国鉄ワ21300形貨車

国鉄ワ21300形貨車
基本情報
車種 有蓋車
運用者 鉄道省
所有者 鉄道省
改造年 1933年昭和8年)
改造数 10両
消滅 1942年(昭和17年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 7,786 mm
全幅 2,667 mm
全高 3,461 mm
荷重 13 t
実容積 32.91 m3
自重 7.47 t
換算両数 積車 1.6
換算両数 空車 0.8
走り装置 シュー式
車輪径 864 mm
軸距 3,962 mm
最高速度 65 km/h
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国鉄ワ21300形貨車(こくてつワ21300がたかしゃ)は、かつて鉄道省に在籍した13 t 積みの有蓋車である。

本形式と同様の経緯にて誕生したワ21400形についても本項目で解説する。

概要[編集]

1933年(昭和8年)6月1日に芸備鉄道備後十日市駅 - 備後庄原駅間(後の庄原線)が買収され、それに伴い芸備鉄道に在籍していた有蓋車42両(ワ36 - ワ77)が鉄道省に編入され、形式名ワ21300形ワ21400形が付与された。

約4年後の1937年(昭和12年)7月1日に広島駅 - 備後十日市駅間も追加買収され有蓋車41両(ワ33 - ワ35、ワ78 - ワ87、ワム88 - ワム105、ワム107 - ワム111、ワム113 - ワム117)が鉄道省に編入され、ワ21300形ワ21400形に編入された。(一部の車両はワム1形へ編入された。)

当時多くの私鉄が国有化され、多くの貨車が鉄道省車籍に編入されたが、この際鉄道省形式に改番された車両と、改番されずに私鉄時代の形式番号のまま運用された車両の2種類が存在した。鉄道省形式が付与されなかった理由は、形式両数が少なかった、積載荷重10 t 以下の小型車であった、車両の構造が鉄道省貨車に対して差異が大きかったなどがある。改番されずに私鉄時代の形式番号のまま運用された車両は、運用制限車(地域限定運用車)となり数年で廃車又は他形式へと改造され形式消滅した。

ワ21300形[編集]

前述のワ36 - ワ42は形式名ワ21300形(ワ21300 - ワ21306)が与えられ、約4年後のワ33 - ワ35はワ21307 - ワ21309と定められ、合計10両の車両が運用された。

約5年後の1942年(昭和17年)12月から1943年(昭和18年)2月にかけて全車がヤ300形(二軸救援客車)へ車種改造され形式消滅した。この際車番割付は順不同で行われた。

車体塗色は一色であり、寸法関係は、全長は7,786 mm、全幅は2,667 mm、全高は3,461 mm、実容積は32.91 m3、自重は7.47 t、換算両数は積車1.6、空車0.8である。

ワ21400形[編集]

前述のワ43 - ワ77は形式名ワ21400形(ワ21400 - ワ21434)が与えられ、約4年後のワ78 - ワ87はワ21435 - ワ21444と定められ、合計45両の車両が運用された。

車体塗色は黒一色であり、寸法関係は、全長は7,786 mm、全幅は2,740 mm、全高は3,365 mm、実容積は32.94 m3、自重は6.90 t、換算両数は積車1.6、空車0.8である。

戦後の1950年(昭和25年)5月に「第二次貨車特別廃車」の対象形式に指定され(当時の在籍車数は28両であった)、1953年(昭和28年)に最後まで在籍した車両が廃車となり同時に形式消滅となった。

譲渡[編集]

1949年(昭和24年)4月2日に十勝鉄道へ1両(ワ21436→ワ51)が譲渡された。

1951年(昭和26年)7月19日に秩父鉄道へ6両(ワ21409,ワ21415,ワ21419,ワ21439,ワ21441,ワ21442→ワム301 - ワム306)が譲渡された。

1953年(昭和28年)6月23日に夕張鉄道へ3両(ワ21401,ワ21408,ワ21418→ワ401 - ワ403)が譲渡された。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 車輛形式図 貨車上巻 鉄道省工作局 復刻 鉄道史資料保存会[要ページ番号]
  • 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊[要ページ番号]
  • JAPAN RAIL CLUB 『RAIL FAN No.665』 2008年3月[要ページ番号]
  • JAPAN RAIL CLUB 『RAIL FAN No.672』 2008年9月[要ページ番号]