蜻州丸

蜻州丸(せいしゅうまる)とは、大日本帝国陸軍が運用した特殊起重機船 (クレーン船)である。自力で航行できる機動性を活かし、要塞建設にサルベージに活躍した縁の下の力持ちである。

概要[編集]

ワシントン軍縮条約によって戦艦巡洋艦などの大型艦船の保有数が制限されたことで、その時点で建造中の戦艦は開発中止になるか、標的艦空母に改装されるなどの措置を受けることとなる。そして、それらの艦船に搭載される予定だった主砲・副砲も余剰となってしまったので、離島の沿岸砲や要塞砲に転用する運びとなった。

しかし、戦艦クラスの主砲・副砲となると、その重量は砲身のみでも100トン前後に及び、それを離島に輸送するには専用の大型起重機を搭載した船は必須だったが、当時の日本にはそのようなクレーン船はせいぜい港内を移動できる程度のモノであり、外洋を航行するのは不可能であった。

そのため、日本陸軍は新たに外洋を航行可能なクレーン船を、1925年(大正14年)に建造開始した。このクレーン船は翌年2月に完成し「蜻州丸」と名付けられた。蜻州丸は船体の前半部分が釣り上げ最大荷重150トンの主クレーン1基と、その両脇に釣り上げ最大荷重20トンの副クレーン2基が占めていた。

完成した蜻州丸は直ちに、日本各地の海岸砲台への艦載砲の輸送任務に従事した。

その後勃発した太平洋戦争では、フィリピンシンガポールの攻略戦において使用された重砲も本船が輸送している。

また、南方で蒸気機関車 等の重量物の揚陸や、サルベージにも活躍した。

終戦時はシンガポールに在泊していたが、イギリスの管理下に移り、香港で鉄道の修復工事に参加している。最期は台風により香港近辺で沈没した。

諸元[編集]

  • 総噸数:1,300t
  • 長さ:61.0m
  • 幅:15.3m
  • 深さ:5.3m
  • 機関:往1
  • 船質:鋼
  • 船種:汽船
  • 船籍港:広島
  • 船主:陸軍省
  • 予算:要塞整理費
  • 造船所:株式会社東京石川島造船所
  • 装備:150t起重機1基、20t起重機2基
  • 兵装:四十口径八糎単装砲1門
  • 同型船:なし

要塞砲運搬[編集]

沿革[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 陸軍重砲兵学校砲塔加農練習隊の実習教材を兼ねる
  2. ^ この砲塔設置作業時には、本船はまだ未完成で、千代ケ崎砲台の作業にて、起重機の実用試験を行、大正14年9月砲塔据付を完了。翌15年春、細部改修を行った上で竣工。
  3. ^ 大正14年8月、本船の名称を、砲揚丸、陸陽丸、運揚丸 、蜻州丸、鎮海丸、天佑丸、平洋丸、瑞洋丸の中から蜻州丸に決定。

出典[編集]

参考文献・資料[編集]

  • 大内健二『輸送船 給糧艦 測量艦 標的艦 他 -主力艦の陰に存在した重責を果たした艦船-』光人社NF文庫、2016年8月16日発行。
  • 石橋孝夫『日本海軍の大口径艦載砲 戦艦「大和」四六センチ砲にいたる帝国海軍軍艦艦砲史』潮書房光人社(光人社NF文庫)、2018年8月発行。
  • 「世界の艦船」海人社 1996年2月号
  • 「世界の艦船」海人社 2013年4月号「思い出の日本貨物船その200」
  • 「アジア歴史資料センター」C03012126100
  • 「アジア歴史資料センター」C03012275300

関連項目[編集]