鴨脚克子

鴨脚 克子(いちょう かつこ、文化13年2月1816年) - 明治16年(1883年10月5日)は、孝明天皇女官

生涯[編集]

父は加茂社司・鴨脚光陳、母は行事知昌の娘。宮中では能登局、竹命婦と称し、後年は岩瀬と改名した。

京都に生まれ、天保元年(1831年)宮中に出仕し、天保5年(1834年女蔵人万延元年(1860年命婦となった。

文久元年(1861年庭田嗣子らとともに孝明天皇の皇妹和宮付きとなり、その江戸降嫁に従って江戸城大奥に入った。慶応3年(1867年)帰京を許されて命婦に復帰。

以後は明治天皇に仕え、明治2年(1869年)三命婦、明治4年(1871年)二命婦となるが、明治5年(1872年)宮中改革によって隠居を命じられ、京都に戻った。

鴨脚克子が登場する作品[編集]

脚注[編集]

註釈[編集]

出典[編集]