1981年の中日ドラゴンズ(1981ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1981年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、近藤貞雄監督の1年目のシーズンである。
前年最下位の責任を取る方で解任された中利夫前監督に代わって近藤貞雄がこの年から監督に就任。戦力面では前年まで主軸の井上弘昭を日本ハムへ放出して富田勝を獲得し、衰えの見え始めた木俣達彦に代わってこの年ドラフト1位で入団の中尾孝義を正捕手に起用。投手陣ではそれまでの守護神だった小松辰雄を後半から先発に回し、代わって2年目の牛島和彦を抑えに起用するなどリリーフ陣を再編。チームは開幕直後に9連勝するなど4月は15勝4敗の好成績で首位に立つが、5月以降は他球団のマークが厳しくなり失速、一時は大洋と同率の最下位に転落。7月以降は持ち直し勝率5割目前まで行くものの、終盤は5連敗を喫するなど好不調の波が激しく、近藤監督の1年目は5位で終了。投手陣ではエースの星野仙一、この年の開幕投手三沢淳、この年ローテ入りの都裕次郎などが例年通りの成績を残し、小松も先発・抑えの両方で活躍しチーム防御率3.71の4位と健闘。打撃陣では4番の大島康徳や5番の宇野勝が前年から引き続いて主軸を打ち、引退した高木守道に代わって田尾安志が1番に定着し、田野倉利男が二塁のレギュラーを獲得するなど、世代交代が一気に加速。最終的にチーム本塁打は2位の広島に次ぐ151本を記録したが、併殺打や失策も多く目立った。シーズン途中には台湾から郭源治が兵役を終えて加入し、6試合に登板して1勝に終わっている。巨人以外の4球団に負け越して迎えた10月11日の巨人との最終戦で引き分け、巨人相手に12勝11敗3分けと勝ち越して巨人の完全優勝を阻止し、これが翌年のリーグ優勝につながっていく。
レギュラーシーズン[編集]
1981年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 中日 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 巨人 | 1.5 | 中日 | 6.0 | ヤクルト | 7.5 | 阪神 | 9.0 | ヤクルト | 9.0 | 広島 | 6.0 |
3位 | 広島 | 6.0 | 広島 | 6.5 | 阪神 | 8.5 | ヤクルト | 12.0 | 阪神 | 11.5 | 阪神 | 8.0 |
4位 | ヤクルト | 8.0 | ヤクルト | 9.0 | 広島 | 9.0 | 中日 | 12.5 | 広島 | 12.5 | ヤクルト | 13.5 |
5位 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 10.0 | 中日 | 10.0 | 広島 | 12.5 | 中日 | 13.5 | 中日 | 16.0 |
6位 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 大洋 | 17.0 | 大洋 | 22.5 | 大洋 | 31.5 |
[1]
オールスターゲーム1981[編集]
- 田尾安志
- 星野仙一
- 小松辰雄
- 谷沢健一
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手[編集]
ドラフト[編集]
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |