高木秀雄

高木 秀雄

高木 秀雄(たかぎ ひでお、1895年明治28年)3月23日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。屏東市尹。

経歴・人物[編集]

高木行正の長男として[2]愛媛県北宇和郡宇和島町野川(現・宇和島市野川)に生まれる[1]1914年(大正3年)愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を卒業[3]。翌年、台北庁に出仕[3]

1917年(大正6年)南投庁属、1922年(大正11年)台湾総督府財務局、1925年(大正14年)同府税務課を経て、1927年(昭和2年)1月、再び同府財務局勤務となり、1931年(昭和6年)5月、秘書課勤務に転じ、東京出張所勤務を発令される[1]。翌年の1932年(昭和7年)3月、同府中央研究所会計課長および秘書課長を経て、文書課長となり、同年7月に同府総務長専属となった[1]

さらに翌年の1933年(昭和8年)12月には同府地方理事官に転じ、新竹州新竹郡守に発令された[1]。その後、1935年(昭和10年)9月に台南州虎尾郡守を経て、1937年(昭和12年)11月30日付けで屏東市尹に就任した[1]

1939年(昭和14年)3月退官し民間に転じ、台湾拓殖に入り南支第一課長兼資材課長、三亜支店長を経て、南日本化学工業監査となった[4]

脚注[編集]

参考文献[編集]