D.B.クーパー事件

D.B.クーパー
1972年にFBIが公表したクーパーの似顔絵
失踪 1971年11月24日
現況 不明
別名 ダン・クーパー
著名な実績 1971年11月24日にボーイング727をハイジャックし、飛行中の飛行機からパラシュートを身につけて飛び降りた。身元は特定されていない。
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ノースウエスト・オリエント航空305便
事件に巻き込まれたN467US
ハイジャックの概要
日付 1971年11月24日
概要 ハイジャック
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドからワシントン州シアトルの間
乗客数 36 (ハイジャック犯1名)
乗員数 6
負傷者数 0
行方不明者数 1 (ハイジャック犯)
生存者数 41
機種 ボーイング727-100
運用者 アメリカ合衆国の旗 ノースウエスト・オリエント航空
機体記号 N467US
出発地 アメリカ合衆国の旗 ポートランド国際空港
目的地 アメリカ合衆国の旗 シアトル・タコマ国際空港
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D.B.クーパー事件(ディー・ビー・クーパーじけん、: D.B.Cooper)は、1971年11月24日水曜日の午後、オレゴン州ポートランドからワシントン州シアトルへ向かっていたボーイング727太平洋岸北西部ハイジャックされた事件である[1][2]

ハイジャック犯は身元不明の男性で、「ダン・クーパー」 (英: Dan Cooper) という偽名で航空券を購入したが、ニュースメディアの誤報により、一般には「D.B.クーパー」という名前で有名になった。クーパーは身代金20万ドル (2023年時点の$1,500,000と同等) を強奪し、パラシュートで降下して飛行機を脱出した。その後、どのような末路を辿ったのかは知られていない。広範囲を捜索し、連邦捜査局 (FBI) も長期間捜査したが、クーパーの身元は現在も不明である。クーパー事件は商業航空産業史上で唯一未解決のハイジャック事件である[3][4][5]

クーパーの遺体は発見されていないものの、証拠や専門家の見解により、クーパーは高所からの転落が原因で死亡したという説が当初から提唱されていた[6]。それでも、FBIは事件から45年もの間捜査を続けていた。捜査の過程で事件資料は60巻以上にも膨れ上がったものの[7]、クーパーの身元に関する決定的な結論は得られていない。

捜査官や記者、アマチュアたちにより、長年の間に数多くの仮説が提唱されてきた[3][8]。1980年2月、コロンビア川の沿岸で、ある少年が身代金の紙幣の一部を発見した。この発見により事件は新たな関心を惹き付けたが、結局謎が深まっただけだった。身代金の大部分はいまだに回収されていない。

2016年7月、FBIは公式に捜査を停止したが、捜査官はパラシュートや身代金に関係する物的証拠の発見を今も待ち望んでいるという[9]

ハイジャック[編集]

1971年11月24日は感謝祭前日だった。この日、1人の中年男性が黒いアタッシェケースを持ってポートランド国際空港にあるノースウエスト・オリエント航空のフライトカウンターに向かっていた。男は「ダン・クーパー」と名乗り、305便の片道の航空券を現金で購入した。305便は北にあるシアトル行きの飛行時間30分間の便だった[10]

クーパーはボーイング727-100 (連邦航空局機体記号N467US) に搭乗し、客室の後方にある18C席[3] (ある情報源では18E席[11]、別の情報源では15D席[12]) に座った。クーパーはたばこに火をつけ[13]バーボンのソーダ割りを頼んだ。同じ飛行機に乗った乗客たちによれば、クーパーの年齢は40代半ば、身長は178センチメートルから183センチメートルだったという。クーパーは軽量の黒いレインコートローファー、黒いスーツ、きちんとアイロンがかけられた襟付きのワイシャツ、黒いクリップ式のネクタイ真珠母でできたタイピンを身につけていた[14]

D.B.クーパーに対するFBIの指名手配ポスター

305便はワシントンD.C.からシアトルへ向かう空路で、ミネアポリスグレートフォールズ英語版ミズーラ英語版スポケーン、ポートランドを経由していた[15]太平洋標準時午後2時50分、飛行機は予定通りポートランドを飛び立った。飛行機には定員の3分の1程度が搭乗していた。離陸してまもなく、クーパーは自分の最も近くにいた客室乗務員であるフローレンス・シャフナー (英: Florence Schaffner) にメモを渡した。シャフナーは機体尾部のエアステア (昇降用階段) のドアに取り付けられた補助席に座っていた[3]。シャフナーは、メモは孤独なサラリーマンが自分の電話番号を綴ったものだろうと考え、メモを開かずにハンドバッグに入れた[16]。クーパーはシャフナーの方に体を傾けて、次の言葉を囁いた。"Miss, you'd better look at that note. I have a bomb."[17] (「君、そのメモを読まないといけない。俺は爆弾を持っている」)

メモはフェルトペンで丁寧に書かれており、全て大文字だった[18]。メモはクーパーが返却を要求してきたため、実際にどう書いてあったかは不明である[19][20]。しかし、シャフナーの記憶によれば、ブリーフケースの中に爆弾が入っているというようなことが書いてあったという。シャフナーがメモを読むと、クーパーはシャフナーに自分の隣に座るように言った[21]。シャフナーはその言葉に従い、それから爆弾を見せるように冷静に頼んだ。クーパーはブリーフケースを開けて、中身を一目見るだけの時間を与えた。中には赤い円筒形の物体が8本入っていた[注釈 1]。4本の上に別の4本が置かれている状態だった。物体には赤い絶縁材で覆われたワイヤーと、大きな円筒形の電池が付いていた[23]。(しかしこれらの爆弾は偽物だったという説もある。)クーパーはブリーフケースを閉じると、自分の要求を伝えた。現金20万ドル ("negotiable American currency"、「交換可能なアメリカの通貨」で払うように指示した)[注釈 2]、パラシュート4つ (2つはメイン、残りの2つは予備)、飛行機が到着したときに燃料を補給するための給油車をシアトルで待機させることである[25]。シャフナーはクーパーの指示をコックピットにいる操縦士に伝えた。シャフナーが戻ってくると、クーパーは黒いサングラスを身につけていた[3]

操縦士のウィリアム・スコット (英: William Scott) はシアトル・タコマ国際空港航空管制官に連絡をとり、管制官は地元警察とFBIに通報した。他の36名の乗客には、シアトルへの到着が機械の軽度のトラブルにより遅れているという偽の情報が与えられた[26]。ノースウエスト・オリエント航空社長のドナルド・ニューロプ (英: Donald Nyrop) は身代金の支払いを承認し、全従業員にハイジャック犯の要求に十分に協力するように命じた[27]。飛行機はピュージェット湾上空を約2時間旋回し、その間にシアトル警察英語版FBIパラシュートと身代金を集め、救急隊員を動員した[3]

客室乗務員のティナ・マックロー (英: Tina Mucklow) によると、クーパーは地元の地理に詳しそうだったという。飛行機がタコマ上空を飛んでいたとき、クーパーは下はタコマのようだというような発言をした。クーパーはマッコード空軍基地英語版はシアトル・タコマ空軍基地から (当時は) 車でほんの20分の距離であるとも発言したが、これも正しかった。シャフナーによると、クーパーは穏やかで、礼儀正しく、上品な言葉遣いで、当時一般的に認知されていたハイジャック犯のステレオタイプ (激高した冷酷な犯罪者、キューバへ向かおうとする反体制派) とは全く違っていたという[3]。マックローは、クーパーは神経質ではなかったと述べた。感じの良い人物に見え、冷酷な態度をとったり不快な言動をしたりすることもなく、常に思慮深くて穏やかだったと語った[3]。クーパーは2杯目のバーボンのソーダ割りを頼み、飲み物の代金を支払い、マックローに釣銭を与えようとした[3]シアトルに留まっていたときには乗員のための食事を要求した[28]

FBIの捜査官たちはシアトルにある数箇所の銀行から身代金を集めた。用意したものは無傷の20ドル紙幣1万枚で、そのほとんどが通し番号が"L"から始まるものだった。このことはこれらの紙幣がサンフランシスコ連邦準備銀行により発行されたものであることを示す。また、ほとんどがシリーズ1963Aやシリーズ1969からのものだった[29]。紙幣は全てマイクロフィルムの記録が取られた[30]。クーパーはマッコード空軍基地の人員が提供した軍の支給品のパラシュートは受け取らなかった。代わりに手動でリップコードを操作する民間用のパラシュートを要求した。シアトル警察は要求通りのパラシュートを地元のスカイダイビング・スクールから入手した[19]

乗客の解放[編集]

太平洋標準時午後5時24分、クーパーは自分の要求が叶えられたことを通知された。午後5時39分、飛行機はシアトル・タコマ空港で着陸した[31]。日没から1時間以上経過した頃、クーパーはスコット操縦士に飛行機をタキシングしてエプロンの中で照明が明るく孤立した区画へ移動させるように指示し、警察の狙撃手の妨害のために客室内の窓掛けを全て閉めさせた[32]。ノースウエスト・オリエント航空のシアトル運用管理者のアル・リー (英: Al Lee) は要求の物品を持って航空機の方へ向かった。リーは航空会社の制服から警察官と勘違いされないように普段着を着ていた。リーは身代金の詰まったナップザックとパラシュートを機体尾部のエアステアからマックローに届けた。身代金とパラシュートの受け渡しが完了すると、クーパーは乗客全員とシャフナー、主任客室乗務員のアリス・ハンコック (英: Alice Hancock) に飛行機から出るように命令した[33]

飛行機に燃料を補給する間、クーパーはコックピットにいる乗員に対して自身の飛行計画のあらましを説明した。南東へ進路を取って、最高高度1万フィート (約3千メートル)、失速しないで済む最低速度、つまりは約100ノット (時速約190キロメートル) でメキシコシティの方向へ向かうというものだった。クーパーはさらに、ランディング・ギアは離着陸時の位置のままにすること、フラップの角度を15度に下げること、客室の与圧はかけないでいることといった詳細な指示も与えた[34]。フラップとは主翼の後縁に備わる高揚力装置である。フラップを出すことで、低速飛行時に翼で発生する揚力を大幅に増やすことができるが、抗力の増加も招く[35]。副操縦士のウィリアム・ラタクザック (英: William Rataczak) はクーパーに、指定の条件での航続距離は約1千マイル (約1,600キロメートル) までしかないと伝えた。この条件ではメキシコに辿り着く前に2度目の燃料補給が必要になる。クーパーと乗員たちは話し合い、ネバダ州リノで燃料補給することで合意した[36]。機体後方の出口が開いてエアステアが展開されると、クーパーは操縦士に離陸を指示した。ノースウエスト・オリエント航空本社は機体尾部のエアステアが展開されたまま離陸するのは危険であるとして異議を唱えた。クーパーは実際には安全であると反論したが、この件で言い争おうとはしなかった。離陸した後にエアステアを展開するつもりだったのである[37]

連邦航空局はクーパーが航空機に乗った状態での面談を要求したが、受け容れられなかった[38]。給油車の燃料を汲み取る機構でベーパーロック現象が発生したことにより燃料補給は遅れた。それでも、燃料補給が完了すると、飛行機は離陸できる状態になった。

再度離陸へ[編集]

ボーイング727。機体後方のエアステアが開いた状態。

午後7時40分ごろ、ボーイング727はクーパー、スコット操縦士、マックロー客室乗務員、ラタクザック副操縦士、航空機関士のH・E・アンダーソン (英: H. E. Anderson) の5名だけを載せて離陸した。2機のF-106がマッコード空軍基地から緊急発進し、クーパーの視界に入らないように1機は飛行機の上に、残りの1機は飛行機の下について飛行機を追跡した[39]。元は無関係の空軍州兵の任務にあたっていたT-33練習機も飛行機を追跡していたが、燃料が少なくなり、オレゴン州とカリフォルニア州の州境近くで後戻りした[40]。ハイジャックされた飛行機を追跡していた航空機は全部で5機あった。どの機もクーパーが飛行機から飛び降りたところを見たと報告しておらず、クーパーが着陸した場所がどこかを示すことができなかった[41]

離陸後、クーパーはマックローにコックピットにいる残りの人員と合流し、ドアをしめてコックピットにとどまるように言った。マックローがそれに従うと、クーパーは自分の腰に何かを巻きつけていたという。午後8時ごろ、コックピットで警告灯がついた。このことは機体尾部のエアステアの設備が起動したことを意味していた。航空機の内部通話システムを通じて乗員が援助を申し出ると、そっけなく断られた。それからすぐに乗員は気圧が体感的に変化したことに気がついた。機体尾部のドアが開けられたことを示唆している[42]

午後8時13分ごろ、突然に飛行機の尾部が上方に動き続け、飛行機を水平に立て直さなければならなくなった[43][44]。午後10時15分ごろ、スコットとラタクザックは飛行機をリノ空港で着陸させたが、機体尾部のエアステアは展開された状態のままだった。FBIの捜査官や州警察、保安官代理、リノ警察は飛行機を取り囲んだ。クーパーが飛行機から脱出したのかまだ確実に断定できなかったためである。武装した人員が捜索した結果、すぐにクーパーが飛行機の中にいないことが確認された[45]

捜査[編集]

FBIは飛行機の中から未特定のかすれた指紋を66点回収した[5]。クーパーが身につけていた黒いネクタイやネクタイ留め、4つのパラシュートのうちの2つも発見した[注釈 3]。残された2つのパラシュートのうちの1つは展開されており、キャノピーからシュラウドラインが2本切断されていた[47]。当局はポートランドやシアトル、リノにいた目撃者や、クーパーと直接接触した全ての人々に対して尋問を行った。一連のクーパーの似顔絵が制作された[48]

地元警察とFBIはすぐに被疑者の尋問を開始した。800名以上が被疑者と考えられたが、20名ほどを除き捜査対象から除外された[49]。軽犯罪の前科を持つD.B.クーパーという名前のオレゴン州在住の男がこの事件の最初の被疑者の1人だった。ハイジャック犯は実名や以前に行った犯罪で使用したのと同じ偽名を使っていた可能性があることから、ポートランド警察はこの人物に接触した。結局、この人物はすぐに被疑者から外されたが、地元の記者のジェームズ・ロング (英: James Long) が、差し迫った締切に間に合わせようとしているうちに、この人物の名前とハイジャック犯が使用した偽名とを混同した[50][51]通信社の記者 (ほとんどの情報源ではUPI通信のクライド・ジャビン <英: Clyde Jabin>[52][53]、それ以外の情報源ではAP通信のジョー・フレージャー <英: Joe Frazier>[54]) がこの誤植を転載してしまい、数多くのメディアがこれに倣った。こうして「D.B.クーパー」という通称が人々の記憶に残ることとなった[44]

ボーイング727後方のエアステアが飛行中に展開されたときのアニメーション。アニメーションにはクーパーがエアステアから飛び降りているところも示している。エアステアの設備に重力が働き、飛行機が着陸するまで開きっぱなしだった。

捜索範囲を精密に決定するのは困難だった。飛行機の推定速度の若干の差異や、飛行経路の環境条件 (場所や高度によって著しく変化していた) によって、クーパーの着地地点の推測結果がかなり変化するためである[55]。重要なことは、クーパーがパラシュートの展開に成功していたとして、クーパーがリップコードを引くまでどの程度の間、自由落下を続けていたかである[56]空軍の戦闘機の操縦士たちは飛行機から出てきたものは目視でもレーダーでも何も確認していなかった。パラシュートが開いたところも見ていなかった。しかし、夜間、極めて限られていた視程と空を覆う雲が下の地面からの光を覆い隠すことにより、全身に黒い服を纏った人物が空中にいても見つけにくくなる状態だった可能性があった[57]。T-33の操縦士たちはボーイング727を一切視認しなかった[58]

再現実験で、スコット操縦士がハイジャックのときに使用された航空機を同じ配置で操縦した。FBIの捜査官が約90キログラムのソリを展開されたエアステアから押し出したところ、乗員が午後8時13分に経験した機体尾部の上昇を再現できた。このことから、午後8時13分がクーパーが飛行機から飛び降りた時刻である可能性が高いという結論になった[59]。その時刻では、飛行機はワシントン南東のルイス川英語版上空の激しい雨風の中を通過していた[55]

最初の推定では、クーパーの着地地点はセント・ヘレンズ山の外延の南端にある地域であると考えていた。その場所はワシントン州アリエルから南東へ数キロメートルのところであり、ルイス川を堰き止めて作られた人工湖のマーウィン湖の近くだった[60]。捜索はワシントン州南西のルイス川の南北の地域を取り巻くクラーク郡カウリッツ郡で集中的に行われた[61][62]。これらの郡のFBIや保安官代理は山地の原野の大部分を徒歩やヘリコプターで捜索した。地元の農家への戸別訪問調査も実施された。別の捜索隊は哨戒艇に乗ってマーウィン湖やそのすぐ東にあるエール湖の沿岸を捜索した[63]。クーパーの痕跡や、クーパーが飛行機を出るときに所持していたと思われる装備は発見されなかった。

FBIは航空機による捜索も統括した。オレゴン陸軍州兵の固定翼機やヘリコプターが使用され、シアトルからリノまでの飛行経路全体 (この航空路は標準的な航空用語では「ヴィクター23」<英: Victor 23> と呼ばれている[64]。しかし、クーパーについての文献のほとんどで「ヴェクター23」<英: Vector 23> と表記されている[3][5][65]) に沿って捜索が行われた。数多くの破壊されたこずえやプラスチック片数点、その他のパラシュートのキャノピーに似た物体が発見され、調査されたが、クーパーに関係するものは発見されなかった[66]

1972年の春の雪解けからまもなく、FBIのチームがクラーク郡とカウリッツ郡の地上の徹底的な捜索をもう一度実施した。空軍、州兵、民間ボランティアに加えてルイス駐屯地英語版陸軍兵士約200名が捜索に協力した。捜索は3月に18日間、4月にさらに18日間行われた[67]。海洋の引き揚げ作業を業務とするエレクトロニック・エクスプロレーションズ・カンパニー (英: Electronic Explorations Company) は潜水艦を使用してマーウィン湖深度約60メートルを捜索した[68]。また、クラーク郡の廃墟で2名の地元住民の女性が白骨死体を発見した。この遺体は後に数週間前に誘拐されて殺害された10代の女性のものであると特定された[69]。ほぼ間違いなくアメリカ史上最も広範囲で徹底的に行われた捜索作戦だったが、結局のところクーパーに関する重大な物的証拠は発見されなかった[70]

身代金の捜索[編集]

クーパー事件から1ヵ月後、FBIは身代金の紙幣の通し番号の一覧表を金融機関やカジノ、競馬場、その他大規模な金の取引が日常的に行われる事業所、さらには世界中の法的機関に配布した。ノースウエスト・オリエント航空は身代金を回収した場合、その15%、最大2万5千ドルの褒賞を提供すると申し出た。1972年前半、アメリカ合衆国司法長官ジョン・N・ミッチェルは一般の人に身代金の紙幣の通し番号を公表した[71]。1972年、2人の男性がクーパー事件の身代金の通し番号が印刷された偽の20ドル紙幣を利用して、ニューズウィークの記者のカール・フレミング (英: Karl Fleming) から偽のクーパーとのインタビューと引き換えに3万ドルを騙し取ろうとする事件が発生した[72]

1973年前半、身代金は依然として行方不明であり、オレゴン・ジャーナル英語版は身代金の紙幣の通し番号を再発布し、自社やFBIの事務所に身代金の紙幣を最初に届けた人に1千ドルを提供すると申し出た。シアトルでは、シアトル・ポスト・インテリジェンサー英語版が同様に5千ドルの懸賞金の提供を申し出た。これらの懸賞金の申し出は1974年の感謝祭の日まで有効だった。似た通し番号の紙幣は送られてきたが、完全に一致するものは発見されなかった[73]。ノースウエスト・オリエント航空の保険会社のグローバル・インデムニティ (英: Global Indemnity Co.) はミネソタ州最高裁判所英語版の命令に従い、ノースウエスト・オリエント航空の身代金に対する支払請求に対して18万ドルを支払った[74]

後の展開[編集]

後の分析で、最初の着地地点の推定は正確ではなかったことが判明した。クーパーの飛行速度と高度の要求に応じるため、スコット操縦士は飛行機を手動で飛ばしていた。後にスコット操縦士は、飛行経路は最初の推定よりも著しく東の方にあったことを確認した[7]。305便の4分後に飛んでいたコンチネンタル航空機の操縦士のトム・ボアン (英: Tom Bohan) を筆頭に、様々な情報源から新たなデータが得られた。これにより、着地地点に影響する風向の推定に誤りがあり、80度もずれていた可能性があると判明した[75]。さらに他の補助的なデータも加えて、実際の着地地点はおそらく最初の推定よりも南南東の地域であると推定された。その場所はワシューガル川英語版流域にある[76]

捜査の停止[編集]

2016年7月8日、FBIはクーパー事件の捜査を停止することを告知した。捜査の資源と人員をより重要で緊迫した優先すべき案件に集中させる必要があるとの理由だった。地元のFBIの事務所は今後も物的証拠 (特にパラシュートや身代金に関係あるもの) が発見されれば全て受理するという。捜査資料は45年間の捜査の過程で60巻にもなり、ワシントンD.C.のFBI本部で歴史的な理由により保管される。FBIのウェブサイトでは、現在、数年間にわたって集められた28点の証拠についての書類が掲載されており、一般の人でも閲覧が可能である[77][78]

物的証拠[編集]

公式のクーパーの身体的特徴の説明は一貫しており、信頼性が高いと考えられる。客室乗務員のシャフナーとマックローは最も長くクーパーと行動をともにしており、同夜に別々の都市で尋問を受けた[6]。2人はほとんど同一の説明をしており、身長は178センチメートルから180センチメートル、体重は77キログラムから82キログラム、年齢は40代で、間の狭い茶色の目、黒ずんだ肌という特徴があったという[79]

1978年から2017年の間に、クーパーに関する証拠が4点だけ発見されている。うち2点は確実に関係があり、残り2点は関係する可能性があるという程度である。

  • 1978年11月、ボーイング727のエアステアを降下させるための説明書が印刷された札が、マーウィン湖の北のキャッスルロック英語版から約20キロメートルの木材の切り出しに使われる道の近くで鹿猟師により発見された。しかし、この地域は305便の基本的な飛行経路に含まれる[80]
1980年に発見された紙幣の一部
  • 1980年2月10日日曜日、バンクーバーから川を下って約14キロメートル、アリエルの南西32キロメートルのところにある、ティナ・バーと呼ばれる海岸地帯のところのコロンビア川に面した地点で、8歳のブライアン・イングラム (英: Brian Ingram) が家族とともに休暇を過ごしていた。イングラムがキャンプファイヤーを設けるために砂地の川岸を熊手でかいていると、クーパー事件の身代金の紙幣3束が出てきた。紙幣は著しく風化していたが、紙幣を束ねるゴムバンドは依然として残っていた[81]。FBIの技官はその紙幣が正真正銘の身代金の一部であることを確認した。2束は20ドル紙幣が100枚、1束は90枚で、全てクーパーに渡したときと同じ順番で重なっていた[82][83]。1986年、長く続いた交渉の末、回収された紙幣は少年とノースウエスト・オリエント航空の保険会社の間で等分された。FBIはそのうちの14枚を証拠として保有した[71][84]。2008年、イングラムは件の紙幣のうちの15枚をオークションにかけて約3万7千ドルで売った[85]。今日まで、残りの9,710枚の紙幣の所在が判明していない。これらの紙幣の通し番号は一般の人が捜索できるようにインターネットで閲覧できる[29]。コロンビア川で発見された身代金の紙幣と、エアステアの使い方を説明する札は、飛行機の外で発見されたクーパー事件に由来すると確認された唯一の物的証拠である[86]
  • 2017年、ボランティアで調査を行っていた一団が、太平洋岸北西部で数十年経過したパラシュートの紐らしきものを発見した[87]。その後、2017年8月にクーパーのバックパックの一部らしき気泡ゴムの破片が発見された[88]

FBIの情報公開[編集]

2007年後半、FBIは2001年にクーパーのネクタイから発見された生体試料3点から断片的なDNAプロファイルを取得したと発表した[55]。しかし、後にFBIは、クーパーが試料の由来である証拠は存在しなかったことを認めた。特別捜査官のフレッド・ガット (英: Fred Gutt) によると、ネクタイには少量のDNA試料が2点、多量のDNA試料が1点存在したが、これらの試料から確実な証拠を引き出すのは難しいという[89]。また、FBIは以前は非公開だった証拠の資料を人々に公開した。公開された証拠には、クーパーが使用した1971年の航空券 (価格は20ドル、現金で支払った) も含まれる[90]。また、以前は非公開だった似顔絵のスケッチやデータ表も、クーパーの身元特定に繋がる情報の提供を人々に求めつつ公開した[48][55][91]

FBIは、クーパーは渡された2つのメインのパラシュートのうち、技術的により優れていたプロスポーツ用のパラシュートではなく、古い方のパラシュートを選んだこと、2つの予備のパラシュートのうち、スカイダイビングの授業の実演に使用するリップコードが動作せず使用できないダミーの方を選んでいたことも公開した[55]。ダミーのパラシュートには、経験豊富なスカイダイバーならば使用できないと気付ける明白な印がついていた[92]。クーパーは予備のパラシュートの使用できる方を破壊していた。パラシュートのシュラウドを金の入った鞄を縛って閉じるために使用した可能性があり[55]、マックローの証言によると、クーパーは体に鞄を固定するために使用していたという[55]。FBIは、予備のパラシュートにダミーが混入していたのは、シアトルのスカイダイビング・スクールからパラシュートを急いで入手した際に誤って紛れ込んでしまったためであると強調した[90]

2009年3月、FBIは、シアトルにあるバーク自然史文化博物館英語版古生物学者のトム・ケイ (英: Tom Kaye) が調査団を結成していたことを公開した。団員にはサイエンティフィック・イラストレータのキャロル・アブラクジンスカス (英: Carol Abraczinskas)、金属工学者のアラン・ストーン (英: Alan Stone) が含まれる。後に「クーパー・リサーチ・チーム」(英: Cooper Research Team)[93]として知られるようになる調査団は、GPSや衛星画像、その他1971年には使用できなかった技術を用いてクーパー事件の重要な要素を再調査した[86]。埋まっていた身代金の紙幣やクーパーの着地地点については新しい情報はほとんど得られなかったが、電子顕微鏡を用いてクーパーのネクタイに付着していた数百の微小な粒子を発見し、分析にかけることができた。粒子の中からヒカゲノカズラ属英語版シダ植物胞子 (調合薬に由来する可能性が高い) が特定され、ビスマスアルミニウムの破片も特定された[94][95][96]

2011年11月、ケイは合金でない純粋なチタンの粒子もネクタイから発見されたと発表した。ケイによると、チタンは2010年代と比べると1970年代では非常に珍しいものであり、当時は金属成形の現場や工場、化学薬品会社にしかなかったという。化学薬品会社ではアルミニウムと組み合わせて極めて腐食性の高い物質の保管に使用していた[97]。この発見から、クーパーは化学者か金属工学者であった可能性が示唆されている。もしかしたら金属や化学薬品を製造する工場の技術者や経営者 (当時、そのような施設でネクタイを身につけるのは技術者か経営者だけだった) だったかもしれない[98]。そのような工場からスクラップされた金属を回収していた会社に勤めていた可能性もある[99]

2017年1月、ケイはネクタイから発見された粒子の中から希土類鉱物であるセリウム硫化ストロンチウムも特定したと報告した。1970年代でそのような元素が利用された例は珍しく、その例の中にはボーイング超音速旅客機開発計画があった。このことから、クーパーはボーイングの従業員であった可能性がある[100][101]。それ以外のこの元素の由来の可能性として、ポートランドの企業のテレダインテクトロニクスのような、ブラウン管を製造していた工場が挙げられる[102]

仮説と臆説[編集]

FBIによる加齢を考慮したクーパーのスケッチ

FBIは45年間にも及んだ捜査の際に時折、目撃者の証言や数少ない物的証拠から導出した作業仮説や暫定的な結論の一部を公開した[103]

クーパーのプロファイル[編集]

クーパーはシアトルに詳しかったようで、空軍の退役軍人だった可能性があった。これは、飛行機がピュージェット湾を旋回中に、クーパーは飛行機の中からタコマ市の存在を認識していたという証言や、マッコード空軍基地がシアトル・タコマ国際空港から車で約20分の距離にあるとマックローに話したことに基づいている。マッコード空軍基地と空港との距離はほとんどの一般人は知らなかっただろう[40]。また、クーパーの経済状況は絶望的な状態だった可能性が非常に高い。FBIの元主任捜査官のラルフ・ヒンメルスバッハ (英: Ralph Himmelsbach) によると、強要罪などの多額の金を強奪する犯罪はほぼ必ず大金が至急必要であることが動機であるという。そうでなければ、犯罪にそれほどの危険を冒す価値はない[104]。もしくは、クーパーはそれが可能であることを証明したかったためだけに高所から飛び降りたスリル狂いだった可能性もある[105]

捜査官たちは、クーパーは自身の偽名を人気のある1970年代のベルギーの漫画シリーズからとったという仮説を立てた。その漫画にはダン・クーパー英語版という名前の架空のヒーローが登場する。漫画のクーパーはカナダ空軍のテストパイロットで、数多くの冒険を繰り広げており、その中にはパラシュートで降下するシーンもあった (FBIのウェブサイトに転載されていた漫画の表紙の1つには、漫画のクーパーが落下傘兵の装備を全身に纏ってスカイダイビングしている様が描かれている)[86]。この漫画は英語に翻訳されたことがなく、アメリカに輸出されたこともなかった。ハイジャック犯のクーパーはヨーロッパでの仕事の際にこの漫画を知ったのだろうと推測された[86]。クーパー・リサーチ・チームは別の可能性を提案している。クーパーはカナダ人であり、カナダでこの漫画を見つけたというものである。フランス語を話す人口が比較的多いカナダではこの漫画が販売されていた[106]。また、クーパー・リサーチ・チームは、クーパーは身代金を求めて"negotiable American currency"を要求したことに言及した[25]。アメリカ人が自国の通貨について「アメリカの通貨」と表現するのは不自然であり、このような言い回しはアメリカ人ならば滅多に使用しない。目撃者によると、クーパーの英語に独特の訛りは見られなかったという。そのため、もしクーパーがアメリカ人ではなかったら、アメリカとほぼ同じアクセントの英語を話すカナダの出身である可能性が高いという[107]

証拠から、クーパーには技術や飛行機、周辺の地理の知識があったことが示唆されている。パラシュートを4つ要求したことから、1人以上の人数の人質をとって、一緒に飛び降りさせようとしていた可能性を推測させる。このことから、FBIはクーパーに意図的に役に立たないパラシュートを与えたわけではなかったことは間違いないだろうと推測されている[108]。クーパーはボーイング727-100を選んだが、その理由はパラシュートでの脱出に理想的だったためである。機体尾部のエアステアの存在だけでなく、機体尾部に配置された3機のエンジンの位置が高かったことも都合が良かった。このおかげで、エンジンの排気との距離が近いにもかかわらず、飛行機から無理なく安全に飛び降りることができた。また、ボーイング727-100はシングルポイント給油が可能だった。当時の最新の技術革新により、単一の燃料ポートを通じて全ての燃料タンクに急速に燃料を補給できた。ボーイング727-100は、商業用ジェット旅客機には珍しく、失速せずに低速で低い高度を飛ぶ能力もあった。クーパーは、3名の操縦士により逆襲される可能性のあるコックピットに入ることなく飛行機の速度や高度を制御するための方法について理解していた[109]。さらに、クーパーは、フラップの適切な設定が15度であること (この型の飛行機に独特のことである) や典型的な燃料補給時間のような、重要性の高い詳細な情報についてもよく知っていた。機体尾部のエアステアを飛行中に降下させることができることも知っていた。乗客を搭乗させての飛行する際にそのようなことをする必要のある状況は存在しないため、民間機の乗員はそのような操作が可能なことは全く知らされていなかった。クーパーは、客席後方にある単一のスイッチを操作すると、エアステアを下ろす操作をコックピットから上書きできないことも知っていた[110]。この飛行機に関する知識の一部は事実上、CIAの準軍事部隊にのみ知られていたもののようである[111]

クーパー・リサーチ・チームによると、クーパーがハイジャックしたタイミング、さらには選んだ服装さえもクーパーの周到な計画の一環だった可能性があるという。FBIは事件の起きた週末に行方をくらました人物を発見できなかったが、ケイは、クーパーは事件の後に通常の仕事に戻った可能性があるという説を唱えている。ケイは、着地地点の森を抜け、交通手段を調達し、家に戻るのに最良のタイミングは4日間の週末の前の日であり、森から出るのにヒッチハイクが必要となれば、私服よりもスーツ姿の方が都合が良かったと述べている[99]

FBIはクーパーはスカイダイビングについての技術や経験に乏しかったという結論を出した。2006年から解散される2016年までFBIの調査チームを率いていたラリー・カー (英: Larry Carr) 特別捜査官によると、FBIは当初はクーパーはスカイダイビングの経験が豊富であり、もしかしたら空挺兵かもしれないとさえ考えていたが、数年後にその考えは誤りであるという結論に至ったという。フラップが15度で、荷が軽かったボーイング727はおそらく時速172キロメートルで飛行していたと見られるが、スカイダイビングの経験が豊富な人ならば、雨が降る漆黒の闇夜の中を、顔に時速172キロメートルの風が吹きつける状態で、ローファーやトレンチコートを着て飛び降りるという危険な行動はとらないという。また、クーパーは予備のパラシュートが訓練用で縫われて開かなくなっていることを見逃したが、スカイダイビングの経験の豊富な人ならば確認するという[86]。クーパーはヘルメットを持ち込んだり要求したりすることがなく[112]、与えられたメインのパラシュートから技術的に劣っているうえにより古い方のパラシュートを選んでいた[55]。11月の高度約3千メートル、推定温度-9℃のワシントン州上空を、暴風による体温の低下に対する適切な防護策を用意せずに飛び降りてしまってもいる[113][114]

FBIは当初からクーパーは飛び降りた後に死亡したと推測していた[86]。カーは、計画もなく、適切な装備もなく、悪天候の中で荒野に飛び降りたため、おそらくパラシュートを開くことすらなかっただろうと述べた[6]。FBIは、クーパーがたとえ安全に着陸したとして、着地地点を前もって決めてそこに共犯者を配置しなければ、クーパーが初冬の山の中を生き延びることはほぼ不可能だろうと主張した。着地地点に共犯者がいたとしても、目標の着地地点に到るには正確なタイミングで飛び降りる必要があり、それにはさらに飛行機の乗員の協力も必要である。しかし、クーパーが特定の地点に正確に着地できるように乗員に援助を求めたり、乗員がクーパーを助けたりした証拠はなく、クーパーが雲でいっぱいの暴風の吹き荒れる暗闇の中に飛び降りたときに自身の居場所が明確に理解できた証拠もない[79]

回収された紙幣[編集]

1980年に身代金の紙幣が発見されたことにより、新たな臆説が生まれた。結局のところ、解明された謎よりも新たに生じた疑問の方が多かった。捜査官や専門家の初期の声明は、紙幣の束は数多くの支流の一つからコロンビア川へ自然に流れ着いたという推測に基づいていた。アメリカ陸軍工兵司令部所属の水文学者は、紙幣は円形に並ぶようにばらばらに散らばっており、もつれあっていたことについて言及している。このことは、紙幣は意図的に埋められたのではなく、川の作用により堆積したことを示唆している[115]。この結論が正しければ、クーパーはマーウィン湖やルイス川の支流の近くに着陸しなかったという説を支持することになる。ルイス川はティナ・バーよりも下流でコロンビア川に注ぎ込む。着陸地点はワシューガル川の近くであるという推測 (#後の展開を参照) に信頼性を与えている。ワシューガル川は紙幣の発見場所よりも上流でコロンビア川に合流する[116]

しかし、紙幣は自然に流れて堆積したものであるという仮説には難点もある。紙幣の束の1つから紙幣10枚がなくなっていたことの説明になっていない点や、3つの紙幣の束が残りの紙幣の束から分離して一箇所に集まっていたことの論理的な説明が存在しない点である。物的証拠は地理上の証拠とも一致しない。ヒンメルスバッハは、札束が自然に浮かんで岸に流れ着いたのならば、クーパー事件から数年以内にそれが起こっていたはずであり、そうでなくても、ゴムバンドはとっくに風化しきっていただろうと述べている。このことはクーパー・リサーチ・チームが実験で確認している[99]。地理上の証拠によれば、紙幣は陸軍工兵司令部が川の浚渫を行った1974年以降にティナ・バーへ流れ着いたという。ポートランド州立大学の地理学者のレナード・パーマー (英: Leonard Palmer) は、浚渫により川岸に堆積していた粘土の中から砂や堆積物の層を別個に2つ発見した。また、紙幣が埋まっていた砂の層も見つけた。これにより、紙幣は浚渫が完了してから長い時間がたった後に流れ着いたことが示唆されているという[115][117]。クーパー・リサーチ・チームは粘土の層は自然に堆積したことを示す証拠を引き合いに出してパーマーの結論に異議を唱えた。もしこの発見が本当ならば、ゴムのバンドの実験に基づけば、紙幣が流れ着いたのはハイジャックから1年以内であるということになる。しかし、札束がティナ・バーにどのように流れ着いたか、札束がどこから来たのかといったことの説明にはなっていない[118]

ヒンメルスバッハは、もし自分がクーパーを探しに行こうとしたならば、ワシューガルに向かっていただろうと記している[105]。ワシューガル谷とその周辺は、その後に個人や団体が度々私的に捜索してきた。今日まで、ハイジャックに直接起因する証拠の発見は報告されていない。調査者の中には、1980年のセント・ヘレンズ山の噴火により、残っていた物的証拠が抹消されてしまった可能性があると推測している人もいる[119]

別の仮説も提唱された。一部の人は、紙幣は離れた場所で何者か (もしくは野生動物) により発見され、川岸に運ばれて、そこに埋め直されたと推測した。コーリッツ郡の保安官は、クーパーはエアステアで誤って札束をいくつか取り落とし、落ちた札束は飛行機から吹き飛ばされてコロンビア川に落ちたという説を唱えた。地元の新聞の編集者は、クーパーは金を使うことができないと悟り、自ら川に投棄したか、ティナ・バーに (さらには他の場所にも) 一部を埋めたという仮説を立てた[120]。今日まで提案された仮説に、存在する全ての証拠を満足に説明しているものは存在しない[99]

出訴期限法[編集]

1976年、クーパー事件に対する出訴期限法による出訴期限が差し迫っているという問題についての議論が巻き起こった。出版物に掲載された法的な分析のほとんどで、この件はほとんど重要性がないだろうという見解で意見が一致した[121]。出訴期限法の解釈は事件や裁判によって大きく変化するうえに、告訴者はクーパーはいくつかの妥当な技術的背景により免責特権は喪失していると主張することができた[122][123]。11月、ポートランド大陪審が"John Doe, aka Dan Cooper" (直訳すると「ダン・クーパーとして知られるジョン・ドゥ(=氏名不詳の人物)」) に対してハイジャックとホッブズ法英語版の違反により犯人欠席のまま起訴決定の評決を下し、結局この問題は重要性がなくなった[124]。この評決により訴訟が正式に開始され、クーパーが将来いつ逮捕されようとも訴訟を進められるようになった[122]

被疑者[編集]

1971年から2016年の間、FBIは千人を超える被疑者を扱ってきた。その中には売名屋と見なされている人物や、死に際に犯人であると告白した人物も含まれる[5]。しかし、被疑者たちが犯人であることを示す証拠はせいぜい状況証拠しか見つからず、クーパー事件と被疑者を結び付けるものはどれも推測や根拠の薄い告発でしかない。

ケネス・クリスチャンセン[編集]

2003年、ミネソタ州の住民であるライル・クリスチャンセン (英: Lyle Christiansen) はテレビでクーパー事件についてのドキュメンタリー番組を見て、自分の死んだ兄弟のケネス・クリスチャンセン (英: Kenneth Christiansen) がクーパーであることに気がついた[3]。最初はFBIにケネスが真犯人であると信じてもらおうと徒労を繰り返し、次に著述家であり映画監督でもあるノーラ・エフロンにもかけ合った。エフロンはクーパー事件の映画を制作したいと考えていたが、それでもこれも徒労に終わった。その後、ライルはニューヨークに住む探偵に接触した。2010年、刑事のスキップ・ポーティアス (英: Skipp Porteous) がクリスチャンセンを犯人と見なす書籍を著した[125]。翌年、ヒストリーBrad Meltzer's Decoded英語版というシリーズ番組のエピソードでも、クリスチャンセンとクーパー事件を結び付ける状況証拠がかいつまんで解説された[126]

クリスチャンセンは1944年に陸軍に入隊し、空挺兵の訓練を受けた。1945年に配置されたときには第二次世界大戦は終結していたが、1940年代後半に占領軍の元で日本に配置されていた間、時折パラシュートの訓練を受けていた。陸軍を退役すると、1954年にポリネシアで整備士としてノースウエスト・オリエント航空に入社した。その後、シアトルを拠点に客室乗務員、次いでパーサーを経験した[3]。クーパー事件のとき、クリスチャンセンは45歳だったが、目撃者の証言と比べると、背は低く (173センチメートル)、体重も軽く (68キログラム)、肌の色も白めだった[3]。クリスチャンセンはクーパーと同じく愛煙家で、も好み中でもバーボンが好きだった。クーパーもバーボンを好んでいた。クリスチャンセンは左利きだった。クーパーのネクタイの証拠写真では、ネクタイ留めは左側から取り付けられていた。このことから、ネクタイ留めを取り付けた人物、つまりクーパーは左利きだったことを示唆している[6]。客室乗務員のシャフナーは記者に対し、クリスチャンセンの写真は、これまで見せられた他の被疑者の写真よりも、記憶の中のクーパーの外見と似ていると述べている。しかし、クリスチャンセンがクーパーであると断定することはできなかった[3]。なお、クーパーと最も接触した人物であるマックローは、報道機関のインタビューを一切受諾していない[127]

クリスチャンセンはクーパー事件から数ヵ月後に家を現金で購入したと言われている。彼は1994年にで死の縁に陥るが、その際にライルに向けて、ライルが知っておくべきことがあるが、伝えることができないと語ったという。ライルはクリスチャンセンにその話をするように迫ったことは全くなかったと述べた[3]。クリスチャンセンの死後、遺族たちは金貨や貴重な切手のコレクションを発見した。銀行口座には20万ドル以上の金が残されていた。ノースウエスト・オリエント航空に関するニュース記事の切り抜きのフォルダも発見した。切り抜きはクリスチャンセンがノースウエスト・オリエント航空に雇われた1950年代頃から始まり、クーパー事件の直前で終わっていた。クーパー事件がノースウエスト・オリエント航空の歴史上、比べるまでもなく最重要な出来事だったのにもかかわらずである。彼は1971年以降も長期間、ノースウエスト・オリエント航空で非常勤の仕事を続けていた。しかし、それからノースウエスト・オリエント航空関係の記事の切り抜きをすることは一切なかったようだ[3]

インターネット上の団体の調査によると、後にクリスチャンセンはクーパー事件後に家を現金で買ったわけではないことが証明されたという。実際は住宅ローンを利用して17年かけて支払ったらしい。また、同調査によると、クリスチャンセンは1990年代中頃に1エーカー1万7千ドルの土地を20エーカーほど売却しており、死後に口座に残していた大量の金はそれに由来するという[128]

クリスチャンセン犯人説はポーティアスの著書や2011年のテレビのドキュメンタリーにより知名度を得たが、FBIはクリステチャンセンは被疑者とは考えられないという立場をとっている[55][129]。FBIは、目撃者による外見の説明とあまり一致しないことや、クーパーのプロファイリングから推測されたスカイダイビングの腕前と比べるとクリスチャンセンはそれを上回る程度の専門的な技術を有していること、犯人であることを示す直接的な証拠が存在しないことを引き合いに出している[130]

ジャック・コフェルト[編集]

ジャック・コフェルト (英: Jack Coffelt) は前科持ちの詐欺師であり、政府の情報提供者であると噂されていた。自身はエイブラハム・リンカーンの最後の確実な子孫である曾孫のロバート・トッド・リンカーン・ベックウィズ英語版 (英: Robert Todd Lincoln Beckwith) の運転手であり親友でもあると主張していた。1972年、コフェルトは自分こそがクーパーであると主張し始め、かつて同じ刑務所にいたジェームズ・ブラウン (英: James Brown) という人物を仲介して、ハリウッドの映画制作会社に自身の話を売り込もうとした。コフェルトによれば、コフェルトはアリエルから南東に約80キロメートル離れたフッド山の近くに着陸し、その過程で負傷して身代金を失ったという。1971年にはコフェルトは50代半ばだったものの、コフェルトの写真にはクーパーの似顔絵との類似性があった。コフェルトはクーパー事件の日にポートランドにいたと言われており、その頃に脚にけがを負っていた。飛行機から飛び降りたときの事故での負傷と考えることもできる[131]

コフェルトの話はFBIにより調査されたが、一般の人々の間には知られていなかった情報の詳細な部分で重大な違いがあったことから、コフェルトの話は捏造という結論になった[132]。コフェルトは1975年に死亡し、その後もブラウンは懲りずに長い間コフェルトの話を吹聴していた。CBSのニュース番組の60 Minutesを含む複数のメディアでコフェルトの話が考察され、退けられた[133]。2008年のリンカーンの子孫についての書籍[134]で、著者のチャールズ・ラクマン (英: Charles Lachman) は、36年前に信用に値しないと評されていたものの、コフェルトの話を再び取り上げた。

リン・ドイル・クーパー[編集]

リン・ドイル・クーパー (英: Lynn Doyle Cooper、L.D.クーパー) は朝鮮戦争の兵役を経験した革職人で、2011年7月に姪のマーラ・クーパー (英: Marla Cooper) に被疑者として取り上げられた[135][136]。マーラが8歳のとき、ポートランドから240キロメートル南東にあるオレゴン州シスターズ英語版にある祖母の家で、クーパーともう1人のおじが、高価なウォーキートーキーの使用を含む非常に悪意のある企てをしていたという[137]。305便がハイジャックされたのはその翌日のことである。おじたちは表向きには七面鳥狩りに行っていたことになっていたが、L.D.クーパーが帰宅したときにシャツが血塗れになっていた。L.D.クーパーは自動車の事故が原因と述べていた[129]。後に、マーラの両親はL.D.クーパーがハイジャック犯の正体であると考えるようになったという。L.D.クーパーはスカイダイバーや空挺兵ではなかったものの、カナダの漫画に登場するヒーローのダン・クーパー (#仮説を参照) に夢中になっており、漫画本の一つが画鋲で壁にとめられていたという。L.D.クーパーは1999年に死亡した[138]

2011年8月、ニューヨーク誌は、305便に搭乗していた目撃者のロバート・グレゴリー (英: Robert Gregory) の説明に基づいているとされる別の似顔絵を掲載した。その人物によれば、ハイジャック犯は角縁のサングラスを掛けており、大きなラペルのあるあずき色のスーツジャケットを着ており、髪型はマルセルウェーブだったという。記事では、L.D.クーパーの髪は波打っており、マルセルウェーブにも見えると言及されている (後述の#ドゥエーン・ウェーバーも同様)[139]。FBIはL.D.クーパーが作ったギターストラップからは指紋は発見されなかったと声明した[140]。1週間後、FBIは、L.D.クーパーのDNAはハイジャック犯のネクタイから発見された断片的なDNAプロファイルと一致しなかったと報告したが、ネクタイから発見された生体物質がハイジャック犯に由来する確証がないことは再度認めた[89]。FBIはそれ以上の声明を公的には出していない。

バーバラ・デートン[編集]

バーバラ・デートン (英: Barbara Dayton) は1926年生まれのワシントン大学の司書であり、飛行機操縦が趣味だった。出生名はロバート・デートン (英: Robert Dayton) だった。デートンはユナイテッド・ステーツ・マーチャント・マリーン英語版で働き、それから第二次世界大戦中は陸軍に加わっていた[141]。退役後、デートンは建設業界で爆薬を扱う仕事をした。定期航空便で仕事をしたいと思っていたが、商業パイロットの資格を得ることはできなかった。

デートンは1969年に性別適合手術を受けてバーバラという名前に改名した[142]。2年後、デートンは自分がクーパー事件の犯人であると主張した。事件のときは男に変装しており、定期航空便のパイロットになることを認めなかった航空業界と連邦航空局に仕返しをすることが目的だったという[143]。ポートランドの南にある郊外地域のオレゴン州ウッドバーン英語版が着地地点であり、その近くの貯水槽の中に身代金を隠したという。その後、依然としてハイジャックで罪に問われる可能性があったと知ったことを表向きの理由として、自分の話を全て撤回した。FBIは公式にはデートンについての声明を全く行っていない。デートンは2002年に死亡した[141]

ウィリアム・ゴセット[編集]

ウィリアム・ゴセット (英: William Gossett) は海兵隊、陸軍、陸軍航空軍の兵役を経験しており、朝鮮戦争やベトナム戦争での実戦経験もある。高等なパラシュート降下の訓練や原野でのサバイバルも経験している。1973年に軍を退役すると、予備役将校訓練課程の講師をしたり、ユタ州オグデンウェーバー州立大学英語版で軍法を教えたり、ソルトレイクシティ超常現象について語るラジオのトーク番組の司会を行ったりした[144]。2003年に死亡した[145]

ゴセットはクーパー事件に魅了されていたことで広く知られていた。クーパー関連のニュース記事の膨大なコレクションを収集しており、妻の1人にクーパーの墓銘碑を書けるほどの知識があると語っていた。晩年には、3人の息子や、ユタ州の判事だった人物、ソルトレイクシティの公選弁護人の事務所に務める友人に、自分がクーパー事件の犯人であると語った[145]。1971年ごろのゴセットの写真は、最も広く流布されたクーパーの似顔絵と非常に類似している[146]

数年間、ゴセットに関する情報を収集してきた法律家のガーレン・クック (英: Galen Cook) によると、ゴセットは一度、自分の息子たちにブリティッシュコロンビア州バンクーバーにある貸金庫の鍵を見せたという。ゴセットは貸金庫には長年行方不明だった身代金が収められていると主張したそうだ[147]。ゴセットの息子の中で最年長のグレッグ (英: Greg) は、父はギャンブル狂いでいつも金欠だったが、クーパー事件の数週間後の1971年のクリスマス直前に大量の札束を見せてきたと語った。グレッグは、ゴセットはラスベガスでの賭博で金を使い果たしたと推測した[148]

1988年、ゴセットは名前を「ウルフギャング」(英: Wolfgang) に変え、ローマカトリック教会の司祭になった。クックたちは自分の身元を隠そうとしたのだろうと解釈した[144]。他の状況証拠に、ハイジャックされた飛行機の乗客のウィリアム・ミッチェル (英: William Mitchell) から得たとクックが主張している証言があり、クーパーとゴセットに共通する身体的特徴に関するものであるらしいが、クックはその証言を秘密にしている[149]。また、クックは、クーパー事件から数日以内に3つの新聞社に届けられた"D.B.クーパー"と署名されている4通の手紙とゴセットに繋がりがある可能性を見出したと主張している。しかし、ハイジャック犯が実際にそのような手紙を執筆したり郵送したりしたことを示す証拠は存在しない[150][151][152]

FBIの持つ証拠には、ゴセットが犯人であることを示す直接の証拠は存在しない。クーパー事件の際にゴセットが太平洋岸北西部にいたことを示す信頼できる証拠も有していない[153]。カー特別捜査官は、ゴセットが他人に自分が犯人であると話したこと以外は、ゴセットにクーパー事件とのつながりは存在しないと述べた[154]

ロバート・リチャード・レプシー[編集]

ロバート・リチャード・レプシー (英: Robert Richard Lepsy) はミシガン州グレーリング英語版出身の33歳の食料雑貨店の店主であり、4人の子供の父親でもある。レプシーは1969年10月に失踪した。3日後にレプシーの自動車が地元の空港で発見され、外見の説明がレプシーと一致する男がメキシコへの飛行機に搭乗したのを目撃されたと言われている。当局はレプシーは自らの意思で姿をくらましたと結論付け、捜査を打ち切った[155][156]

クーパー事件から2年後、レプシーの家族が、レプシーの身体的特徴がクーパーの似顔絵と似ていると言及し、クーパーの衣服がレプシーの店の制服と非常に似ていると断言した。レプシーは法的には1976年に死亡した扱いになった。2011年にレプシーの娘の1人がDNA試料をFBIに提出したが、結果は不明である[157]。2014年の書籍でレプシーはクーパー事件の被疑者であると取り上げられたが[158]、FBIがレプシーについて公式で声明したという記録は存在しない[159]

ジョン・リスト[編集]

ジョン・リスト (英: John List) は税理士であり、第二次世界大戦と朝鮮戦争の兵役を経験した。クーパー事件の15日前、ニュージャージー州ウェストフィールド英語版で妻と3人の子供、85歳の母親を殺害し、母親の銀行口座から20万ドルを引き出して姿をくらました[160]。リストの失踪のタイミングや、クーパーの特徴との複数の一致、大量殺人の逃亡犯に失うものはないという推測から、クーパー事件を追っていた捜査官たちはリストに注目した[161][162]。1989年にリストが逮捕されると、リストは家族を殺害したことは認めたが、クーパー事件への関与は認めなかった。クーパー事件に関する記事やドキュメンタリーにはいまだにリストの名前が挙がるが、リストが犯人であることを示す確固たる証拠は存在せず、FBIももはやリストがクーパー事件の被疑者であるとは考えていない[163]。リストは獄中で2008年に死亡した[164]

テッド・メイフィールド[編集]

テオドール・E・メイフィールド (英: Theodore E. Mayfield、テッド・メイフィールド <英: Ted Mayfield>) は特殊部隊での軍務を経験した人物であり、パイロット、競技スカイダイビングの選手、スカイダイビングのインストラクターでもあった。スカイダイビング講習中に2人の生徒がパラシュートが開かずに死亡した事件により、過失致死で1994年に服役した[165]。後に、さらに13件のスカイダイビング中の死亡事故への間接的な責任が認められた。これらの事故の原因は装備や訓練の欠陥だった。メイフィールドの犯罪歴の記録には武装強盗や盗難飛行機の運搬という前科も記されている[166]。2010年、パイロットの免許を失ってから26年後に飛行機を操縦したことにより、3年間の保護観察処分の判決を受けた[167]。FBIの捜査官のラルフ・ヒンメルスバッハによると、捜査の初期段階で、メイフィールドは度々被疑者として名前が挙がったという。ヒンメルバッハは以前に地元の空港で起きた喧嘩からメイフィールドのことを知っていた。メイフィールドは被疑者から除外されたが、その理由の1つは、305便がリノに着陸してから2時間もたたないうちに、メイフィールドがヒンメルスバッハに電話して、標準的なスカイダイビングの慣例や着地地点についてのアドバイスを志願したことである[168]

2006年、2人のアマチュア研究者のダニエル・ドヴォラク (英: Daniel Dvorak) とマシュー・マイヤース (英: Matthew Myers) は、メイフィールドが被疑者であるという説を再び持ち出し、メイフィールドが犯人であることを示す状況証拠を収集したと断言した[166][169]。2人は、メイフィールドがヒンメルバッハに電話した理由はアドバイスの提供を申し出るためではなく、アリバイを作るためだったという仮説を立て、夜に原野へ飛び降りてから4時間もたたずにFBIに電話をかけるのは不可能であるというヒンメルスバッハの結論に異議を唱えた[169]。メイフィールドは事件への関与を否定し、クーパー事件の最中にFBIが自分に5回電話をかけて、パラシュートや地元のスカイダイバー、スカイダイビングの技術について質問してきたと以前に断言したことを繰り返し述べた[166]。ただし、ヒンメルバッハによると、FBIからメイフィールドに電話をかけたことは一切なかったという[170]。さらに、メイフィールドは、ドヴォラクとマイヤースが自分たちの説に同調することを持ちかけ、一緒に大金を稼ごうと誘ってきたと告発した。ドヴォラクとマイヤースはメイフィールドと内通したという話は見え透いた嘘であると述べた[169]。メイフィールドは2015年に死亡した[166]。メイフィールドは早い段階で被疑者から除外されたというヒンメルスバッハの元の発言を除けば、FBIはメイフィールドについていかなる声明も出していない[168]

リチャード・マッコイ[編集]

リチャード・マッコイ

マッコイは陸軍での兵役を経験した人物であり、最初は爆薬の専門家として、その後はグリーンベレーでヘリコプターの操縦士としてベトナムで2度の軍務を経験した[171]。退役した後はユタ州兵の准士官になり、スカイダイビングを熱心に愛好した。自分にはユタ州警察官になる大望があったと述べている[172]

1972年4月7日、マッコイはクーパーを模倣した事件を起こした。マッコイの犯行はクーパーを模倣した事件の中で最も知名度が高い[173] (#模倣犯を参照)。マッコイはコロラド州デンバーユナイテッド航空855便 (ボーイング727、機体尾部にエアステアがある) に搭乗し、手榴弾と拳銃を見せ付けて脅迫し、4つのパラシュートと50万ドルを要求した。ただし、手榴弾はそれに似た形をしているだけのただの文鎮であり、拳銃は弾丸が装填されていなかったことが後で判明した[161]。金とパラシュートがサンフランシスコ国際空港に届けられると、マッコイは再度離陸するように命令し、ユタ州プロボ上空でパラシュートによる降下を行った。機内には、ハイジャックの際に命令を記した手書きのメモと、読んでいた雑誌に付着した指紋という手掛かりが残っていた[174]。後に筆跡の専門家が飛行機で見つかったメモの筆跡と軍務の記録にあったマッコイの筆跡を比較し、マッコイがメモを書いたと断定した[175]。4月9日にマッコイは逮捕された。逮捕されたとき、マッコイは身代金を所持していた。裁判では45年間の懲役という判決が下った[172]。2年後、マッコイはルイスバーグ州立刑務所に収監されていたが、数名の共犯者に刑務所の正門にごみ収集車を突っ込ませて脱獄した[176]。3ヵ月後にバージニアビーチで追い詰められ、FBIの捜査官との銃撃戦の最中に死亡した[173][177]

1991年のD.B. Cooper: The Real McCoyという書籍[178]で、著者であるパロール・オフィサーのバーニー・ローズ (英: Bernie Rhodes) とかつてFBIの捜査官だったラッセル・カラム (英: Russell Calame) は、マッコイがクーパーの正体であることを突き止めたと断言した。2人は2つのハイジャック事件の明白な類似性を引き合いに出し、さらに、マッコイの家族が飛行機に残されたネクタイと真珠母のネクタイ留めはマッコイのものであると主張したことや、マッコイ自身が自分がクーパーであることを認めることも否定することもしなかったことを根拠とした[173][179]。カラムはマッコイを射殺した捜査官だった[173]

FBIはマッコイをクーパー事件の被疑者とは見なしていない。年齢や外見が大きく異なること[注釈 4]や、マッコイがクーパーが持っていたと思しきスカイダイビングの技術を上回る水準の腕前を有していること[6]、クーパー事件の日にマッコイはラスベガスにいて[71]、翌日にユタ州の自宅で家族と一緒に感謝祭の晩餐を開いたことを証明する信頼できる証拠があることがその理由である[129][181]

ロバート・ラックストロー[編集]

1971年のFBIによるクーパーのスケッチ (左) と1970年のロバート・ラックストローの陸軍の身分証明の写真との比較。当局の専門家は、2者の間で一致する箇所を9点発見した。

ロバート・ウェズリー・ラックストロー (英: Robert Wesley Rackstraw1943年 - 2019年7月9日) は元パイロットであり、犯罪の前科がある。ベトナム戦争では陸軍のヘリコプターの乗組員や他の部隊で服務した。1978年2月に、ラックストローが爆薬の所持と小切手詐欺の嫌疑を受けてイランで逮捕され、アメリカに移送された事件が起こり、クーパー事件を追っていた捜査官の注目を集めた。数ヵ月後、保釈中だったとき、ラックストローは偽のメーデーの通報をして、管制官にモントレー湾上空でレンタルした飛行機からパラシュートを使って脱出すると告げて、自分の死を偽装しようとした[182]。後に、警察はパイロットの免許証を捏造した容疑でカリフォルニア州フラートンでラックストローを逮捕した。ラックストローが不時着水させたと主張していた飛行機は、塗装を変えた状態で近くの格納庫で発見された[183][184]。クーパー事件の捜査官は、ラックストローは1971年時点で28歳と若かったものの[185]、クーパーの似顔絵と身体的特徴が似ており、軍でパラシュートの訓練を受けていたことと、犯罪の前科があることについて言及した。しかし、クーパー事件との関与を示す直接的な証拠が発見できず、1979年に被疑者から除外された[186][187]

2016年、ヒストリーチャンネルの番組[188]や書籍[189]でラックストローが再び容疑者として名前が挙がった。2016年9月8日、The Last Master Outlaw英語版の著者のトーマス・J・コルバート (英: Thomas J. Colbert) と弁護士のマーク・ザイド英語版 (英: Mark Zaid) が、情報公開法を根拠としてFBIにクーパー事件の捜査資料を公開するように請求する訴訟を起こした。訴訟では、FBIがクーパー事件の捜査を停止したのは、ラックストローを告訴するのに十分な証拠を集めることに失敗したことで決まりの悪い思いをしないように済むために、ラックストローがクーパーであるという仮説を覆すことを目的としていたと主張されていた[190]。2018年1月、小規模の未解決事件ドキュメンタリー集団が、1971年12月に書かれた手紙を入手したと報告した。調査団はトーマス・コルバートとドンナ・コルバート (英: Dawna Colbert) が統率していた。調査団は、手紙に書かれた暗号を解読し、ラックストローが陸軍に在籍していたときに所属していた3つの部隊と一致したと報告した。FBIはアマチュアの調査団が自分たちが解決できなかった事件を解き明かしたことを認めることになるから自分たちの発見を承認しようとしなかったとも述べた[191]

305便の客室乗務員の1人が、1970年代のラックストローの写真と記憶の中のクーパーの外見との間に類似性があるようには思えないと述べたと言われている[185][192]。ラックストローの代理人は、再度現れたラックストロー犯人説を、今まで聞いた中で最も愚かなことと評した[193]。ラックストロー自身もPeople.comでこの説に対して否定的な見解を述べている[185]。FBIは新たに声明するのを拒絶した[190]。ラックストローは2017年に電話でのインタビューで、2016年のコルバートの主張により失職したと述べている[194]。コルバートに接近されたとき、ラックストローは自分がD.B.クーパーだと言って回ることがあったと述べたが、それは単に人目を引くために吹聴していただけだったと説明した[195]

2018年6月の記事で、民間の調査者がFBIの資料にあった以前は一般に知られていなかった手紙を解読したと主張したという話が掲載された。調査者は、手紙には隠された犯人の告白が書かれていたと主張している[196]

ラックストローは2019年7月9日に心臓病が原因で死亡した[195]

ウォルター・R・レカ[編集]

ウォルター・R・レカ (英: Walter R. Reca1933年 - 2014年[197]、出生名はウォルター・R・ピカ <英: Walter R. Peca>) はミシガン州の住人であり[198]、軍隊に所属していた経験があり、ミシガン・パラシュート・チームの最初期のメンバーだった。2018年5月17日の記者会見で、レカの友人のカール・ラウリン (英: Carl Laurin) がレカを被疑者とする説を提唱した[199][200]。ラウリンはかつては商業航空会社のパイロットであり、自身もパラシュートの熟練者である。2008年、レカは電話を通じてラウリンに自身がクーパーであることを告白した[201]。2018年7月、プリンシピア・メディアはこの件の調査についてのドキュメンタリーを4部にわたって放映した。

レカは公証人によって署名された手紙を通じて、自身の死後にこの話を他者に話す許可をラウリンに与えていた。レカは2014年に80歳で死亡した。レカとラウリンは2008年後半に6週間にわたってクーパー事件について電話で会話しており、レカはそれを録音することも許可した。3時間以上におよぶ会話の中では、レカは以前まで一般には知られていなかったクーパー事件の詳細について新しい情報を出した。レカは姪のリサ・ストーリー (英: Lisa Story) にも自身がクーパーであることを告白した[202]。ラウリンは数年間トレーニングの時間を使ってクーパーがパラシュートで降下した場所を突き止めようとし、クーパーはワシントン州クレエラム付近に着陸したと結論付けた。

証言によると、クレエラムの住人のジェフ・オシアダッツ (英: Jeff Osiadacz) は1971年11月24日の夜にクレエラム付近でダンプカーを走らせていたという。その際、悪天候の中で道路のわきを歩く男を見かけた。オシアダッツは、その人物は車が故障し、助力を求めて歩いているのだろうと推測した。しかし、ダンプカーには男を乗せるだけの空きがなかった。オシアダッツはそのまま目的地であるクレエラムのすぐ外れにあるティーナウェイ・ジャンクション・カフェ (英: Teanaway Junction Café) へ向かった。オシアダッツがコーヒーを頼んだ後、件の男もカフェに入ってきた。さながら溺れたネズミのような見た目だったという。男はオシアダッツの隣に座り、自分の友人をここへ案内したいため、その友人に電話をかけてほしいと頼んだ。オシアダッツは了承し、その男の友人に電話で話しかけ、カフェの場所を教えた。それからまもなく、オシアダッツはバンドの演奏をするためグランジェ・ホールへ向かうためにカフェを出ようとした。男はコーヒーの代金を払うことを申し出て、2人は友好的に別れた。

ラウリンが目撃者の捜索を始めたのは、レカが着陸地点への道すがらに見た地形を説明してからのことだった。レカの説明によると、道中で2つの橋といくらかのはっきりとした光を見たという。カフェの外観と内装についても説明し、オシアダッツと会ったことも話した。レカはオシアダッツの詳細を説明し、西部風の服装をしていて、ギターケースを持っていたことを話した。レカはオシアダッツを「カウボーイ」と呼んだ。

ラウリンは地図からレカの説明した地形上の独特の目印を発見し、電話をかけて「ダンプカーを運転していたカウボーイ」について尋ねた。ラウリンがオシアダッツと連絡をとると、オシアダッツはその夜に男と出会ったことを思い出し、男の服装や外見について説明した。オシアダッツはラウリンが送ったレカの写真を見た後、その男性がレカであることを確認した[203]。ラウリンはレカがクーパー事件の犯人の告白を録音したテープに加え、レカが記した告白文と、レカがハイジャックの間に黒いズボンの下に着ていたと主張する長い下着も所有している。

2016年、ラウリンはプリンシピア・メディアの経営者にこの情報を伝え、経営者は科学調査の専門家のジョー・ケーニグ (英: Joe Koenig) に相談した[204]。ケーニグはラウリンが持ってきた全ての文書を鑑定した。文書にはパスポートやIDカード、写真、新聞の切り抜きが含まれる。ケーニグは改竄の証拠はなく、全ての文書は本物でその時代のものであると評価した。ラウリンの調査と入手可能なFBIの記録と比較すると、レカが被疑者でないと見なせる矛盾は見つからなかった。ケーニグはオシアダッツの1971年11月24日の夜の出来事についての証言がレカがその5年前に話したことと一致することが特に重要であるとも考えた。ケーニグは2018年5月17日に開かれたプリンシピア・メディアの記者会見で、ウォルター・R・レカがクーパーの正体と考えていると公言した[205]。2019年1月8日、ケーニグはGetting the Truthと題したクーパーについての書籍を出版した[206]

ウィリアム・J・スミス[編集]

2018年11月、オレゴニアン誌がニュージャージー州ブルームフィールドに住んでいたウィリアム・J・スミス (英: William J. Smith、1928年 - 2018年)[207]が被疑者の可能性があると報じる記事を掲載した。この記事はアメリカ軍のデータを解析していた研究者の調査に基づいていた。この研究者は自身の発見を2018年半ばにFBIに送付している[208]。スミスは第二次世界大戦時の海軍での兵役を経験した人物で、クーパー事件のときは43歳だった。スミスは高校卒業後に海軍に入り、空を飛びたいと言って戦闘機乗りに志願した。海軍を退役すると、リーハイ・バレー鉄道で働き、1970年のペン・セントラル鉄道倒産のあおりを受けた。これは当時ではアメリカ史上最大規模の倒産だった。記事では、この倒産によりスミスは年金を失い、企業体制と交通産業に対する恨みを抱いたという仮説を立てている。また、年金を失ったことで突然に金が必要な状況に追い込まれたとも推測される。スミスの母校の高校の年鑑では、第二次世界大戦で死亡した同窓の一覧にアイラ・ダニエル・クーパー (英: Ira Daniel Cooper) という人物の名前を掲載していた。これが「ダン・クーパー」という偽名の由来になった可能性がある[208]。研究者は、スミスの海軍時代での航空機の経験により飛行機やパラシュートの知識を得て、鉄道会社で働いていたときの経験が飛行機から飛び降りた後にそこから逃亡するために鉄道軌道を見つけて電車に乗る助けとなったのだろうと述べた[209]。研究者は、自身の調査はマックス・ガンサー (英: Max Gunther) が1985年に著した書籍D.B. Cooper: What Really Happenedとウィリアム・J・スミスとを結び付けたことで始まったとも述べている[210]

オレゴニアンの記事では、ネクタイから発見されたアルミニウムの螺旋状の小片などの粒子は機関車整備施設に由来する可能性があるとも書かれている。さらに、スミスがクーパーだとして、スミスがシアトル地域の情報を知っていたのは、鉄道で働いていたとき以来のスミスの親友であり、第二次世界大戦中にルイス駐屯地に配置されていた人物であるダン・クレア (英: Dan Clair) から聞いたためかもしれないとも記されている。スミスとクレアはニュージャージー州ニュアークにあるオーク・アイランド・ヤードで一緒に働いており、スミスはコンレール助役の職を退職した。記事には、リーハイ・バレー鉄道の写真を掲載しているウェブサイトにスミスの写真があり、クーパーの似顔絵と著しく似ているとも書かれている[211]。FBIはメディアのスミスに関する要求に対して、特定の被疑者についてコメントするのは不適切であると述べた[208]

ドゥエーン・ウェーバー[編集]

ドゥエーン・L・ウェーバー (英: Duane L. Weber) は第二次世界大戦に陸軍での兵役を経験した人物であり、1945年から1968年の間に強盗や文書偽造で少なくとも6箇所の刑務所で服役していた。ウェーバーは自身の妻から被疑者であるという説が出されたが、これは第一にはウェーバー自身の死に際での犯行の告白を元としていた。ウェーバーは1995年に死亡したが、その3日前、ウェーバーは妻に自分はダン・クーパーであると伝えた。妻はその名前の意味が分からなかったというが、数ヵ月後に、友人がその名前の意味を教えた。妻は地元の図書館へ行ってクーパーについて調べた。マックス・ガンサーの書籍を見つけ、その余白に夫の筆跡でメモが書かれていることを発見した[5]

そのときに妻は過去の記憶を思い出した。ウェーバーは一度、ある悪夢を見たことがあった。ウェーバーによると、飛行機から飛び降りたときに、機体尾部のエアステアに指紋を残してしまっているという内容だったという[212]。また、膝に古い傷があり、妻に飛行機から飛び降りたときについた傷だと語ったとも言われている。クーパーのように、ウェーバーはバーボンを飲み、立て続けにタバコを吸っていた。それ以外の状況証拠として、ウェーバーが1979年にシアトルとコロンビア川に旅行に行っていたことが挙げられる。このとき、ウェーバーはティナ・バーの川岸に沿って散歩していた。その4ヵ月後に、ブライアン・イングラムがその地域で身代金の紙幣を発見することになる[5]

FBIは1998年7月にウェーバーを被疑者から除外した。ウェーバーの指紋がハイジャックされた飛行機から検出されたどの指紋とも一致せず[212]、ウェーバーが犯人であることを示す直接的な証拠が発見できなかったためである[5]。後の調査で、ウェーバーのDNAはクーパーのネクタイから回収された試料と一致しないことも明らかになっている[55][129][129]。ただし、FBIは以降に、ネクタイから発見された生体試料がクーパーに由来するものであるかは不確定であることを認めた[89]

模倣犯[編集]

クーパーは私益のためにハイジャックを行った最初の人物というわけではない。例えば、1971年11月初旬、カナダ人のポール・ジョセフ・チーニ (英: Paul Joseph Cini) はモンタナ州上空でエア・カナダDC-8機をハイジャックした。しかし、持参してきたパラシュートを装着しようとして散弾銃を下ろしたときに乗員により制圧された[213][214]。クーパーは少なくともパラシュートで降下するところまでハイジャックを成功させていたため、にわかに模倣犯が現れた。そのような事件のほとんどは1972年に起きた[215]。その中で著名な例を次に挙げる。

  • リチャード・チャールズ・ラポイント (英: Richard Charles LaPoint) は陸軍での兵役を経験した人物であり、"New England beach bum"[217] (直訳すると「ニューイングランドの海辺で遊び呆けている人物」) でもあった。ラポイントは1月20日にラスベガスのマッカランヒューズ・エア・ウエスト800便のDC-9機に搭乗した。飛行機が誘導路にいるときに、ラポイントは爆弾と称するものを見せ付けて脅迫し、5万ドルとパラシュート2つ、ヘルメットを要求した[218]。51名の乗客と2名の客室乗務員を解放すると、デンバーへ向けて東に飛行機を飛ばすように命令した[219]。その後、コロラド州北東部の木のない平原の上空でパラシュートで降下した。実はパラシュートには探知機が付いていた。当局はパラシュートと雪や泥についた足跡を追跡し、数時間後にラポイントを逮捕した[220][221][222]
  • リチャード・マッコイ・ジュニアはかつては陸軍のグリーンベレーだった[223]。マッコイは4月にサンフランシスコへ向けてデンバーを飛び立ったユナイテッド航空のボーイング727-100をハイジャックし、50万ドルの身代金を持ってユタ州上空でパラシュートを使って降下した。安全に着地したが、2日後に逮捕された[224]
  • ロブ・ドリン・ヘディ (英: Robb Dolin Heady) は空挺兵でベトナム戦争での兵役を経験した人物であり、6月初旬にリノでユナイテッド航空のボーイング727を襲撃し、20万ドルとパラシュート2つを要求した。リノから南へ約40キロメートルのところにあるワショー湖英語版の近くで暗闇の中へ身を投じた。警察はヘディの車 (アメリカパラシュート協会のバンパーステッカーが貼られていた) が湖の近くで停められているのを発見し、翌朝に車へ戻ってきたヘディを逮捕した[227][228]
  • マーティン・マクナリー (英: Martin McNally) はかつてはガソリンスタンドの案内係だったが当時は無職だった。6月下旬にセントルイスからタルサへ向かう途中のアメリカン航空のボーイング727を短機関銃を持ってハイジャックし、東に方向転換してインディアナ州へ向かわせ、50万ドルの身代金を持ってパラシュートで降下した[229]。マクナリーは飛行機から出るときに身代金をなくしてしまったが、インディアナ州ペルー英語版の近くで安全に着陸した。数日後にデトロイト近郊で逮捕された[230]

1972年に発生したクーパー事件に似たハイジャック事件は全部で15件あり、すべて失敗に終わった[231]。1973年に全国的に手荷物の検査を行うようになり (#空港の安全性を参照)、全体的なハイジャック事件の発生率は劇的に減少した[232]。クーパー事件を模倣したハイジャック事件は、1980年7月11日を最後に顕著な例は存在しなかった。この日、グレン・K・トリップ (英: Glenn K. Tripp) がノースウエスト航空608便をシアトル・タコマ空港でハイジャックし、60万ドル (ある文献では10万ドル)[233]とパラシュート2つ、自身の上司の暗殺を要求した。しかし、客室乗務員がとっさの判断でアルコール飲料に密かにバリウムを混ぜてトリップに与えた。10時間もの膠着状態の間に、トリップは要求をチーズバーガー3個と先んじて逃走することに変更し、その後に逮捕された[234]。しかし、1983年1月21日、トリップはまだ保護観察中だったが、再び同じノースウエスト航空機を今度は飛行中にハイジャックし、アフガニスタンへ飛行機を飛ばすことを要求した。飛行機がポートランドに着陸したときに、トリップはFBIの捜査官に銃殺された[235]

事件の余波[編集]

空港の安全性[編集]

クーパー事件が商業航空に安全性をもたらす幕開けとなった。前年にスカイ・マーシャル・プログラムが開始されたにも関わらず[232]、1972年にアメリカ上空を飛ぶ飛行機で31件もハイジャック事件が発生していた。そのうちの19件が金の強奪が目的で、それ以外の事件のほとんどがキューバへ向かうことが目的だった[236]。金の強奪を目的とした事件のうちの15件はパラシュートも要求された[231]。1973年前半、連邦航空局は、航空会社に乗客全員とその鞄を検査することを要求した。このような手荷物の検査が検査と押収を規制する憲法修正第4条に反していると複数の訴訟が起こされたが、連邦裁判所は、このような検査が全国的に行われ、かつそれが武器や爆薬の探知を目的とした検査に限られるときに許可されると決定した[232]。1972年に31件もハイジャックがあったのに対し、1973年は2件しか起こらなかった。どちらも精神障害者による犯行で、そのうちの1人であるサミュエル・ビック英語版 (英: Samuel Byck) は飛行機をホワイトハウスに突っ込ませてニクソン大統領を殺害しようと企てた[237]

飛行機の改修[編集]

クーパー・ベーン。解除されている。

1972年に模倣犯による犯行が相次いで起きたため、連邦航空局はボーイング727全機に飛行中の尾部のエアステアの降下をできなくする装置を装着することを義務付けた。この装置は後に「クーパー・ベーン」(英: Cooper vane) と呼ばれた[232][238]。また、クーパー事件を直接的な理由として、全ての飛行機のコックピットのドアに覗き穴が導入された。これにより、コックピットにいる乗員がコックピットのドアを開けることなく客室にいる人の様子を見ることができるようになった[239]

ハイジャックされた飛行機のその後[編集]

ハイジャックされたボーイング727-100は1978年にノースウエスト航空からピードモント航空に売却された。新たにN838Nと登録され、国内便で使用され続けた[240]。1984年に、今は存在しないチャーター会社のキー航空英語版へ売却され、新たにN29KAと登録された。空軍による民間のチャーター機団に加えられ、機密のF-117開発計画の際にネリス空軍基地トノパ・テスト・レンジ英語版との間で人員を輸送する折り返し便として使用された[241]。1996年、メンフィスの廃棄場でスクラップにされた[71]

アール・コッシー[編集]

クーパーに渡された4つのパラシュートは、元々はスカイダイビング・スクールの経営者のアール・コッシー (英: Earl Cossey) の所有物だった。2013年4月下旬、コッシーがシアトルの郊外にあるウッディンビルにある自宅で遺体となって発見された。頭部への鈍的外傷により他殺されたという結論になったが、犯人は不明である[242]。一部の評者はクーパー事件との関係があるかもしれないと主張した[243]。しかし、当局はそのような関係性があると考える理由はないと応じた[244]。ウッディンビル警察は後に、犯行の動機は強盗である可能性が非常に高いと発表した[245]

文化への影響[編集]

ヒンメルスバッハがクーパーのことを"rotten sleazy crook"[246] (直訳すると「腐った薄汚いペテン師」) と呼んだことは有名だが、クーパーの大胆で冒険的な犯行はカルト的な支持者を生み出し、歌や映画、文学の題材となった。太平洋岸北西地区にある料理店やボーリング場は定期的にクーパーをテーマに宣伝活動を行い、観光客向けのみやげを売っている。エアリアル・ジェネラル・ストア・アンド・タヴァーン (英: Ariel General Store and Tavern、直訳すると「アリエル雑貨店・居酒屋」) では1974年から毎年11月に「クーパーの日」のお祝いが開かれた。ただし、2015年は経営者のドナ・エリオット (英: Dona Elliott) が亡くなったため行われなかった[247]

クーパーはテレビシリーズの『プリズン・ブレイク』や『THE BLACKLIST/ブラックリスト』、『NewsRadio英語版』、『レバレッジ 〜詐欺師たちの流儀』、『ジャーニーマン 時空を越えた赤い糸』、『反逆のヒーローレネゲイド』、『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』、『30 ROCK/サーティー・ロック』、『Drunk History英語版』、『ロキ』、1981年の映画の『ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事英語版』、2004年の映画『Without a Paddle英語版』、テレビシリーズ『4400 未知からの生還者』を元とした書籍The Vesuvius Prophecyの筋書きにも登場している[248]

プリズン・ブレイク
ドラマ『プリズン・ブレイク』第1期の登場人物であるチャールズ・ウェストモアランドが実はクーパーであると他の囚人から噂される描写がある。チャールズは犯行後、着地の際に足を負傷して、金を土に埋めた後、自動車の運転で人を撥ねて逮捕されている。
NUMBERS
ドラマ『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』の第6期、第10話には処分の為に輸送される古札を狙った連邦準備銀行強盗団を制圧した際、クーパーが盗んだとされる紙幣が紛れていた話がある。クーパーが複数犯で、主犯格は仲間に殺されていて残った1人も多発性骨髄腫余命4カ月の身であり、ほとんどの金は主犯格が虐殺したベトナムのヌバク村の復興にあてられたことになっている。
ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事
1981年の映画『ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事』(原題:The Pursuit of D. B. Cooper) では、冒頭でクーパー事件を元にしたハイジャック事件が描かれる。物語のほとんどは保険調査員 (クーパーの軍隊時代の元上官) がクーパーを追跡するフィクションである。
ロキ (テレビドラマ)
2021年Disney+配信のドラマでマーベル・シネマティック・ユニバースの一つである『ロキ』第1話においてクーパーの正体が実はロキであったという描写がある。ロキが飛行機から飛び降りた直後、ビフレストを使い地球から離れアスガルドに転移した為その足取りが掴めなかったという事になっている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ シャフナーの説明がポートランドにあるFBIの指令所へ伝達されると、捜査官たちはダイナマイトは普通は茶色かベージュ色であることを指摘し、8本の赤い円筒形の物体はおそらく道路や鉄道で使用される発炎筒だろうと推測した。しかし、その推測は確実なものにはなりえなかったため、武力介入は推奨されえなかった[22]
  2. ^ ほとんどの情報源では、クーパーは20ドル紙幣で身代金を支払うように指示したとある。しかし、クーパーからの要求に最初に応じたときにその場にいたヒンメルスバッハは、クーパーは紙幣の種類は不問としていたと記している[24]。どの情報源でも身代金は20ドル紙幣で支払われたことは共通している。
  3. ^ パラシュートを提供したスカイダイビングのインストラクターのアール・コッシーはいくつかのメディアに対して、4つのパラシュートのうちの3つ (メイン1つ、予備2つ) は返却されたと述べた。FBIは飛行機内で発見されたメイン1つと破壊された予備1つの計2つのパラシュートだけを保管している[46]
  4. ^ ローズとカラムが引き合いに出した顕著な例を挙げる。まず、クーパーの年齢は目撃者全員から40代半ばと推定されていたが、マッコイは29歳だった。3名の客室乗務員を含むほとんどの目撃者がクーパー目の色は暗褐色だったと証言したが、マッコイの目は明青色だった。クーパーの耳に目立つ特徴はなかったが、マッコイの耳は顕著に外側に突き出ており、「ダンボ」というあだ名があった。マッコイがハイジャックを起こしたときは、その間にスカーフで耳を隠していた。クーパーはバーボンを飲み、立て続けにタバコを吸っていたが、マッコイはモーモン教徒で喫煙や飲酒をしなかった。クーパーは訛りのない耳障りな声をしていたと証言されているが、マッコイには明らかな南部訛りがあり、子供の頃に口蓋裂を手術で矯正したことが原因で舌足らずに話すという特徴があった[180]

出典[編集]

  1. ^ Grossweiler, Ed (1971年11月26日). “Hijacker bails out with loot”. Free Lance-Star. Associated Press ((Fredericksburg, Virginia)): p. 1. https://news.google.com/newspapers?id=vuVNAAAAIBAJ&pg=6384%2C3320413 
  2. ^ “Wilderness area combed for parachute skyjacker”. The Bulletin. UPI ((Bend, Oregon)): p. 1. (1971年11月26日). https://news.google.com/newspapers?id=bTQVAAAAIBAJ&pg=1933%2C1906592 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Gray, Geoffrey (October 21, 2007). “Unmasking D.B. Cooper”. New York. ISSN 0028-7369. http://nymag.com/news/features/39593/ 2011年4月24日閲覧。. 
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]