樋口士郎

樋口 士郎
名前
カタカナ ヒグチ シロウ
ラテン文字 HIGUCHI Shirou
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1959-09-09) 1959年9月9日(64歳)
出身地 三重県川越町
身長 177cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MFDF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

樋口 士郎(ひぐち しろう、1959年9月9日 -)は、三重県三重郡川越町出身の元サッカー選手サッカー指導者 。ポジションはMF(守備的MF)、DF日本サッカー協会公認B級コーチ、三重県サッカー協会技術委員、国体少年選抜テクニカルアドバイザー。ヴィアティン三重強化部長兼アカデミーダイレクター。実弟の樋口靖洋も元サッカー選手。

略歴[編集]

四日市中央工業高校3年次に主将として1977年度の高校選手権準優勝に貢献[1]。大会後には優秀選手として日本高校選抜に参加、また日本ユース代表にも選出され長く主将を務めていた[2]

卒業後の1978年に当時日本サッカーリーグ(JSL)2部の本田技研工業サッカー部に入部。1980年に得点王に輝き、JSL1部昇格の原動力となった。その後、1987年に本田時代の桑原勝義監督がクラブを立ち上げたばかりのPJMフューチャーズに移籍、創設期の中心選手として活躍し、1989年の天皇杯に2試合フル出場した。また、これと並行して佛教大学に入学し教員免許を取得、1990年に現役を引退した。

1991年からは母校の四中工に赴任し、サッカー部コーチとしてその年に高校総体ベスト4、高校選手権初優勝を経験した。1995年に恩師の城雄士[3] の後を継いで監督に就任。現在、多くの選手をJリーグ及び各年代の日本代表に送り出している。 

2018年10月、今季限りで勇退することが発表される。2018年12月31日、第97回全国高校サッカー選手権第1回戦、対秋田商業戦に 0 - 2 で敗れ四中工監督として最後の試合となった[4]

2019年4月よりヴィアティン三重強化部長兼アカデミーダイレクターに就任。 [5]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1978 本田 JSL2部
1979 0 0 2 1
1980 11 2 1
1981 19 JSL1部 18 0 3 0
1982 18 1 1 1
1983 12 0 1 0 3 0 16 0
1984 4 11 0 3 0 1 0 15 0
1985 10 0 0 0
通算 日本 JSL1部 69 1 8 1
日本 JSL2部
総通算

代表歴[編集]

指導歴[編集]

DVD[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 準優勝時のメンバーには同期に伊藤直司、1年下に熊谷義一、2年下に吉川亨らがいる。伊藤、熊谷とは本田技研、PJMと共に渡り歩いた。
  2. ^ 1979年のFIFAワールドユース日本大会の最終合宿まで残っていたものの落選。本大会の主将は尾崎加寿夫が務めた。
  3. ^ 閉校するまで三重中京大学サッカー部監督を務めていた。
  4. ^ 四中工一筋27年…「僕にとってサッカーは樋口士郎」 名将との二人三脚は今年限りも歴史は続く | サッカーキング
  5. ^ 樋口士郎 強化部長兼アカデミーダイレクター就任のお知ら | ヴィアティン三重公式サイト 2019年4月1日