女川町

おながわちょう ウィキデータを編集
女川町
女川町旗 女川町章
女川町旗 女川町章
1956年4月21日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
牡鹿郡
市町村コード 04581-1
法人番号 7000020045811 ウィキデータを編集
面積 65.35km2
総人口 6,063[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 92.8人/km2
隣接自治体 石巻市
町の木 スギ
町の花 サクラ
他のシンボル 町の魚: カツオ
町の鳥: ウミネコ
女川町役場
町長 須田善明
所在地 986-2261
宮城県牡鹿郡女川町女川1丁目1-1
北緯38度26分43秒 東経141度26分35秒 / 北緯38.44522度 東経141.443度 / 38.44522; 141.443座標: 北緯38度26分43秒 東経141度26分35秒 / 北緯38.44522度 東経141.443度 / 38.44522; 141.443

女川町庁舎
外部リンク 公式ウェブサイト

女川町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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女川町(おながわちょう)は、宮城県牡鹿郡にあり、太平洋沿岸に位置するである。三陸地方南部に位置し、日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。

女川町役場仮設庁舎 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原316

概要[編集]

女川原子力発電所

町域は、三陸復興国立公園地域に指定されている[1]北上山地太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流寒流の豊富な魚種が数多く扱われる。中でもサンマの水揚げ量は全国でも有数であり、大漁を祈る「サンマdeサンバ」という曲が地域の祭りや運動会で踊られることもある[2]

また、町のには石巻市にまたがって東北電力女川原子力発電所があるが、東日本大震災(2011年3月11日発生)以降は運転を停止している。

女川町の公式マスコットは「シーパルちゃん」。

地理[編集]

自然[編集]

女川町は町域の三方を北上山地に囲まれ、総面積の83%を林野がしめており、平地は少ない。また、ケッペンの気候区分によると、温暖湿潤気候であり、そのバイオーム夏緑樹林が分布している[3][4]

主要な地形[編集]

  • 山地 :高梨山、石投山(本町の最高地点で、最高地点は456.7m)、黒森山、高崎山、唐松山、大六天山、袴ヶ岳
  • 河川系国土地理院の広域地図に掲載されるほどの規模の川や湖沼は町域に存在しない。町名の由来とされる「女川」は小川である。
  • 近海・沿岸地形 :御前湾、女川湾、五部浦湾、大貝崎、万石浦出島江島足島

気候[編集]

女川(2011年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 12.7
(54.9)
19.0
(66.2)
21.5
(70.7)
27.9
(82.2)
31.4
(88.5)
34.4
(93.9)
35.7
(96.3)
36.9
(98.4)
32.5
(90.5)
27.6
(81.7)
23.0
(73.4)
17.3
(63.1)
36.9
(98.4)
平均最高気温 °C°F 4.9
(40.8)
5.6
(42.1)
10.0
(50)
14.6
(58.3)
20.1
(68.2)
22.7
(72.9)
26.3
(79.3)
28.0
(82.4)
24.6
(76.3)
19.2
(66.6)
13.5
(56.3)
7.4
(45.3)
16.4
(61.5)
日平均気温 °C°F 0.9
(33.6)
1.2
(34.2)
4.9
(40.8)
9.4
(48.9)
14.8
(58.6)
18.0
(64.4)
21.8
(71.2)
23.5
(74.3)
20.3
(68.5)
14.5
(58.1)
8.7
(47.7)
3.1
(37.6)
11.7
(53.1)
平均最低気温 °C°F −2.9
(26.8)
−2.8
(27)
0.1
(32.2)
4.4
(39.9)
9.9
(49.8)
14.2
(57.6)
18.7
(65.7)
20.3
(68.5)
16.8
(62.2)
10.2
(50.4)
4.1
(39.4)
−0.9
(30.4)
7.6
(45.7)
最低気温記録 °C°F −9.0
(15.8)
−10.5
(13.1)
−5.6
(21.9)
−2.4
(27.7)
1.9
(35.4)
6.5
(43.7)
13.2
(55.8)
12.4
(54.3)
6.0
(42.8)
2.2
(36)
−4.1
(24.6)
−6.9
(19.6)
−10.5
(13.1)
降水量 mm (inch) 54.6
(2.15)
38.3
(1.508)
98.6
(3.882)
125.7
(4.949)
119.7
(4.713)
145.2
(5.717)
130.9
(5.154)
142.5
(5.61)
234.1
(9.217)
220.6
(8.685)
57.4
(2.26)
62.3
(2.453)
1,432.5
(56.398)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 5.1 6.3 7.1 8.7 9.1 9.7 11.4 10.9 10.7 9.3 6.2 6.2 101.9
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[5]

広域地域区分[編集]

宮城県内の地勢的な地方区分である、北部・中部・南部のうち、中部地方に属し、その北東部に位置する。

cf. 宮城県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ 地震情報で発表する東北地方の震度の地域名称”. (公式ウェブサイト). 仙台管区気象台. 2011年6月25日閲覧。

現在の宮城県の広域行政圏としては、石巻市東松島市とともに、広域石巻圏を形成する[6]

隣接している自治体[編集]

cf. 宮城県の市町村全図 :≪外部リンク≫ 宮城県地域マップ”. (公式ウェブサイト). 宮城県. 2011年5月13日閲覧。
  • 石巻市が女川町を取り囲むかたちで北部・西部から南部にかけて幅広く隣接する(西部の一部と東部は太平洋に開ける)。

町内の地域[編集]

女川町の町丁大字は以下の通りである[7][8]

震災後の区画整理事業により町名が新設され、住所変更が行われた(2019年12月28日実施)。

  • 旭が丘(あさひがおか)
  • 飯子浜(いいごはま)
  • 石浜(いしはま)
  • 出島(いずしま)
  • 伊勢(いせ)
  • 市場通り(いちばどおり)
  • 内山(うちやま)
  • 浦宿浜(うらしゅくはま)
  • 江島(えのしま)
  • 尾浦(おうら)
  • 大石原浜(おおいしはら)
  • 大原(おおはら)
  • 大道(おおみち)
  • 女川(おながわ)
  • 女川浜(おながわはま)
  • 御前浜(おんまえはま)
  • 海岸通り(かいがんどおり)
  • 桐ケ崎(きりがさき)
  • 黄金(こがね)
  • 小乗(このり)
  • 小乗浜(このりはま)
  • 桜ケ丘(さくらがおか)
  • 指ケ浜(さしのはま)
  • 清水(しみず)
  • 高白浜(たかしろはま)
  • 竹浦(たけのうら)
  • 塚浜(つかはま)
  • 野々浜(ののはま)
  • 針浜(はりのはま)
  • 宮ケ崎(みやがさき)
  • 横浦(よこうら)
  • 鷲神(わしのかみ)
  • 鷲神浜(わしのかみはま)
cf. ≪外部リンク≫女川町(牡鹿郡)(宮城県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2020年10月18日閲覧。

歴史[編集]

女川町西方背後にある黒森山の麓にあたる奥地に安野平(あのたいら)という所から流れ出る渓流がある。伝承によれば、平安時代に起こった前九年の役の際に安倍貞任の軍勢が隣村の稲井(現在の石巻市稲井)の館に寄り、源氏方の軍と戦ったとき、一族の婦女子を安全地帯であった安野平に避難させた。このことから、ここから流れ落ちる小川を「女川」と呼ぶようになったという[9][10]

江戸時代仙台藩領だった。仙台藩では領内を南方、北方、中奥、奥の四つに区分していて、女川がある牡鹿郡は中奥に属した。牡鹿郡は陸方と浜方に区分され、さらに浜方はその内部で狐崎組、十八成組、女川組に分けられ、それぞれに大肝入が置かれた[9]

1889年明治22年)4月1日に町村制が施行された際、藩政時代の女川組20浜の各村が合併して女川村となった。村名に女川が選ばれたのは、女川浜が藩政時代に女川組の大肝入の居住地であったこと、全地域が女川組としてまとめられていたこと、また地の利を得ていたことに由来するのだろうと『女川町誌』は記している[9]1926年大正15年)4月1日に町制へ移行し、女川町となった。

女川湾は比較的水深が深く、宮城県に寄港する大型船舶の碇泊地になることが多かった[11]塩釜港石巻港浚渫整備される以前は、日本海軍艦船が女川湾に停泊しており、女川湾の商港の整備に当たって軍港誘致の請願が行われた[11]第二次世界大戦中には、東北地方太平洋岸の防空対潜任務のため、横須賀鎮守府隷下の「女川防備隊」がここに設置され、艦艇が配置された[12]。また、太平洋戦争末期の1945年昭和20年)8月9日には連合国軍機による空襲を受けて海軍艦艇7隻が撃沈された[13][12]

年表[編集]

1975年度の女川町の市街地国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
東日本大震災の遺構として保存、公開されている旧女川交番

行政区域の変遷(市町村制施行以後)[編集]

行政[編集]

女川町の財政は、東北電力女川原子力発電所の立地による固定資産税や「原子力発電施設等周辺地域交付金」および「電力移出県等交付金」からなる「電源立地特別交付金」が交付されるため、近隣の市町村と比べると潤沢な財政を持つ。2012年度までは地方交付税が支給されていない地方公共団体であった。そのため、石巻市など周辺市町村との合併には消極的である。

歴代町長[編集]

女川町の歴代町長および女川村の歴代村長は以下の通りである[20]

歴代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考
 ?
須田善明 2011年平成23年)11月13日
(現職)
平成11年〜宮城県議会議員
 ?
安住宣孝 1999年(平成11年)9月19日 2011年(平成23年)11月12日 東日本大震災が発生。
18〜22代
須田善二郎 1983年昭和58年)6月12日 1999年(平成11年) 在任中に他界。2人目の名誉町民。
8〜17代
木村主税 1947年(昭和22年)1月31日 1983年(昭和58年)5月4日 1983年2月、初当選以来十期連続での当選を果たす。しかし、体調を崩しながらの選挙で無理をしたことがたたり、当選後間もなく入院。同年5月、他界する。初めての名誉町民。
6〜7代
須田金太郎 1942年(昭和13年)年8月5日 1946年(昭和21年)11月21日 再選
5代
松川豁 1938年(昭和13年)年8月5日 1942年(昭和17年)8月4日 再選
4代
木村喜太郎 1938年(昭和13)年4月13日 1938年(昭和13年)7月21日
3代
須田金太郎 1934年(昭和9年)3月25日 1938年(昭和13年)3月24日 女川村が町制を施行。
初〜2代
松川豁 1926年大正15年)3月17日 1934年(昭和9年)3月16日

警察[編集]

  • 石巻警察署 女川交番 :東日本大震災で被災後、女川浜大原190(女川総合グラウンド内)で仮設交番として機能[21]。2017年9月、女川駅前に再建された。
  • 石巻警察署 指ヶ浜駐在所 :震災で被災後、閉設中(所在地:指ヶ浜指ヶ浜1)[21]

郵便事業[編集]

  • 女川郵便局(東日本大震災後は石巻郵便局が集配を担当している[22]。)2017年3月、女川駅前に再建。
  • 出島簡易郵便局
  • 江島簡易郵便局

立法[編集]

町議会[編集]

  • 定数:12名
  • 議長:佐藤良一(無所属)
  • 副議長:鈴木公義(無所属)

以下は2020年10月19日現在での町議会議員の一覧である。

会派名 議席数 議員名(◎は代表)
日本社会党 1 阿部律子
無所属 11 隅田翔、髙野晃、鈴木良徳、佐藤誠一、宮元潔、阿部美紀子、阿部薫、平塚勝志、木村公雄、鈴木公義、佐藤良一

経済[編集]

シーパルピア女川(女川駅前商店街、2016年8月11日)

産業[編集]

水産業
ギンザケホタテガイアワビホヤカキなどの養殖漁業に加え、サンマなどの沿岸漁業も盛んである。特にギンザケとサンマの水揚げ量は全国でも有数。
産業人口
第一次産業:997人、第二次産業:2,256人、第三次産業2,942人(2000年国勢調査
企業

地域[編集]

人口[編集]

女川町と全国の年齢別人口分布(2005年) 女川町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 女川町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

女川町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


スポーツチーム[編集]

教育[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

廃止された学校[編集]

  • 宮城県女川高等学校(2014年3月31日閉校)…事務継承先は、宮城県石巻高等学校。跡地には、2016年度より宮城県立支援学校女川高等学園が設置されている。
  • 女川町立女川第一中学校(2013年3月31日、女川中学校に改称して第二中と統合された。)
町が東日本大震災で被災した後、損壊著しい町庁舎に代えて、本校校舎2階に女川町災害対策本部が置かれている[23]
  • 女川町立女川第二中学校(閉校)
  • 女川町立女川第三中学校(1994年に閉校)
  • 女川町立女川第四中学校(2010年に、第一中に統廃合されて閉校)
  • 女川町立女川第一小学校(2013年3月31日、女川小学校に改称して他の町立小と統合された。)
文部科学省が推進する学力向上フロンティア事業[24]の指定校(フロンティアスクール)。
  • 女川町立女川第二小学校(閉校)
  • 女川町立女川第三小学校(2010年に、第二小に統廃合されて閉校)
  • 女川町立女川第四小学校(閉校)
  • 女川町立女川第五小学校(1993年に閉校)
  • 女川町立女川第六小学校(2010年に、第一小に統廃合されて閉校)

交通[編集]

女川駅(2016年8月11日)

港湾[編集]

女川〜出島江島間の定期航路(シーパル女川汽船
女川〜金華山航路(潮プランニング[25]
国道398号の前身となる宮城県道女川志津川線が開通するまでは、女川港から塚浜港や、石巻市旧雄勝町域までの定期航路が存在した(雄勝港、船越港)[11]

鉄道[編集]

※かつては金華山軌道が走っていた。
  • 隣接市町村への連絡
石巻線 石巻駅から女川駅まで約30分
  • 都道府県庁への連絡
石巻線 石巻駅から女川駅まで約30分
仙石線 仙台駅から石巻駅まで約60分
※石巻線 - 仙石東北ライン経由の女川 - 仙台直通列車(快速)が2016年8月6日より1日1往復運行されている。

路線バス[編集]

  • 路線バス(ミヤコーバス
  • 石巻市雄勝地区住民バス(乗合ジャンボタクシー):女川駅前から旧・雄勝町内伊勢畑(雄勝総合支所)・明神・小島まで。

道路[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

道の駅[編集]

名所・旧跡・観光スポット・イベント[編集]

女川町総合運動公園総合体育館(2012年9月8日)

名所・旧跡・観光スポット[編集]

女川町 史跡 指ヶ浜貝塚
女川温泉ゆぽっぽ(2015年5月21日)

観光スポット[編集]

名所・旧跡[編集]

イベント[編集]

無形文化財等[編集]

ゆかりのある著名人[編集]

出身著名人[編集]

大正生まれ
昭和生まれ
平成生まれ
生年未確認

その他のゆかりある著名人[編集]

  • ロバート・ハンプトン・グレー - カナダ海軍大尉。1945年8月9日の戦闘に参加し死亡したパイロット。第二次世界大戦における最後のカナダ人戦死者で、ヴィクトリアクロス勲章を授与された。命日には駐日カナダ国防軍武官らが出席し慰霊祭が行われる。記念碑は崎山公園にあったが、後に女川町地域医療センターの敷地内に移された[14]。この縁があり、東日本大震災の発生時にはカナダ海軍退役軍人らの団体から義援金が寄せられた[26]
  • マイケル・アリアスアメリカ人CGクリエイター映画監督(代表作『鉄コン筋クリート』)。妻が女川町出身ということもあって、マイケル・アリアス本人の希望で2007年(平成19年)3月24日、『鉄コン筋クリート』の舞台挨拶付き上映会を女川町の隣りの石巻市にある岡田劇場で開催した経緯がある。1968年2月2日生まれ。
  • 勝又英樹:プロバスケットボール選手(bjリーグ仙台89ERS所属)。両親が女川町出身で本人も生まれてから6歳まで女川町で過ごす。1980年6月16日生まれ。
  • ももいろクローバーZ:メンバーの発案で震災直後より定期的に女川町を訪問し、地域のラジオやイベントに出演。町のお祭りでライブを行い、約7000人を集客したこともある[27]。女川町をイメージして作った「仮想ディストピア」という楽曲があり[28]、ユートピア(理想郷)の正反対の状態であるディストピアが、希望の社会へ生まれ変わる様が描かれている。歌詞には「瓦礫(がれき)の中からマシンを作った」「星がひとつ生まれ変わった」などと、町が復興する過程が盛り込まれた。2013年の全国ツアー宮城公演においては、女川町の老舗蒲鉾店「高政」とのコラボ商品開発など連携を図り、ツアータイトルは「蒲鉾本舗 高政 Presents ももいろクローバーZ JAPAN TOUR "GOUNN" 宮城公演」となった(「高政」にスポンサー料などは発生していない)[29]
  • 永里優季:女川町観光大使に任命された。
  • WACK所属グループ:震災直後からおながわ秋刀魚収獲祭でBiS等のグループがライブを行ったり、2019年、2020年には「ONAGAWACK」と評したライブと市街地での遊びを兼ねたイベントを開催している。なお、「ONAGAWACK」の実行委員長は女川町の老舗蒲鉾店「高政」4代目社長、高橋正樹。

東日本大震災[編集]

被災した女川町(2011年4月10日撮影)
被災した女川町中心市街

2011年平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所震度計震度6弱を観測した[30][31](町内の検測所は津波で流失)。 さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った[32]東日本大震災[33][注釈 1][注釈 2]。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高[注釈 3])は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mを記録した[34][35]

津波で3階建ての町庁舎も冠水した[32]が、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システム[注釈 4]が壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った[36]

女川湾から約100mのところにあった七十七銀行女川支店では高さ約10mの屋上に行員が避難したが津波に飲み込まれた[37]

東北電力は女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した[38]。女川原発の敷地の標高は14.8mであるが、地震で約1m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80cmの高さにまで迫っていたことが判明した[38]。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた[38]。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3- 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという[38]

町域にある鉄道駅のうちJR石巻線女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた[33][39]。また、女川-石巻間では線路が損傷した[40]

更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている[41][42]

復興に際しては将来の津波被害に備えて、住宅は津波が遡上しにくい高台に、商業施設などを低地に整備する街づくりを進めている。日本の他地方同様、震災前から少子高齢化が進んでいたうえに、復興計画づくりや宅地造成に時間がかかり、町外へ転出した住民も多い。2018年3月15日付『日本経済新聞』朝刊によると、人口は約6600人で震災前と比べ約34%減少。企業や工場、商店といった事業所数は約360で震災直後(2012年)の約190より増えたが、震災前の約660(2009年)には及ばない[47]

震災や復興に関連する施設[編集]

女川いのちの石碑
きぼうのかね商店街
女川コンテナ村商店街
シーパルピア女川[48]
マリンパル女川
ホテル・エルファロ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ “宮城県・女川町の空撮”. asahi.com(動画) (朝日新聞社). (2011年3月20日). http://www.youtube.com/watch?v=f5Sutj12IGI 2011年6月5日閲覧。 YouTubeを用いたasahi.comのニュース動画。
  2. ^ 写真で見る市内各地区の被災状況:被災後の市内の状況 - 大船渡市”. (公式ウェブサイト). 大船渡市 (2011年). 2017年8月16日閲覧。
  3. ^ 津波発生時の海面から、陸上部の津波の浸水面までの高さ。
  4. ^ 環境放射線監視システムの概要”. (公式ウェブサイト). 宮城県原子力センター. 2011年6月9日閲覧。

出典[編集]

  1. ^ 女川町について - 2020年11月16日閲覧。
  2. ^ 「『さんまdeサンバ』OECD東北スクール女川町チーム」
  3. ^ 日本の植生”. 東北大学植物園. 2021年3月15日閲覧。
  4. ^ 綾の照葉樹林”. 林野庁九州森林管理局. 2021年3月15日閲覧。
  5. ^ 女川 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年1月16日閲覧。
  6. ^ 宮城県広域石巻圏について - 2020年10月18日閲覧。
  7. ^ 宮城県牡鹿郡女川町の郵便番号一覧、住所・地名の読み方2020年11月25日閲覧。
  8. ^ 女川町 | 地名-地図
  9. ^ a b c 女川町誌 118頁
  10. ^ 女川町について
  11. ^ a b c 女川町誌。
  12. ^ a b 女川防備隊”. 愛国顕彰. 個人 (2009年12月23日). 2011年5月13日閲覧。
  13. ^ a b 大内(2009)
  14. ^ a b 女川湾で戦死 カナダ軍大尉を追悼 | 河北新報オンラインニュース
  15. ^ 図典 日本の市町村章 p35
  16. ^ a b 2010年・女川の食資源を生かした地域づくり:復興ヘの記憶として (PDF)
  17. ^ 復興を支えるのは「人々の交流」
  18. ^ “震災遺構旧女川交番が完工 横倒しの姿、教訓伝える”. 河北新報. (2020年3月1日). https://kahoku.news/articles/20200301kho000000058000c.html 2022年3月24日閲覧。 
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参考文献[編集]

  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113 
  • 大内建二『あなたが知らない船の話―船がもたらした衝撃のエピソード14篇』光人社〈光人社NF文庫〉、2009年9月22日。ISBN 978-4-7698-2616-3 
  • 女川町誌編纂委員会 『女川町誌』 女川町、1960年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三 『角川日本地名大辞典 4 宮城県』 角川書店、平成3年9月1日発行。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]