高武藏源太郎

高武藏 源太郎(たかむさし げんたろう、1879年明治12年)8月4日 - 1948年昭和23年)4月30日)は、明治から大正期にかけての大相撲力士。本名は高橋源次郎、のち野地に改姓。

略歴[編集]

現在の埼玉県所沢市出身。元々行司として入門したらしく、1893年1月から1895年1月まで番付行司欄に見える木村源二郎と思われる[要出典]。その後力士となり、1896年5月に高武蔵源太郎で序ノ口、1900年5月に三段目に上る。1903年5月には幕下に昇進し、1908年1月幕下9枚目まで昇進するが幕下が長く、1917年1月三段目に陥落するまで13年幕下にいた。1918年5月限り引退し、年寄桐山となり桐山部屋を継承した。十両の大島がいたが1922年に現役で死去し、1926年5月限りで弟子がいなくなり、部屋を閉じた。のち伊勢ヶ濱一門に入り、1948年4月30日死去。

参考資料[編集]

  • 小池, 謙一「年寄名跡の代々(62) 桐山代々の巻(上)」『相撲』第43巻第11号、ベースボール・マガジン社、1994年11月、102-105頁。 
  • 小池, 謙一「年寄名跡の代々(63) 桐山代々の巻(下)」『相撲』第43巻第12号、ベースボール・マガジン社、1994年12月、152-155頁。