1972年の野球

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1972年の野球(1972ねんのやきゅう)では、1972年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1972年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 74 52 4 .587 優勝
2位 阪神タイガース 71 56 3 .559 3.5
3位 中日ドラゴンズ 67 59 4 .532 7.0
4位 ヤクルトアトムズ 60 67 3 .472 14.5
5位 大洋ホエールズ 57 69 4 .452 17.0
6位 広島東洋カープ 49 75 6 .395 24.0
1972年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 80 48 2 .625 優勝
2位 近鉄バファローズ 64 60 6 .5161 14.0
3位 南海ホークス 65 61 4 .5159 14.0
4位 東映フライヤーズ 63 61 6 .508 15.0
5位 ロッテオリオンズ 59 68 3 .465 20.5
6位 西鉄ライオンズ 47 80 3 .370 32.5

日本シリーズ[編集]

1972年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月21日(土) 第1戦 阪急ブレーブス 3 - 5 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月22日(日) 第2戦 雨天中止
10月23日(月) 阪急ブレーブス 4 - 6 読売ジャイアンツ
10月24日(火) 移動日
10月25日(水) 第3戦 読売ジャイアンツ 3 - 5 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月26日(木) 第4戦 読売ジャイアンツ 3 - 1 阪急ブレーブス
10月27日(金) 第5戦 雨天中止
10月28日(土) 読売ジャイアンツ 8 - 3 阪急ブレーブス
優勝:読売ジャイアンツ(8年連続16回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 堀内恒夫 巨人   福本豊 阪急  
最優秀新人 安田猛 ヤクルト   加藤初 西鉄  
首位打者 若松勉 ヤクルト .329 張本勲 東映 .358
本塁打王 王貞治 巨人 48本 長池徳二 阪急 41本
打点王 王貞治 巨人 120点 野村克也
大杉勝男
南海
東映
101点
最多安打 衣笠祥雄 広島 147本 張本勲 東映 169本
盗塁王 柴田勲 巨人 45個 福本豊 阪急 106個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 249個 張本勲 東映 .443
最優秀防御率 安田猛 ヤクルト 2.08 清俊彦 近鉄 2.36
最多勝利 堀内恒夫 巨人 26勝 山田久志
金田留広
阪急
東映
20勝
最多奪三振 江夏豊 阪神 233個 鈴木啓示 近鉄 180個
最高勝率 堀内恒夫 巨人 .743 佐藤道郎 南海 .750

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 堀内恒夫 巨人 山田久志 阪急
捕手 田淵幸一 阪神 野村克也 南海
一塁手 王貞治 巨人 大杉勝男 東映
二塁手 J.シピン 大洋 基満男 西鉄
三塁手 長嶋茂雄 巨人 有藤通世 ロッテ
遊撃手 三村敏之 広島 大橋穣 阪急
外野手 柴田勲 巨人 長池徳二 阪急
高田繁 巨人 張本勲 東映
若松勉 ヤクルト 福本豊 阪急

ダイヤモンドグラブ賞[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 堀内恒夫 巨人 足立光宏 阪急
捕手 大矢明彦 ヤクルト 種茂雅之 阪急
一塁手 王貞治 巨人 大杉勝男 東映
二塁手 J.シピン 大洋 大下剛史 東映
三塁手 長嶋茂雄 巨人 有藤通世 ロッテ
遊撃手 バート.S 中日 大橋穣 阪急
外野手 高田繁 巨人 福本豊 阪急
山本浩司 広島 池辺巌 ロッテ
柴田勲 巨人 広瀬叔功 南海

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

3月[編集]

  • 3月11日 - 日本プロ野球コミッショナーの大濱信泉は日本プロ野球の公式記録を1936年7月1日より開催された「結成記念日本野球選手権」を起点とする事を発表[5]

4月[編集]

5月[編集]

  • 5月3日 - 阪急ブレーブス福本豊が西宮球場での対東映4回戦でパ・リーグ新記録となる1試合5盗塁を記録[18]
  • 5月4日 - ロッテの西田孝之が東京球場での対南海5回戦の6回表に得津高宏に変わって右翼の守備につき、プロ通算1000試合出場を達成[19]
  • 5月7日 - 川崎球場での大洋対広島6回戦で、3回表2死から水谷実雄がカウント2-3からの6球目がボールになるも水谷と球審の岡田功が四球と気づかず水谷はそのまま打席に立ったため、8球目がストライクの判定となって見逃し三振を喫する[20]
  • 5月10日 - 南海の広瀬叔功が後楽園球場での対東映4回戦の6回表に、二盗、三盗を決め、プロ通算550盗塁を達成[21]
  • 5月13日 - 東映の大杉勝男が後楽園球場での対ロッテ8回戦の4回裏に9号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[22]
  • 5月20日 - 阪急の梶本隆夫が中日球場での対近鉄6回戦で近鉄を6-0と完封して1勝目を挙げ、プロ通算250勝を達成[23]
  • 5月27日 - 広島の安仁屋宗八が広島球場での対大洋7回戦に先発登板し5回表に江藤慎一から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[24]
  • 5月31日 - 東映の大杉勝男が東京球場での対ロッテ10回戦の10回表に19号本塁打を放ち、これで5月に打った本塁打が15本となり、月間最多本塁打15本のタイ記録となる[25]

6月[編集]

  • 6月6日 - 巨人の王貞治が広島球場で対広島5回戦の1回表に13号本塁打を放ち、プロ通算500本塁打を達成[26]
  • 6月9日 - 巨人の堀内恒夫が甲子園球場での対阪神8回戦に登板し阪神を4-0と完封して9勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[27]
  • 6月15日 - 広島の国貞泰汎が中日球場での対中日11回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[28]
  • 6月17日 - 広島は監督の根本陸夫が成績不振を理由に休養し、打撃コーチの森永勝也が代理監督を務めると発表[29]
  • 6月22日 - 巨人の長嶋茂雄が中日球場での対中日15回戦の8回表に18号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[30]
  • 6月23日 - 巨人が神宮球場での対ヤクルト15回戦の6回表に、1イニング最多得点の日本プロ野球タイ記録となる13得点を挙げる[31]
  • 6月24日 - 阪神の村山実が先発し、プロ通算500試合登板を達成[32]
  • 6月25日 - 東映の尾崎行雄が後楽園球場での対近鉄15回戦に先発し7回3安打2失点の内容で、1967年8月25日以来5年ぶりの勝利を挙げる[33]

7月[編集]

  • 7月1日 - 南海の広瀬叔功が小倉球場での対西鉄13回戦で5回表に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[34]
  • 7月2日 - 東映の白仁天が後楽園球場での対ロッテ14回戦の8回裏に10号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[35]
  • 7月4日 - ロッテのジョージ・アルトマンが大阪球場での対南海13回戦で9回表に12号3ランを放ち、パ・リーグタイ記録となる8試合連続打点をマーク[36]
  • 7月8日
    • 南海の野村克也が西宮球場での対阪急14回戦の4回表に19号本塁打を放ち、山内一弘の持つ日本プロ野球タイ記録に並ぶ通算1218得点を達成[37]
    • 広島の山本浩司が広島球場での対巨人9回戦で5打席連続安打を記録。これで6日の対中日18回戦から9打席連続安打のセ・リーグ新記録を達成[38]
  • 7月16日
    • 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対中日16回戦に三回表に中日の稲葉光雄から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[39]
    • 大洋の江藤慎一が青森県営球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の16回戦の九回裏に適時打を打ち、プロ通算1000打点を達成[40]
    • 東映の張本勲が東京球場での対ロッテ16回戦の八回表に17号本塁打を打ち、プロ通算1000得点を達成[41]
    • 南海の佐藤道郎が大阪球場での対西鉄15回戦の八回表から救援登板し、10試合連続救援登板の日本プロ野球新記録を達成[42]
  • 7月20日 - この日でセ・パとも前半戦を終了。セ・リーグは阪神が首位で折り返し、巨人は1964年以来8年ぶりに2位で折り返し[43]

8月[編集]

  • 8月1日 - 南海は大阪球場での対東映15回戦で4-2と勝利、この日4得点を記録してパ・リーグタイ記録となる73試合連続得点を達成[44]
  • 8月2日 - ヤクルトのアルト・ロペスが神宮球場での対中日ダブルヘッダー18回戦の7回裏に9号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[45]
  • 8月4日 - ロッテの池辺巌が東京球場での対南海15回戦の1回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[46]
  • 8月6日 - 第43回全国都市対抗野球大会の決勝戦が午後3時半から後楽園球場にて行われ、浜松市の日本楽器が川崎市の三菱自動車川崎に4対0で勝利し、大会初優勝[47]
  • 8月8日 - 広島の山本一義が神宮球場での対ヤクルト14回戦の9回表に14号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[48]
  • 8月14日 - 広島の外木場義郎が広島球場での対大洋19回戦の4回表にジョン・シピンから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[49]
  • 8月19日 - 東映の張本勲が平和台球場での対西鉄ダブルヘッダー夜間の20回戦の4回表に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[50]
  • 8月20日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神18回戦の1回裏に30号本塁打を放ち、11年連続30本塁打を達成[51]
  • 8月23日 - 第54回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で午後1時から行われ、大分県津久見高校山口県柳井に3対1で勝利し、初優勝達成[52]
  • 8月24日 - 中日球場での中日対巨人23回戦の試合中の午後7時15分頃、中年の男の声で「三塁側内野スタンドに爆発物を仕掛けた。午後7時45分頃爆発する」と電話があり、係員が中川警察署に通報。試合が午後7時31分から中断。球場は三塁側スタンドの観客約3千人をグラウンドに避難させ、中川署の署員約70名が捜索したが爆発物は発見されず予告時刻の7時45分を過ぎても爆発は起きなかったため、電話はいたずら電話と断定。午後8時3分に試合再開[53]
  • 8月27日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対東映20回戦で1試合3盗塁し、河野旭輝が1955年に記録した1シーズン85盗塁の日本プロ野球記録を更新[54]
  • 8月29日 - 南海の村上雅則が大阪球場での対西鉄20回戦で、日本プロ野球新記録となる連続5与死球を記録[55]
  • 8月30日 - 東映の今井務が神宮球場での対ロッテ21回戦の10回裏1死満塁の場面で代打に起用され1号サヨナラ満塁本塁打を放ち、パ・リーグ初の代打サヨナラ満塁本塁打を記録[56]
  • 8月31日
    • 大洋は、監督の別当薫が休養し監督代行にヘッドコーチの青田昇が務めると発表[57]
    • 大洋の松原誠が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表に20号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[58]

9月[編集]

  • 9月1日 - ロッテが大阪球場での対南海21回戦に2-3と敗戦し、球団史上初の9連敗を記録[59]
  • 9月3日 - 阪急の長池徳士が西京極球場での対西鉄21回戦の五回裏に27号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[60]
  • 9月7日 - 東映の張本勲が後楽園球場で対ロッテ24回戦の8回裏に29号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[61]
  • 9月13日 - 巨人の柴田勲が後楽園での対阪神20回戦の7回裏に三盗を決め、プロ通算400盗塁を達成[62]
  • 9月19日 - 甲子園球場での阪神対巨人22回戦で、巨人の王貞治が一回表に41号本塁打を打ち、日本プロ野球新記録となる6試合連続本塁打を達成[63]。午後8時20分頃、球場に男の声で「球場に爆弾を仕掛けた。午後8時40分に爆破する」という脅迫電話がかかり、午後8時40分、球場を捜索するため試合が中断。甲子園署、兵庫県警機動隊員が爆発物を捜索するが、見つからなかったためいたずら電話と判断し、午後8時50分に試合再開[64]
  • 9月20日
    • 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に村山実から42号本塁打を打ち、連続試合本塁打の記録を7に伸ばす[65]
    • ロッテの有藤通世が西京極球場での対近鉄19回戦の6回表に27号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[66]
  • 9月21日 - パ・リーグのオーナー懇談会が午後5時より丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、ロッテのオーナーの中村長芳が(1)現状ではセ・パ両リーグの統合は困難(2)パ・リーグとしては現状の2リーグ制を支持し当面はリーグ振興のため努力する、と報告[67]
  • 9月23日
    • 東映の尾崎行雄が後楽園球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の五回表にウィリー・スミスから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[68]
    • 大洋の監督代行の青田昇が腹痛のため千駄木の日本医大付属病院で診察を受け、胆嚢炎と肝臓炎を併発していると診断され、同病院に入院[69]
  • 9月24日 - 大洋は監督代行の青田昇が胆石で入院したため、ヘッドコーチの宮崎剛が代行監督に就任すると発表[70]
  • 9月26日 - 阪急が西宮球場での対南海23回戦に6-3と勝利し、2年連続5度目のパ・リーグ優勝[71]この試合で阪急の福本豊が3回裏に二盗を決め、モーリー・ウィルスの持つメジャーリーグのシーズン最多盗塁104を更新する105個目の盗塁を記録[72][73]
  • 9月27日 - 阪神の遠井吾郎が中日球場での対中日24回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[74]
  • 9月28日 - 南海の野村克也が対阪急25回戦の4回表に34号本塁打を放ち、プロ通算550本塁打を達成[75]
  • 9月30日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツロベルト・クレメンテが対ニューヨーク・メッツ戦4回裏に2塁打を放ち、MLB通算3000安打を達成[76]

10月[編集]

  • 10月3日 - 阪神の藤田平が甲子園球場での対中日25回戦の四回裏に16号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[77]
  • 10月4日 - 西鉄の東尾修は対東映26回戦に先発して敗戦投手となりシーズン25敗目を喫し、パリーグ最多敗戦記録となる[78]
  • 10月7日 - 巨人が甲子園球場での対阪神25回戦に5-1と勝利し、8年連続16度目のセ・リーグ優勝が決定[79][80]
  • 10月9日
  • 10月10日 - 東映の白仁天が西宮球場での対阪急26回戦の2回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[83]
  • 10月13日 - 西鉄の選手会長の高木喬が福岡市内の球団事務所を訪れ、球団常務の古賀豊穂に対し「選手の総意」として来季も球団を西鉄で運営するよう申し入れ[84]
  • 10月15日 - セ・リーグの全日程が終了[85]
  • 10月16日
    • パ・リーグの全日程が終了[86]
    • 沢村賞選考委員会が午後12時半から東京・有楽町の交通大飯店から開かれ、巨人の堀内恒夫を選出[87]
  • 10月17日 - 広島は新監督に大洋前監督の別当薫が就任したと発表[88]
  • 10月20日
    • プロ野球・オーナー会議が正午から東京・丸の内のパレス・ホテルにて開かれるが、出席したオーナーが5名にとどまり野球協約に基づき会議は不成立となり懇談会として開催。オーナー会議の定足数改正や代理権の問題を意見交換した[89]
    • ロッテのオーナーの中村長芳は、オーナー会議終了後に記者団に対して「ペプシコーラがパ・リーグの某球団を買収するめどがついた。22日に香港へ飛び最終的な話し合いを行う」と発表。しかし、午後8時半より東京・赤坂の中村事務所にて、パ・リーグ会長の岡野祐と同席の上で、この日2度目の記者会見を行い「夕方にペプシ本社から、球団の買収を断るという連絡がきた」と発表[90]
    • 東映のオーナーの大川毅が午後、東映不動産にて記者会見し球団の身売りの意向を明らかにした[91]。西鉄、東映と2球団の身売りが表面化し、パ・リーグの存続が危ぶまれる事態となる。
  • 10月21日 - パイオニアの社長の石塚庸三が午前10時、赤坂にある中村事務所を訪れ、中村から打診されていたパイオニアによる東映の買収の話を断ることを伝える[92][93]
  • 10月22日 - 【MLB】ワールドシリーズの第7戦がシンシナチのリバーフロント・スタジアムで行われオークランド・アスレチックスシンシナチ・レッズを3-2で破り、球団史上1930年以来6度目のワールドチャンピンとなる[94]
  • 10月28日
    • 日本シリーズの第5戦が西宮球場で行われ、巨人が阪急に8対3で勝利し、4勝1敗で日本シリーズ8年連続優勝[95]
    • 西鉄はロッテのオーナーの中村長芳が買収することになり、球団譲渡調印が福岡市内の西鉄グランドホテルにて午後3時より行われる[96]
  • 10月29日 - 1972年度の最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを選出するプロ野球担当記者の投票の開票が午前10時より東京・銀座のコミッショナー事務局にて行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の堀内恒夫、パ・リーグは福本豊が選出される。最優秀新人にセ・リーグはヤクルトの安田猛、パ・リーグは西鉄の加藤初が選出される[97]

11月[編集]

  • 11月1日 - 阪急は来季のコーチング・スタッフを発表。選手兼守備コーチのダリル・スペンサーは退団し、自由契約とした[98]
  • 11月2日
    • 阪神は監督兼選手の村山実が現役引退したと発表[99]
    • パ・リーグのオーナー懇談会が正午から東京・丸の内のパレス・ホテルに開かれ、太平洋のオーナーの中村長芳が来季から2シーズン制の導入を提案。今後、実施を前提に案をまとめる方向で一致[100]
  • 11月9日 - プロ野球実行委員会が午後2時より東京・銀座の日航ホテルにて開かれ、パ・リーグ会長の岡野祐が「パ・リーグは来季から2シーズン制を取ることになった」と報告[101]
  • 11月10日 - ロッテは監督の大沢啓二がロッテ本社を訪れ、オーナーの重光武雄、球団社長の松井静郎に対し退団を申し入れ、了承される[102]
  • 11月14日 - 大洋のオーナーの中部謙吉が午後3時半より東京・丸の内の大洋漁業本社にて、この年監督代行を務めた青田昇が監督に就任したと発表[103]
  • 11月17日 - ロッテは午前11時より錦糸町のロッテ会館にて金田正一の監督就任を正式に発表[104]
  • 11月18日 - 平和台球場にて西鉄対巨人のオープン戦が行われ、西鉄として最後の試合を行う。
  • 11月20日 - パ・リーグの理事会が午前11時から丸の内のパレスホテルにて開かれ、来季から導入予定の2シーズン制の具体案を決定。午後3時半からのオーナー懇談会で正式に承認[105]
  • 11月21日 - プロ野球のドラフト会議が午前11時から東京・日比谷の日生会館にて開催される[106]
  • 11月25日 - 野球体育博物館に表彰、掲載される人物を選ぶ競技者表彰特別委員会が午前11時から東京・有楽町のアラスカにて開かれ、記者投票で石本秀一を選出[107]
  • 11月30日 - 南海は二軍監督の岡本伊三美が一軍監督の野村克也との指導方針の対立から、球団に辞表を提出し受理される[108]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞1972年1月15日11面「ロッテ・武田代表が辞任」読売新聞縮刷版1972年1月p423
  2. ^ 読売新聞1972年1月17日11面「日米初のトレード成立 浜浦(ロッテ)とF・ジョンソン(SFジャイアンツ)」読売新聞縮刷版1972年1月p473
  3. ^ 読売新聞1972年1月21日11面「コーファックスなど選手が殿堂入り」読売新聞縮刷版1972年1月p603
  4. ^ 読売新聞1972年1月21日11面「ロッテ新代表に石原氏」読売新聞縮刷版1972年1月p603
  5. ^ 読売新聞1972年3月12日11面「プロ野球 公式戦の起点は昭和11年7月1日 ただし記録は4月から」読売新聞縮刷版1972年1月p369
  6. ^ 毎日新聞1972年4月4日13面「二シーズン制などを検討 プロ野球オーナー会議」毎日新聞縮刷版1972年4月4日p97
  7. ^ 毎日新聞1972年4月7日夕刊1面「日大桜が丘が優勝 センバツ 兄校破り初陣飾る」毎日新聞縮刷版1972年4月p209
  8. ^ 毎日新聞1972年4月8日夕刊10面「プロ野球しめっぽい開幕 無情の雨 たった2試合」毎日新聞縮刷版1972年4月p248
  9. ^ 読売新聞1972年4月13日11面「江夏、千五百三振奪取」読売新聞縮刷版1972年4月p385
  10. ^ 朝日新聞1972年4月13日21面「スペンサー1500本塁打」朝日新聞縮刷版1972年4月p401
  11. ^ 読売新聞1972年4月15日11面「20秒超過でボール 梶本が被害1号」読売新聞縮刷版1912年4月p506
  12. ^ 毎日新聞1972年4月19日13面「南海打線"記録デー"野村一五〇〇打点」毎日新聞縮刷版1972年4月p555
  13. ^ 読売新聞1972年4月22日11面「村山監督、投手に専念 試合の指揮は金田ヘッドコーチに」読売新聞縮刷版1972年4月p693
  14. ^ 毎日新聞1972年4月23日19面「6連勝ウソみたい 近鉄 鈴木コテンパン、さえぬ1500奪三振」毎日新聞縮刷版1972年4月p693
  15. ^ 毎日新聞1972年4月28日17面「ヤクルト猛打 白石に初黒星」毎日新聞縮刷版1972年4月p853
  16. ^ 毎日新聞1972年4月30日15面「またまたご披露"外木場特許"ノーヒットノーラン 『完全』含めて3度目 巨人脱帽 沢村以来の快記録」毎日新聞縮刷版1972年4月p915
  17. ^ 【4月29日】1972年(昭47) 伝説の右腕と2人だけ 外木場義郎3度目の大記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月11日). 2015年12月20日閲覧。
  18. ^ 毎日新聞1972年5月4日13面「走った!!走った!!福本5盗塁パ・リーグ新」毎日新聞縮刷版1972年5月p93
  19. ^ 毎日新聞1972年5月5日17面「ロッテ西田が千試合」毎日新聞縮刷版1972年5月p129
  20. ^ 毎日新聞1972年5月8日13面「四球気づかず三振」毎日新聞縮刷版1972年5月p181
  21. ^ 毎日新聞1972年5月11日13面「広瀬が盗塁550個目」毎日新聞縮刷版1972年5月p277
  22. ^ 毎日新聞1972年5月14日15面「大杉"超特急"200号 おまけだ201号」毎日新聞縮刷版1972年5月p381
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  85. ^ 毎日新聞1972年10月16日15面「セ・リーグ終わる」毎日新聞縮刷版1972年10月p473
  86. ^ 毎日新聞1972年10月17日17面「パ・リーグも終了 勝率1位 佐藤道滑り込む」毎日新聞縮刷版1972年10月p505
  87. ^ 読売新聞1972年10月17日11面「沢村賞は堀内に 2度目 買われた優勝貢献」読売新聞縮刷版1972年10月p585
  88. ^ 毎日新聞1972年10月17面「別当広島監督が正式契約」毎日新聞縮刷版1972年10月p539
  89. ^ 東京新聞1972年10月21日11面「オーナー会議不成立」
  90. ^ 読売新聞1972年10月21日11面「パ・リーグ、6球団制ピンチ 西鉄、解散の非常事態 頼みの買い手ペプシ・コーラ キャンセル」読売新聞縮刷版1972年10月p729
  91. ^ 読売新聞1972年10月21日11面「東映も身売り」読売新聞縮刷版1972年10月p729
  92. ^ 読売新聞1972年10月21日夕刊10面「東映球団買い取りパイオニア断る」読売新聞縮刷版1972年10月p752
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  94. ^ 読売新聞1972年10月23日夕刊10面「アスレチックス優勝 42年ぶり6度目の栄冠」読売新聞縮刷版1972年10月p818
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  97. ^ 読売新聞1972年10月30日11面「最優秀選手 堀内、福本が初受賞 新人王は安田(ヤクルト)加藤初(西鉄)」読売新聞縮刷版1972年10月p1051
  98. ^ 読売新聞1972年11月2日10面「阪急、来季のコーチ陣きまる スペンサーは退団」読売新聞縮刷版1972年11月p46
  99. ^ 日本経済新聞1972年11月3日20面「『11』を永久欠番に 村山、阪神を正式に退団」日本経済新聞1972年11月p96
  100. ^ 読売新聞1972年11月3日11面「二シーズン制再燃 パ・オーナー懇 中村氏ら強く主張」読売新聞縮刷版1972年11月p83
  101. ^ 読売新聞1972年11月10日19面「閉幕を一週間延長」読売新聞縮刷版1972年11月p327
  102. ^ 読売新聞1972年11月11日19面「大沢ロッテ監督退団 契約3年残し」読売新聞縮刷版1972年11月p363
  103. ^ 読売新聞1972年11月15日19面「大洋新監督に青田氏」読売新聞縮刷版1972年11月p503
  104. ^ 読売新聞1972年11月18日19面「金田監督スタート 派手に就任あいさつ」読売新聞縮刷版1972年11月p611
  105. ^ 読売新聞1972年11月21日19面「パの2シーズン制正式決定 前・後期65試合ずつ 代表決定戦は5回戦で」読売新聞縮刷版1972年11月p715
  106. ^ 読売新聞1972年11月21日夕刊10面「ジャンボ中根、近鉄が指名 巨人は中井(西京商) ドラフト会議」読売新聞縮刷版1972年11月p738
  107. ^ 読売新聞1972年11月26日19面「石本氏"野球殿堂"入り」読売新聞縮刷版1972年11月p891
  108. ^ 毎日新聞1972年12月1日17面「岡本二軍監督が辞意」毎日新聞縮刷版1972年12月p17
  109. ^ 読売新聞1972年12月12日19面「一球団一都府県に プロ野球実行委 フランチャイズ改正」読売新聞縮刷版1972年12月p407
  110. ^ 読売新聞1972年12月16日19面「鬼頭、安田(大洋)と小山(ロッテ)交換」読売新聞縮刷版1972年12月p551