魚町 (姫路市)

日本 > 兵庫県 > 姫路市 > 魚町 (姫路市)
魚町
魚町の位置(兵庫県内)
魚町
魚町
魚町の位置
北緯34度49分56秒 東経134度41分14秒 / 北緯34.83222度 東経134.68722度 / 34.83222; 134.68722
日本の旗 日本
都道府県 兵庫県
市町村 姫路市
面積
 • 合計 0.03 km2
人口
2021年令和3年)12月31日現在)[2]
 • 合計 46人
 • 密度 1,500人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
670-0905[3]
市外局番 079[4]
ナンバープレート 姫路

魚町(うおまち)は兵庫県姫路市町名郵便番号670-0905[3]

地理

[編集]

姫路市の中心市街地・内町に位置する。北東で西二階町、東で立町、南で塩町、西で博労町、北西で福中町と接する。播磨地方随一の歓楽街繁華街を擁する。姫路駅姫路城をつなぐ大手前通りを西に入ると、飲み屋の集合ビルが立ち並ぶ魚町通りがある。伝統的にスナック居酒屋等の飲み屋が中心で、風俗店は少なめである。

広域地名

[編集]

狭義の「魚町」とは魚町のみを指すが、広義で「魚町」と言えば大手前通りの西側、魚町に隣接した同じような街並の塩町坂元町を含めた地域を指す。

歴史

[編集]

姫路城改修時の町割りで設置された町で、元は西魚町と称した[5]。「恵美酒町ノ西ノ町デ悉ク魚店」だったという[6]。隣接する恵美酒町と共に盛り場として栄え、姫路藩家老河合道臣(寸翁)が建てさせた料亭(藩御用商人の接待所)や藩用宰舎(監獄、勤王志士河合宗元らが姫路藩佐幕派による弾圧「甲子の獄」によって獄死した場所)があった[6][7]

明治時代に陸軍第10師団が設置された際には、歓楽街となっていた西魚町付近に遊郭を設置する案があったが、最終的に野里梅ヶ枝町へ設置されている。芸者の養成・斡旋をおこなう検番が設置され、地元の城南小学校出身者以外を募集していた[7]

1945年7月3日の姫路空襲で全域が被災[8]。戦後の売春防止法制定による赤線廃止と共に検番も縮小、バーやキャバレーといった形態の店舗が増加する[7]

1983年(昭和59年)の戦災復興事業による区画整理に伴う町域変更により、西魚町は魚町となって一部が塩町・福中町・西二階町・博労町となり、恵美酒町・竪町・福中町・福中内新町・西塩町の各一部が魚町に編入される[6]

内町には魚町の前身・西魚町のほかに中魚町・東魚町もあったが、それぞれ場所が離れていて、区画整理で中魚町は亀井町紺屋町・呉服町のそれぞれ一部に、東魚町は坂田町・大黒壱丁町のそれぞれ一部となっている(内町 (姫路市)#現存しない町名参照)。

世帯数と人口

[編集]

2021年(令和3年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
魚町 24世帯 46人

小・中学校の学区

[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

番地 義務教育学校
全域 姫路市立白鷺小中学校

交通

[編集]

道路

[編集]
  • 魚町通り

施設

[編集]

かつての施設

[編集]
  • 憲兵隊屯所 - 第10師団設置時に藩用監獄跡に設置、のち光源寺前(姫路駅付近)へ移転[7]
  • 武徳殿 - 1908年(明治41年)に建設されて練武の他様々な行事に用いられた。米騒動対応の米の廉売もおこなわれたという。戦災焼失[7]

脚注

[編集]
  1. ^ 兵庫県姫路市魚町 (282010180)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2022年3月15日閲覧。
  2. ^ a b 町別人口・年齢別人口-令和3年(2021年)12月末-”. 姫路市 (2021年12月31日). 2022年3月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2022年3月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年3月15日閲覧。
  5. ^ 東魚町は1981年(昭和56年)に坂田町・大黒壱丁町の一部となっている(角川地名兵庫p.1232)。
  6. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』角川書店、1988年、235「魚町」,263-264「恵美酒町」,1106「西魚町」頁。 
  7. ^ a b c d e 横山忠雄『ふるさと城南ものがたり』城南地区連合自治会、1989年、87-94頁。 
  8. ^ 戦災概況図姫路』第一復員省資料課、1945年https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000173 
  9. ^ 市立小学校・中学校・義務教育学校への入学・転校などのご案内”. 姫路市. 2022年3月15日閲覧。