ジョーダン・EJ10

ジョーダン・EJ10
カテゴリー F1
コンストラクター ジョーダン
デザイナー マイク・ガスコイン
先代 ジョーダン・199
後継 ジョーダン・EJ11
主要諸元
シャシー カーボンファイバー コンポジット
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド ダンパー/トーションバー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド ダンパー/トーションバー
エンジン 無限ホンダ MF301HE, 72度 V10
トランスミッション ジョーダン製 6速 縦置き セミAT
燃料 エルフ
タイヤ ブリヂストン
主要成績
チーム ジョーダン・グランプリ
ドライバー 5. ハインツ=ハラルド・フレンツェン
6. ヤルノ・トゥルーリ
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 2000年オーストラリアグランプリ
出走優勝ポールFラップ
17000
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ジョーダン・EJ10 (Jordan EJ10) は、ジョーダン・グランプリ2000年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。シャシーの型式番号は本年度から「EJ」と付けられるようになったが、「EJ10」というのはエディ・ジョーダンのF1参入10周年を記念してのものであった。

開発と経緯[編集]

1999年シーズンは59ポイントを獲得してコンストラクターズ3位となり、予算も増加。さらなる飛躍が期待されたが、それを裏切るシーズンとなった。EJ10はサーキットによって好不調の差が大きく、マシン全体の設計変更が続けられ、ドイツGPからは改良型のEJ10Bが投入された。しかし、信頼性の低さに悩まされ、2台で34回出走したが、完走は15回と50%以下の完走率であった。

前年2勝したハインツ・ハラルド・フレンツェンブラジルGPアメリカGPで得た3位2回が最高成績だった。ドイツGPでは予選17位から2位まで浮上したが、マシントラブルでリタイアした。新加入のヤルノ・トゥルーリも予選ではモナコGPベルギーGPでフロントローを獲得したが、いずれも決勝での結果に結びつかなかった。

昨年のようにフェラーリマクラーレンと互することはできず、ウィリアムズベネトンBARに後れを取ってコンストラクターズランキング6位でシーズンを終えた。トゥルーリは本マシンについて、後にインタビューで「新品タイヤではすごいスピードで走れるのに、タイヤの消耗が信じられないほど早かった。3周もするとリヤタイヤが完全に終わってしまい、その後はトラクション不足に苦しみながら、何とかチェッカーまで持ちこたえるしかなかった」と語っており、決勝レースでのタイヤマネジメントに難があるシャシーだったと指摘している[1]

フランスGPにてチームは翌シーズンからのホンダエンジン搭載を発表し、無限ホンダとのパートナーシップは3シーズン目で終了となった。

またデザイナーのマイク・ガスコインは、翌年のベネトンへの移籍希望を表明したことでガーデニング休暇入りを余儀なくされた。

エディ・ジョーダンは後に「EJ-10」という飲料を販売した。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
2000年 ジョーダン 無限ホンダ MF301HE V10 AUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
GBR
イギリスの旗
EUR
欧州連合の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
AUT
オーストリアの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
JPN
日本の旗
MAL
マラヤ連邦の旗
17 6位
ドイツの旗 フレンツェン Ret 3 Ret 17 6 Ret 10 Ret 7 Ret Ret 6 6 Ret 3 Ret Ret
イタリアの旗 トゥルーリ Ret 4 15 6 12 Ret Ret 6 6 Ret 9 7 Ret Ret Ret 13 12

参照[編集]

外部リンク[編集]