岡本知剛

岡本 知剛
名前
愛称 トモ
カタカナ オカモト トモタカ
ラテン文字 OKAMOTO Tomotaka
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-06-29) 1990年6月29日(33歳)
出身地 広島県尾道市
身長 179cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
フェニックス尾道SC(吉和小
2003-2005 サンフレッチェびんごjr.ユース(吉和中
2005-2008 サンフレッチェ広島ユース(吉田中/吉田高
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2014 サンフレッチェ広島 10 (0)
2011-2012 サガン鳥栖 (loan) 60 (1)
2014 →サガン鳥栖 (loan) 6 (0)
2014-2016 サガン鳥栖 34 (0)
2016 湘南ベルマーレ (loan) 1 (0)
2017-2018 松本山雅FC 16 (1)
2019-2021 ロアッソ熊本 68 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岡本 知剛(おかもと ともたか、1990年6月29日 - )は、広島県尾道市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー並木学院高等学校卒業。

来歴[編集]

フェニックス尾道SC時代に島卓視にスカウトされ、サンフレッチェ広島の提携スクールであるサンフレッチェびんごジュニアユースに入団した。同期に井林章。中学2年ではFWとして活躍し、JFAストライカーキャンプのメンバーに選ばれたことがある。その後はボランチとしてプレー、中学3年から広島ユースに早期昇格している。同級生に原裕太郎。高校1年からボランチとしてレギュラーをつかみ、2006年Jユースカップ優勝、2007年高円宮杯準優勝に貢献した[1]

また年代別代表にはU-15から選出され[2]、2006年には城福浩率いるU-17代表に選出され、ボランチのレギュラーとしてAFC U-17選手権2006および2007 FIFA U-17ワールドカップに出場[3]。特に優勝したAFC選手権では活躍を見せ、柿谷曜一朗水沼宏太山田直輝と共に大会公式サイトで「ファンタスティック・フォー」と称された[4]

2008年、春のトップチームキャンプに参加、この時認められトップへ2種登録[3]。同年6月、本人の強い希望により高校卒業を待たずにプロ契約を結び[5]、正式にトップチームに昇格[3]髙萩洋次郎以来、球団史上2人目となる高卒前のプロ契約となった[3]。それと平行して広島県立吉田高等学校から単位制の並木学院高等学校へ転校し2009年3月に卒業[5]

また2008年、牧内辰也率いるU-19代表に選出され、右SBのレギュラーとしてAFC U-19選手権2008に出場[6]。同年には中盤に怪我人や体調不良が続出したことに伴い、J2最終節対徳島ヴォルティス戦でプロデビューを飾った。翌2009年10月、対ガンバ大阪戦でJ1デビュー。しかし、以降は怪我もあり出場機会を得られなかった[2]

2011年、出場機会を求め当時J2のサガン鳥栖に期限付き移籍する[1][2]。その前年までの鳥栖はボランチが弱点の一つであったことから、尹晶煥によりレギュラーに抜擢され藤田直之とともにダブルボランチを形成、同年度のJ1昇格に貢献した[7]。翌2012年も期限付き移籍延長により引き続き鳥栖に在籍し、主力としてJ1昇格1年目の鳥栖の上位進出に貢献した[8]

2013年、広島へ復帰する[8]AFCチャンピオンズリーグ2013では全6試合に先発出場し、リーグ戦やカップ戦のほぼ全ての試合でベンチ入りを果たすも、青山敏弘森崎和幸の前に国内公式戦での出場機会は前年より減らす形になった。

2014年、再びサガン鳥栖への期限付き移籍、主力として活躍しシーズン中である同年6月に完全移籍した[9]。2016年7月に湘南ベルマーレへ期限付き移籍[10]

2019年シーズンはロアッソ熊本に加入した。開幕当初は怪我で出遅れたが、復帰するとスタメンの座を確保しチームの首位躍進に貢献した。夏に重傷の怪我を負い手術を受け長期離脱となったがシーズン終盤に復帰した。2020年シーズンは攻撃的MFの位置での起用が多く、ボール保持時間を長くするチーム戦術に貢献し、機を見て最前線へ飛び出す動きなどで活躍した。

2021年12月4日、現役引退が発表された[11]

挿話[編集]

  • Jリーグ史上初めて、J1・J2・J3全てのカテゴリーで優勝メンバーとなった経験を持つ選手である(2008年広島でJ2優勝、2013年広島でJ1優勝、2021年熊本でJ3優勝)。ただし、前述のとおり2008年はシーズン途中でプロ契約を結んでおり、フルシーズン在籍しての全カテゴリー制覇は2023年の森脇良太が初となる[12]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 広島 32 J2 1 0 - 0 0 1 0
2009 J1 3 0 2 0 2 0 7 0
2010 0 0 0 0 1 0 1 0
2011 鳥栖 6 J2 34 1 - 0 0 34 1
2012 J1 26 0 4 0 1 0 31 0
2013 広島 15 6 0 0 0 2 0 8 0
2014 鳥栖 6 19 0 4 0 3 0 26 0
2015 11 0 3 0 1 0 15 0
2016 10 0 3 0 - 13 0
湘南 5 1 0 - 2 0 3 0
2017 松本 23 J2 5 0 - 2 0 7 0
2018 11 1 - 2 0 13 1
2019 熊本 31 J3 21 3 - 1 0 22 3
2020 33 1 - - 33 1
2021 14 0 - 0 0 14 0
通算 日本 J1 76 0 16 0 12 0 104 0
日本 J2 51 2 - 4 0 45 2
日本 J3 68 4 - 1 0 69 4
総通算 195 6 16 0 17 0 228 6
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2010 広島 32 1 0
2013 15 6 0
通算 AFC 7 0

出場歴[編集]

アンダーカテゴリー
トップチーム

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サンフレッチェ広島

松本山雅FC

ロアッソ熊本

  • 熊本県サッカー選手権大会:2回(2019年、2021年)
  • J3リーグ:1回(2021年

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b [全38クラブ網羅!ロンドン五輪世代プレーヤー図鑑]vol.25:岡本知剛(鳥栖)”. J's GOAL. 2014年6月2日閲覧。
  2. ^ a b c 【新戦力紹介】6・MF 岡本知剛”. 佐賀新聞 (2011年2月7日). 2014年6月2日閲覧。
  3. ^ a b c d ユース3年の岡本とプロ契約”. 中国新聞 (2008年6月12日). 2008年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月2日閲覧。
  4. ^ 東アジア対決となった決勝、どちらが優勝に輝くか:AFC U-17選手権”. アジアサッカー連盟公式 (2006年9月16日). 2008年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月2日閲覧。
  5. ^ a b 攻撃参加でゴール狙う MF岡本知剛(18)”. 中国新聞 (2009年3月11日). 2009年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月2日閲覧。
  6. ^ 【2009Jリーグ Pick Up!ニュージェネレーション】最終回:岡本知剛(広島)”. J'sGOAL (2009年1月16日). 2014年6月2日閲覧。
  7. ^ 連載「尹サッカー開花」① 新戦力・ボランチ岡本”. 佐賀新聞 (2011年12月6日). 2014年6月2日閲覧。
  8. ^ a b 「2年間のこと忘れない」、岡本が広島復帰”. 佐賀新聞 (2012年12月27日). 2014年6月2日閲覧。
  9. ^ 岡本知剛選手 サンフレッチェ広島より完全移籍加入のお知らせ”. J's GOAL. 2016年7月10日閲覧。
  10. ^ サガン鳥栖 岡本知剛選手 移籍加入のお知らせ”. 湘南ベルマーレ. 2016年7月13日閲覧。
  11. ^ 岡本知剛選手、現役引退のお知らせ”. ロアッソ熊本. 2021年12月26日閲覧。
  12. ^ 【データが語る】J3V王手の愛媛「史上最高タイトルコレクター」森脇良太全カテゴリー制覇へ”. 日刊スポーツ (2023年11月10日). 2023年11月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]