渡久雄

渡 久雄(わたり ひさお、1885年明治18年)10月7日[1][2] - 1939年昭和14年)1月2日[1][注 1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

東京府出身[1][2][3]元老院議官となる渡正元の三男として生まれる[1]東京府立四中卒業を経て、1905年(明治38年)3月、陸軍士官学校(17期)を卒業[2][3]、翌月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第3連隊付となる[1]近衛歩兵第4連隊付、参謀本部付勤務などを経て、1913年大正2年)11月、陸軍大学校(25期)を優等で卒業した[1][2][3]

1915年(大正4年)5月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、イギリス駐在、アメリカ駐在、アメリカ大使館武官補佐官、参謀本部員を歴任[1]1920年(大正9年)8月、歩兵少佐に昇進[1]1924年(大正13年)8月、歩兵中佐に進級[1]1925年(大正14年)8月、支那駐屯軍参謀に就任し、歩兵第38連隊付を経てアメリカ大使館付武官となり、1928年(昭和3年)8月、歩兵大佐に昇進[1][3]1930年(昭和5年)6月、参謀本部付となり[1][3]、参謀本部課長時代には、リットン調査団の立会いに随行する[要出典]1932年(昭和7年)8月、歩兵第1連隊長を経て、1933年(昭和8年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第6旅団長に就任[1][2][3]

1934年(昭和9年)8月、第9師団司令部付となり、第1師団司令部付、近衛師団司令部付、参謀本部第2部長を歴任[1][2][3]1937年(昭和12年)3月、陸軍中将に進んだ[1][2][3]。同年7月、参謀本部付に転じ、留守第12師団長を経て、1938年(昭和13年)7月、第11師団長に親補された[1][2][3]。同年12月に病に罹り[1]、翌年1月、密山で死去した[1][3]

栄典[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』816頁では1月11日。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、174頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』816頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』216-217頁。
  4. ^ 『官報』第539号、大正3年5月18日。
  5. ^ 『官報』第3601号、昭和14年1月9日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。