八百屋町 (徳島市)
八百屋町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 内町地区 |
人口 | |
• 合計 | 35人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 | 770-0841 |
八百屋町(やおやまち)は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。八百屋町一丁目から八百屋町三丁目まである。
郵便番号は〒770-0841。
やおや「まち」という読みは、江戸時代に町人の町家だったことを示している。
統計
[編集]地理
[編集]徳島市の中心駅徳島駅の南方、内町地区の南部に位置している。東西に細長く、東から1~3丁目が並んでいる。
東西に伸びる国道192号の南北に広がる町である。ただし192号の南側のうち八百屋町交差点の南は両国本町である。北は一番町、南は同様に東西の道路沿いの通町(および両国本町)、西は南北の道路沿いの元町、東は富田橋通りを挟んで幸町である。
国道192号は徳島市中心部の東西の幹線道路であり、自動車の交通量は多い。徳島中央郵便局があり、その他にも銀行や生命保険会社の支店が立ち並び、近代的ビジネス街を形成している。
一番町 | ||||
元町 | 幸町 | |||
八百屋町 | ||||
通町 両国本町 通町 |
歴史
[編集]江戸時代から現在の町名。阿波志によれば、もと中町に属し、旧名袋町とある。徳島城下の町人町の1つ。
元の八百屋町は現在の1丁目に限られ、西に中町(現 2丁目)・紀伊国町(現 3丁目)と続き、西横町(現 元町)に出た。なお貞享2年の徳島市中町数並家数では、この町筋は紀伊国町筋とある(民政資料)。紀伊国町の名は、藩政初期に紀州商人が木綿を商ったことによる。一筋北は紙屋町(現一番町)、一筋南は通町。
紙屋町や中魚町(現 幸町西端の富田橋通り両側)と共に、藩から特権を受けた専売商人の町であり、蜂須賀家旧領の尾張国や播磨国の出身者が多かった。これらのうち八百屋町のみの町名が現在まで残る。
しかし火災が相次いだので、一部の商人が助任町に移された。「異本阿波志」に
八百屋は御城近く可有旨にて此丁を八百もの丁に被仰付外二而売買御禁被仰付候・・・・・・最初御免の地故八百屋丁の者共之内相分れ彼地(助任町)へ移り申よし其砌は総て郷中より申責もの一切毎朝此丁に来りせり申由
と見える。
1868年に中町・紀伊国町を編入。1889年からは徳島市の町名となる。
明治期には、藤村九平 (1856–1929) が1875年に創業した藤村度器製作があり、竹尺を初めとする定規が生産されていたが、焼失し移転した。現在は昭和町3丁目に所在する。
1941年からは一丁目から三丁目がある。1975年に紙屋町の一部を編入、八百屋町交差点南側が新設された両国本町となる。
施設
[編集]- 徳島中央郵便局 - 1丁目
- 朝日新聞徳島総局 - 1丁目
- 三井生命徳島総括営業部(三井生命ビルディング) - 1丁目
- ニッセイ徳島ビル - 2丁目
- 四国銀行徳島支店 - 3丁目
- 野村証券徳島支店 - 3丁目
交通
[編集]道路
[編集]バス
[編集]- 徳島バス・徳島市営バス
- 八百屋町
- 徳島中央郵便局前
- 琴平バス
- 徳島八百屋町 - HEARTSバスステーション博多行き
- 名鉄バス・伊予鉄バス
- 八百屋町 - オレンジライナーえひめ号 名鉄バスセンター行き
参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)