小室孝雄

小室 孝雄(こむろ たかお、1892年明治25年)4月23日 - 1955年昭和30年)9月29日)は、日本の洋画家

生涯[編集]

長野県南安曇郡東穂高村(現・安曇野市)に生まれる。東穂高農業補習学校(現長野県穂高商業高等学校)を卒業後、農業に従事するが、大正3年(1914年)に上京。本郷洋画研究所岡田三郎助に師事して、油絵制作に精進し、大正15年(1926年)西荻窪にアトリエを構えた。大正5年(1916年)第10回文部省美術展(文展)に「静物」が初入選すると、以後入選を重ねる。昭和12年(1937年)に従軍画家として中国大陸に渡り、戦場や戦時下の都市の風景を描いた。「大日本陸軍従軍画家協会」の名簿には、石井柏亭小磯良平川端龍子向井潤吉らとともに名を連ねている。戦後は第5回日展に「富貴図」、第6回日展に「白いブラウス」が入選し、池上秀畝中村不折丸山晩霞らと協力して信濃美術会の設立に参画した。

参考文献[編集]

  • 小崎軍司 著『長野県美術大事典』 郷土出版社、1986年. NCID BN02731363 
  • 『安曇野の美術』安曇野市教育委員会、2021年

外部リンク[編集]