麁玉郡

静岡県麁玉郡の範囲

麁玉郡(あらたまぐん)は、静岡県遠江国)にあったである。

郡域[編集]

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね浜松市浜名区の一部(新原・宮口・灰木・大平・堀谷・三大地・四大地)にあたる。

歴史[編集]

「遠江國」(『天保國繪圖』天保9年)。麁玉郡は濃青色、隣接する豊田郡は黄色、長上郡は赤色、引佐郡は桃色で示されている。原図では東が上になっているが、90度右回転させて北を上にして表示している

古代より近代まで存在した郡で、古代の藤原京出土木簡に「荒玉評」を確認することができることから、国郡制施行以前から評制が行われていたと考えられる。新原宮口、根堅、内野、高根山の各古墳群の存在からわかるように、大化以前より開発が行われていたと考えられる。万葉集には当郡出身の防人、若倭部身麻呂による句(巻20)と、当郡を指すと考えられる「あらたまの伎倍」という言葉が入った句(巻11・14)の2つ存在している。江戸時代には遠州諸藩領、他国諸藩飛地領、旗本領寺社領があり複雑化していた。1887年(明治20年)の時点で、戸数746戸、人口3,649人であった。

近代以降の沿革[編集]

  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社等の除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。(6村)
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 1村 伝右衛門新田
旗本領 2村 ○新原村、●宮口村
藩領 陸奥白河藩 3村 ○灰木村、○大平村、○堀谷村
11.麁玉村(紫:浜松市 1 - 8は引佐郡 21・22は敷知郡 → 引佐郡)

変遷表[編集]

麁玉郡の推移(色付き)
1889年4/1 1889年 - 1912年7/29 1912年7/30 - 1926年12/24 1926年12/25 - 1954年 1955年 - 1989年1/6 1989年1/7 - 現在 現在
麁玉村 1896年4月1日
引佐郡へ移行
麁玉村 麁玉村 麁玉村 1956年4月1日
合体
浜名郡浜北町
1963年7月1日
市制施行 浜北市
2005年7月1日
編入 浜松市
2007年4月1日
政令指定都市に移行
浜松市浜北区
浜松市浜北区
豊田郡赤佐村 1896年4月1日
浜名郡へ移行
赤佐村 赤佐村 赤佐村
豊田郡中瀬村 1896年4月1日
浜名郡へ移行
中瀬村 中瀬村 中瀬村
豊田郡竜池村 1896年4月1日
浜名郡へ移行
竜池村 竜池村 1951年4月1日
北浜村
長上郡美島村 1896年4月1日
浜名郡へ移行
美島村 1908年1月1日
北浜村
北浜村
長上郡平貴村 1896年4月1日
浜名郡へ移行
平貴村
平口地区 1908年1月1日
小野口村
小野口村 1951年11月3日
町制改称 浜名町
長上郡小野田村 1896年4月1日
浜名郡へ移行
小野田村
半田地区 1908年1月1日
積志村
積志村 積志村 1957年10月1日
編入 浜松市
2007年4月1日
政令指定都市に移行
浜松市東区
浜松市東区
浜名郡有玉村 有玉村 有玉村
浜名郡中郡村 中郡村 中郡村

行政[編集]

引佐・麁玉郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年3月12日
明治29年(1896年)3月31日 引佐郡および敷知郡の一部との合併により麁玉郡廃止
引佐郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治29年(1896年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 22 静岡県、角川書店、1982年10月1日。ISBN 4040012208 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目[編集]

先代
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行政区の変遷
- 1896年
次代
引佐郡