1992年の野球

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1992年の野球(1992ねんのやきゅう)では、1992年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1992年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 ヤクルトスワローズ 69 61 1 .531 優勝
2位 読売ジャイアンツ 67 63 0 .515 2.0
2位 阪神タイガース 67 63 2 .515 2.0
4位 広島東洋カープ 66 64 0 .508 3.0
5位 横浜大洋ホエールズ 61 69 1 .469 8.0
6位 中日ドラゴンズ 60 70 0 .462 9.0
1992年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 80 47 3 .630 優勝
2位 近鉄バファローズ 74 50 6 .597 4.5
3位 オリックス・ブルーウェーブ 61 64 5 .488 18.0
4位 福岡ダイエーホークス 57 72 1 .442 24.0
5位 日本ハムファイターズ 54 73 3 .425 26.0
6位 千葉ロッテマリーンズ 54 74 2 .422 26.5

日本シリーズ[編集]

1992年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月17日(土) 第1戦 西武ライオンズ 3 - 7x ヤクルトスワローズ 明治神宮野球場
10月18日(日) 第2戦 西武ライオンズ 2 - 0 ヤクルトスワローズ
10月19日(月) 移動日
10月20日(火) 第3戦 雨天中止 西武ライオンズ球場
10月21日(水) ヤクルトスワローズ 1 - 6 西武ライオンズ
10月22日(木) 第4戦 ヤクルトスワローズ 0 - 1 西武ライオンズ
10月23日(金) 第5戦 ヤクルトスワローズ 7 - 6 西武ライオンズ
10月24日(土) 移動日
10月25日(日) 第6戦 西武ライオンズ 7 - 8x ヤクルトスワローズ 明治神宮野球場
10月26日(月) 第7戦 西武ライオンズ 2 - 1 ヤクルトスワローズ
優勝:西武ライオンズ(3年連続11回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 J.ハウエル ヤクルト   石井丈裕 西武  
最優秀新人 久慈照嘉 阪神   高村祐 近鉄  
首位打者 J.ハウエル ヤクルト .338 佐々木誠 ダイエー .322
本塁打王 J.ハウエル ヤクルト 38本 O.デストラーデ 西武 41本
打点王 L.シーツ 大洋 100点 ブーマー.W ダイエー 97点
最多安打 J.パチョレック 阪神 159本 佐々木誠 ダイエー 164本
盗塁王 飯田哲也 ヤクルト 33個 佐々木誠 ダイエー 40個
最高出塁率 T.オマリー 阪神 .460 清原和博 西武 .401
最優秀防御率 盛田幸妃 大洋 2.05 赤堀元之 近鉄 1.80
最多勝利 斎藤雅樹 巨人 17勝 野茂英雄 近鉄 18勝
最多奪三振 仲田幸司 阪神 194個 野茂英雄 近鉄 228個
最高勝率 斎藤雅樹 巨人 .739 石井丈裕 西武 .833
最優秀救援投手 佐々木主浩 大洋 33SP 赤堀元之 近鉄 32SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 斎藤雅樹 巨人 石井丈裕 西武
捕手 古田敦也 ヤクルト 伊東勤 西武
一塁手 J.パチョレック 阪神 清原和博 西武
二塁手 和田豊 阪神 辻発彦 西武
三塁手 J.ハウエル ヤクルト 石毛宏典 西武
遊撃手 池山隆寛 ヤクルト 田辺徳雄 西武
外野手 前田智徳 広島 佐々木誠 ダイエー
飯田哲也 ヤクルト 秋山幸二 西武
L.シーツ 大洋 高橋智 オリックス
指名打者   O.デストラーデ 西武

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

オリンピック[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

  • 2月4日 - 【MLB】メジャー・リーグコミッショナーのフェイ・ヴィンセントはニューヨーク市内にて記者会見し、日本企業の任天堂によるシアトル・マリナーズの買収に消極的であるのはアメリカ、カナダの二国以外の資本参加は認めないとの基本方針によるもので、反日感情に基づくものではないと述べる[7]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

  • 6月1日 - オリックスは一軍投手コーチに米田哲也が就任したと正式に発表[26]
  • 6月3日 - オリックスの石嶺和彦が日生球場での対近鉄10回戦の六回表に二安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[27]
  • 6月6日 - ダイエーの広永益隆西武球場での対西武10回戦の六回表に潮崎哲也から4号2点本塁打を打ち、これがパ・リーグ通算30000本塁打となる[28]
  • 6月10日
    • 中日の長嶋清幸が甲子園球場での対阪神9回戦の二回表に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[29]
    • 西武の秋山幸二がグリーンスタジアム神戸での対オリックス9回戦に4番・中堅で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[30]
  • 6月12日 - 大洋の長内孝がナゴヤ球場での対中日10回戦の五回表に2号2点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[31]
  • 6月14日 - 阪神の湯舟敏郎が甲子園球場での対広島14回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[32]
  • 6月24日 - 西武の石毛宏典が西武球場での対ダイエー12回戦の二回裏に安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[33]
  • 6月26日 - 西武の清原和博が西武球場での対オリックス11回戦の一回裏に14号2点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成。史上最年少となる24歳10カ月での達成[34]
  • 6月28日 - ダイエーの山内孝徳平和台球場での対日本ハム12回戦に先発し今季2勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[35]

7月[編集]

  • 7月8日 - 近鉄の新井宏昌が藤井寺球場での対オリックス14回戦の3回裏に三塁打を放ち、プロ通算2000安打を達成[36][37]
  • 7月10日 - 近鉄の野茂英雄が西武球場での対西武12回戦に先発し、14与四球の一試合最多与四球、5回表には二死無走者から5者連続与四球。いずれもプロ野球ワーストタイ記録[38]
  • 7月12日 - ロッテの愛甲猛が千葉マリンスタジアムでの対日本ハム16回戦の先発メンバーから外され、パ・リーグの全イニング連続試合出場記録が535試合でストップ[39]
  • 7月16日 - 広島の北別府学がナゴヤ球場での対中日15回戦で勝利投手となりプロ通算200勝を達成[40][41]
  • 7月18日 - オールスターゲーム第1戦(甲子園)の5回表、全パの石井浩郎(近鉄)、田辺徳雄(西武)、佐々木誠(ダイエー)が全セの小松辰雄(中日)からオールスター初の3者連続本塁打。試合は6-1でパ・リーグが勝利。MVPは近鉄の石井が受賞[42]
  • 7月19日 - オールスターゲーム第2戦(マリン)で全セの古田敦也(ヤクルト)がオールスター初のサイクル安打を達成。古田は史上6人目の2年連続MVP[17]
  • 7月26日
    • バルセロナ五輪で野球が初めて正式種目として実施された。
    • オリックスは対ダイエー戦(グリーンスタジアム神戸)の8回に打者16人で9安打2四球の日本プロ野球記録の1イニング12連続得点。1イニング12点はパ・リーグタイ記録。試合は18対4でオリックスが勝利[43]
  • 7月29日 - ヤクルトのジャック・ハウエル明治神宮野球場での対広島15回戦で、日本プロ野球史上44人目のサイクル安打達成。外国人選手ではダリル・スペンサー以来2人目[44]
  • 7月31日
    • オリックスの松永浩美が西武球場での対西武17回戦の9回表に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成。史上64人目[45]
    • 中日の長嶋清幸がナゴヤ球場での対ヤクルト15回戦の9回裏に本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上172人目[46]

8月[編集]

9月[編集]

  • 9月1日 - 西武球場での西武対近鉄21回戦で西武が近鉄に22-0で勝利し、パ・リーグ最多得点差[54]
  • 9月2日 - 大洋の長内孝が横浜スタジアムでの対広島23回戦に6番・一塁で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[55]
  • 9月4日 - ダイエーの門田博光が福岡市内の球団事務所にて記者会見し今季限りで現役引退すると発表[56]
  • 9月11日 - 阪神対ヤクルト19回戦が甲子園球場にて行われ、9回裏阪神の攻撃で二死一塁から八木裕が左翼へライナーを打ち、二塁塁審の平光清は本塁打と判定したが、ヤクルト側が打球がフェンスに当たってスタンドに入ったのでエンタイトル二塁打だと抗議。平光はこれを受けいれ本塁打を二塁打へ訂正したが、今度は阪神の監督の中村勝広が抗議し、試合が約37分中断[57]。試合は延長十五回、3-3の引き分けとなり、試合時間はプロ野球史上最長の6時間26分となった[58]
  • 9月12日
    • 巨人の原辰徳が東京ドームでの対広島23回戦の七回裏に2点適時打を打ち、プロ通算1500安打を達成[59]
    • ヤクルトの西村龍次が甲子園球場での対阪神20回戦に先発し、四回裏に木戸克彦に2号満塁本塁打を打たれ、1シーズン4被満塁本塁打のプロ野球新記録[60]
  • 9月16日 - ヤクルトの角富士夫が神宮球場での対横浜大洋26回戦の七回裏に代打として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[61]
  • 9月22日 - ヤクルトの広沢克己が神宮球場での対広島20回戦の四回裏に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[62]
  • 9月25日 - 巨人の原辰徳が東京ドームでの対中日24回戦の六回裏に27号2点本塁打を打ち、プロ通算350本塁打を達成[63]
  • 9月27日 - ヤクルトの広沢克己が神宮球場での対阪神23回戦に四番・一塁で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[64]
  • 9月29日 - 西武のオレステス・デストラーデが東京ドームでの対日本ハム21回戦の九回表に29号本塁打を打ち、通算150本塁打を達成[65]
  • 9月30日

10月[編集]

  • 10月1日
    • 平和台球場で最後の日本プロ野球公式戦となるダイエー対近鉄26回戦が行われ、ダイエーが広永益隆の本塁打で1-0で近鉄に勝利[68]。また、この試合後にダイエーの田淵幸一監督が今季限りでの監督辞任を表明[69]
    • 広島市民球場での広島対ヤクルト25回戦は広島が延長13回裏8-7でサヨナラ勝利。試合時間6時間1分は史上2度目6時間台試合[70]
  • 10月3日 - ジュニア日本選手権川崎球場で行われ巨人が中日に延長10回3-2でサヨナラ勝ちし2年連続ジュニア日本一を達成[71]
  • 10月4日 - 広島の達川光男と大洋の遠藤一彦が現役引退を表明[72]
  • 10月5日 - 中日の石本貴昭が現役引退を表明[73]
  • 10月8日 - 巨人の監督の藤田元司が読売新聞本社を訪れ最高経営会議メンバーに今季の報告を行い、任期切れによる退任が決定。元監督の長島茂雄が球団に監督就任の意思を伝える[74]
  • 10月9日 - 巨人が高田繁ヘッドコーチの退団を発表[75]
  • 10月10日
    • 甲子園球場での阪神対ヤクルト26回戦でヤクルトが5-2で勝利し、14年ぶり2度目のセ・リーグ優勝達成[76]
    • ダイエーは山内孝徳水上善雄が今季限りで現役引退すると発表[77]
  • 10月11日 - セ・リーグのシーズン公式戦の全日程が終了[78]
  • 10月12日 - 巨人の監督の藤田元司が勇退。後任に長嶋茂雄が就任することを発表[79]
  • 10月13日
    • パ・リーグのシーズン公式戦の全日程が終了[80]
    • 近鉄の新井宏昌が今季限りでの現役引退を正式に表明[81]
    • 広島が投手コーチに古沢憲司の就任を発表[82]
  • 10月14日
    • 大洋は横浜市内のホテルで記者会見し、新監督に近藤昭仁が就任したと正式に発表[83]
    • 近鉄は鈴木啓示が新監督に就任したと正式に発表[83]
  • 10月15日 - 大洋がカリフォルニア・エンゼルスのロバート・ローズの獲得とロバート・レイノルズの解雇を発表[84]
  • 10月19日
    • 沢村賞の選考が沢村賞選考委員会によって都内のホテルで行われ、西武の石井丈裕を選出[85]
    • 日本ハムの監督の土橋正幸が港区の球団事務所にて今季限りでの辞任を正式に表明[86]
    • 阪神の高橋慶彦が今季限りでの現役引退を発表[87]
    • 巨人がヘッドコーチに前大洋監督の須藤豊の就任を発表[88]
    • 中日が西本聖の退団を正式に決定したと発表[89]
  • 10月23日
  • 10月24日 - 【MLB】ワールドシリーズ第6戦がアトランタで行われ、トロント・ブルージェイズがアトランタ・ブレーブスに延長11回4-3で勝ち球団創設初のワールドチャンピオンとなった。米国以外のチームが世界一になったのはシリーズ史上初[92]
  • 10月26日 - 1992年の日本シリーズの第7戦が神宮球場で行われ、西武がヤクルトに延長10回2-1で勝利し、4勝3敗で日本一。MVPは西武の石井丈裕[93]
  • 10月27日
    • 中日の宇野勝、長嶋清幸とロッテの横田真之今野隆裕の交換トレードが成立したと中日、ロッテ両球団が発表[94]
    • 巨人は練習や試合中での大怪我が原因で現役を引退した選手を対象にした「公傷年金制度」を設けたと発表[95]
  • 10月28日
    • プロ野球1992年度の最優秀選手、新人王、ベストナインの記者投票の結果が発表され、最優秀選手にセ・リーグはヤクルトのジャック・ハウエル、パ・リーグは西武の石井丈裕、最優秀新人にセは阪神の久慈照嘉、パは近鉄の高村祐を選出[96]
    • 正力松太郎賞の選考委員会が開かれ、西武の石井丈裕を選出[97]
  • 10月29日
    • 日本ハムは役員会を開き、球団常務取締役の大沢啓二を来季の監督に就任することを承認[98]
    • ヤクルトは新浦寿夫の今季限りでの現役引退を了承[99]

11月[編集]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『中日新聞』1992年1月6日朝刊第二社会面26面「中山投手を釈放 横浜地検」
  2. ^ 『中日新聞』1992年1月6日夕刊第一社会面11面「起訴猶予処分決まる 中山投手」
  3. ^ 『中日新聞』1992年1月8日朝刊第二社会面26面「大洋 中山投手を解雇 球団社長らも処分 復帰は事実上無理」
  4. ^ 『中日新聞』1992年1月8日朝刊第一スポーツ面23面「解説/ 中山投手解雇 『失格』避け復帰に細道 更生が条件 厳しさの中に温情も」(記者:会田豊彦
  5. ^ 『中日新聞』1992年1月9日朝刊第一スポーツ面23面「中山投手を自由契約公示」
  6. ^ a b c d 中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、172頁。ISBN 4806205141 
  7. ^ 読売新聞1992年2月6日19面「『反日感情が理由でない』マリナーズ買収問題 コミッショナー言明」読売新聞縮刷版1992年2月p271
  8. ^ 読売新聞1992年4月4日夕刊14面「『プロ』もプレーボール 空模様心配なファンの列」読売新聞縮刷版1992年4月p212
  9. ^ 読売新聞1992年4月12日21面「1試合12二塁打のセ・リーグタイ記録」読売新聞縮刷版1992年4月p603
  10. ^ 朝日新聞1992年4月12日24面「田村(日)1000試合出場」朝日新聞縮刷版1992年4月p626
  11. ^ 読売新聞1992年4月15日21面「巨人・駒田が通算100号」読売新聞縮刷版1992年4月p725
  12. ^ 読売新聞1992年4月22日21面「野茂、初の毎回奪三振」読売新聞縮刷版1992年4月p1093
  13. ^ 読売新聞1992年4月24日19面「平野、史上初の350犠打」読売新聞縮刷版1992年4月p1203
  14. ^ 読売新聞1992年4月27日21面「中日・落合が通算1000得点」読売新聞縮刷版1992年4月p1341
  15. ^ 読売新聞1992年4月29日17面「日本ハム・西崎が1000投球回」読売新聞縮刷版1992年4月p1437
  16. ^ 読売新聞1992年4月30日17面「頼れる"助っ人"阪神、土壇場で勝ち拾う」読売新聞縮刷版1992年4月p1465
  17. ^ a b c 球団の歩み 1990年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2015年12月29日閲覧。
  18. ^ 読売新聞1992年5月4日23面「須藤監督、突然の"休養"」読売新聞縮刷版1992年5月p151
  19. ^ a b 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784583616179 
  20. ^ 読売新聞1992年5月5日19面「中日・落合博が1500試合出場」読売新聞縮刷版1992年5月p175
  21. ^ 読売新聞1992年5月8日19面「江尻監督代行就任本決まり」読売新聞縮刷版1992年5月p275
  22. ^ 読売新聞1992年5月9日19面「中尾、大久保のトレード発表」読売新聞縮刷版1992年5月p327
  23. ^ 読売新聞1992年5月17日21面「近鉄・新井が2000試合出場」読売新聞縮刷版1992年5月p771
  24. ^ 読売新聞1992年5月24日22面「江尻代行が監督に」読売新聞縮刷版1992年5月p1096
  25. ^ 読売新聞1992年6月1日23面「巨人・松谷、イースタンで2度目の無安打無得点」読売新聞縮刷版1992年6月p23
  26. ^ 読売新聞1992年6月2日21面「米田コーチの就任発表」読売新聞縮刷版1992年6月p81
  27. ^ 読売新聞1992年6月4日19面「オリックス・石嶺が1000本安打」読売新聞縮刷版1992年6月p181
  28. ^ 読売新聞1992年6月7日19面「打撃戦ー譲らず ダイエー・西武時間切れ 強運広永、パ通算3万号←2年前にはプロ6万号」読売新聞縮刷版1992年6月p337
  29. ^ 読売新聞1992年6月11日21面「中日・長島が1000本安打」読売新聞縮刷版1992年6月p553
  30. ^ 読売新聞1992年6月11日21面「西武・秋山が1000試合出場」読売新聞縮刷版1992年6月p553
  31. ^ 読売新聞1992年6月13日21面「長内100号アーチ」読売新聞縮刷版1992年6月p661
  32. ^ 読売新聞1992年6月15日夕刊15面「湯舟ノーヒットノーラン 2年ぶり58人目 熱投123球、走者3人」読売新聞縮刷版1992年6月p743
  33. ^ 読売新聞1992年6月25日21面「西武・石毛が千五百本安打」読売新聞縮刷版1992年6月p1263
  34. ^ 読売新聞1992年6月27日218面「清原、最年少200号 王抜く24歳10カ月 初回に決めた2ラン」読売新聞縮刷版1992年6月p1384
  35. ^ 読売新聞1992年6月29日23面「山内男泣き通算100勝」読売新聞縮刷版1992年6月p1477
  36. ^ 毎日新聞1992年7月9日25面「近鉄・新井が2000本安打 26人目 『不惑』の職人芸」毎日新聞縮刷版1992年7月p353
  37. ^ 【7月8日】1992年(平4) 脇役が主役になった日 新井宏昌「こういうの困るんだよ」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月8日). 2015年12月29日閲覧。
  38. ^ 読売新聞1992年7月11日19面「プロ野球ワーストタイを5回で2つも 野茂 四球地獄 『一試合最多14+5者連続』」読売新聞縮刷版1992年7月p525
  39. ^ 毎日新聞1992年7月13日21面「愛甲連続出場記録ストップ」毎日新聞縮刷版1992年7月p515
  40. ^ 読売新聞1992年7月17日21面「北別府、円熟200勝 17年、480試合、22人目 10勝も一番乗り」読売新聞縮刷版1992年7月p839
  41. ^ 【7月16日】1992年(平4) 20世紀最後の金字塔 北別府学 広島初の200勝達成”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月15日). 2015年12月29日閲覧。
  42. ^ 【7月18日】1992年(平4)史上初!夢の球宴で夢の3連続本塁打!MVPは石井浩郎”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月16日). 2015年12月29日閲覧。
  43. ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、573頁。ISBN 4062061082 
  44. ^ 読売新聞1992年7月31日20面「ハウエル、サイクル安打」読売新聞縮刷版1992年7月p1526
  45. ^ 「記録メモ 松永(オリックス)通算1500安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1992年(平成4年)8月1日付朝刊、20面(スポーツ面)。
  46. ^ 「記録メモ 長島(中日)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1992年(平成4年)8月1日付朝刊、21面(スポーツ面)。
  47. ^ 読売新聞1992年8月3日19面「西武・鹿取が100セーブ」読売新聞縮刷版1992年8月p109
  48. ^ 読売新聞1992年8月6日18面「ヤクルトの角盈が600試合登板」読売新聞縮刷版1992年8月p264
  49. ^ 読売新聞1992年8月6日19面「日本ハムが10試合2ケタ安打のリーグタイ」読売新聞縮刷版1992年8月p265
  50. ^ 読売新聞1992年8月17日夕刊16面「松井無念 5連続敬遠 星稜、1点差に涙のむ」読売新聞縮刷版1992年8月p762
  51. ^ 読売新聞1992年8月21日21面「巨人・篠塚が1500試合出場」読売新聞縮刷版1992年8月p947
  52. ^ 読売新聞1992年8月21日21面「日本ハム・大島が2500試合出場」読売新聞縮刷版1992年8月p947
  53. ^ 読売新聞1992年8月28日19面「大洋の高木が1500安打を達成」読売新聞1992年8月p1303
  54. ^ 読売新聞1992年9月2日19面「22点差はパ・リーグ最多」読売新聞縮刷版1992年9月p71
  55. ^ 読売新聞1992年9月3日19面「大洋・長内が1000試合出場」読売新聞縮刷版1992年9月p127
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  124. ^ ジャビット誕生物語~球団マスコット日本テレビ 2018.06.15