鹿屋バイパス

一般国道
バイパス
国道220号標識
鹿屋バイパス
国道220号バイパス
路線延長 10.63km
開通年 1982年 - 1992年
起点 鹿児島県肝属郡肝付町富山笠之原
(笠野交差点)
終点 鹿児島県鹿屋市白水町
(鹿屋市一里山交差点)
接続する
主な道路
記法
国道220号(現道)
国道269号
大隅縦貫道
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
鹿屋市札元(日南方面)
鹿屋大橋
郷之原トンネル入口(垂水方面)

鹿屋バイパス(かのやバイパス)は、 鹿児島県肝属郡肝付町(旧高山町)から同県鹿屋市に至る全長約11km国道220号バイパス道路である。1992年3月25日暫定2車線で全通し、2010年末に郷之原トンネル区間を除き4車線化された。

沿革[編集]

鹿屋市街地の交通渋滞対策として1973年度に基礎調査を開始。1980年5月から工事を開始し、1992年に全線開通した。起点の肝付町富山から鹿屋市郷之原町までを第1期、鹿屋市郷之原町から終点の鹿屋市白水町までを第2期として工事を進めた。

全通後ロードサイド店舗が多数立地するようになり、交通量も大隅半島で最も多くなったことから、2001年から2003年度にかけて鹿屋市大浦町(上谷口交差点付近)以西と鹿屋大橋・弥生橋を除く区間が、2010年3月に鹿屋大橋・弥生橋が、そして同年12月に第1期区間が全線4車線化された。開通直後の1993年には新たな商圏が誕生することが予想されており[1]、後にそれが現実となった。

工事中に鹿屋市王子町(MEGAドン・キホーテ鹿屋店付近[2]、旧ベスト電器鹿屋本店→エディオン鹿児島鹿屋店跡地)で弥生時代竪穴建物などが発見され、1980年度から1984年度にかけて発掘調査と「王子遺跡資料館」への移転作業が実施された。

  • 1980年5月19日 - 一部区間を着工。
  • 1982年4月 - 一部区間(札元)の800mを供用開始。
  • 1986年4月5日 - 一部区間(札元 - 大浦間)の2,260mを供用開始。
  • 1988年4月2日 - 一部区間(起点 - 札元269交差点間)の2,765mを供用開始。
  • 1989年12月16日 - 郷之原トンネルが貫通。
  • 1990年1月18日 - 一部区間(大浦 - 郷之原間)の2,935mを供用開始(第1期区間の8.76kmが全通)。
  • 1992年3月25日 - 暫定2車線で全線開通(第2期区間の1,870mが全通)。
  • 2001年5月 - 札元地区(県道550号交点 - 弥生橋間の2.29km)と大浦地区(鹿屋大橋 - 上谷口交差点間の1.86km)の4車線化工事を開始。
  • 2001年12月27日 - 札元・大浦地区を4車線化。
  • 2004年3月 起点 - 県道550号交点を4車線化。
  • 2010年3月30日 - 鹿屋大橋・弥生橋を4車線化[3][4]
  • 2010年12月27日 - 大浦・郷之原地区を4車線化(第1期区間の約8.7kmの4車線化完了)[5]

概要[編集]

  • 延長 - 10.63km
  • 幅員 - 25m
  • レーン - 4車線
  • 起点 - 鹿児島県肝属郡肝付町富山笠之原 (笠野交差点)
  • 終点 - 鹿児島県鹿屋市白水町一里山 (鹿屋市一里山交差点)
  • 最高所 - 海抜120m (鹿屋市白水町)
  • 最低所 - 海抜58m (肝属町富山)
  • 交通量 - 19,534台/ (鹿屋市王子町)

構造物[編集]

  • 弥生橋(82m)
  • 鹿屋大橋(543m)
  • 大浦橋(67m)
  • 郷之原トンネル(660m)
  • 一里山橋(188m)

肝属川国道504号をまたぐ鹿屋大橋はディビダーグ工法で設計されている。渡り初めには約1,500人が参加した。

郷之原トンネルは1988年度から工事を進め、1989年12月16日に貫通。1992年3月25日に開通した。幅員は10.7m、高さは6.7m、総工費は16億4,000万円。

接続道路[編集]

ロードサイド店舗[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 鹿屋市史編さん委員会・編 『鹿屋市史 下巻(改訂版)』 鹿屋市、1995年3月、679-680頁。
  • 『広報かのや』 鹿屋市(初代)、2001年4月号・2002年1月号。

外部リンク[編集]