会自由民主党政調会長、1996年には都議会自民党幹事長に就任した。

1999年3月、東京15区の衆議院議員の柿澤弘治東京都知事選挙に出馬するため辞職。同年4月11日に行われた同選挙区の補欠選挙に自民党公認で立候補し、初当選した。同月、長女の木村弥生公設秘書とする[2]

2000年第42回衆議院議員総選挙にも東京15区から自民党公認で出馬したが、無所属で出馬した柿澤に敗れ、比例復活もかなわず落選した。

2003年第43回衆議院議員総選挙では民主党東祥三、無所属の柿澤らを破り、3年ぶりに返り咲きを果たす。2004年内閣府大臣政務官に就任。

2005年第44回衆議院議員総選挙でも再び東を破り、3選。2007年安倍改造内閣内閣府副大臣に就任し、福田康夫内閣でも再任された。

2009年第45回衆議院議員総選挙に東京15区から出馬したが、民主党東祥三に敗れ、比例復活もならず落選した。

政策・主張[編集]

脚注[編集]

  1. ^ なお、自民党復党後から選挙公報やポスターに「自由民主党」の文字を大書するようになった。
  2. ^ 国会議員情報:木村 弥生(きむら やよい)”. 時事ドットコム. 2023年12月1日閲覧。
  3. ^ 衆議院議員選挙031109の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2003年11月10日). 2020年11月10日閲覧。

関連項目[編集]

公職
先代
平沢勝栄
大村秀章
林芳正
日本の旗 内閣府副大臣
山本明彦
中川義雄と共同

2007 - 2008
次代
増原義剛
宮沢洋一
谷本龍哉
先代
西川公也
森元恒雄
宮腰光寛
日本の旗 内閣府大臣政務官
西銘順志郎
江渡聡徳と共同

2004 - 2005
次代
山谷えり子
平井卓也
後藤田正純