1972年の中日ドラゴンズ

1972年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ3位
67勝59敗4分 勝率.532[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 小山武夫
経営母体 中日新聞社
監督 与那嶺要
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1972年の中日ドラゴンズでは、1972年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、与那嶺要監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

水原茂から与那嶺要に監督が交代したチームはヘッド兼投手コーチに近藤貞雄を迎えたが、コーチ陣も選手もほとんど変化はなかった。与那嶺新監督のもとチームは開幕から好調で、4月には開幕6連勝などの好調でAクラスにつけ、巨人阪神に肉薄した。しかし、5月に入ると投手陣が総崩れで7勝14敗1分の借金7で4位に転落すると8月まで脱出できなかった。9月にそれまで3位の大洋を抜いてようやくAクラスに復帰したが時すでに遅く、巨人の8連覇を許し与那嶺監督の1年目は3位で終えた。投手陣はこの年20勝の稲葉光雄や13勝の松本幸行がチームを引っ張り、それ以外でも水谷寿伸星野仙一三沢淳がそれなりの成績を残し、チーム防御率3.29で阪神に次ぐ2位を記録した。この年星野はチーム3位の9勝をあげたが、すべてリリーフ登板での勝ち星だった。打撃陣では中利夫が衰えた一方で、前年急成長の大島康徳がレギュラーに定着するなど明るい話題はあったが、チーム本塁打が123本のリーグ4位に終わり、チーム打率と安打数もリーグ最下位に終わった。シーズン終了後、中は引退して二軍打撃コーチに就任した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 菱川章
2 高木守道
3 谷沢健一
4 ミラー
5 木俣達彦
6 島谷金二
7 大島康徳
8 バート
9 水谷寿伸
1972年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 1.0 阪神 大洋 2.5 阪神 阪神 4.0 阪神 3.5
3位 巨人 2.0 大洋 1.5 阪神 3.0 大洋 4.0 大洋 8.5 中日 7.0
4位 広島 3.0 中日 5.0 中日 4.0 中日 5.0 中日 9.0 ヤクルト 14.5
5位 阪神 4.0 広島 7.5 ヤクルト 13.0 ヤクルト 8.5 ヤクルト 12.0 大洋 17.0
6位 ヤクルト 5.0 ヤクルト 10.0 広島 13.5 広島 12.5 広島 20.5 広島 24.0


1972年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 74 52 4 .587 優勝
2位 阪神タイガース 71 56 3 .559 3.5
3位 中日ドラゴンズ 67 59 4 .532 7.0
4位 ヤクルトアトムズ 60 67 3 .472 14.5
5位 大洋ホエールズ 57 69 4 .452 17.0
6位 広島東洋カープ 49 75 6 .395 24.0

オールスターゲーム1972[編集]

コーチ 近藤貞雄
ファン投票 選出なし
監督推薦 稲葉光雄 松本幸行 水谷寿伸 谷沢健一

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

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表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし
ダイヤモンドグラブ賞(新設)
選手名 ポジション
バート 遊撃手

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 鈴木孝政 投手 成東高 入団
2位 片貝義明 捕手 日本石油 翌年シーズン後に入団
3位 谷木恭平 外野手 新日本製鐵室蘭 入団
4位 田野倉利男 内野手 早稲田実業高 入団
5位 伊藤弘利 投手 大同工業高 拒否・三協精機入社
6位 豊島寛 捕手 京都商業高 入団
7位 辻哲也 外野手 日本楽器 入団

出典[編集]

  1. ^ 年度別成績 1972年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月14日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7