1980年のロッテオリオンズ

1980年のロッテオリオンズ
成績
プレーオフ敗退
パシフィック・リーグ2位
PO 0勝3敗(対近鉄
64勝51敗15分 勝率.557
前期優勝 33勝25敗7分
勝率.569
後期3位 31勝26敗8分
勝率.544
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場 川崎球場
球団組織
オーナー 重光武雄
経営母体 ロッテ
監督 山内一弘
« 1979
1981 »

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1980年のロッテオリオンズ(1980ねんのロッテオリオンズ)では、1980年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。

この年のロッテオリオンズは、山内一弘監督(背番号は、前年の68から、現役時代の8を縦に割った33に変更)の2年目のシーズンである。

概要[編集]

前年4位で終了したチームは巨人から金銭トレードで張本勲を獲得し、打線を強化。張本の加入などで層が厚くなったチームは、前期は近鉄日本ハムと優勝を争うが、5月後半の7連勝で頭一つリード。5月28日には張本が3000本安打を達成し、勢いに乗ったチームは前期を優勝。後期は南海を除く5球団による優勝争いが9月まで続き、阪急脱落後も近鉄・日本ハム・西武と最後まで争ったが結局3位。プレーオフでは西本幸雄監督率いる後期優勝の近鉄との対決となり、下馬評では互角と言われたが連覇に燃える近鉄の勢いに押されて3連敗、6年ぶりのパ・リーグ優勝はならなかった。打線はリーレオンの兄弟や有藤道世に張本が加わり、後期には後の三冠王・落合博満が二塁の定位置を獲得するなど好調でチーム打率はリーグ2位。投手陣は仁科時成の17勝をはじめ奥江英幸水谷則博が2桁勝利を記録し、抑えの倉持明もリーグ最多の18セーブを挙げ、チーム防御率もリーグ2位だった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 弘田澄男
2 新井昌則
3 張本勲
4 リー
5 レオン
6 有藤通世
7 白仁天
8 土肥健二
9 水上善雄
投手 村田兆治
1980年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位 4月終了時 5月終了時 前期成績
1位 南海 -- ロッテ -- ロッテ --
2位 ロッテ 1.0 近鉄 2.0 近鉄 1.5
3位 阪急 1.5 日本ハム 2.0 日本ハム
4位 日本ハム 3.0 阪急 3.5 阪急 6.5
5位 西武 4.5 南海 4.5 南海 7.0
6位 近鉄 5.0 西武 6.0 西武 7.5
後期
順位 7月終了時 8月終了時 後期成績
1位 日本ハム -- 日本ハム -- 近鉄 --
2位 ロッテ 0.5 ロッテ 0.5 日本ハム 0.5
3位 西武 0.5 西武 2.0 ロッテ 2.0
4位 阪急 3.0 近鉄 3.0 西武 2.0
5位 近鉄 4.0 阪急 3.5 阪急 6.5
6位 南海 10.0 南海 15.0 南海 16.0
前期最終成績
順位 球団 勝率
1位 ロッテオリオンズ 33 25 7 .569 優勝
2位 近鉄バファローズ 33 28 4 .541 1.5
2位 日本ハムファイターズ 33 28 4 .541 1.5
4位 阪急ブレーブス 29 34 2 .460 6.5
5位 南海ホークス 28 34 3 .452 7.0
6位 西武ライオンズ 27 34 4 .443 7.5
後期最終成績
順位 球団 勝率
1位 近鉄バファローズ 35 26 4 .574 優勝
2位 日本ハムファイターズ 33 25 7 .569 0.5
3位 ロッテオリオンズ 31 26 8 .544 2.0
4位 西武ライオンズ 35 30 0 .538 2.0
5位 阪急ブレーブス 29 33 3 .468 6.5
6位 南海ホークス 30 43 2 .411 11.0


1980年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 近鉄バファローズ 68 54 8 .5574 優勝
2位 ロッテオリオンズ 64 51 15 .5565 0.5
3位 日本ハムファイターズ 66 53 11 .555 0.5
4位 西武ライオンズ 62 64 4 .492 8.0
5位 阪急ブレーブス 58 67 5 .464 11.5
6位 南海ホークス 48 77 5 .384 21.5

*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定


プレーオフ[編集]

1980年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月15日(水) 第1戦 近鉄バファローズ 4 - 1 ロッテオリオンズ 川崎球場
10月16日(木) 第2戦 近鉄バファローズ 4 - 2 ロッテオリオンズ
10月17日(金) 移動日
10月18日(土) 第3戦 ロッテオリオンズ 4 - 13 近鉄バファローズ 大阪球場
年間優勝:近鉄バファローズ

オールスターゲーム1980[編集]

  • ファン投票
有藤通世
リー
  • 監督推薦
村田兆治
仁科時成
倉持明

できごと[編集]

  • 1月5日 - 巨人から張本勲を金銭トレードで獲得[1][2]
  • 5月28日 - 張本が対阪急戦(川崎)の6回裏に山口高志から6号2点本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算3000安打[3][4]
  • 9月28日 - 張本が対近鉄戦ダブルヘッダー第1試合(川崎)の1回裏に11号本塁打を放ち、史上3人目の通算500本塁打を達成[5]

選手・スタッフ[編集]

[6][7]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
リー 首位打者 .358 初受賞
最多安打 175本 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
レオン 一塁手 初受賞
有藤道世 三塁手 3年ぶり3度目
リー 外野手 3年ぶり2度目
ダイヤモンドクラブ賞
選手名 ポジション 回数
水上善雄 遊撃手 初受賞

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 愛甲猛 投手 横浜高 入団
2位 武藤一邦 外野手 法政大学 入団
3位 欠端光則 投手 岩手・福岡高 入団
4位 桃井進 内野手 電電信越 入団

出典[編集]

  1. ^ 【1月5日】1980年(昭55) 張本勲が断言「巨人は間違った方向に進んでいる」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年1月10日). 2015年12月18日閲覧。
  2. ^ 毎日新聞1980年1月6日15面「『巨人は間違っている』移籍の張本」毎日新聞縮刷版1980年1月p161
  3. ^ 読売新聞1980年5月29日17面「張本、史上初の3,000安打 22年目、アーチで飾る 阪急・山口から右翼上段」読売新聞縮刷版1980年5月p1071
  4. ^ 【5月28日】1980年(昭55) 張本勲、前人未到の3000本安打達成”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社. 2015年12月18日閲覧。
  5. ^ 読売新聞1980年9月29日17面「張本また勲章500本塁打」読売新聞縮刷版1980年9月p1097
  6. ^ 千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2016年11月29日閲覧。
  7. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7