第二次世界大戦の会談・会議

第二次世界大戦の会談・会議(だいにじせかいたいせんのかいだん・かいぎ)では、第二次世界大戦中に行われた主要な会議や会談を記述する。

枢軸国側の会議[編集]

名前
(コードネーム)
場所 日時 主要な出席者 主な討議内容と結果
大東亜会議 東京日本 1943年11月5日 - 6日 東條英機汪兆銘モウボース 大東亜共同宣言の採択

連合国側の会議[編集]

連合国側はこの他にも欧州諮問委員会英語版等の連絡会議をしばしば行っていた。

名前
コードネーム
場所 日時 主要な出席者 主な討議内容と結果
米英参謀会談
(ABC-1)
ワシントンD.C.アメリカ合衆国 1941年1月29日 - 3月27日 アメリカ軍イギリス軍カナダ軍参謀 アメリカが戦争に参加することに対する基本同意と計画策定
大西洋会談
(RIVIERA)
アルゲンティア、ニューファンドランドカナダ 1941年8月9日 - 12日 チャーチルルーズベルト 大西洋憲章の策定
第1回モスクワ会談 モスクワソビエト連邦 1941年9月29日 - 10月1日 スターリンハリマンビーバーブルック 連合国がソ連援助を決定
第1回ワシントン会談
(ARCADIA)
ワシントンD.C.、アメリカ合衆国 1941年12月22日 - 1942年1月14日 チャーチル、ルーズベルト ヨーロッパ優先の原則、連合国共同宣言
第2回ワシントン会談 ワシントンD.C.、アメリカ合衆国 1942年6月19日 - 25日 チャーチル、ルーズベルト イギリス海峡を越えての侵攻前に北アフリカ戦線において、第二戦線を作ることを優先することへの合意
第2回モスクワ会談 モスクワ、ソビエト連邦 1942年8月12日 - 17日 チャーチル、スターリン、ハリマン イギリス海峡を越えての侵攻と北アフリカ戦線を開始することの理由の議論
シャーシャル会談 シャーシャル英語版アルジェリア 1942年10月21日 - 22日 アメリカのクラーク大将、ヴィシー・フランスのマストを含む士官 トーチ作戦前の秘密会議、ヴィシーフランスの指揮官・ダルラン大将がモロッコアルジェリアへの連合国の上陸に抵抗しないことに同意[1]
カサブランカ会談
(SYMBOL)
カサブランカモロッコ 1943年1月14日 - 24日 チャーチル、ルーズベルト、ド・ゴールジロー イタリア侵攻作戦と1944年のイギリス海峡を渡っての侵攻計画の策定、枢軸国に対する無条件降伏要求の宣言、フランスの戦闘組織(自由フランス軍と北アフリカ旧ヴィシー軍)の統一
第3回ワシントン会談
(TRIDENT)
ワシントンD.C.、アメリカ合衆国 1943年5月12日 - 27日 チャーチル、ルーズベルト イタリア戦線の計画、ドイツへの航空攻撃の増加、太平洋戦線への兵力増強
ケベック会談
(QUADRANT)
ケベックカナダ 1943年8月17日 - 24日 チャーチル、ルーズベルト、キング D-デイを1944年に設定、東南アジアの指揮系統の再編成、核エネルギーの情報の共有の制限を行ったケベック秘密協定の締結
第3回モスクワ会談英語版 モスクワ、ソビエト連邦 1943年10月18日 - 11月1日 ハルイーデンモロトフ モスクワ宣言
カイロ会談
(SEXTANT)
カイロエジプト 1943年11月23日 - 26日 チャーチル、ルーズベルト、蔣介石 アジアの戦後に関するカイロ宣言
テヘラン会談
(EUREKA)
テヘランイラン 1943年11月28日 - 12月1日 チャーチル、ルーズベルト、スターリン 三巨頭(ビッグ・スリー)による最初の会議。ドイツとその同盟国との戦争の最終的な戦略、オーバーロード作戦の日程の設定
第2回カイロ会談英語版
(SEXTANT)
カイロ、エジプト 1943年12月4日 - 6日 チャーチル、ルーズベルト、イノニュ 連合国のトルコの飛行場の利用の同意、日本支配下のビルマへの侵攻(アナキム作戦)の延期
ブラザヴィル会議フランス語版 ブラザヴィルフランス領赤道アフリカ 1944年1月30日 - 2月8日 ド・ゴール、エブエらフランス植民地首脳 ヴィシー政権に対する抵抗と、戦後フランス植民地に対するフランス連合内での自治権付与
イギリス連邦首相会議 ロンドンイギリス 1944年5月1日 - 16日 チャーチル、カーティンオーストラリア)、フレイザー英語版ニュージーランド)、マッケンジー・キング(カナダ)、スマッツ南アフリカ イギリス連邦のリーダーがモスクワ宣言を支持し、連合国の戦争遂行においてそれぞれが努力を行っていくという同意
ブレトン・ウッズ会議 ブレトン・ウッズ、アメリカ合衆国 1944年7月1日 - 15日 44カ国が参加 国際通貨基金国際復興開発銀行の創設(ブレトン・ウッズ協定
ダンバートン・オークス会議 ワシントンD.C.、アメリカ合衆国 1944年8月21日 - 29日 39カ国の代表、ステティニアスカドガン英語版グロムイコ 国際連合設立の同意
第2回ケベック会談
(OCTAGON)
ケベックカナダ 1944年9月12日 - 16日 チャーチル、ルーズベルト 戦後のドイツの占領計画モーゲンソー・プランの協議、その他の戦争計画
第4回モスクワ会談英語版
(TOLSTOY)
モスクワ、ソビエト連邦 1944年10月9日 チャーチル、スターリン、モロトフ、イーデン 東ヨーロッパバルカンの戦後の勢力範囲を定めたパーセンテージ協定の締結
マルタ会談
(ARGONAUT & CRICKET)
マルタ 1945年1月30日 - 2月2日 チャーチル、ルーズベルト ヤルタ会談に向けての準備
ヤルタ会談
(ARGONAUT & MAGNETO)
ヤルタ、ソビエト連邦 1945年2月4日 - 11日 チャーチル、ルーズベルト、スターリン ドイツ降伏までの最終計画、ヨーロッパの戦後計画、国際連合会議の日程の設定、日本へのロシア参戦の状況確認
国際機関に関する連合国会議 サンフランシスコ、アメリカ合衆国 1945年4月25日 - 6月26日 50カ国の参加 国際連合憲章
ポツダム会談
(TERMINAL)
ポツダムドイツ 1945年7月17日 - 8月2日 チャーチル、スターリン、トルーマンアトリー 日本軍無条件降伏を定めたポツダム宣言、ドイツの処理に関するポツダム協定の制定
ロンドン会議 ロンドン、イギリス 1945年6月26日 - 8月8日 ジャクソンイオナ・ニキチェンコファルコ ニュルンベルク裁判開始の決定、裁判の規定国際軍事裁判所憲章の制定

合計で、チャーチルは14回の会談に、ルーズベルトは12回、スターリンは5回の会談に出席した。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]