魚津港

魚津港
魚津港と埋没林博物館
所在地
日本の旗 日本
所在地 富山県魚津市
座標 北緯36度49分15.3秒 東経137度23分32.4秒 / 北緯36.820917度 東経137.392333度 / 36.820917; 137.392333座標: 北緯36度49分15.3秒 東経137度23分32.4秒 / 北緯36.820917度 東経137.392333度 / 36.820917; 137.392333
詳細
開港 1938年
管理者 富山県
種類 地方港湾
魚津港の位置(富山県内)
魚津港

魚津港(うおづこう)は、富山県魚津市にある地方港湾。港湾管理者は富山県。魚津漁港(うおづぎょこう)と呼ばれる場合もある[1]

概要[編集]

角川河口(魚津補助港付近)

港町にある魚津港(北地区)と、上口にある魚津補助港(南地区)がある。いずれも漁港としての性格が強いが、近年は北地区における物流機能の強化が図られている。 かつての魚津港は、大町海岸および角川河口に位置していて、藩政時代は東七浦の中央の港として位置付けられており、明治期も伏木港、東岩瀬港(現在の伏木富山港)に次ぐ重要な港であり[2]直江津行きの汽船も入っていた。しかし、汽船は1913年北陸本線開通と同時に姿を消し、以降は荷役のみとなっていた[3]。現在の魚津港と魚津補助港は、戦前から戦後にかけて建設されたものである。護衛艦が入港する場合もある。

北地区では、南半分に沿岸漁業船、北半分に貨物運搬船および北洋漁船を置いている。

周辺には、魚津埋没林博物館や海の駅蜃気楼などがある。ホタルイカブリベニズワイガニ白エビカワハギといった富山湾を代表する魚介類の水揚げが多い。また、米騒動発祥の地のひとつとして知られる港町でもある。

港一帯はみなとオアシスとして登録していて、海の駅蜃気楼を代表施設とするみなとオアシス魚津として観光拠点ともなっている。

映画『日本沈没』(2006年)にも登場している。

沿革[編集]

  • 1907年 - 県費指定の港湾となる[2]
  • 1921年 - 魚津町会が県議会宛に港建設を陳情[2]
  • 1922年 - 富山県の指定港湾に編入される[4]
  • 1928年12月 - 県議会で魚津港の建設が可決[5]
  • 1929年4月1日 - 着工(事業費70万円)[5]
  • 1930年 - 工事中に現地で魚津埋没林が発見されている。
  • 1935年6月20日 - 南防波堤(70m)完成[5][6]
  • 1936年
  • 10月 - 船曳場完成[6]
  • 1937年8月 - 乙種岸壁完成[5]
  • 1938年3月31日 - 魚津港(北地区)完成[5]。工事費は694,463円[6]
  • 1947年1月 - 魚津港湾拡築期成同盟が内務大臣、運輸大臣、農林大臣、経済安定本部長官あてに角川尻の港建設を陳情[4]
  • 1948年3月 - 角川尻船溜り事業を継続3か年で実施[7]
  • 1951年4月 - 地方港湾に指定される。
  • 1953年 - 南北防波堤根固め。同年8月、魚津港、角川尻港建設期成同盟会結成[7]
  • 1954年 - 角川尻港に船曳場を整備[7]
  • 1957年
    • 3月 - 魚津補助港(角川尻港)着工[8]
    • 5月 - 日本初の漁船避難港に指定される[9]
  • 1961年10月 - 魚津港の荷捌場が鉄骨スレート葺一部2階建てに改築される[10]
  • 1962年1月 - 魚津補助港完成。
  • 1966年 - 魚津補助港がほぼ現在の港となる。その後拡張される。
  • 1970年10月 - 魚津港にて鉄骨スレート葺2階建ての荷捌場兼漁具倉庫が増設される[10]
  • 1974年
    • 6月 - 荷捌所兼事務所が着工[11]
    • 11月 - 荷捌所兼事務所(鉄筋コンクリート2階建一部3階建、延床面積1,660m2、総工費1億5,150万円)が完成、11月27日に落成式[11]
  • 1977年5月27日 - 政令指定港湾に指定される[12]
  • 1994年6月28日 - 富山県地方港湾審議会が魚津港北地区拡張計画などを原案通りに可決し富山県知事に答申し[13]、年内に北地区の拡張整備事業を開始[14]。なお、建設当初は2000年完成を目標としていた[15]
  • 1996年2月 - 北地区の拡張整備事業着工[13]
  • 2000年 - この年までに北地区5haの埋め立てが完了する[13]
  • 2004年1月26日 - 北地区の蜃気楼ふ頭(一部)および水産物荷捌き施設(魚津おさかなランド)が完成[16]、魚津おさかなランドは同年2月16日より本稼働を開始[17]
  • 2006年10月 - 富山県内では富山新港に次ぐ2番目の耐震岸壁を整備、700tクラスの船舶が接岸可能となった[13]
  • 2007年4月24日 - 魚津港周辺が、『みなとオアシス魚津』に指定される[17]
  • 2015年6月21日 - 北地区の整備事業が完了[18]

周辺[編集]

魚津おさかなランド[編集]

魚津漁業協同組合(JF魚津)による鮮魚管理施設・水産物卸売市場の愛称。2002年水産庁補助事業によって建設された。

2004年1月26日に竣工し[16]、同年2月16日より本稼働開始[17]。市場と観光を兼ねた「海の駅蜃気楼」と隣接している。魚津港から水揚げされた海産物を加工するために設けられた。鉄骨一部2階建て約5,600m2[16]

正式名称は「高度衛生管理型水産物荷さばき施設」または「魚津地方卸売市場」[19]北緯36度49分14.24秒 東経137度23分37.28秒 / 北緯36.8206222度 東経137.3936889度 / 36.8206222; 137.3936889に位置する。

脚注[編集]

  1. ^ 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)206、207頁。
  2. ^ a b c 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)207頁。
  3. ^ 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)415頁。
  4. ^ a b 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)209頁。
  5. ^ a b c d e f g 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)208頁。
  6. ^ a b c d e 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)427頁。
  7. ^ a b c 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)210頁。
  8. ^ 『魚津市史 史料編』(1982年3月25日、魚津市役所発行)734頁。
  9. ^ 『北日本新聞』1957年5月23日付朝刊6面『魚津港を指定 全国初 漁船避難港に』より。
  10. ^ a b 『広報うおづ』第450号(1983年5月1日、魚津市役所発行)、18頁『目で見るいまむかし 5 』より。
  11. ^ a b 『北日本新聞』1974年11月19日付朝刊12面『27日に落成式 魚津漁協の荷捌所できる』より。
  12. ^ 『北日本新聞』1977年5月24日付朝刊2面『魚津港政令指定港湾に 政府76港を追加指定』より。
  13. ^ a b c d 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)251ページ
  14. ^ 北日本新聞』2015年6月20日付朝刊26面より。
  15. ^ 『北日本新聞』1995年1月5日付朝刊1面『魚津港周辺を開発 7年度予算に調査費計上 日カ工場敷地含め新商業集積地目指す 石川市長が構想表明』より。
  16. ^ a b c 『北日本新聞』2004年1月27日付朝刊26面『安全・安心な魚提供 魚津港 荷さばき施設完成 高度な衛生設備を完備』
  17. ^ a b c 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)252ページ
  18. ^ 『北日本新聞』2015年6月22日付20面『新川の産業発展後押し 魚津港北地区 完成記念式典 地区の物流拠点祝う』より。
  19. ^ No.325-2:鮮度抜群! 魚津朝とれ市場オープン(2007年12月1日時点のアーカイブ

外部リンク[編集]