1968年の野球

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1968年の野球(1968ねんのやきゅう)では、1968年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1968年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 77 53 4 .592 優勝
2位 阪神タイガース 72 58 3 .554 5.0
3位 広島東洋カープ 68 62 4 .523 9.0
4位 サンケイアトムズ 64 66 4 .492 13.0
5位 大洋ホエールズ 59 71 3 .454 18.0
6位 中日ドラゴンズ 50 80 4 .385 27.0
1968年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 80 50 4 .615 優勝
2位 南海ホークス 79 51 6 .608 1.0
3位 東京オリオンズ 67 63 9 .515 13.0
4位 近鉄バファローズ 57 73 5 .438 23.0
5位 西鉄ライオンズ 56 74 3 .431 24.0
6位 東映フライヤーズ 51 79 5 .392 29.0

日本シリーズ[編集]

1968年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月12日(土) 第1戦 阪急ブレーブス 5 - 4 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月13日(日) 第2戦 雨天中止
10月14日(月) 阪急ブレーブス 1 - 6 読売ジャイアンツ
10月15日(火) 移動日
10月16日(水) 第3戦 読売ジャイアンツ 9 - 4 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月17日(木) 第4戦 読売ジャイアンツ 6 - 5 阪急ブレーブス
10月18日(金) 第5戦 読売ジャイアンツ 4 - 6 阪急ブレーブス
10月19日(土) 移動日
10月20日(日) 第6戦 阪急ブレーブス 5 - 7 読売ジャイアンツ 後楽園球場
優勝:読売ジャイアンツ(4年連続10回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 長嶋茂雄 巨人   米田哲也 阪急  
最優秀新人 高田繁 巨人   該当者なし
首位打者 王貞治 巨人 .326 張本勲 東映 .336
本塁打王 王貞治 巨人 49本 野村克也 南海 38本
打点王 長嶋茂雄 巨人 125点 G.アルトマン 東京 100点
最多安打 長嶋茂雄 巨人 157本 G.アルトマン 東京 170本
盗塁王 古葉竹識 広島 39個 安井智規 近鉄 54個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 275個 張本勲 東映 .437
最優秀防御率 外木場義郎 広島 1.94 皆川睦男 南海 1.61
最多勝利 江夏豊 阪神 25勝 皆川睦男 南海 31勝
最多奪三振 江夏豊 阪神 401個 鈴木啓示 近鉄 305個
最高勝率 島田源太郎 大洋 .700 村上雅則 南海 .818

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 江夏豊 阪神 皆川睦男 南海
捕手 森昌彦 巨人 野村克也 南海
一塁手 王貞治 巨人 榎本喜八 東京
二塁手 土井正三 巨人 D.ブレイザー 南海
三塁手 長嶋茂雄 巨人 国貞泰汎 南海
遊撃手 黒江透修 巨人 阪本敏三 阪急
外野手 江藤愼一 中日 G.アルトマン 東京
D.ロバーツ サンケイ 土井正博 近鉄
山内一弘 広島 張本勲 東映

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

4月[編集]

  • 4月3日 - プロ野球のオーナー会議が丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、欠員中のコミッショナー委員会の後任に中松潤之助の就任を正式決定[6]
  • 4月6日
    • 第40回選抜高校野球大会の決勝戦が甲子園球場にて午後1時1分より行われ、大宮工業高校が尾道商業を3-2で破り、大会初優勝を達成[7]
    • プロ野球がセ・パ同時に開幕[8]
    • 広島の山内一弘が岡山球場での対阪神1回戦で1号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[9]
  • 4月26日 - 平和台球場で行われたウエスタン・リーグの西鉄対中日6回戦で、中日が審判の判定を不服として放棄試合。ウエスタン・リーグで初の放棄試合[10]
  • 4月29日 - 交通事故で入院していたパ・リーグ会長の松浦晋が入院先の病院で死去[11]
  • 4月30日 - パ・リーグは緊急の理事会を開き、パ・リーグ会長の松浦晋が死去により、近鉄の球団代表の芥田武夫が当面の間会長代行を詰めることを決定[12]

5月[編集]

6月[編集]

  • 6月2日 - 東京の榎本喜八が大阪球場での対南海ダブルヘッダー第1試合の9回戦に出場し、パ・リーグ新記録となる通算1791試合出場を達成。元巨人の川上哲治の1979試合、広島の山内一弘の1963試合(1968年6月2日時点)に続く3番目の記録[21]
  • 6月4日 - 【MLB】ドジャースのドン・ドライスデールがパイレーツ戦に先発して完封勝利を収め、6試合連続完封のメジャーリーグ新記録[22]
  • 6月6日 - 中日の江島巧が広島の西川克弘から3号本塁打。高卒新人の3試合連続本塁打は1953年8月の豊田泰光(西鉄)以来2人目で、プロ1号から3戦連発は史上初[23]
  • 6月11日 - 中日は中日球場での対サンケイ9回戦に延長12回3対5で敗れ、48年の球団記録に並ぶ11連敗となる[24]
  • 6月12日 - 中日は中日球場での対サンケイ10回戦に3対2で勝利し、連敗を11で止める[25]
  • 6月13日 - 大洋の長田幸雄が川崎球場での対巨人9回戦の一回裏に6号2点本塁打を打ち、セ・リーグ新記録の5試合連続本塁打[26]
  • 6月21日 - 南海の広瀬叔功が日生球場での対近鉄11回戦の7回表に二塁盗塁を決め、プロ通算400盗塁を達成[27]
  • 6月23日 - 巨人の金田正一が広島球場での対広島11回戦に6回表から登板し、プロ通算907試合となりMLB記録のサイ・ヤングの906試合の記録を抜く[28]
  • 6月25日 - 中日のは監督の杉下茂とチーフコーチの近藤貞雄がチームの成績不振を理由に休養し、代理監督に2軍チーフコーチの本多逸郎が就任したと発表[29]
  • 6月26日 - 広島の山内一弘が川崎球場での対大洋11回戦に出場し、日本プロ野球新記録となる通算1980試合出場を達成[30]
  • 6月30日 - 小倉球場で行われた西鉄対東映14回戦で、東映の毒島章一が一回表に5号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[31]。西鉄の若生忠男が勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[32]

7月[編集]

  • 7月1日 - パ・リーグのオーナー懇談会が東京・丸の内のパレスホテルで開かれ、パ・リーグの会長に阪急の球団代表の岡野祐を選ぶ[33]。岡野の就任はシーズン終了後からの就任とする。
  • 7月7日 - 第8回参議院議員通常選挙上林繁次郎が当選。プロ野球出身者として白木義一郎以来2人目の国会議員となる。
  • 7月9日 - 巨人の金田正一が後楽園球場での対広島12回戦の十回裏に代打で出場し、プロ通算1000試合出場を達成。投手としては1098試合の野口二郎に次いで2人目[34]
  • 7月10日 - 西鉄の伊藤光四郎が大阪球場での対南海12回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[35]
  • 7月12日 - 南海の野村克也が東京球場での対東京戦の3回表に15号本塁打を放ち、日本プロ野球史上初の通算400本塁打を達成[36]
  • 7月17日 - 東映の安藤順三が後楽園球場での対東京13回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[37]
  • 7月21日 - 東京の榎本喜八が東京球場での対近鉄ダブルヘッダー第1試合の17回戦の1回裏に二塁打を放ち、プロ通算2000安打を達成[38]
  • 7月27日 - 巨人の王貞治が中日球場での対中日16回戦の一回表に四球を選び、日本プロ野球史上初の通算1000四死球を達成[39]
  • 7月30日 - 西鉄の稲尾和久が東京球場での対東京17回戦の三回表にジョージ・アルトマンから三振を奪い、プロ通算2500奪三振を達成[40]
  • 7月31日 - 東京の坂井勝二が東京球場での対西鉄18回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[41]

8月[編集]

  • 8月2日 - 広島の山内一弘が甲子園球場での対阪神17回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[42]
  • 8月4日
    • 東映は監督の大下弘が休養し、一軍打撃コーチの飯島滋弥が監督代行となったことを発表[43]
    • 東京の榎本喜八が東京球場での対東映17回戦の二回表に16号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[44]
  • 8月8日
    • 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対東映18回戦に先発登板し、ノーヒットノーランを達成[45]
    • 阪神の江夏豊が中日球場での対中日17回戦に先発登板し、セ・リーグタイ記録の一試合16奪三振[46]
  • 8月22日 - 第50回全国高校野球選手権大会の決勝戦が行われ、興国高校が静岡商業に1-0で勝利し初優勝[47]
  • 8月27日 - 阪神のジーン・バッキーが広島市民球場での対広島20回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[48]

9月[編集]

  • 9月2日 - 大洋の近藤和彦が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表にバント安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[49]
  • 9月3日 - 読売ジャイアンツ渡辺秀武イースタン・リーグの対東京11回戦においてリーグ史上2人目のノーヒットノーランを達成[50]
  • 9月15日 - 【MLB】カージナルスがアストロズを7-4と下して勝利し、2位のジャイアンツがレッズに0-4で敗戦したため、カージナルスのア・リーグ優勝が決まる[51]
  • 9月17日 - 【MLB】タイガースがヤンキースを2-1と下して勝利し、2位のオリオールズが破れたため、アメリカン・リーグ優勝が決まる[52]
  • 9月14日 - 広島の外木場義郎が広島市民球場での対大洋18回戦に先発し、完全試合を達成[53]
  • 9月17日 - 阪神の江夏豊が甲子園球場での対巨人20回戦で、王貞治から四回表、七回表に年間奪三振最多記録タイの353個目、新記録となる354個目の三振を奪う[54]
  • 9月18日 - 甲子園球場にて阪神対巨人22回戦が行われ、4回表に巨人の王貞治へ阪神のジーン・バッキーの投球をめぐり、バッキーと巨人の打撃コーチの荒川博が乱闘[55]
  • 9月20日 - 中日の小野正一が対巨人20回戦の1回表に田中久寿男から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[56]
  • 9月21日 - 阪急の米田哲也が西宮球場での対西鉄25回戦に7回表の途中から登板して勝利投手となり、プロ通算250勝を達成[57]

10月[編集]

  • 10月6日
    • 南海の皆川睦雄が大阪球場での対東映ダブルヘッダー第一試合の25回戦に先発して今季30勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成。またパ・リーグタイ記録のシーズン27完投[58]
    • 巨人の森昌彦が中日球場での対中日24回戦の八回表に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[59]
  • 10月8日 - 巨人が後楽園球場での対広島戦ダブルヘッダー第一試合の23回戦に11-2、第二試合の24回戦で6-4と2勝して4年連続セ・リーグ優勝を決める[60]
  • 10月10日 - 【MLB】ワールド・シリーズの第7戦がブッシュ・スタジアムで行われ、タイガースがカージナルスを4-1と下し、タイガースが対戦成績を4勝3敗としてワールド・チャンピオンに[61]
  • 10月10日 - 阪急が西宮球場での対近鉄27回戦に6-3で勝ち、南海が大阪球場での対西鉄ダブルヘッダー第1試合の27回戦に5-3、第2試合の28回戦に8-4で勝ち、阪急と南海がともに79勝50敗で同率首位に並ぶ。パ・リーグの優勝は阪急、南海ともに今季最終戦の10月10日の結果次第となる[62]
  • 10月11日 - 阪急、南海が共に79勝50敗で同率首位となり、11日の今季最終試合の結果次第となったパ・リーグの優勝争いは、阪急が西宮球場での対東京27回戦で延長11回裏に矢野清のサヨナラ本塁打で3-2で勝利し、その直後に日生球場での南海対近鉄27回戦で南海が4-6と敗戦し、阪急の2年連続パ・リーグ優勝が決定[63]
  • 10月13日 - パ・リーグは藤井寺球場にて近鉄対東京のダブルヘッダー29、30回戦を行い、全日程を終了[64]
  • 10月18日 - セ・リーグは川崎球場での大洋対中日ダブルヘッダーの26、27回戦を行い、全日程を終了[65]
  • 10月19日 - 南海監督の鶴岡一人が大阪・難波の南海電鉄本社にオーナーの川勝伝、球団社長の新山滋を訪ねて辞任を申し出て了承される[66]
  • 10月20日 - 日本シリーズの第6戦が行われ、巨人が阪急を7-5で破り、4勝2敗で阪急を下して、4年連続日本一を達成[67]
  • 10月21日
    • プロ野球最優秀選手、新人王、ベストナインを決める記者投票の開票が午前10時よりコミッショナー事務局に行われ、最優秀選手はセ・リーグは長嶋茂雄、パ・リーグは米田哲也[68]。最優秀新人にセ・リーグは高田繁が選出、パ・リーグは「該当者なし」[68]
    • 沢村賞の選考が東京運動記者クラブ加盟各社の運動部長によって行われ、阪神の江夏豊が選出される[69]
    • 東映は午後4時より東映本社にて新監督に松木謙治郎が就任したと発表[70]
    • サンケイはフジテレビ副社長の福田英雄が球団社長兼球団代表に就任する事を決定[71]
  • 10月23日
    • 南海は新監督にヘッドコーチの飯田徳治が昇格したと発表[72]
    • 阪急は球団代表の岡野祐がパ・リーグ会長に就任するのに伴い、岡野の後任に阪急電鉄運輸部長の渓間秀典が就任すると発表[73]

11月[編集]

  • 11月1日 - パ・リーグは阪急の前球団代表の岡野祐が会長に就任したと正式に発表[74]
  • 11月5日 - サンケイは午後4時半から東京・有楽町の球団事務所にてサンケイの鈴木皖武と阪神の西園寺昭夫のトレードが成立したと発表[75]
  • 11月8日 - 近鉄の監督の三原脩は球団代表の芥田武夫、球団常務の中村肇と会い「会社側に背信行為があった」として退団を申し入れる[76]
  • 11月9日 - 近鉄は阪神から金銭トレードでジーン・バッキーを獲得したと正式に発表[77]
  • 11月11日 - 近鉄は午後3時から大阪市天王寺の近鉄会館四回会議室にて本社専務の今里英三が記者会見し、監督の三原脩の留任が決定したと発表[78]
  • 11月12日 - プロ野球新人選手選択会議が午前11時から東京・日比谷の日生会館国際会議場にて行われる[79]
  • 11月14日 - 中日は午後4時より名古屋市内の中日パレスで記者会見し、新監督に水原茂が就任したと発表。水原が名古屋市内の球団事務所を訪れて球団幹部と最終的な話し合いを行い、監督就任に合意し、その後発表[80]
  • 11月19日 - 阪神は大阪・梅田の球団事務所にて新監督にヘッドコーチの後藤次男が就任したと発表[81]

12月[編集]

  • 12月3日 - 西鉄は近鉄のカール・ボレスの獲得を発表[82]
  • 12月5日
    • プロ野球の12球団の代表選手18名が東京・日比谷の日生会館に集まり、「日本プロ野球選手会」を結成。西鉄の稲尾和久を議長に選出。規約の討議を行う[83]
    • 巨人の田中久寿男と西鉄の柳田俊郎のトレードが成立したと巨人が発表[84]
  • 12月9日 - ヤクルト本社専務取締役の松園尚巳が午後1時、東京・大手町のサンケイ新聞本社にサンケイのオーナーの福田英雄を訪ね、業務提携を申し入れ[85]
  • 12月11日 - 野球体育博物館特別表彰委員会は午後、東京・銀座のコミッショナー事務局にて会議を開き、今年度の掲載者に鈴木惣太郎、故小林一三、故田辺宗美を選出[86]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

作品[編集]

アニメ

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞1968年1月18日13面「中日の西沢監督辞任 後任候補、杉下氏ら 今月中に決定」朝日新聞縮刷版1968年1月p459
  2. ^ 読売新聞1968年1月19日11面「放棄試合の制裁金 二千万以下などをセ・リーグきめる」読売新聞縮刷版1968年1月p471
  3. ^ 読売新聞1968年1月21日9面「田中勉、中日入り 広野とトレードが成立」読売新聞縮刷版1968年1月p523
  4. ^ 読売新聞1968年1月26日11面「チーフ・コーチ近藤 中日、新体制を発表」読売新聞縮刷版1968年1月p663
  5. ^ 読売新聞1968年1月30日11面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1968年1月p767
  6. ^ 読売新聞1968年4月4日10面「コミッショナー委員に中松氏」読売新聞縮刷版1968年4月p94
  7. ^ 毎日新聞1968年4月6日夕刊1面「センバツ 大宮工が初出場優勝 優勝旗 六年ぶり箱根超え」毎日新聞縮刷版1968年4月p173
  8. ^ 毎日新聞1968年4月6日夕刊10面「プロ野球開幕 セはデーゲーム パはナイター」毎日新聞縮刷版1968年4月p182
  9. ^ 毎日新聞1968年4月7日13面「山内、待望の350号」毎日新聞縮刷版1968年4月p197
  10. ^ 読売新聞1968年4月26日8面「ウエスタン初の放棄試合 中日、判定に不満」読売新聞縮刷版1968年4月p748
  11. ^ 読売新聞1968年4月29日夕刊11面
  12. ^ 読売新聞1968年5月1日9面「近鉄・芥田代表が会長代行 パ・リーグ」
  13. ^ 読売新聞1968年5月6日11面「広瀬(南海)千五百本安打」読売新聞縮刷版1968年5月p131
  14. ^ 読売新聞1968年5月16日11面「石川(阪急)が千試合出場」」読売新聞縮刷版1968年5月p419
  15. ^ 読売新聞1968年5月16日11面「米田、奪三振二千五百個」読売新聞縮刷版1968年5月p419
  16. ^ 読売新聞1968年5月17日9面「城之内がノーヒットノーラン 王は9,10号 大洋惨敗 巨人、大量16点で9連勝」読売新聞縮刷版1968年5月p453
  17. ^ 読売新聞1968年5月19日9面「金田、九百試合出場」読売新聞縮刷版1968年5月p509
  18. ^ 読売新聞1968年5月22日9面「佐藤、島野(中日)と堀込(南海)交換」読売新聞縮刷版1968年5月p589
  19. ^ 読売新聞1968年5月25日11面「杉浦が五百試合登板」読売新聞縮刷版1968年5月p687
  20. ^ 読売新聞1968年5月28日11面「4試合連続完封勝ち ド軍のドライスデール」
  21. ^ 読売新聞1968年6月3日11面「SBO プロ根性一筋 榎本、パの最多出場更新」読売新聞縮刷版1968年6月p63
  22. ^ 読売新聞1968年6月6日10面「6試合連続の完封 ドライスデールが大リーグ新」読売新聞縮刷版1968年6月p146
  23. ^ 西武森3戦連発!高卒新人46年ぶり快挙 日刊スポーツ 2014年8月17日
  24. ^ 読売新聞1968年6月12日9面「中日11連敗」読売新聞縮刷版1968年6月p325
  25. ^ 読売新聞1968年6月13日9面「中日、12連敗を免れる」読売新聞縮刷版1968年6月p355
  26. ^ 読売新聞1968年6月14日9面「長田、5試合連続(セ・リーグ新記録)の6・7号」読売新聞縮刷版1968年6月p393
  27. ^ 読売新聞1968年6月22日11面「広瀬が通算四百盗塁」読売新聞縮刷版1968年6月p627
  28. ^ 読売新聞1968年6月24日11面「金田、907試合登板 大リーグ記録破る」読売新聞縮刷版1968年6月p683
  29. ^ 朝日新聞1968年6月26日13面「杉下中日監督が休養 代理には本多コーチ」朝日新聞縮刷版1968年6月p761
  30. ^ 読売新聞1968年6月27日11面「山内(広島)が最多出場」読売新聞縮刷版1968年6月p767
  31. ^ 読売新聞1968年7月1日11面「毒島(東映)は通算百号」読売新聞縮刷版1968年7月p11
  32. ^ 読売新聞1968年7月1日11面「若生が通算百勝」読売新聞縮刷版1968年7月p11
  33. ^ 読売新聞1968年7月2日11面「パ・リーグ会長に岡野氏 今季終了後に就任」
  34. ^ 読売新聞1968年7月10日9面「金田が千試合出場」読売新聞縮刷版1968年7月p273
  35. ^ 読売新聞1968年7月11日11面「伊藤(西鉄)が千試合出場」読売新聞縮刷版1968年7月p303
  36. ^ 読売新聞1968年7月13日11面「野村、球史初の四百号 プロ入り15年目で達成」読売新聞縮刷版1968年7月p371
  37. ^ 読売新聞1968年7月18日11面「安藤(東映)が千試合出場」読売新聞縮刷版1968年7月p507
  38. ^ 読売新聞1968年7月22日11面「榎本(東京)が二千本安打」読売新聞縮刷版1968年7月p623
  39. ^ 読売新聞1968年7月28日9面「王、球史初の千四死球」読売新聞縮刷版1968年7月p797
  40. ^ 読売新聞1968年7月31日9面「稲尾(西鉄)奪三振二千五百個」読売新聞縮刷版1968年7月p877
  41. ^ 読売新聞1968年8月1日11面「前田(東京)逆転サヨナラ3ラン 坂井に通算百勝をプレゼント」読売新聞縮刷版1968年8月p11
  42. ^ 読売新聞1968年8月3日11面「山内が二千試合出場を達成」読売新聞縮刷版1968年7月p73
  43. ^ 読売新聞1968年8月5日11面「大下監督 ついに休養 東映 代理監督に飯島コーチ」読売新聞縮刷版1968年8月p123
  44. ^ 読売新聞1968年8月5日11面「榎本(東京)二百号」読売新聞縮刷版1968年8月p123
  45. ^ 読売新聞1968年8月9日9面「鈴木(近鉄)ノーヒットノーラン 東映に二塁を許さず 四球2人」読売新聞縮刷版1968年8月p232
  46. ^ 読売新聞1968年8月9日8面「江夏、中日から16奪三振(セのタイ)阪神3位 打線も2ホーマーで援護」読売新聞縮刷版1968年8月p232
  47. ^ 朝日新聞1968年8月22日夕刊1面「興国、初優勝を飾る 全国高校野球 静岡商、1点を返せず」朝日新聞縮刷版1968年8月p627
  48. ^ 読売新聞1968年8月28日9面「阪神快調、首位へ2ゲーム差 速攻、広島くだす バッキー完投、通算百勝」読売新聞縮刷版1968年8月p739
  49. ^ 読売新聞1968年9月3日11面「近藤和が千五百安打」読売新聞縮刷版1968年9月p63
  50. ^ 読売新聞1968年9月3日9面「ノーヒットノーラン 渡辺(巨人)イースタンで」読売新聞縮刷版1968年9月p89
  51. ^ 読売新聞1968年9月16日夕刊「カージナルス優勝 米のナ・リーグ」
  52. ^ 読売新聞1968年9月18日10面「タイガース優勝 ア・リーグ 23年ぶり8度目」
  53. ^ 読売新聞1968年9月15日9面「外木場(広島)が完全試合 大洋から16三振奪う プロ野球10人目」読売新聞縮刷版1968年9月p409
  54. ^ 読売新聞1968年9月18日9面「江夏の力投で阪神先勝 奪三振に日本新 延長12回 巨人押え、自らサヨナラ打 第1ゲーム」読売新聞縮刷版1968年9月p489
  55. ^ 読売新聞1968年9月19日15面「甲子園で乱闘騒ぎ 巨人-阪神戦 投球めぐり試合中断」
  56. ^ 読売新聞1968年9月21日11面「小野(中日)が奪三振二千」読売新聞縮刷版1968年9月p583
  57. ^ 読売新聞1968年9月22日9面「米田、救援で250勝目(通算)」読売新聞縮刷版1968年p609
  58. ^ 読売新聞1968年10月7日11面「皆川30勝、通算で200勝 27完投のパ・タイ記録も」読売新聞縮刷版1968年10月p191
  59. ^ 読売新聞1968年10月7日11面「森(巨人)通算千本安打」読売新聞縮刷版1968年10月p191
  60. ^ 読売新聞1968年10月9日1面「巨人が四年連続優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1968年10月p237
  61. ^ 読売新聞1968年10月11日夕刊10面「タイガースが優勝 ワールドシリーズ 二十三年ぶり三度目」読売新聞縮刷版1968年10月p330
  62. ^ 読売新聞1968年10月11日9面「優勝持ち越し 南海連勝、阪急も勝つ また同率、決定戦も」読売新聞縮刷版1968年10月p313
  63. ^ 読売新聞1968年10月12日1面「阪急2年連続優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1968年10月p333
  64. ^ 読売新聞1968年10月14日10面「首位打者は張本(2年連続)パ・リーグ全日程を終わる 打点王『1』でアルトマン」読売新聞縮刷版1968年10月p398
  65. ^ 読売新聞1968年10月16日11面「王、初の首位打者 打点王 長島が5年ぶり セも全日程終わる」読売新聞縮刷版1968年10月p459
  66. ^ 読売新聞1968年10月20日8面「鶴岡監督(南海)が辞任 後任は内部昇格の線」読売新聞縮刷版1968年10月p580
  67. ^ 読売新聞1968年10月21日1面「巨人 四年連続日本一 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1968年10月p601
  68. ^ a b 読売新聞1968年10月22日11面「プロ野球最優秀選手 長島(4回目)と米田(初めて)新人王に高田 パは該当なし」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  69. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「沢村賞は江夏」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  70. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「東映監督に松木氏」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  71. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「サンケイ代表に福田氏」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  72. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「南海監督 飯田コーチ昇格」読売新聞縮刷版1968年10月p699
  73. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「阪急代表、渓間氏にきまる」読売新聞縮刷版1968年10月p699
  74. ^ 読売新聞1968年11月2日11面「パ・リーグ会長に岡野氏が正式就任」読売新聞縮刷版1968年11月p39
  75. ^ 読売新聞1968年11月6日9面「鈴木皖(サンケイ)と西園寺(阪神)トレード」読売新聞縮刷版1968年11月p153
  76. ^ 読売新聞1968年11月9日11面「三原監督、退団申し入れ」読売新聞縮刷版1968年11月p259
  77. ^ 読売新聞1968年11月10日9面「近鉄、バッキー入団を発表」読売新聞縮刷版1968年11月p285
  78. ^ 読売新聞1968年11月12日11面「近鉄・三原監督は留任」読売新聞縮刷版1968年11月p343
  79. ^ 読売新聞1968年11月12日夕刊10面「田淵、阪神が指名 プロ野球ドラフト会議 巨人は島野を」読売新聞縮刷版1968年11月p366
  80. ^ 読売新聞1968年11月15日8面「中日、水原監督を発表 早くも来シーズン構想」読売新聞縮刷版1968年11月p432
  81. ^ 読売新聞1968年11月20日9面「阪神監督 後藤コーチ昇格 藤本前監督は技術顧問」読売新聞縮刷版1968年11月p593
  82. ^ 読売新聞1968年12月4日11面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1968年12月p63
  83. ^ 読売新聞1968年12月6日11面「セ・パ一本の選手会 "生活守ろう"とスタート」読売新聞縮刷版1968年12月p163
  84. ^ 読売新聞1968年12月6日11面「田中久(巨人)と柳田(西鉄)の交換成立」読売新聞縮刷版1968年12月p183
  85. ^ 読売新聞1968年12月10日11面「『ヤクルト』プロ野球に進出 サンケイと業務提携」読売新聞縮刷版1968年12月p283
  86. ^ 読売新聞1968年12月12日11面「鈴木惣、故小林、故田辺氏 野球の"殿堂入り"きまる」読売新聞縮刷版1968年12月p347