南武平町

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南武平町
南武平町の位置(愛知県内)
南武平町
南武平町
南武平町の位置
南武平町の位置(名古屋市内)
南武平町
南武平町
南武平町 (名古屋市)
北緯35度9分57.1秒 東経136度54分39.1秒 / 北緯35.165861度 東経136.910861度 / 35.165861; 136.910861
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
名古屋市
中区
町名廃止 1969年10月21日
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
ナンバープレート 名古屋

南武平町(みなみぶへいちょう)は、愛知県名古屋市中区にあった地名。現在の四丁目・栄五丁目の各一部に相当する。 1丁目から5丁目が設定されていた[1]

地理[編集]

名古屋市中区中央部に位置していた。東は七曲町大坂町3丁目・池田町松島町、西は南久屋町1丁目~3丁目・大阪町2丁目・月見町、南は東陽町2丁目・3丁目、北は新栄町1丁目・2丁目に接していた。

歴史[編集]

地名の由来[編集]

武平町という町名は清洲越しの際、普請奉行松井武兵衛が屋敷を構えたことから武兵衛町(のち武平町)と称したものである[2]。当地はその伝馬町筋以南にあたる[3]

沿革[編集]

  • 明治5年9月 - 武平町筋の伝馬町以南に愛知郡南武平町として成立[1][3]
  • 1878年明治11年) - 名古屋区成立に伴い、同区南武平町となる[3]
  • 1887年(明治20年) - 愛知県尋常師範学校が、七間町より当地に移転[3]
  • 1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市南武平町となる[3]
  • 1890年(明治23年) - 愛知県測候所が新設される[3]
  • 1900年(明治33年) - 愛知県庁南久屋町より当地に移転[3]。翌年、隣接地に県議事堂が建設される[3]
  • 1903年(明治36年) - 愛知県立高等女学校が設置される[3]
  • 1905年(明治38年)12月27日 - 私立名古屋産婆看護学校が設立される[5]
  • 1907年(明治40年)7月15日 - 一部を新栄町に分割編入する[1]
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区南武平町となる[1]。角川日本地名大辞典によれば、同時に東区南武平町が成立したという[3]
  • 1911年(明治44年)11月1日 - 町域変更を以下の通り実施した[1]。角川日本地名大辞典によれば、東区南武平町が同区武平町となったという[3]
    • 前津小林町字上キロメキ・南鍛冶屋町2・3丁目を南武平町3丁目に編入。
    • 前津小林町字上キロメキ・下キロメキを南武平町4丁目に編入。
    • 栄町筋以北の南武平町1・2丁目を東区武平町とした。
    • 従来の南武平町3・4丁目を南武平町1・2丁目に変更。
  • 1912年大正元年)10月 - 中区南武平町内に大正蓄音機株式会社が設立される[6]
  • 1944年昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区南武平町となる[1]
  • 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区南武平町となる[1]
  • 1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示実施に伴い、南武平町1~3丁目が栄四丁目、南武平町2~4丁目が栄五丁目に編入され、消滅[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 福岡清彦 1976, p. 27.
  2. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1185.
  3. ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1292.
  4. ^ 沿革”. 学校法人 名古屋学院 名古屋中学校・高等学校. 2016年6月17日閲覧。
  5. ^ 結城陸郎 2000, p. 176.
  6. ^ 名古屋市会事務所 1963, p. 185.

参考文献[編集]

  • 名古屋市会事務所 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務所、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5 
  • 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。 
  • 結城陸郎『愛知県近代女子教育史』愛知県郷土資料刊行会、2000年7月。ISBN 4-87161-072-1 

関連項目[編集]