瀬川章友

瀬川 章友(せがわ のりとも、1879年(明治12年)3月6日 - 1938年(昭和13年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

1879年(明治12年)、旧新庄藩士の息子として山形県新庄市に生まれる。山形県立山形中学校(現・山形県立山形東高等学校)を首席卒業。1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官。1912年(大正元年)11月、陸軍大学校(24期、恩賜組)を卒業。

スイス駐在武官等を経て、1922年4月、歩兵大佐に昇進。以後、歩兵第3旅団長、侍従武官、陸士校長などを歴任し、1931年12月、陸軍中将に進む。第6師団留守司令官を務め、1933年12月、予備役に編入された。

年譜[編集]

栄典[編集]

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  2. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。