樋口靖洋

樋口 靖洋
名前
カタカナ ヒグチ ヤスヒロ
ラテン文字 HIGUCHI Yasuhiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-05-05) 1961年5月5日(62歳)
出身地 三重県
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1985 日産自動車
監督歴
1997-1998 横浜マリノスユース
2006-2007 モンテディオ山形
2008 大宮アルディージャ
2009 横浜FC
2012-2014 横浜F・マリノス
2015 ヴァンフォーレ甲府
2016-2018 Y.S.S.C.横浜
2019-2021 FC琉球
2022- ヴィアティン三重
1. 国内リーグ戦に限る。2021年10月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

樋口 靖洋(ひぐち やすひろ、1961年(昭和36年)5月5日 - )は、三重県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

三重県立四日市中央工業高等学校1年生時に兄である樋口士郎(元同校監督)を擁する同チームで全国高校選手権準優勝を果たす。卒業後、1980年日産自動車サッカー部(現在の横浜F・マリノス)に入団した。選手としての活動は短く、1985年に日産サッカースクールのコーチに就任する。その後、Jリーグ元年の1993年からマリノスのユースコーチ・監督を務め、1999年からはトップチームのコーチに昇格した。2003年S級ライセンスを取得する。

選手・指導者時代を通して日産/マリノス一筋だったが、モンテディオ山形の監督だった鈴木淳2005年限りで退任したことに伴い、2006年から山形の監督を務めることになった。資金的に苦しい山形のチーム事情の中、安定した成績を残した鈴木の後任として手腕が注目され攻撃的サッカーをテーマに挙げたが、守備に安定感を欠き1年目は8位。翌2年目も序盤こそ好調を維持するも、中盤以降は失速し9位で終えることとなり、シーズン終了を以って退任することが決定。

2007年オフに大宮アルディージャ佐久間悟の後任として樋口を招聘。大宮は樋口の積極的な守備からの攻撃志向が、チームの目指すスタイルに合うと判断。手腕を高く評価していたが、リーグ戦で12位と低迷。2008年12月7日、今季限りで退任すると発表した。2009年からは横浜FCの監督に就任。16位に終わり、大宮に続き1シーズン限りで退任することになった。

2010年から古巣の横浜F・マリノスにコーチとして復帰し、木村和司監督の下でトップチームを指導した。

2011年12月30日、前日の天皇杯全日本サッカー選手権大会準決勝の敗戦による木村の解任を受けて、2012年シーズンから横浜F・マリノス監督に就任することが発表された[1]

2013年はシーズン当初から中村俊輔中澤佑二らのベテランを中心とし序盤戦から快進撃を続け優勝争いを演じる。第33節時点では勝ち点62で2位以下との勝ち点差を「4」をつけ9年ぶりの優勝に王手をかけるも、第33節アルビレックス新潟戦、第34節川崎フロンターレ戦と立て続けに連敗。最終節にして優勝を取りこぼした。一部報道では、先発を固定化したことで控え選手の意欲が削がれ、主力が消耗した終盤戦に総合力を発揮できなかったことが原因とされたが[2]、直後の天皇杯ではそれまで控えだった選手達が躍動し優勝を勝ち取ったことから、そのような指摘は的外れであると見る向きもある。

2014年をもってマリノスを退団し[3]、2015年からはヴァンフォーレ甲府の監督に就任[4]。しかし第3節から6連敗を喫するなど最下位に低迷。地元紙からは練習量が少ないと指摘されるなど[5] 内容も思わしくなく、第8節の浦和戦終了後に進退伺を提出し[6]、翌節の鹿島戦に勝利し連敗を止めたもののその後連敗。順位だけでなく得点3、失点20と攻守ともにリーグ最下位の状況となり、クラブとの双方合意のもと契約解除(辞任)となった[7]

2016年、横浜スポーツ&カルチャークラブの監督に就任[8]。就任当初はチームがまだアマチュアに近い状況で結果を出せないままでいたが、2017年シーズンはクラブ史上初のJ3リーグ最下位を脱出。就任3年目となる2018年も神奈川県予選を勝ち上がり天皇杯本戦に進出するなどの結果を残したが、このシーズン限りでの退任を発表した。[9]

2018年12月14日、FC琉球の監督に就任[10]。2021年10月20日、直近7試合で1分6敗と振るわずに立て直しを図るとして琉球の監督を解任された[11][12]

2021年11月26日、2022年から地元であるヴィアティン三重の監督への就任を発表[13]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1980 日産 JSL1部
1981 JSL2部
1982 JSL1部
1983
1984
通算 日本 JSL1部 1 0
日本 JSL2部
総通算

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2006 山形 J2 8位 65 48 17 14 17 - 4回戦
2007 9位 58 48 15 13 20 - 4回戦
2008 大宮 J1 12位 43 34 12 7 15 予選リーグ 5回戦
2009 横浜FC J2 16位 44 51 11 11 29 - 3回戦
2012 横浜FM J1 4位 53 34 13 14 7 予選リーグ ベスト4
2013 2位 62 34 18 8 8 ベスト4 優勝
2014 7位 51 34 14 9 11 準々決勝 3回戦
2015 甲府 18位 6 11 2 0 9 - -
2016 YS横浜 J3 16位 20 30 5 5 20 - 予選敗退
2017 14位 32 32 8 8 16 - 1回戦
2018 15位 34 32 8 10 14 - 2回戦
2019 琉球 J2 14位 49 42 13 10 19 - 2回戦
2020 16位 50 42 14 8 20 - -
2021 8位 52 34 15 7 12 - 2回戦
通算 日本 J1 - - 147 59 38 50 - -
日本 J2 - - 265 85 63 117 - -
日本 J3 - - 94 21 23 50 - -
総通算 - - 506 165 124 217 - -
  • 2015年、2021年は解任時点での成績

脚注[編集]

  1. ^ 来シーズンの監督についてのお知らせ』(プレスリリース)横浜F・マリノス、2011年12月30日http://www.f-marinos.com/tools/page_store/news_5526.html2011年12月30日閲覧 
  2. ^ V逸の悲劇 横浜M激闘の2013(中)チーム一丸には遠く (archive) カナロコ (2013年12月11日)
  3. ^ 樋口靖洋監督退任のお知らせ』(プレスリリース)横浜F・マリノス、2014年11月15日http://www.f-marinos.com/news/detail/2014-11-15/103000/1022162014年12月8日閲覧 
  4. ^ 樋口 靖洋氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2014年12月8日http://www.ventforet.jp/news/press_release/5080122014年12月8日閲覧 
  5. ^ 「練習の質と量、試合で表面化」(2015年4月20日、山梨日日新聞
  6. ^ 今季Jリーグ1号 最下位甲府が樋口監督解任(2015年5月14日、日刊スポーツ
  7. ^ 佐久間悟GM 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2015年5月13日http://www.ventforet.jp/news/press_release/5086932015年5月13日閲覧 
  8. ^ 2016シーズンY.S.C.C.TOPチーム監督 樋口靖洋氏就任のお知らせ』(プレスリリース)Y.S.C.C.横浜、2016年1月25日http://www.yscc1986.net/news/2016/01/252016年1月25日閲覧 
  9. ^ Y.S.C.C.TOPチーム 来季の監督人事について』(プレスリリース)Y.S.C.C.横浜、2018年10月17日http://www.yscc1986.net/news/2018/10/172018年10月17日閲覧 
  10. ^ 樋口靖洋監督就任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2018年12月14日http://fcryukyu.com/news/14911/2018年12月14日閲覧 
  11. ^ 樋口靖洋監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2021年10月20日https://fcryukyu.com/news/29744/2021年10月20日閲覧 
  12. ^ サッカーJ2琉球が樋口監督を解任 喜名コーチが昇格”. 産経ニュース (2021年10月20日). 2021年10月20日閲覧。
  13. ^ 【お知らせ】樋口 靖洋氏 トップチーム監督就任のお知らせ”. ヴィアティン三重 (2021年11月26日). 2021年11月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]