スパイク (ゲーム会社)

株式会社スパイク
Spike Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
150-0044
東京都渋谷区円山町28-1
トウセン道玄坂第2ビル
設立 2005年平成17年)11月1日
業種 情報・通信業
代表者 代表取締役会長 浅川芳男
代表取締役社長 櫻井光俊
資本金 6000万円
従業員数 91名(2009年4月1日現在)
主要株主 株式会社ゲームズアリーナ
外部リンク http://www.spike.co.jp/
特記事項:合併前の情報。外部リンクはスパイク・チュンソフトのサイトに転送される。
テンプレートを表示

株式会社スパイクSpike Co., Ltd.)は、かつて存在したコンピュータゲーム開発などを手懸ける日本企業。以前は映画のDVDやVHSソフトの販売も行っていた。

沿革[編集]

旧・株式会社スパイク[編集]

  • 1989年平成元年)12月 - 出版事業を目的として有限会社みずきを設立。
  • 1991年(平成3年)10月 - 組織変更し、株式会社みずきとなる。
  • 1994年(平成6年)
    • 9月 - 株式会社みずきを存続会社として株式会社みずき出版、株式会社みずきプロデューシング、株式会社みずきメディアシステムを吸収合併し、マルチメディア事業に加えて出版事業を開始する。
    • 11月 - パソコン用ゲーム「クレッセント殺人事件」シリーズ3作品を発売。
    • 12月 - パソコン用教育ソフト「ウルトラマンとえいごであそぼう」発売。
  • 1996年(平成8年) - 転換社債の株式転換により株式会社CSKの子会社化となる。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月 - 社名を株式会社スパイクに変更。
    • 4月 - 株式会社ゲオと販売業務提携。
    • 5月 - Windows 95用ゲームソフト「バスフィッシャーマン」発売。
    • 12月 - セガサターン用音楽ゲームソフト「DJウォーズ」発売。
  • 1998年(平成11年)3月 - インフォグラム開発のPlayStation用ゲームソフト「V-Rally」を日本語ローカライズして発売。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月 - 株式会社アスペクトに出版事業を営業譲渡。
    • 4月 - サミー株式会社を割当先とする第三者割当増資を実施し、同社の子会社となる。
    • 11月 - 経営が悪化し倒産したゲーム会社ヒューマンの開発部門の受け皿として100%子会社としてヴァイル株式会社を設立。
  • 2000年(平成12年)
    • 6月 - 映像ソフト「UFC-J2000.4.14 国立代々木競技場第2体育館」を発売[1]
    • 8月 - 携帯電話(i-mode)向けコンテンツ「あなたのお値段」をサービス開始。
  • 2001年(平成13年)7月 - ヴァイル株式会社を吸収合併[2]
  • 2002年(平成14年)12月 - 株式会社ゲオの100%子会社となる[3]
  • 2005年(平成17年)11月 - 株式会社スパイキーに商号変更。当社のゲーム事業およびラリーDVD販売事業を会社分割し、完全子会社である株式会社スパイク(新社)を新設(店舗販促展開に必要な一部インターネット・モバイルコンテンツ事業は継続)。株式会社スパイク(新社)の80%の株式を株式会社ドワンゴに売却[4]
  • 2006年(平成18年)3月 - 株式会社クロスナイン(後のスパイキー)と事業交換を行い、卸売事業の株式会社クロスナインに商号変更[5]
  • 2007年(平成19年)
    • 4月 - 株式会社ゲオグローバル(旧・日本ブロックバスター)の会社分割により、東京・千葉・神奈川のゲオショップ運営事業を継承[6]
    • 10月 - 株式会社ゲオナインに商号変更[7]
  • 2010年(平成22年)10月 - 株式会社ゲオ(現・ゲオホールディングス)に吸収合併し解散[8]

新・株式会社スパイク[編集]

  • 2005年(平成17年)11月 - 株式会社スパイキーの会社分割により、ゲーム事業およびラリーDVD販売事業を継承した子会社株式会社スパイクとして設立。株式の80%を株式会社ドワンゴが取得し、同社の子会社となる。
  • 2005年(平成17年)11月 - 株式移転により、株式会社チュンソフトと共同で完全親会社である株式会社ゲームズアリーナを設立。
  • 2012年(平成24年)4月1日 - チュンソフトに吸収合併され解散。

以降はスパイク・チュンソフトを参照。

ゲームソフト部門[編集]

ファイプロ』シリーズや『』シリーズが看板ソフトだった。ヒューマンのゲームソフトの版権を引き継ぎ、販売していた。『トワイライトシンドローム』は実写作品としてビデオ化された。

2000年代にはRPG脳トレゲーム、低年齢向けのキャラクターゲームなど、幅広いジャンルのソフトを発表していた。テレビ番組『脳内エステ IQサプリ』をゲーム化した。

また、Xbox 360向けに『Prey』や『The Elder Scrolls IV: オブリビオン』(ローカライズを担当した高橋徹も含めてベセスダ日本支社ゼニマックスアジアに移管)、『ヒットマン:ブラッドマネー』などの海外製ソフト群を積極的にローカライズしている。スクウェア・エニックスへの買収前のアイドス社作品のローカライズも担当していた。

プレイステーションにて、『カーディナル・シン』という海外製の対戦型格闘ゲームを国内でローカライズしようとしていたが、残酷な描写があるため、発売中止に追い込まれた。また同じくプレイステーション版の『ハートオブダークネス』(Windows版はサミー・スパイク・東芝EMIの共同で発売)というアドベンチャーゲームや、プレイステーション3とXbox 360の『ボーン・コンスピラシー』なども国内でローカライズしようとしていたが発売中止となっている。

2012年4月1日にチュンソフトを存続会社にして、スパイクを消滅会社とする吸収合併を行いスパイク・チュンソフトとなる。

なお、同じドワンゴ傘下の企業ニワンゴが運営しているニコニコ動画に積極的に広告を出稿していた。

販売ソフト[編集]

国内開発タイトル[編集]

海外ローカライズ[編集]

ビデオソフト部門[編集]

世界ラリー選手権のDVDをコンビニエンスストアでも販売していた。「スパイクドラゴン」というレーベルで香港映画のDVDを製作・販売していたが2002年(平成14年)2月頃に同事業から撤退した。

以下に、当レーベルからリリースされた映画のタイトルを抜粋して記す。

以下は事業からの撤退によりリリースされなかった。

ブラウザゲーム[編集]

ニワンゴの系列企業という点を活かし、ニコニコ動画のアカウントで利用ができるゲームサイトのニコゲーを、2010年(平成22年)9月14日にサービスを開始したが、開始から7か月後の2011年(平成23年)4月27日を以って閉鎖された[9]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ UFC-J2000.4.14 国立代々木競技場第2体育館 | 格闘技”. ORICON NEWS. 2019年6月12日閲覧。
  2. ^ サミー株式会社 有価証券報告書(第27期)” (PDF). セガサミーホールディングス株式会社. 2018年8月27日閲覧。
  3. ^ グループ事業の効率化に伴う事業再編成に関するお知らせ” (PDF). セガサミーホールディングス株式会社. 2018年8月27日閲覧。
  4. ^ 株式会社スパイクの株式取得(子会社化)のお知らせ” (PDF). カドカワ. 2018年8月27日閲覧。
  5. ^ 株式会社ゲオ 第18期有価証券報告書” (PDF). ゲオホールディングス. 2018年8月27日閲覧。
  6. ^ 株式会社ゲオ 第20期半期報告書” (PDF). ゲオホールディングス. 2018年8月27日閲覧。
  7. ^ 株式会社ゲオ 第20期有価証券報告書” (PDF). ゲオホールディングス. 2018年8月27日閲覧。
  8. ^ 連結子会社との合併(組織再編)に関するお知らせ” (PDF). ゲオホールディングス. 2018年8月27日閲覧。
  9. ^ ニコゲー運営事務局 (2011年3月24日). “【ニコゲー】サービス終了のお知らせ”. 2011年3月29日閲覧。

外部リンク[編集]