1932年の政治

1932年の政治(1932ねんのせいじ)では、1932年昭和7年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと[編集]

1月[編集]

桜田門事件の現場。×の地点に爆弾が投擲された。
桜田門事件で官憲に拘束される李奉昌。

2月[編集]

第18回衆議院議員総選挙の結果。犬養毅内閣の与党立憲政友会は301議席を獲得し圧勝した。
訪日時のリットン調査団。右からハインリヒ・シュネー博士(独)、フランク・ロス・マッコイ少将(米)、リットン卿(英)、アンリ・クローデル中将(仏)、ヴィアーノ伯爵ルイージ・アルドロバンディ・マレスコッティ(伊)。

3月[編集]

4月[編集]

上海天長節爆弾事件直前の要人。左から白川義則大将、重光葵公使、野村吉三郎中将。

5月[編集]

五・一五事件犬養毅首相暗殺を伝える東京朝日新聞。犬養の死により、戦前における政党内閣は終焉を迎えた。

6月[編集]

独フランツ・フォン・パーペン内閣。「男爵内閣」と仇名されドイツ国内では不人気であり[6][7][8]、主要各党の支持も得られなかった。

7月[編集]

8月[編集]

  • 8月5日 - クルト・フォン・シュライヒャー国防相、ヒトラーと会談し副首相としてパーペン内閣への入閣を要請。ヒトラーは拒否[11][12][13]
  • 8月13日 - ヒトラー、パーペン首相、ヒンデンブルク大統領と相次いで会談。副首相として入閣を求められるが、拒否。
  • 8月22日 - 第63臨時議会召集。

9月[編集]

  • 9月12日 - ドイツ国会本会議でパーペン内閣不信任案可決。パーペン首相は大統領命令により国会を解散する。
  • 9月19日 - 日満議定書調印。

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 後藤 (2006)、239頁。
  2. ^ 後藤 (2006)、239~240頁。
  3. ^ 阿部、p.195
  4. ^ 林、p.179
  5. ^ 阿部、p.196
  6. ^ 阿部、p.197
  7. ^ アイク、p.189
  8. ^ フェスト、上巻p.435
  9. ^ 阿部、p.136
  10. ^ 阿部、p.200
  11. ^ フェスト、上巻p.438
  12. ^ モムゼン、p.416
  13. ^ 阿部、p.201
  14. ^ 阿部、p.205
  15. ^ トーランド、上巻p.313
  16. ^ フェスト、上巻p.447
  17. ^ モムゼン、p.436-437
  18. ^ a b 阿部、p.206

参考文献[編集]

  • ジェフリー・プリダム (Geoffrey Pridham) 著、垂水節子豊永泰子 訳『ヒトラー・権力への道:ナチズムとバイエルン1923-1933年』時事通信社、1975年。 
  • NHK"ドキュメント昭和"取材班編『ドキュメント 昭和 世界への登場 2 上海共同租界 事変前夜』角川書店、1986年5月5日。ISBN 4-13-026129-0 
  • ハンス・モムゼン (Hans Mommsen) 著、関口宏道 訳『ヴァイマール共和国史―民主主義の崩壊とナチスの台頭』水声社、2001年。ISBN 978-4891764494 
  • 阿部良男『ヒトラー全記録:1889-1945 20645日の軌跡』柏書房、2001年。ISBN 978-4760120581 
  • 後藤春美『上海をめぐる日英関係 日英同盟後の協調と対抗 1923-1932年』東京大学出版会、2006年11月6日。ISBN 4-04-521602-2