ヨハン・ゴットフリート・シヒト
ヨハン・ゴットフリート・シヒト Johann Gottfried Schicht | |
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基本情報 | |
生誕 | 1753年9月29日 神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領 ライヒェナウ (現 ポーランド、ボガティニャ |
死没 | 1823年2月26日(69歳没) ザクセン王国 ライプツィヒ |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、カペルマイスター、トーマスカントル |
ヨハン・ゴットフリート・シヒト(Johann Gottfried Schicht, 1753年9月29日 - 1823年2月16日)は、ドイツの作曲家、カペルマイスター、トーマスカントル。
生涯
[編集]シヒトはザクセン選帝侯領のライヒェナウ(現ポーランド、ボガティニャ)に生まれた。1776年からライプツィヒで法学を学ぶ。シヒトはヨハン・アダム・ヒラーが催す演奏会で伴奏者、ヴァイオリニストを務め、その後ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でも働くようになる。1785年にはヒラーの後任としてゲヴァントハウス管弦楽団を任された。翌年、コンスタンツァ・アレッサンドラ・オクタフィア・ファルデシュトゥリア(Constanza Alessandra Oktavia Valdesturia)と結婚するものの、彼女は3年後にこの世を去ってしまう。2人の間に生まれた4人の子供のうち、ヘンリエッテ・ヴィルヘルミネを除く3人は幼いうちに死亡している。シヒトはノイキルヒェの音楽監督だった他、1802年には共同でライプツィヒ・ジングアカデミーを創設して首席指揮者に就任した。
シヒトはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長職に1810年まで留まった。それ以降、1823年にライプツィヒで没するまでトーマスカントルを務めた。門下からはカール・ゴットリープ・ヘリングなどが輩出している。
作品
[編集]最も重要な作品は、1819年の大合唱曲集であると考えられている。シヒトはそれ以外にミサ曲、モテット、カンタータ、詩篇100篇、4つのテ・デウム、ピアノ協奏曲を1曲、ソナタ、カプリッチョなどを作曲している。
参考文献
[編集]- Robert Eitner (1890), “Schicht, Johann Gottfried” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 31, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 159–161
外部リンク
[編集]- ヨハン・ゴットフリート・シヒトの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- Werke von und über - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。