ダラス・ウイリアムズ

ダラス・ウイリアムズ
Dallas Williams
義大ライノズ時代
(2014年7月19日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
生年月日 (1958-02-28) 1958年2月28日(66歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1976年 ドラフト1巡目(全体20位)でボルチモア・オリオールズから指名
初出場 MLB / 1981年9月19日
NPB / 1988年4月20日
最終出場 MLB / 1983年10月2日
NPB / 1988年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ダラス・マッキンリー・ウイリアムズDallas McKinley Williams, 1958年2月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区[1]出身の元プロ野球選手外野手)。CPBLでの登録名は「大威」。

経歴[編集]

リンカーン高校を経て、1976年MLBドラフトボルチモア・オリオールズから1巡目(全体20位)指名され、プロ入りした。
1981年4月18日、マッコイ・スタジアムで行われたロチェスター・レッドウイングスポータケット・レッドソックスの試合は延長33回までもつれたプロ野球史上最長試合であるが、ウィリアムズはロチェスターの2番・センターとしてフル出場している。記録は15打席、13打数無安打に終わっている。

1981年9月19日ミルウォーキー・ブルワーズ戦で代打としてメジャーデビューを果たし、同年10月2日ニューヨーク・ヤンキース戦では代打でメジャー初安打をマークする。

しかし、以後は1983年シンシナティ・レッズでメジャー昇格した以外ではメジャーでの出場はなく、数々のマイナーリーグのチームを転々とする。

1988年NPB阪急ブレーブスに入団[1]。高齢となった福本豊に代わる俊足巧打の外野手として獲得される。その背景にはマイナー時代の同僚であったブーマー・ウェルズの強い推薦もあった。しかし、開幕直前の4月2日に右肩を脱臼し出遅れ、攻守ともに精彩を欠き、シーズン終了を待たずに解雇となり帰国した[1]

同年7月4日の対日本ハムファイターズ戦で、この年オープンした東京ドームの天井に初めて打球を当てた(結果はファウル、投手は西崎幸広)。

AAA級ノーフォーク時代
(2009年7月25日)

引退後、2000年から2002年までコロラド・ロッキーズ2003年ボストン・レッドソックスでコーチを務めた。2013年から2014年までCPBL義大ライノズで打撃コーチを務めており、2014年には一時監督を務めた。2016年から中信兄弟の二軍監督を務める。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 BAL 2 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 .500 1.000
1983 CIN 18 41 36 2 2 0 0 0 2 1 0 0 2 0 3 0 0 6 0 .056 .128 .056 .184
1988 阪急 100 394 363 38 88 7 1 10 127 30 0 3 10 4 15 0 2 43 14 .242 .273 .350 .623
MLB:2年 20 43 38 2 3 0 0 0 3 1 0 0 2 0 3 0 0 6 0 .079 .146 .079 .225
NPB:1年 100 394 363 38 88 7 1 10 127 30 0 3 10 4 15 0 2 43 14 .242 .273 .350 .623

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 39 (1981年)
  • 30 (1983年、2016年 - 2017年)
  • 4 (1988年)
  • 20 (2000年 - 2003年)
  • 27 (2013年 - 2014年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、73ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]