東札幌駅 (国鉄)

東札幌駅
ラソラ札幌の旧東札幌駅記念オブジェ
ひがしさっぽろ
Higashisapporo
地図
所在地 北海道札幌市白石区東札幌
(現・札幌市白石区菊水7条4丁目)
北緯43度3分19.2秒 東経141度23分1.9秒 / 北緯43.055333度 東経141.383861度 / 43.055333; 141.383861座標: 北緯43度3分19.2秒 東経141度23分1.9秒 / 北緯43.055333度 東経141.383861度 / 43.055333; 141.383861
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
定山渓鉄道
電報略号 ヒサ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
(国鉄:1面2線)
(定山渓鉄道:1面2線)
開業年月日 1926年大正15年)8月21日
廃止年月日 函館本線 -
1986年昭和61年)11月1日
定山渓鉄道線 -
1969年(昭和44年)11月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 千歳線函館本線
キロ程 3.1 km(苗穂起点)
苗穂 (3.1 km)
(2.7 km) 月寒
所属路線 定山渓鉄道線
キロ程 0.0 km(東札幌起点)
(1.0 km) 豊平
備考 廃駅
線路付け替えに伴い廃駅
(注:国鉄の距離表示は旅客営業時)
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東札幌駅(ひがしさっぽろえき)は、かつて北海道札幌市白石区東札幌(現・菊水7条4丁目)にあった日本国有鉄道(国鉄)千歳線廃駅)である。事務管理コードは▲131401[1]

概要[編集]

1926年大正15年)、北海道鉄道が札幌線として沼ノ端 - 苗穂間を開業させた際、苗穂駅の手前に設置されたのが当駅である。なお、先行して白石 - 定山渓間の路線を1918年(大正7年)に開業させていた定山渓鉄道線も、同時に隣接して駅を設置している。北海道鉄道では定山渓鉄道との接続を考慮して線路を敷設したため、東札幌駅前後にS字状の急カーブを生じることとなった。

なお、定山渓鉄道では、1931年昭和6年)に北海道鉄道の東札幌 - 苗穂間を直流電化し、直通乗り入れを開始、苗穂を運転上の拠点とするようになったことから、白石 - 東札幌間で運転されていた旅客列車の本数を削減(末期には日2往復)するようになり、結局、1945年(昭和20年)に不要不急線として廃止された。定山渓鉄道線そのものも、1957年(昭和32年)から自社製気動車札幌駅までの乗り入れを果たすようになったが、不採算やバスとの競合、さらに札幌市営地下鉄の敷設計画もあり、1969年(昭和44年)に全線廃止されている。

その後、室蘭本線・千歳線(海線)が函館本線山線)に代わり長万部 - 札幌間のメインルートとなったことや、札幌都市圏の拡大に伴い、千歳線の複線化が計画される。それに際し、南郷通の開かずの踏切や、前述したS字状の急カーブ(最小半径250 m)、そして大谷地 - 北広島間の最大15.2パーミルに及ぶ勾配区間を解消することと、更に1960年代に持ち上がった新札幌副都心計画の絡みもあり、1973年(昭和48年)、苗穂 - 北広島間のルートが現行の新札幌経由(苗穂 - 白石間は函館本線との重複区間)へ変更された。

これに伴い、旧線の月寒 - 北広島間、苗穂 - 東札幌間は廃止となり、月寒 - 東札幌駅間は1968年(昭和43年)に新設された東札幌 - 白石間の線路[注釈 1]と共に函館本線へ編入され、貨物線となった。このとき、東札幌の旅客扱いは廃止され、当時の駅前にバス停があった札幌市営バス苗穂駅前白石駅前との間の路線が代替バスとされた[注釈 2]

なお、貨物駅化後も出札窓口が設けられ、末期に至るまで乗車券などの販売を行っていたといわれている。

1986年11月1日国鉄ダイヤ改正に伴い、業務を1968年(昭和43年)設置の札幌貨物ターミナル駅に移管するなどして、廃止された。

歴史[編集]

1976年、千歳線旧線廃止後に函館本線の貨物駅となった東札幌駅、周囲約1.75 km範囲。右上に函館本線。右上の上へ向かうのが札幌方面への連絡線で元々の千歳線旧線、右上の中は昭和30年代後半に設けられたホクレン倉庫とその北側に位置する共同石油/ゼネラル石油/出光興産の石油基地への専用線[2]、右上の下は貨物駅となるに先立って貨物支線として設けられた白石方面への連絡線。二つの連絡線のうち札幌方面は、昭和48年の切り替えに伴い使われなくなった。下側は南東にある月寒駅へカーブして向かう、貨物線としてまだ使用されている旧線。このカーブの手前と途中の右側に踏切を挟んで石炭荷卸し線が2箇所、カーブの先(写真外)に富士セメント専用線がある[2]
写真左下近くに水色屋根の駅舎と駅前広場がまだ残っているが、ホームは判別できないほど荒れて放置されている。駅舎横の旧貨物ホームの北側に、灰色屋根の小口貨物ホームと広い緑屋根の農産品ターミナル、さらにその北にシェル石油/モービル石油の石油基地と専用線がある[2]。構内は操車線群が拡大され、駅裏北側に一般車扱ホーム6面と小口混載ホーム2面を持つ貨物ターミナルが設置されるなど、貨物駅として整備されている。この貨物ターミナルの敷地をかつて白石駅からの定山渓鉄道が右上から本線側へ斜めに縦断し、駅舎の直ぐ左下の白い空地にあった短めの島式ホームから直進して左下へ向かっていたが、構内に小道状に残された跡以外の痕跡は無くなっている[3]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

年表[編集]

駅構造[編集]

  • 定山渓鉄道の廃止まで
    • 定山渓鉄道が運用されていた頃の駅構造は、駅表側に定山渓鉄道専用、駅裏側に千歳線専用の千鳥状にずれた島式ホーム2面4線で、駅舎の南から各ホーム端部に跨線橋で連絡していた。
  • 旅客扱い廃止まで
    • 定山渓鉄道の廃止後は当鉄道のホームが撤去され、島式ホーム1面2線であった。

駅周辺[編集]

開業当初は社員の社宅や機関庫などの鉄道関連施設が広がる街並みであった。国有化後はこれらの施設が不要となり、跡地には貨物の積み込み施設ができて、商業地が広がった。旅客扱い時代から現在もある公共施設に北海道札幌方面白石警察署がある。札幌市営地下鉄東西線東札幌駅は線路を挟んだ反対側の位置となるが、東西線開通時は既に貨物駅であった。

跡地[編集]

跡地は長らく国鉄清算事業団の保有地となっていたが、1997年平成9年)に再開発のため札幌市へ譲渡された。

一時はドーム球場・仮称「ホワイトドーム」の建設構想があがり、ほぼ内定していたが、旗振り役であった阿部文男北海道開発庁長官の政治汚職事件(共和汚職事件)や建設資金の問題で立ち消えとなっていた(その後、2001年(平成13年)に豊平区羊ケ丘にて札幌ドーム完成)。

再開発用地(札幌コミュニケーションパークSORA)の約半分(北東側)に札幌コンベンションセンターなどが建てられ、残り半分(南西側)は大型商業施設用地として計画改定するも、同用地の土壌より有害物質(六価クロム)が見つかり、その除去作業や商業業者誘致の難航も絡み暫く開発が止まっていたが、2008年(平成20年)11月に大型商業施設「イーアス札幌」(後のラソラ札幌)の完成・オープンとなった。用地内定が決まるまで空き地となっていた場所は、しばらく当時のダイエー東札幌店の駐車場として無舗装で利用されていた。

東札幌駅から白石駅寄りに進んだところに国道12号があり、ここには「白石こ線橋」といまだに記されている。現在は線路が無いため、不自然なアップダウンとなっているが、費用をかけて撤去しても殆ど利便は無いため、そのままの状態で残していると思われる。そのためこ線橋の下はバラストや煙の跡が残っており、その昔千歳線があったことを鮮明にしのばせる場所である。廃駅後しばらくは、南郷通を跨ぐ形でレールが市電さながらに道路上に残されており、貨物列車専用と記された二度と変わることのない信号機も残されていた。

末期は貨物駅として機能していた東札幌駅であるため、周囲には物流関係の倉庫などが多数あり、当然のごとく日本通運系の施設も多い。しかしこちらも最近はマンションなどへ建て替えられるケースが目立っている。

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
千歳線
苗穂駅 - 東札幌駅 - 月寒駅
函館本線(貨物線)
白石駅 - 東札幌駅
定山渓鉄道
定山渓鉄道線
東札幌駅 - 豊平駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 定山渓鉄道線も開業から昭和20年までは同じ区間を運行していたが、異なる場所を通っていた。
  2. ^ 新線切り替え時に配布されていた国鉄北海道総局からの「お知らせ」による。

出典[編集]

  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、221頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  2. ^ a b c 昭和32年版、昭和39年版、昭和45年版 全国専用線一覧。
  3. ^ 札幌工事局70年史 1977年発行、P467 東札幌駅構内改良略図。
  4. ^ a b c d 『北海道百年史 下巻』 1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行。第5編資料/1年表。
  5. ^ a b c d e 『私鉄の廃線跡を歩く I 北海道・東北編』 寺田裕一著 2007年9月 JTBパブリッシング発行、P60。
  6. ^ a b c 札幌工事局70年史、P466-7。
  7. ^ a b c 北海道鉄道百年史 下巻、P76。
  8. ^ a b c d 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集・発行。
  9. ^ 『北海道鉄道百年史 下巻』 P94-96。

関連項目[編集]