ウィリー・アップショー

ウィリー・アップショー
Willie Upshaw
サンフランシスコ・ジャイアンツコーチ時代(2007年9月30日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ブランコ郡
生年月日 (1957-04-27) 1957年4月27日(67歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1975年 MLBドラフト5巡目
初出場 MLB / 1978年4月9日
NPB / 1989年4月8日
最終出場 MLB / 1988年9月28日
NPB / 1990年6月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ウィリー・クレイ・アップショーWillie Clay Upshaw1957年4月27日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ブランコ郡出身の元プロ野球選手内野手外野手、左投左打)。

NFL選手のジーン・アップショープロフットボール殿堂入り)とマービン・アップショーは従兄で、同じくNFL選手のチャド・アップショーは息子。

経歴[編集]

1975年MLBドラフト5巡目でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約するが、MLBに昇格することなく1977年12月5日にルール・ファイブ・ドラフトトロント・ブルージェイズに移籍。1978年4月9日の対デトロイト・タイガース戦で、一塁手ジョン・メイベリーに代わり右翼手の守備に就いてMLBデビューを果たし、6回表の第2打席でジャック・ビリンガムからセンター前へMLB初安打を放った。1987年までトロント・ブルージェイズの主力打者として活躍。同じ時期のブルージェイズの一塁手および指名打者には、後にMLBで本塁打王となったセシル・フィルダーおよびフレッド・マグリフがいた。

1988年3月25日に金銭トレードでクリーブランド・インディアンスに移籍するが、物足りない成績に終わり、同年11月4日フリーエージェントとなった。

1989年、MLBで2年連続20本塁打を放った実績を買われ、阪神タイガースとの争奪戦を経てNPB福岡ダイエーホークスに入団(一方争奪戦に敗れた阪神はブルージェイズでチームメイトだったフィルダーを獲得)、門田博光に代わる主砲として期待される 入団1年目の1989年は33本塁打、80打点を放ってチームに貢献し[1]、8月の成績は打率.326、9本塁打、19打点だった[2]。2年目の1990年は同年から監督に就任した田淵幸一との確執[3]、開幕から低空飛行で[1]、7月に2度目の二軍落ち[1]、そのまま途中帰国で退団した。

1993年から2年間テキサス・レンジャーズ1996年から2年間はブルージェイズのコーチ、さらに2007年にはサンフランシスコ・ジャイアンツで一塁ベースコーチを務めた。

2014年には、8月19、20日の西武戦(福岡ヤフオクドーム)で開催するイベント「福岡クラシック2014」に、初代ダイエーOB助っ人としてトニー・バナザードと共に招聘を計画されていたが実現しなかった。

乱闘騒ぎ[編集]

1989年10月3日の対日本ハム戦(東京ドーム)にて、西村基史からの背中への死球に激高し、外野まで西村を走って追いかけ捕まえたことから、両軍がベンチから飛び出し、無関係のトニー・バナザード若菜嘉晴が取っ組み合いになるなど両軍入り乱れての大乱闘に発展。結局アップショーは暴力行為により退場処分となった。

その後交代した日本ハムの金沢次男藤本博史にインコースの球を投げたことで藤本が捕手の田村藤夫に激怒し、二度目の大乱闘となった際は、退場処分を受けたはずのアップショーがグラウンドに出ている姿が、同年のプロ野球珍プレー・好プレー大賞で流された。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1978 TOR 95 250 224 26 53 8 2 1 68 17 4 6 2 3 21 0 0 35 4 .237 .298 .304 .602
1980 34 68 61 10 13 3 1 1 21 5 1 0 1 0 6 1 0 14 0 .213 .284 .344 .628
1981 61 123 111 15 19 3 1 4 36 10 2 1 0 0 11 0 1 16 1 .171 .252 .324 .576
1982 160 646 580 77 155 25 7 21 257 75 8 8 10 3 52 8 1 91 11 .267 .327 .443 .770
1983 160 655 579 99 177 26 7 27 298 104 10 7 3 7 61 8 5 98 8 .306 .373 .515 .887
1984 152 635 569 79 158 31 9 19 264 84 10 4 3 3 55 14 5 86 8 .278 .345 .464 .809
1985 148 557 501 79 138 31 5 15 224 65 8 8 1 3 48 7 4 71 6 .275 .342 .447 .789
1986 155 661 573 85 144 28 6 9 211 60 23 5 4 4 78 4 2 87 5 .251 .341 .368 .709
1987 150 577 512 68 125 22 4 15 200 58 10 11 3 1 58 4 3 78 7 .244 .324 .391 .715
1988 CLE 149 564 493 58 121 22 3 11 182 50 12 9 3 4 62 4 2 66 10 .245 .330 .369 .699
1989 ダイエー 123 540 462 81 118 28 2 33 249 80 5 6 0 3 73 2 2 100 9 .255 .357 .539 .896
1990 51 223 191 22 42 12 2 6 76 17 0 0 0 0 32 1 0 41 1 .220 .332 .398 .730
MLB:10年 1264 4736 4203 596 1103 199 45 123 1761 528 88 59 30 28 452 50 23 642 60 .262 .335 .419 .754
NPB:2年 174 763 653 103 160 40 4 39 325 97 5 6 0 3 105 3 2 141 10 .245 .350 .498 .848

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 26 (1978年 - 1987年)
  • 20 (1988年、2007年)
  • 7 (1989年 - 1990年)
  • 46 (1993年 - 1994年)
  • 28 (1996年 - 1997年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P32
  2. ^ 「HAWKS the 70th - ホークス栄光の軌跡」ベースボールマガジン社 2008年、120頁
  3. ^ ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P34

関連項目[編集]

外部リンク[編集]