フレデリック・フェネル
フレデリック・フェネル(Frederick Fennell, 1914年7月2日 - 2004年12月7日[1]、90歳没)は、アメリカ合衆国の指揮者。
吹奏楽界で、ジョン・フィリップ・スーザ以来最も指導力と影響力を持つ指揮者の1人であったとも評される[2]。
人物・来歴
[編集]オハイオ州クリーブランド生まれ。幼少の頃から音楽教育を受け、高校時代にはアルバート・オースティン・ハーディングに指揮を師事する。
イーストマン音楽学校にて打楽器を専攻、1937年には学士号、1939年には修士号を取得した[1]。
その後、ロチェスター大学に学んだ後、20歳を過ぎ、奨学生としてザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学に留学、1939年、校長のハワード・ハンソンに認められイーストマン音楽学校指揮科の教授に就任した。
イーストマン・オペラ劇場の音楽監督及びイーストマン室内オーケストラの指揮者を歴任した。
豊かな音色と緻密な合奏効果を得る目的でウインド・アンサンブルを提唱し、1952年、世界初のウインド・アンサンブルであるイーストマン・ウインド・アンサンブルを創立した[1]。
1962年に教授職を辞職する。1965年にはマイアミ大学の交響楽団と管楽アンサンブルの指揮者、1980年からは名誉指揮者として活躍した[3]。
1984年1月には東京佼成ウインドオーケストラの常任指揮者に就任[1]、1996年には、同楽団より活動の功績を讃え、桂冠指揮者の称号を与えられた。
1997年5月には、アイダホ州立大学より、名誉称号である「Doctor of music」を受ける。
2004年12月7日、アメリカ・フロリダ州の自宅にて死去。90歳没。
フェネルの存在なしに現在の吹奏楽はあり得なかったと評される。
受賞歴
[編集]- イーストマン学友会表彰(1977年)[1]
- ロチェスター大学最優秀同窓生賞(1981年)[1]
- スーザ賞(1985年)[3]
- 日本吹奏楽学会から、東京佼成ウインドオーケストラと共に、第1回日本吹奏楽アカデミー賞(演奏部門)を受賞(1991年3月)[4]
- レナード・バーンスタインらに次いで7人目のテオドール・トーマス賞を受賞(1994年1月)[5]
著書
[編集]- ベーシック・バンド・レパートリー ― フレデリック・フェネルの実践的アナリューゼ (1985年)[6]
- タイム&ウィンズ : フレデリック・フェネルの吹奏楽小史 モンテヴェルディからウィンド・アンサンブルまで (1985年) [7]
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “イーストマン・ウインド・アンサンブルの創設者である フレデリック・フェネル氏永眠、享年90歳。 | 吹奏楽マガジン Band Power” (2004年11月17日). 2020年1月11日閲覧。
- ^ Reynish, Timothy (2005年2月8日). “Obituary: Frederick Fennell” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2020年1月11日閲覧。
- ^ a b “東京佼成ウインドオーケストラ|フレデリック・フェネル|”. 東京佼成ウインドオーケストラ Tokyo Kosei Wind Orchestra. 2020年1月11日閲覧。
- ^ “1991年 第 1回 日本吹奏楽アカデミー賞” (PDF). 一般社団法人日本管打・吹奏楽学会. 2020年1月11日閲覧。
- ^ “Award Winners”. web.archive.org (2006年10月6日). 2020年1月11日閲覧。
- ^ フレデリック・フェネル 著、秋山紀夫 訳『ベーシック・バンド・レパートリー ― フレデリック・フェネルの実践的アナリューゼ』佼成出版社、1985年。ISBN 978-4-33301-169-8。
- ^ フレデリック・フェネル 著、秋山紀夫 訳『タイム&ウィンズ : フレデリック・フェネルの吹奏楽小史』佼成出版社、1985年。ISBN 978-4-33301-170-4。
関連項目
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