飛騨国分寺

飛騨国分寺

本堂
所在地 岐阜県高山市総和町1-83
位置 北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度 / 36.1433500; 137.253694座標: 北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度 / 36.1433500; 137.253694
山号 醫王山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来坐像(国の重要文化財)
創建年 757年天平勝宝9歳)頃
開基 行基聖武天皇(勅願)
札所等 飛騨三十三観音霊場第一札所、中部四十九薬師霊場四十一札所
文化財 本堂、木造薬師如来坐像、木造聖観音菩薩立像、小烏丸の太刀(重要文化財)
塔跡(国の史跡)
三重塔、木造阿弥陀如来坐像、木造不動明王立像(県文化財)
公式サイト 醫王山 飛騨国分寺
法人番号 1200005009874 ウィキデータを編集
飛騨国分寺の位置(岐阜県内)
飛騨国分寺
テンプレートを表示
山門
鐘楼堂
三重塔
大イチョウ

飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗寺院である。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。

沿革[編集]

741年天平13年)、聖武天皇により国分寺建立のが発せられ、757年天平勝宝9歳)頃、行基によって建立されたという。

819年弘仁10年)、火災で焼失。855年斉衡2年)ころ、再建される。

室町時代本堂が再建されるが、詳しい時期は不明である。七重塔(現三重塔)に再建記録とほぼ同じと推測すると、応永年間に焼失後再建され、1585年天正13年)、金森長近姉小路頼綱松倉城を攻めたさいの兵火で焼失する。この後、再建と考えられる。

1615年元和元年)に三重塔が再建されるが、1791年寛政3年)に暴風雨で倒壊。1820年文政3年)再建されたのが現在の塔である。

1695年元禄8年)、飛騨国天領となり、高山城が取り壊され、一部は飛騨国分寺に移築され、鐘楼門などに利用される。

伽藍[編集]

  • 山門
  • 本堂
  • 大師堂
  • 庫裏
  • 鐘楼堂(鐘門形式)
  • 三重塔
  • 不動堂
  • 庚申堂

文化財[編集]

重要文化財(国指定)
史跡(国指定)
  • 飛騨国分寺塔跡(奈良時代) - 七重大塔の心礎(心柱の礎石)、上面に径1.3メートルの円柱座と舎利孔がある。
天然記念物(国指定)
岐阜県指定重要文化財
高山市指定文化財
  • 国分寺鐘楼門[2]
  • 国分寺表門 附棟札[3]
その他の文化財

所在地・アクセス[編集]

その他[編集]

  • 庚申堂の横には2007年に「願掛けなでさるぼぼ」(石像)が設置され、古くなったサルボボ人形用の棚が設けられてあり、さるぼぼ人形の供養が行われる。
  • 飛騨国国分尼寺は、国分寺の西約600m付近に建立されていた。跡地は辻ヶ森三社となっており、境内から金堂の礎石などが発掘されている。

脚注[編集]

  1. ^ 飛騨国分寺の大イチョウ”. 岐阜県. 2013年11月23日閲覧。
  2. ^ 国分寺鐘楼門”. 高山市. 2013年5月16日閲覧。
  3. ^ 国分寺表門 附棟札”. 高山市. 2013年5月16日閲覧。

外部リンク[編集]