1890年のメジャーリーグベースボール

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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1890年のできごとを記す。 アメリカン・アソシエーションではルイビル・カーネルズが唯一の優勝を、ナショナルリーグではこの年にアメリカン・アソシエーションから移ってきたブルックリン・ブライドグルームス(後のドジャーズ)がナショナルリーグとして初の優勝となり、この年に誕生したプレイヤーズ・リーグではボストン・レッズが優勝したがこの年限りのシーズンであった。

1889年のメジャーリーグベースボール - 1890年のメジャーリーグベースボール - 1891年のメジャーリーグベースボール

できごと[編集]

プレイヤーズ・リーグの誕生と挫折[編集]

前年12月に創設されたプレイヤーズ・リーグはナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションから選手を引き抜き、ナショナルリーグの優秀なプレーヤーはキャップ・アンソンを除いてめぼしい選手はプレイヤーズ・リーグに移ったという。そこでナショナルリーグはマイナーリーグから選手を補充したり、給料の増額を提示して脱退した選手の取り戻しを図り徹底的な切り崩しを行ったためプレイヤーズ・リーグはたちまち窮地に立たされることになった。

プレイヤーズ・リーグの球団は8球団のうちボストン・ニューヨーク・ブルックリン・シカゴ・フィラデルフィア・ピッツバーグ・クリーブランドの7球団が、既にナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションのチームが本拠地とする都市で競合していた。ニューヨークは同じジャイアンツの名称の球団が2つとなり、フィラデルフィアも同じアスレチックスの名称の球団が2つで3リーグ3球団あり、ブルックリンも3リーグ3球団あり、しかも既存のリーグから同じ都市の新チームに移って来た選手も多く混乱していた。そして選手以外に資金を提供していたリーグのスポンサーと間もなく不和となり、わずか1年でプレイヤーズ・リーグはシーズン終了後に解散した。そしてプレイヤーズ・リーグの解散はその余波でナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションとの間で選手の移動に関しての対立を生み、翌1891年に事態は進んだ。

ブルックリンとシンシナティのナショナルリーグへの移動[編集]

新しいリーグへの対抗策としてナショナルリーグは、前年までアメリカン・アソシエーションに加盟していたブルックリン・ブライドグルームス(前年の優勝チーム)とシンシナティ・レッドストッキングス(この年レッズと改称)がアメリカン・アソシエーションを脱退したことでこの2球団を加え、代わりに前年7位と最下位であったインディアナポリス・フージャーズワシントン・ナショナルズ (1886-1889年)を切った。前年にニューヨーク・ジャイアンツと全米選手権を戦ったブルックリン・ブライドグルームスはこの年ナショナルリーグで優勝し、後にドジャースに改称し、1894年にブルックリン市がニューヨーク市と統合されてナショナルリーグで同じ大都市ニューヨークを本拠としたドジャースとジャイアンツの2球団は、この時から同じ都市で同じリーグでのライバルとしてしのぎを削り、1920年代からのニューヨーク・ヤンキースの強大化とともにニューヨークを盛り上げて、1958年に東海岸へ本拠地移動するまで続いた。

同一都市の球団競合[編集]

最後の全米選手権[編集]

ナショナルリーグ優勝チームのブルックリン・ブライドグルームス(現在のロサンゼルス・ドジャース)とアメリカン・アソシエーション優勝チームのルイビル・カーネルズ(その後カーネルズはナショナルリーグに加盟し1899年に消滅)はシーズン終了後に全米選手権に進出して、3勝3敗1引き分けであった。プレイヤーズ・リーグ優勝のボストン・レッズは不参加であった。この19世紀のワールドシリーズはこれが最後となった。

サイ・ヤング[編集]

この年、ナショナルリーグの7位に終わったクリーブランド・スパイダーズ(後に1899年に解散)に、オハイオの田舎から出てきた23歳の若者がデビューした。名前はサイ・ヤング。シカゴ・コルツ(1876年からホワイトストッキングス、この年からコルツ、1897年にオーファンズ、そして1902年から現在までカブス)を相手にわずか3安打に抑えて無四球で8対1で勝ったのが初勝利であった。この時にシカゴ・コルツの監督をしていたのは19世紀を代表する名選手のキャップ・アンソンで、選手兼任だったアンソンはこの試合でヤングに2三振を食らっていた。すぐにスパイダースに「まだまだ粗削りの投手ですぐにはおたくのチームには役立たない。1000ドル出すからうちに預けてくれないか」と持ち掛けた。しかしスパイダースは「あなたが2三振したので、その1000ドルは取っておいて下さい。あの田舎者は手放しませんから」と断固拒否したという。ヤングは翌年27勝を上げ、その次の年には36勝をあげて防御率1.93で頭角を現した。後にスパイダースのオーナーがセントルイス・ブラウンズ(後のカージナルス)を買収した時にカージナルスに移り、そして1901年にアメリカンリーグのボストン・アメリカンズ(後のレッドソックス)に移籍して1903年の初のワールドシリーズ第1戦で先発投手となった。

記録[編集]

最終成績[編集]

アメリカン・アソシエーション[編集]

チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ルイビル・カーネルズ 88 44 .667 --
2 コロンバス・ソロンズ 79 55 .590 10.0
3 セントルイス・ブラウンズ 78 58 .574 12.0
4 トレド・マウミーズ 68 64 .515 20.0
5 ロチェスター・ブロンコス 63 63 .500 22.0
6 ボルチモア・オリオールズ 15 19 .441 24.0
7 シラキュース・スターズ 55 72 .433 30.5
8 フィラデルフィア・アスレチックス 54 78 .409 34.0
9 ブルックリン・グラディエイターズ 26 73 .263 45.5

ナショナルリーグ[編集]

チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ブルックリン・ブライドグルームズ 86 43 .667 --
2 シカゴ・コルツ 83 53 .610 6.5
3 フィラデルフィア・フィリーズ 78 53 .595 9.0
4 シンシナティ・レッズ 77 55 .583 10.5
5 ボストン・ビーンイーターズ 76 57 .571 12.0
6 ニューヨーク・ジャイアンツ 63 68 .481 24.0
7 クリーブランド・スパイダーズ 44 88 .333 43.5
8 ピッツバーグ・パイレーツ 23 113 .169 66.5

プレイヤーズ・リーグ[編集]

チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ボストン・レッズ 81 48 .628 --
2 ブルックリン・ワンダーズ 76 56 .576 6.5
3 ニューヨーク・ジャイアンツ 74 57 .565 8.0
4 シカゴ・パイレーツ 75 62 0.547 10.0
5 フィラデルフィア・アスレチックス 68 63 .519 14.0
6 ピッツバーグ・バーガーズ 60 68 .469 20.5
7 クリーブランド・インファンツ 55 75 .423 26.5
8 バッファロー・バイソンズ 36 96 .273 46.5

個人タイトル[編集]

アメリカン・アソシエーション[編集]

打者成績[編集]

項目 選手 記録
打率 チキン・ウルフ (LOU) .363
本塁打 カウント・コンパウ (STL) 9
打点 スパッド・ジョンソン (COL) 113
得点 ジム・マクタマニー (COL) 140
安打 チキン・ウルフ (LOU) 197
盗塁 トミー・マッカーシー (STL) 52

投手成績[編集]

項目 選手 記録
勝利 セイディー・マクマホン (PHA/BAL) 36
防御率 スコット・ストラットン (LOU) 2.36
奪三振 セイディー・マクマホン (PHA/BAL) 291
投球回 セイディー・マクマホン (PHA/BAL) 509
セーブ アーブ・グッドール (LOU) 3

ナショナルリーグ[編集]

打者成績[編集]

項目 選手 記録
打率 ジャック・グラスコック (NYG) .336
本塁打 ウォルト・ウィルモット (CHC) 13
マイク・ティアマン (NYG)
オイスター・バーンズ (BRO)
打点 オイスター・バーンズ (BRO) 128
得点 ハブ・コリンズ (BRO) 148
安打 サム・トンプソン (PHI) 172
ジャック・グラスコック (NYG)
盗塁 ビリー・ハミルトン (PHI) 102

投手成績[編集]

項目 選手 記録
勝利 ビル・ハッチソン (CHC) 41
防御率 ビリー・ラインズ (CIN) 1.95
奪三振 エイモス・ルーシー (NYG) 341
投球回 ビル・ハッチソン (CHC) 603.0
セーブ ビル・ハッチソン (CHC) 2
キッド・グリーソン (PHI)
デーブ・ファツ (BRO)

プレイヤーズ・リーグ[編集]

打者成績[編集]

項目 選手 記録
打率 ピート・ブラウニング (CLE) .373
本塁打 ロジャー・コナー (NYI) 14
打点 ハーディ・リチャードソン (BOS) 146
得点 ヒュー・ダフィー (CHI) 161
安打 ヒュー・ダフィー (CHII) 191
盗塁 ハリー・ストービー (BOS) 97

投手成績[編集]

項目 選手 記録
勝利 マーク・ボールドウィン (CHI) 33
防御率 シルバー・キング (CHI) 2.69
奪三振 マーク・ボールドウィン (CHI) 206
投球回 マーク・ボールドウィン (CHI) 492.0
セーブ ハンク・オーデイ (NYI) 3
ジョージ・ヘミング (CLE/BWW)

出典[編集]

  • 『アメリカ・プロ野球史』≪第1章ナショナルリーグの確立≫ 53-55P参照  鈴木武樹 著  1971年9月発行  三一書房
  • 『オールタイム大リーグ名選手101人』≪サイ・ヤング≫ 16-17P参照  1997年10月発行  日本スポーツ出版社
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』≪1884-1904  ポストシーズン・ヒストリー≫ 上田龍 著 84P参照 2001年10月発行 ベースボールマガジン社

参考[編集]