1994年イギリス労働党党首選挙

党首選の結果、新しく党首に選出されたトニー・ブレア
マーガレット・ベケット
党首選まで臨時党首を務める
ジョン・プレスコット
次点。後に副党首となる

1994年イギリス労働党党首選挙The 1994 Labour Party Leadership Election)は、イギリスの政党、労働党の党首を決定した選挙。前党首のジョン・スミスの急死をうけて実施された。この結果、トニー・ブレアが党首に選出され、1997年の総選挙を経て労働党は与党となる。

党首選[編集]

党首選は1994年7月21日に行われた。5月12日、当時の党首ジョン・スミスが急死したことをうけての選挙であり、この間の臨時党首はマーガレット・ベケットが務めていた。保守党ジョン・メージャー政権の支持率が低下していたことから、この選挙は単に労働党の党首を決めるだけでなく、将来のイギリスの首相を選出する選挙であったともいえる。

党首選は、労働党が1981年以降採用しているシステムにのっとり、労働党の庶民院議員、欧州議会議員の票、労働党員の票、労働党系列の3つの労働組合員の票による投票で行われた。なお、この選挙からかつてのブロック投票制(組合ごとの投票。例えば、1000人の労働組合のリーダーは組合員の意向に関らず1000票を投じることが出来た)を改め、1人1票制度が導入された。

立候補したのは以下の3人。

影の内相。"ニューレイバー(新しい労働党)"を提唱。
党内のベテラン議員。
副党首を務めていたが、スミスの死後臨時党首、影の首相となる。

ベケットは、労働党では史上初めて党首選挙に立候補した女性候補であった。

結果[編集]

労働組合票 党員票 議員票 総合
トニー・ブレア 52.3% 58.2% 60.5% 57.0%
ジョン・プレスコット 28.4% 24.4% 19.6% 24.1%
マーガレット・ベケット 19.3% 17.4% 19.9% 18.9%

結果、ブレアが新党首に選ばれた。プレスコットは副党首となり、1997年の総選挙を通して労働党は18年ぶりに政権を奪回。ブレア労働党政権が発足する。

立候補が噂された人物[編集]

トニー・ブレアの支持にまわり、後にブラウンがブレアの後継となるという密約(ブレア=ブラウン密約)が交わされていたという説が有力である。その説を裏付けるかのように、ブレア退陣後の党首選では圧倒的な数の推薦人を取り付け、無投票で党首に選出された。
次期総選挙で有権者を引き付けるだけの魅力がないとして、立候補しなかった。

外部リンク[編集]