TEENS' MUSIC FESTIVAL

TEENS' MUSIC FESTIVAL(ティーンズ・ミュージック・フェスティバル)は、財団法人ヤマハ音楽振興会[注釈 1][注釈 2]ニッポン放送主催、全国ラジオネットワーク加盟各放送局後援により、過去開催された音楽のコンテストである。

概要[編集]

数多くのミュージシャンを輩出した音楽コンテスト「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(ポプコン)の主旨を一部引き継ぐかたちで開始。毎年延べにして6000組以上の10代のアマチュア音楽家が参加するコンテストとして知られる。青少年の健全なる音楽文化の発展に寄与することを目指した。

1980年代半ばから、いわゆる第二次バンドブームが巻き起こり、ニッポン放送の音楽番組「ぽっぷん王国」においても、アマチュアバンドの楽曲を紹介するコーナーを設けた(カセットテープに録音した音源を応募)。参加資格は10代であること。音楽のジャンルや形式は問わない。オリジナル楽曲、コピー演奏、弾き語りも受け付けた。その後「楽器演奏は出来ないが歌唱のみで参加したい」との要望に応え、カラオケの他、アカペラや合唱まで幅広く受け入れる姿勢を見せた。

コーナー開設当初は日に2曲程度の紹介であったが、「音楽を自由に楽しむ」というコンセプトに賛同した若者たちから送られてくるカセットテープの数が膨大になり、コーナー枠を拡大した。番組スポンサーであるヤマハ音楽振興会とニッポン放送が主催となる音楽コンテストの開催が決定。併せてコーナー名も「アマチュア音楽紹介コーナー」から「TEENS' MUSIC FESTIVAL」へ変更した。

「TEENS' MUSIC FESTIVAL」本選は、参加者及び観客が集まりやすい夏休み期間中に開催日を設け(第7回大会まで)、4月頃から全国各ブロックに分けて地区大会を行い、各予選会の模様や受賞者の楽曲を番組で紹介した。


第1回は1987年昭和62年)8月5日に中野サンプラザホールで行われた[1]。司会は「ぽっぷん王国」でパーソナリティを務める上柳昌彦、同番組にゲスト出演回数も多く、上柳と親交の深いTM NETWORKのギタリスト・木根尚登が務めた。

2000年より、NRN各局で放送されていたラジオ番組TEENS' MUSIC WAVE』と連動。同番組をネットしていた16都道府県の基幹都市で地区予選を行い、地区大会の上位入賞者が東京で行われる全国コンクールに進出。更に、このコンクールで上位入賞すればヤマハの「ティーンズレーベル」でインディーズデビューする権利が与えられるというものだった。

2006年平成18年)、大会が20周年を迎えるに当たり一旦区切りとし、2007年(平成19年)にMusic Revolutionへとコンクールの機能を委譲させた。

出場経験のある主なアーティスト[編集]

歴代司会者・ゲスト[編集]

開催日 司会 ゲスト 会場
1 1987年8月5日 上柳昌彦木根尚登TM NETWORK 子供ばんど森川美穂 中野サンプラザホール
2 1988年8月5日 上柳昌彦、羽田一郎 UNICORN
3 1989年8月3日 筋肉少女帯
4 1990年8月8日 内海ゆたお川村かおり BAKU
5 1991年7月25日 伊集院光 川村かおり
6 1992年8月4日 平松愛理
7 1993年8月5日 久松史奈access
8 1994年5月5日 荘口彰久千葉麗子 東野純直 渋谷公会堂
9 1995年5月14日 荘口彰久、穴井夕子 谷口宗一
10 1996年5月5日 荘口彰久、桜井秀俊 浅倉大介T.M.Revolution 中野サンプラザホール
11 1997年11月23日 井手功二LF COOL K 谷口崇山崎まさよし 渋谷公会堂
12 1998年11月29日 CURIO
13 1999年11月14日 荘口彰久 D-SHADE 中野サンプラザホール
14 2000年11月26日 吉田尚記 hiro:nGO!GO!7188 Zepp Tokyo
15 2001年11月18日 0930 東京国際フォーラム ホールB
16 2002年11月24日 GO! GO! 7188 渋谷公会堂
17 2003年11月24日 CORE OF SOUL
18 2004年11月21日 HUNGRY DAYS
19 2005年11月27日 SHIBUYA-AX
20 2006年11月26日 中村中SHOWTA. 渋谷C.C.Lemonホール

後援[編集]

協賛[編集]

協力[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現・一般財団法人。
  2. ^ ヤマハ関連団体。
  3. ^ 柳川昇名義で出場。
  4. ^ a b 後に「19」。
  5. ^ LOVERSSOUL」のCHIHIRO。
  6. ^ a b 後に「ゴールデンボンバー」。

出典[編集]

外部リンク[編集]